第33話 Yama is Yummy (雙王)
文字数 6,611文字
扉を入って直線に暗い空間を歩く。暗闇なのに何故か歩くことに不便を覚えない。遠くに光が見える。おそらく開けた空間があるのだろう。たくさんの話し声も聞こえてきた。
ーー古代ローマのコロシアムで戦う剣闘士はおそらくこんな気分だったんだろな。
先はわからないが進むしかない。サオリは高揚と恐怖と緊張感を小さな胸いっぱいに抱きながら、無表情で光差す彼方へと歩いていった。
光の先は巨大な部屋。まるで裁判所のようだ。百人を超す観衆がサオリとアイゼンの二人を取り囲むようにして座っている。目の前には大きな机がある。驚くのは、そこに座っているのが五メートルを超えるほど大きな赤い顔をした男だということだ。離れていても熱量がすごい。昔の中国の官僚のような格好をしており、口からは牙がはみ出ている。
ーーでっかー。
男は左右に、三メートルを超える屈強そうな鬼を従えている。彼らは頭に角があり、金棒を持っているのだから、もはや鬼と断定してしまっても差し支えないだろう。周りにいる観衆は鬼らしくもあり、そうでないものもいる。ただ総じて言えるのは、何となく小汚い服を着ているということだ。
ーーここは…、鬼の王国? まあそりゃクマオみたいなクリーチャンが住むぬいぐるみ王国があるくらいなんだから、鬼の王国があってもおかしくはないか。
サオリは慌てていないふりをしながら辺りを見回した。自分の常識がゆっくりと塗り直されていくのがわかる。なんだか気持ちが良い。
「加藤沙織。藤原愛染。前へ」
破れ鐘のような声で鬼ががなる。アイゼンはサオリと顔を合わせることすらせずに前へ進む。サオリも丸まった背筋を堂々と伸ばし、小さな歩幅でついていった。
「加藤沙織、藤原愛染の両名で間違い無いな」
中央の大鬼が聞く。
「はい」
二人はうなづいた。
「我は冥界と転回の王、ヤマである。このリアルカディアの入国審査官だ」
「閻魔大王ですか?」
間髪入れずにアイゼンがたずねる。ヤマという名前は地獄の王様である閻魔大王の異名でもある。大鬼はただでさえ見開いている目をさらに大きくさせた後、大きな声で笑った。風が巻き起こる。空気が轟く。髪が乱れる。
ーー鬼はこれだから髪の毛がみんな縮れてるんじゃないかしらん?
サオリは自分の前髪を押さえながら迷惑そうな顔でヤマを見た。
「よくわかったな」
「その出で立ち。さらに冥界にヤマという単語が出たら、閻魔大王以外考えられないじゃないですか」
ヤマは満足そうにうなづいた。
「お前は…、藤原愛染の方か。頭がいい。しかも我に一切の恐れる様子もなく気軽に話しかけるとは。気に入った。実に気に入ったぞ」
「一目で私の才能を見抜くなんてさすがは閻魔大王ですね。私も気に入りました」
アイゼンも笑顔で返した。本当に恐れていないように見える。
「ガーッハッハ。おい! 司禄!」
閻魔大王は足元に話しかけた。机の下に誰かがいる。
「はい。記録しておきますですぅ」
キリギリスのようなか細い声で下にいる小鬼が答える。書記のようだ。
「次に加藤沙織!」
サオリは顔の横に右手をつけて、掌を見せながら軽く首を曲げた。サオリが可愛いと思っている挨拶ポーズだ。
「お前はカトゥーの子供だと聞いたぞ」
サオリは顔をくしゃくしゃにして、上半身が半分曲がるくらいの勢いでうなづいた。
「お前は喋れないのか?」
ヤマは訝しんだが、サオリにとっては通常運転だ。質問がある時以外はこの程度しか普段から喋らない。大げさに手を振って否定した。
「なんだ? 我が怖いのか?」
ーーなんかこうなるとアタピ、断固として喋りたくなくなってきた。
サオリは自分でもわからないがなぜだか依怙地になり、今度は両手を軽く持ち上げて肩をすくめてみせた。ヤマはますます不思議な気持ちになっている。だが大鬼らしく、堂々と根気よくサオリに理由を聞いた。
「ならば、なぜ喋らない?」
ーーヤマさんは怒らずにアタピに再度質問してくれた。これ以上喋らないのは流儀じゃなくて、ただの不躾だ。
