第49話 White dog (白い犬)

文字数 2,631文字

 むき出しの光り輝く鉄骨が突き出している三階建ての大きな工場。直角三角形の屋根に三本の煙突が並んでいて、それぞれ色の違う煙を変なリズムで吐き出している。一階には大きな庭があり、奥には虹色に光るカマドや、何に使うのかわからない巨大なハンマーやペンチが転がっている。
ーーモフフローゼンさんはどこか…な。
 クマオはずっと動きたかったのだろう。サオリの手を離れて飛び降り、モフフローゼンを探すために左右に走り回った。
「おーい。モフフローゼーン。どこにおるんやー。ワイやー。女王陛下の犬、クマダクマオがやってきたでー」
 クマオは自分が女王陛下のぬいぐるみだということで、いつも偉そうに上からモノを言う。ギンジロウなら恐縮しているところだ。チャタローはやれやれという顔をしているが、サオリはクマオの動きを見ていると面白くなってきた。まるで道化師だ。
 クマオが三分ほど大声あげて走り回っても、一向にモフフローゼンの姿は見えない。一人で冒険しているという高揚感もあるのだろう。サオリはウズウズしてきた気持ちをそのまま形にしてみた。
「おーい。どこやねーん。モフモフさーん」
 サオリも小さい声を出し、ちょこまかとクマオの真似をして関西弁で走り始める。工場の角を一つ曲がった一歩目で、サオリは突然出てきた巨大な動くカーペットの中に埋もれた。高級な犬の匂いがする。カーペットは、サオリの襟首をつかんで持ち上げた。
「誰だー。俺の眠りを妨げるのはー」
 白いカーペットには犬の首がついていた。そして大きい。三メートルはある。ファブリーズのような良い匂いだ。
「モフモフさん?」
「俺の名前を気安く呼ぶお前は誰だ?」
「モフフローゼン。彼女は雅弘の娘だよ」
「雅弘の? 娘?」
 モフフローゼンはチャタローの言葉でサオリに興味を示し、狼が食べるために品定めをするかのような顔でサオリを眺めた。サオリも吊り下げられながらモフフローゼンの目を見つめ返す。蒼く透明で美しい瞳。獣性を感じるが同時に知性も感じる。
「ふん。どうやら本物のようだな」
 モフフローゼンはサオリを、脱いだ衣服を地面に投げ捨てるように無造作に放った。サオリは力の動きを読み、一回転して地面に立つ。一介の女子高生がそんな動きをしたら目を見開いて驚くところだが、ここではいたって普通のことのようだ。誰も気にしない。
「で、その犬は?」
「ワイは犬やない。クマや」
「先ほど犬だと言っておったぞ」
「女王陛下の犬であって、クマや」
「ぬいぐるみではないのか?」
「ぬいぐるみでもある」
「ならばお前は何者だ」
「クマダクマオや」
 真剣な目で問いかけていたモフフローゼンは、クマオを見ながら耐えきれなくなったようだ。突然大声で笑い出した。
「ワォォォォォン。クマオよ。君は面白い生き物だな。アルカディアンか?」
「せや」
「沙織もアルカディアンか?」
「いや、どうみてもリアリストだろ」
 チャタローの言葉に、モフフローゼンの笑顔がピタリと止まった。
「…だろうなぁ」
 空気がピリつく。
「で、ワシの前に、どのような陰謀でまた、人間などを連れてきたのだ?」
「いや、これには訳があって」
「この娘が雅弘の娘だからといってなんだ? 人間などワシの前に連れてくるなと何度も言っておろうが! のお?」
「アタピは…アタピ」
 サオリは小さな声で反論した。
「ああーん?」
 モフフローゼンは喰い殺さんばかりの顔で振り向いた。サオリは、先ほどまでとは全く違うモフフローゼンの血走った目をじっと眺めていたが、思い出したかのように急にスクールバックの中を漁り始めた。金魚型の巾着を取り出す。巾着の紐を緩めて中を見る。じっくりと吟味した後、小さな包み紙に巻かれた固形の物体を一つ取り、それをモフフローゼンに差し出した。
「これ、あげる」
「なんだそれは?」
 モフフローゼンは声を荒げるが、サオリは自慢げだ。
「チロルチョコ。コーヒーヌガー味」
「チョコ?」
「大人が食べるコーヒーヌガー味だよ」
 サオリは踏ん反り返ってモフフローゼンを見上げた。チロルチョコの美味しさには絶対の自信を持っているからだ。
 モフフローゼンは、手を伸ばしているサオリからチロルチョコを受け取ってジロジロと眺めた。
ーーお気に召さないのかな ?
 サオリは少し考えた。が、またごそごそと巾着を漁って、今度は白い包み紙の固形物を取り出した。
「モフモフさん、真っ白だからクッキーアンドホワイトチョコレートがいい?」
 サオリは仕方ないなぁという顔をする。モフフローゼンはチョコが食べたかったわけでも、チョコの種類が気に入らなかったわけでもない。ただ、このタイミングでチョコを取り出すサオリの真意を測りかねているのだ。サオリはおかしいなという顔をした後で、気がついたように口を開けた。
「あっ! もしかして二つとも欲しいの?」
 モフフローゼンの頭の中は完全に怒りがおさまり、サオリに対する興味で塗り替えられていった。
「なぜ、ワシにこれをくれようとしているのだ?」
 サオリはキョトンとした顔で当然のように答えた。
「だって、モフモフさん、いま怒ってるでしょ? 何に怒ってるかはわからないけど、イライラしたらブドウ糖が必要じゃない? アタピ、チロル食べると頭の回転良くなってホッとする。モフモフさんもきっと、食べたらそうなるよ。初めて会った記念だし、二つともあげる」
 普段は絶対に二つはあげないんだからね、という態度で、サオリはもう一つのチロルチョコもモフフローゼンに差し出した。この瞬間、モフフローゼンは確かに、『加藤沙織』という一個人を認識した。リアリストでも、マサヒロの娘でも、人間でもない。ただの加藤沙織。そう考えると、かつて人間に騙されたあの事件は、目の前にいる加藤沙織にとって何の関係もない。
ーーワシは何に怒っていたんだ。この子にはなんの関係もないというのに。
 モフフローゼンは、サオリの差し出しているもう一つの白いチロルチョコももらい、ニコヤカな顔で笑った。本来、モフフローゼンは素直で優しいクリーチャーなのだ。
「すまなかったな、加藤沙織。ワシがモフフローゼン。君の父の師匠でもなんでもなく、ただのモフフローゼン、だ」
「アタピ、加藤沙織」
 心が通じるのは嬉しいことだ。普通の人は自分の意見に閉じこもってなかなか心を通じ合わせることができない。その点、モフフローゼンは頑固に見えて柔軟な感情の持ち主なのだろう。サオリも心からニコヤカに笑顔を返した。
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登場人物紹介

サオリ・カトウ

夢見がちな錬金術師。16歳。AFF。使用ファンタジーはクルクルクラウン。

使用武器はレストーズ。

パパの面影を探しているうちに世界の運命を左右する出来事に巻き込まれていく。

カメ

「笑いの会」会長。YouTuber。韓流好き。

ニヒルなセンスで敵を斬る。ピーチーズのリーダー的存在。

映像の編集能力に長けている。

クマダクマオ

アルカディアから来たクマのぬいぐるみ。女王陛下の犬。

サオリのお友達。関西弁をしゃべる。

チャタロー

カトゥーのパートナーだった初代から数えて三代目。

『猫魂』というファンタジーを使って転生することができる。

体は1歳、中身は15歳。

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