開幕の主役-2-
文字数 3,448文字
玄関広間の奥にある階段を上がると、向かい合わせで二組、四つのドアが並ぶ廊下となっている。
その上がってすぐ左側の部屋のドアを開けて、鎮 は部屋の中央に置かれたテーブルに、二人分の食事が乗った盆を置いた。
「入って。……蒼玉 ?」
部屋の入り口でうつむいたままの蒼玉 に気づいた鎮 は、戻ってその手を握る。
「おいで」
鎮 から手を引かれて、やっと一歩、蒼玉 が室内に足を踏み入れた。
「こっちに座って。はい、どうぞ。……食べられそう?」
素直にイスに座った蒼玉 に鎮 が箸 を手渡す。
「ええ。……食べなければ、ならないし」
おずおずと箸を手にした蒼玉 だが、その手は力なく下ろされてしまった。
「食欲、ない?」
「……他人に見られることが怖いのです。生きようと、成長しようとする行為を、見咎 められることが。わたしは……」
隣にイスを寄せて座ると、鎮 は蒼玉 の手をぎゅっと握る。
「無理に話さなくてもいいよ」
「鎮 に最初に話したいの。そのあとで、あなたの本当の気持ちを聞かせて」
微笑む蒼玉 の頬に、つぃと涙が流れた。
「俺の気持ちを、蒼玉 がわからないことなんてあるの?」
鎮 が指の腹でその涙を拭 い、まぶたをなでれば。
されるまま、蒼玉 は目を閉じた。
『白虎を顕現させた鎮 ならできると思う。四神は本来、麒麟 である天空 に次ぐ立場のお方。戦士 が気安くしてよい存在ではないのよ』
『蒼玉 からよそよそしくされるくらいなら、白虎は還す』
「鎮 ……」
目を開いた黒水晶の瞳に、新たな涙が盛り上がる。
「俺が白虎でいるためには、蒼玉 が必要なんだよ」
困ったように笑う蒼玉 を、鎮 はその腕に閉じ込めた。
「だから何も心配しないで。どんな蒼玉 だって、俺の気持ちは変わらない」
『愛しい蒼玉 』
アーユスを流しながら、鎮 は蒼玉 の頭に何度もキスを贈る。
「……ありがとう」
『鎮 はわたしのすべてよ』
鎮 の胸にきゅっとしがみついて、蒼玉 は静かに涙を流した。
「落ち着いた?」
しばらくして、鎮 からのぞき込まれた蒼玉 がこくんとうなずく。
「ごめんなさい、待たせてしまって」
「待ってない」
鎮 は箸 を取ると、蒼玉 の手を包み込むように握らせた。
『蒼玉 より優先されることなんて、俺にはないんだから』
「全部、聞くよ。蒼玉 の話も願いも。でも、その前に食べようか。この照り焼きチキンね、高梁 さんの得意料理なんだ。皮をパリッとさせるのが、コツなんだって。胃袋つかみたい相手には、必ず出すって言ってたけど……。あいつらと一緒のときに出されたの、初めてだな。そういえば」
アーユスのほうが楽ではあるけれど、鎮 は声を使い続ける。
「績 には、想う相手はいないのかしら」
「相月 さんがあと二十歳若かったら、どストライクだって、酒の席で言ったらしいよ。けど、本人は絶対に認めないんだ」
「先ほど買い物に連れていってくれた方ですね。芯のまっすぐな、好ましい女性でした」
「母さんの上司だったこともあるんだって。……蒼玉 、すごくきれいに食べるね」
「鎮 が食事をしているところを、よくのぞかせてもらっていたから。そういえば、おじい様の口癖……」
「「”箸づかいは挨拶と同じだぞ”」」
声をそろえたふたりはひっそりと笑い合って、高梁 の心づくしの料理を口に運んだ。
食事を終えた鎮 は、ベッド脇の床に置かれたビーズクッションにどっかりと座り込んで、蒼玉 を手招く。
「こっちに来て。……ほら、早く」
『早く』
声とアーユに急かされて、蒼玉 が鎮 の膝に横座りをすると、深緑のシャツワンピースがふわりと広がった。
「試着したときにも言ったけど、とってもよく似合ってる。かわいい」
『槐 よりも、俺のほうが先にほめたんだからね』
すねたアーユスに、蒼玉 がクスリと笑う。
「ええ、とても嬉しかったわ」
『……だって、子供服は絶対に嫌だったんだもの……』
「うん、わかってる。フリッフリだったものね。レースが何重にもついていて、エプロンドレスのリボンが……」
「もおっ」
「いてて」
蒼玉 からぺチリと叩かれたその手を、鎮 は、大げさに振ってみせた。
外商の女性は姉妹を一目見ると、紅玉 にはシンプルなデザイナーズブランドを、蒼玉 には、ロマンティックスィートが売りのジュニアブランドの服を薦めてくれた。