サオリは、今度はすぐに返答した。
「意地はってた」
一度言葉を吐き出したら言葉自体は素直だ。ヤマは何の意地だかわからなかったが、サオリが言葉を発したことにホッとしたようだ。改めて質問を開始した。
「では沙織よ。お前はなぜ、リアルカディアに入りたいのだ」
ーーなぜと言われても…。
サオリはこれからどこに行くのかすら知らなかった。
ーーなんだろう? リアルカディアって。
サオリはKOKの入団試験を受けるためにイノギンに言われるがままついてきただけだ。ただ、こういう時は簡潔な説明が求められるということは分かる。結局、サオリの口から出てきたのはこんな言葉だった。
「行きたいからです」
「…なるほど」
簡潔はいいが、説明がまるでない。ヤマは苦虫を噛み潰したような顔をして、まともだと思われるアイゼンと話をすることにした。
「では愛染。お前はなぜリアルカディアに行きたいのだ?」
「私はKOKが世界のバランスを取る組織だというところに興味を持っております。もし私が世界の平和に貢献できるのならば、是非ともKOKに入団したいのです」
「愛染はKOKに入団したいがためにリアルカディアへ行くのだな。沙織は? 観光気分か?」
ヤマはからかうつもりでサオリに言ったのだが、サオリは全く気にしていなかった。それどころかヤマの言葉にも一理あると思った。もちろん用事はあるが、興味本位で行くこともまた確かだからだ。けれどもこれは入国審査だという。それだけでは入国したい理由として不十分な気がしたので、左手を突き出して、今思い出したもう一つの理由を言った。
「あと、クルリン扱えるようにしたい」
「クルリンとは、おお、その腕輪か。エスキューブド・ドープ・ファンタジーだな。我がお前をカトゥーの子供だと確信したのはその腕輪から漏れ出るオーラからだ。なんだ? お前はカトゥーのオーラを止めることができないのか? 我がやってやろうか」
サオリは首を振って答えた。
「形見だから。アタピが自分で止められるようになりたい」
「形見?」
「パパの」
「なるほど。だがリアルでそんなにブンブンお宝の気配を出し続けていたら、それが欲しい者たちがどんどん集まってきてしまうな。沙織の近くにいる敏感な一般人達も、なぜかわからないが気分が落ち着かなくなるかもしれん。確かに沙織。お前もリアルカディアに行かねばならない理由がある。司禄」
「はいっ。書きとめましてございますぅ」
サオリとアイゼンを見下ろしていたヤマは、一度目線を離して楽な体勢で座り直した。
「よし。二人とも。お前達がリアルカディアに入りたい理由、まずはわかった。認めてやろう」
サオリは緊張しすぎてポーカーフェイスを崩さなかったが、アイゼンは表情を明るく作ろうとした。寸前。すぐにヤマは言葉を続けた。
「ただ一点。リアルカディアへの入国を許可するには、リアルカディアの法律を守ってもらわなければならない。いいか?」
サオリは特に引っかからずに話を聞き流していたが、アイゼンはすぐに割り込んだ。
「リアルカディアの法律とはどのような法律ですか? あまりに無理な話をされますと、私たちも破ってしまうかもしれません。なんせあなたは閻魔様なのですから」
ヤマは笑顔になった。
「うむ。お前たちが守ると無条件に返事をしていたら、無茶な話をして帰そうと思っていた。愛染、やるな」
アイゼンは軽くお辞儀をした。サオリも、アタピだって聞こうと思ってたもんという顔をした。ヤマは満足そうに続けた。
「それではリアルカディアの法律を伝えよう。まずひとつ。アルカディアに関連する全ては、知らない人にはなるべく口外しないこと。ただし、生命に関わるなどの緊急の事態にはその限りでは無い。あくまで悪意や自分の意志によって口外した場合に限る。特に文章にしてはいけない」
アイゼンは意外そうな顔をして質問をした。
「なるべくでいいのですか?」
ヤマはアイゼンよりも意外そうな顔をした。
「お前たちは人間。ということは動物だろう? 動物の意志なぞそれ以上期待できん。いつも思うが人間たちは人間のことを過信しすぎている。お前たちは欲望の詰まった薄い理性袋に過ぎないというのに。これでも結構、難しいと思うぞ」
サオリはヤマの腹の底に響くような声を聞きながら、クマオやイノギンが自分に何も話してくれなかったのはこの法律のせいだったのだと理解した。ヤマの説明は続く。
「次に、リアルカディア内での一切の物理的な喧嘩を禁ずる」
これは当然だ。サオリとアイゼンは深くうなづいた。
「最後に、KOKの判断を無断で破らないこと」
「KOKの判断、ですか?」
「うむ。この世界はお前たちの住むリアルと、我々の住むアルカディアによって出来ている。このバランスをとっているのがダビデ王の騎士団、通称KOKだ。KOKの判断通りにおこなわなければ世界が崩壊してしまうかもしれないのだ」
「しかし、その判断があまりにも横暴だった時にはどうすればいいのですか?」
「KOKに入団できれば、何か重要なことがあった時には誰でも円卓会議に参加できる。そこで心ゆくまで話し合ってお互いが納得し合う。それしかないな」
アイゼンは話し合いさえできれば自分の意見が負けることはないと思っているので、この法律にも合点がいった。
「なるほど。わかりました」
ーー他には?
「以上だ」
ヤマはリアルカディアでの法律を全て言い終わり、すっきりとした顔をした。
ーーたった三つ?
サオリは驚いたが、また「人間だからな」と偉そうな顔をされるのは腹がたつので黙っていることにした。
「この三点に違反した場合、リアルカディア首長、ジョセフ・シュガーマンの名において、クリスタルとミラー・イン・ザ・ウォーターの使用を禁ずる。いいな」
「クリスタルとミラー・イン・ザ・ウォーターとはなんですか?」
ヤマは呆れた顔をした。
「知らんのか。まあそれはそうか。イノギンやクマオが他言していないという証拠だな。ふむ。ではリアルで他言しないと約束するのならば教えよう」
さっそく法律だ。サオリとアイゼンは食い気味に深くうなづいた。
「クリスタルとは、イコンを介して世界を移動する際に使用するウイッシュだ。お前たちもイノギンがクリスタルを使用してここに来ている。ミラー・イン・ザ・ウォーターは結界を張れるウイッシュだ」
「イコンてなんですか?」
「イコンはF、ファンタジーの一種だ。お前たちが来た東京メソニックセンターだと、確か六芒星の形をしたステンドグラスだったかな。そこからダイバーダウン。つまりワープすることができる」
サオリはこの際だから、曖昧な単語についても全て聞いておこうと考えた。
「ファンタジーて?」
「ファンタジーも知らんのか?」
ヤマは少し呆れながら答えた。
「ファンタジーとは、沙織が持っている腕輪みたいな宝具のことだ。リアルではFと略すことが多い。それぞれ効果が違っている。イコンは、水晶と水鏡の王にして大錬金術師、ジョセフ・シュガーマンが作るBランク・ホープ・ファンタジーだ。通常はBHFと省略する」
「ホープ・ファンタジー?」
ヤマはもう、自分にとって当たり前すぎる質問にもいちいち驚きはしない。
「ファンタジーにはホープとドープがある。ホープは誰でも使用できるファンタジーで、ドープは特定の者しか使用できないファンタジーだ。つまり、沙織の持つクルクルクラウンはSSSランクだから、S3DF、エスキューブド・ドープ・ファンタジーということだ」
「アタピしか使えないの?」
「お前だけでは無いかもしれないが使えるものは少ない。ちなみにこの空間で使えるものは誰もいない」
「それはどうしてわかるの?」
「我の持っているドープファンタジーでわかるのだ」
「なるほど。ヤマさんの持っているドープファンタジーは私にも使えますか?」
「アイゼンにはその素質が無いようだな」
アイゼンが質問をしている間、サオリは誰も使えないファンタジーを自分だけが使用できることが嬉しかった。心が軽くなったような気がする。
ーーアイちゃんにも使用できないファンタジーを自分だけが使用できる。絶対にちゃんと使えるようになろう。
サオリは心に固く決意した。