もちろん、有能な外商の見立てに間違いはなく、レースのフリルがふんだんに使われたその服を着た蒼玉 は、ビスクドール顔負けだったのだが。
「まあ、可愛らしい!カノジョさんも本当にステキな方ですし、美人姉妹さんですね」
「あたしは”かのじょ”なんかじゃないよ」
「え……。それは、失礼しました……」
女性が眉を曇らせるのを横目に、蒼玉 はそそくさとその服を脱いで、二度と袖 を通そうとはしなかったのだ。
「でも、着替え分とあわせて二組でよかったの?足りないでしょう?」
「だって、姉上と同じお店の服は、この色違いしか合うものがありませんでしたし」
「……うん、そうだね」
「それに」
蒼玉 がすがるように鎮 の首に腕を回す。
「この体形に合う服は、すぐに着られなくなりますから。……おそらく」
「それは、どうして?」
膝の上で震える少女を抱きしめて、鎮 が囁 いた。
「ちゃんと食べようと、思うので。そして、抑えるのをやめます。……鎮 、わたしはね」
蒼玉 の怯 えた瞳が上がる。
「本当は……、本当の年齢は、姉上と同じ。……十八なのです」
「……そうなんだ……」
小さな蒼玉 を力いっぱい抱きしめて、鎮 は大きなため息をついた。
◇
すべてを話し終え、うつむいてしまった蒼玉 の頬に鎮 が手を添える。
「蒼玉 」
「……はい」
「不安に思うことなんか何もないよ」
「でも、怖くはない?」
「怖い?なにが?」
鎮 は蒼玉 の額に軽く口付けた。
「わたしのことが」
「どうして?」
それには答えず、蒼玉 は無言で目を伏せる。
「……姉上はどう思われるでしょう。こんなわたしがヴィーラでいることを、許してくださるでしょうか」
「紅玉 さんは、蒼玉 の評価を変えたりしないと思う。誰よりも一緒に戦ってきたんだろう?」
「そう、ですね。でも、ほかの四神は恐れるかもしれません。そうなったら、ともに戦うことなど不可能です」
「あいつらがどう判断するかはわからないけど」
体を硬くしている蒼玉 の頭を、鎮 は片手で胸に引き寄せた。
「俺が蒼玉 と離れることはないよ。ここを出るなら一緒に行く。蒼玉 といるために闇に落ちることが必要なら、そうする」
「!!」
撃たれたように顔を上げた蒼玉 を見て、鎮 は目元を緩める。
「こんなことを言ったら、紅玉 さんはまた怒るかな」
「そうね……。ヴィーラの使命に反するから」
「でも、そういう君たちは……。稀鸞 さんもそうだったけれど、半 ば人であることを放棄しているようだけれど」
息を止めた蒼玉 の瞳を見つめながら、鎮 は鼻先と鼻先をこすり合わせた。
『どう在りたいかは自分で決める。俺の望みは人で在ることじゃない。でも、多分だけど、闇落ちもしないんじゃないかな』
『それはどうして?』
『俺が闇鬼 になるなんて、蒼玉 が許さないだろう?』
鎮 はからかうように笑うが、蒼玉 の強張りは解けない。
「でも、わたし、わたしは……」
「蒼玉 はアンデラじゃない。アンデラから人を守り続けてきた君のことを、紅玉 さんだって、そんなふうに思うはずがない」
「……聞いて、みなければね」
「そうだね。戻って、これからどうするかも相談しよう。アンデラを探すのに人手が必要だろう?大学は休学するよ」
「それこそ、スーリヤが許さないと思うわ」
鎮 の膝から立ち上がった蒼玉 に、やっと笑顔が戻る。
「学舎 に行かずに、山に出かけたことがあるんだけど……」
「それはサボったってこと?」
「そうね。村の子とちょっとケンカをしてしまって……。それで、帰ったらそれはキツく叱られたの。そのときの姉上は、どんなアンデラよりも怖かった。“学ぶ機会をないがしろにするなんて、よりよく生きることを放棄することだ。そんなヤツは村を出て行け!”と言われたわ」
「……厳しいね」
「そうよ?”人を簡単に捨てるな”が、姉上の口癖だから。人はね、容易 く鬼になってしまう。だから、知力も気力も、磨くことを怠ってはいけないというのが、グール―としての方針。スーリヤが本気で怒ると最低よ?」
「さ、最低?」
「あれほどさっぱりとしている方だけれど、怒るとそれはネチネチ、ネチネチ。しかも、言葉とアーユス両方を浴びせてくるから、圧が凄いの」
そうしてふたりがリビングダイニングに戻ったとき、まさに渉 が、紅玉 から怒涛の説教をされているところだった。
その上がってすぐ左側の部屋のドアを開けて、
「入って。……