「それではウイッシュとはなんですか?」
「ウイッシュとはアルカディアンの中でも力のある王たちと契約することで使用できる特殊能力だ。錬金術師さえなれば、いずれお前たちも使うことになるであろう。質問は以上かな?」
ヤマは足元で誰かに急かされながら言った。早めに切り上げなければいけない理由がありそうだ。サオリはもうすっかり満足していた。だがアイゼンにはまだ質問がある。この機会に聞けるコトは全て聞いておこうという気持ちだ。
「リアルカディアとはなんですか? KOKの本部ですか?」
質問を聞いてサオリは初めてハッとした。そういえば聞いておかなければならないことだ。満足している場合では無い。
「リアルカディアとは、リアルとアルカディアの間にある第三の世界のことだ。リアリストとアルカディアンは基本的にお互いの世界に行くことはできないが、リアルカディアだけはお互いに行き来することができる。KOKの本部もリアルカディアにある」
「ではファンタジーは、アルカディアからアルカディアンが持ってきて、リアルカディアで手に入れられるということですか?」
「いや。アルカディアから持ち込んだものをリアルに持って帰ることはできん。ファンタジーはな最初からリアルに存在している物もあるが、基本的には錬金術師が作る」
「錬金術師ってなんですか?」
「日本語でいうと錬金術師、一般的にはアルキメストと呼ばれている職業だな」
「錬金術師にはどうやったら会えるのですか?」
「錬金術師ならリアルカディアにはゴロゴロいるぞ。むしろアルカディアへ行くリアリストで錬金術師でないのは沙織と愛染くらいだ」
「イノギンさんも?」
「当然そうだ。まあ錬金術師だからといって、全ての者がFを作れるわけではないのだがな」
アイゼンがなおも質問をしようとしたところで、シロクではない小鬼がヤマに声をかける。
「ヤマ様」
小鬼がヤマに何か言うと、ヤマは「おお、そうだった」という顔をした。
「時間が来たようだ。ついつい話し過ぎてしまったが、二人が今したような質問は、クマオやイノギンでも答えられる簡単な質問だ。これからは聞いても答えてくれるだろう。彼らから聞きなさい」
サオリは「後で聞いてくれ」という一言で、クマオやイノギンやミハエルは先にリアルカディアで待っているのだということがわかってホッとした。
ーーこれ以上は何も答えてはくれないだろう。
アイゼンは空気を読むのもうまい。
「質問に答えてくださってありがとうございました」
アイゼンが清々しい顔でヤマにお礼を言ったので、サオリも慌てて首を傾けて片手と口角を少し上げ、自分なりのお礼の姿勢をとった。
「うむ。それでは両人とも前へ。司命。O.O.を」
シメイと呼ばれた先程の小鬼が前に出てきて、サオリとアイゼンの首に不釣り合いな太さの縄をネックレスのようにかけた。
ーーこれは斬新なファッション。パリコレなんかに出られそう。
サオリが内心笑っている間、アイゼンも特に抵抗をせずに縄をかけられた。
「O.O.は、『お嬢さん、お入んなさい』というFだ。日本人の錬金術師が作ったもので、縄の形とOをかけてもいる。これはリアルカディアにゲストとして入っているという証である。正式にリアルカディアに入国する許可が下りた時にこの縄は外れるだろう」
ーーバカげたネーミングっ。
サオリが思っている時にも、アイゼンは真面目な顔で質問を続ける。
「許可が下りなかった場合はどうなるのですか?」
「その場合はリアルに戻る時にO.O.の力で全てのことを忘れて帰る。もちろん法律を破った時も同様だが、再びここに来られた時はO.O.をつければ前のことを思い出せるようになる」
「別付けハードディスクって感じね」
アイゼンはひとりごとを言って、自分の首にかかっている太い縄を触った。
「取ったらその場でリアルに戻ってしまうから注意しろよ」
サオリも触ろうと思ったが、慌てて手を引っ込めた。最後にサオリの慌てた様子が見られて、ヤマはようやく満足した顔をした。
ーー古代ローマのコロシアムで戦う剣闘士はおそらくこんな気分だったんだろな。