部屋の入り口でうつむいたままの
「おいで」
「こっちに座って。はい、どうぞ。……食べられそう?」
素直にイスに座った
「ええ。……食べなければ、ならないし」
おずおずと箸を手にした
「食欲、ない?」
「……他人に見られることが怖いのです。生きようと、成長しようとする行為を、
隣にイスを寄せて座ると、
「無理に話さなくてもいいよ」
「
微笑む
「俺の気持ちを、
されるまま、
『白虎を顕現させた
『
「
目を開いた黒水晶の瞳に、新たな涙が盛り上がる。
「俺が白虎でいるためには、
そのままの
困ったように笑う
「だから何も心配しないで。どんな
『愛しい
アーユスを流しながら、
「……ありがとう」
『
「落ち着いた?」
しばらくして、
「ごめんなさい、待たせてしまって」
「待ってない」
『
「全部、聞くよ。
アーユスのほうが楽ではあるけれど、
「
「
「先ほど買い物に連れていってくれた方ですね。芯のまっすぐな、好ましい女性でした」
「母さんの上司だったこともあるんだって。……
「
「「”箸づかいは挨拶と同じだぞ”」」
声をそろえたふたりはひっそりと笑い合って、
食事を終えた
「こっちに来て。……ほら、早く」
『早く』
声とアーユに急かされて、
「試着したときにも言ったけど、とってもよく似合ってる。かわいい」
『
すねたアーユスに、
「ええ、とても嬉しかったわ」
『……だって、子供服は絶対に嫌だったんだもの……』
「うん、わかってる。フリッフリだったものね。レースが何重にもついていて、エプロンドレスのリボンが……」
「もおっ」
「いてて」
外商の女性は姉妹を一目見ると、
もちろん、有能な外商の見立てに間違いはなく、レースのフリルがふんだんに使われたその服を着た
「まあ、可愛らしい!カノジョさんも本当にステキな方ですし、美人姉妹さんですね」
「あたしは”かのじょ”なんかじゃないよ」
「え……。それは、失礼しました……」
女性が眉を曇らせるのを横目に、
「でも、着替え分とあわせて二組でよかったの?足りないでしょう?」
「だって、姉上と同じお店の服は、この色違いしか合うものがありませんでしたし」
「……うん、そうだね」
「それに」
「この体形に合う服は、すぐに着られなくなりますから。……おそらく」
「それは、どうして?」
膝の上で震える少女を抱きしめて、
「ちゃんと食べようと、思うので。そして、抑えるのをやめます。……
「本当は……、本当の年齢は、姉上と同じ。……十八なのです」
「……そうなんだ……」
小さな
◇
すべてを話し終え、うつむいてしまった
「
「……はい」
「不安に思うことなんか何もないよ」
「でも、怖くはない?」
「怖い?なにが?」
「わたしのことが」
「どうして?」
それには答えず、
「……姉上はどう思われるでしょう。こんなわたしがヴィーラでいることを、許してくださるでしょうか」
「
「そう、ですね。でも、ほかの四神は恐れるかもしれません。そうなったら、ともに戦うことなど不可能です」
「あいつらがどう判断するかはわからないけど」
体を硬くしている
「俺が
「!!」
撃たれたように顔を上げた
「こんなことを言ったら、
「そうね……。ヴィーラの使命に反するから」
「でも、そういう君たちは……。
息を止めた
『どう在りたいかは自分で決める。俺の望みは人で在ることじゃない。でも、多分だけど、闇落ちもしないんじゃないかな』
『それはどうして?』
『俺が
「でも、わたし、わたしは……」
「
「……聞いて、みなければね」
「そうだね。戻って、これからどうするかも相談しよう。アンデラを探すのに人手が必要だろう?大学は休学するよ」
「それこそ、スーリヤが許さないと思うわ」
「
「それはサボったってこと?」
「そうね。村の子とちょっとケンカをしてしまって……。それで、帰ったらそれはキツく叱られたの。そのときの姉上は、どんなアンデラよりも怖かった。“学ぶ機会をないがしろにするなんて、よりよく生きることを放棄することだ。そんなヤツは村を出て行け!”と言われたわ」
「……厳しいね」
「そうよ?”人を簡単に捨てるな”が、姉上の口癖だから。人はね、
「さ、最低?」
「あれほどさっぱりとしている方だけれど、怒るとそれはネチネチ、ネチネチ。しかも、言葉とアーユス両方を浴びせてくるから、圧が凄いの」
そうしてふたりがリビングダイニングに戻ったとき、まさに