先はわからないが進むしかない。サオリは高揚と恐怖と緊張感を小さな胸いっぱいに抱きながら、無表情で光差す彼方へと歩いていった。
光の先は巨大な部屋。まるで裁判所のようだ。百人を超す観衆がサオリとアイゼンの二人を取り囲むようにして座っている。目の前には大きな机がある。驚くのは、そこに座っているのが五メートルを超えるほど大きな赤い顔をした男だということだ。離れていても熱量がすごい。昔の中国の官僚のような格好をしており、口からは牙がはみ出ている。
ーーでっかー。
男は左右に、三メートルを超える屈強そうな鬼を従えている。彼らは頭に角があり、金棒を持っているのだから、もはや鬼と断定してしまっても差し支えないだろう。周りにいる観衆は鬼らしくもあり、そうでないものもいる。ただ総じて言えるのは、何となく小汚い服を着ているということだ。
ーーここは…、鬼の王国? まあそりゃクマオみたいなクリーチャンが住むぬいぐるみ王国があるくらいなんだから、鬼の王国があってもおかしくはないか。
サオリは慌てていないふりをしながら辺りを見回した。自分の常識がゆっくりと塗り直されていくのがわかる。なんだか気持ちが良い。
「加藤沙織。藤原愛染。前へ」
破れ鐘のような声で鬼ががなる。アイゼンはサオリと顔を合わせることすらせずに前へ進む。サオリも丸まった背筋を堂々と伸ばし、小さな歩幅でついていった。
「加藤沙織、藤原愛染の両名で間違い無いな」
中央の大鬼が聞く。
「はい」
二人はうなづいた。
「我は冥界と転回の王、ヤマである。このリアルカディアの入国審査官だ」
「閻魔大王ですか?」
間髪入れずにアイゼンがたずねる。ヤマという名前は地獄の王様である閻魔大王の異名でもある。大鬼はただでさえ見開いている目をさらに大きくさせた後、大きな声で笑った。風が巻き起こる。空気が轟く。髪が乱れる。
ーー鬼はこれだから髪の毛がみんな縮れてるんじゃないかしらん?
サオリは自分の前髪を押さえながら迷惑そうな顔でヤマを見た。
「よくわかったな」
「その出で立ち。さらに冥界にヤマという単語が出たら、閻魔大王以外考えられないじゃないですか」
ヤマは満足そうにうなづいた。
「お前は…、藤原愛染の方か。頭がいい。しかも我に一切の恐れる様子もなく気軽に話しかけるとは。気に入った。実に気に入ったぞ」
「一目で私の才能を見抜くなんてさすがは閻魔大王ですね。私も気に入りました」
アイゼンも笑顔で返した。本当に恐れていないように見える。
「ガーッハッハ。おい! 司禄!」
閻魔大王は足元に話しかけた。机の下に誰かがいる。
「はい。記録しておきますですぅ」
キリギリスのようなか細い声で下にいる小鬼が答える。書記のようだ。
「次に加藤沙織!」
サオリは顔の横に右手をつけて、掌を見せながら軽く首を曲げた。サオリが可愛いと思っている挨拶ポーズだ。
「お前はカトゥーの子供だと聞いたぞ」
サオリは顔をくしゃくしゃにして、上半身が半分曲がるくらいの勢いでうなづいた。
「お前は喋れないのか?」
ヤマは訝しんだが、サオリにとっては通常運転だ。質問がある時以外はこの程度しか普段から喋らない。大げさに手を振って否定した。
「なんだ? 我が怖いのか?」
ーーなんかこうなるとアタピ、断固として喋りたくなくなってきた。
サオリは自分でもわからないがなぜだか依怙地になり、今度は両手を軽く持ち上げて肩をすくめてみせた。ヤマはますます不思議な気持ちになっている。だが大鬼らしく、堂々と根気よくサオリに理由を聞いた。
「ならば、なぜ喋らない?」
ーーヤマさんは怒らずにアタピに再度質問してくれた。これ以上喋らないのは流儀じゃなくて、ただの不躾だ。
サオリは、今度はすぐに返答した。
「意地はってた」
一度言葉を吐き出したら言葉自体は素直だ。ヤマは何の意地だかわからなかったが、サオリが言葉を発したことにホッとしたようだ。改めて質問を開始した。
「では沙織よ。お前はなぜ、リアルカディアに入りたいのだ」
ーーなぜと言われても…。
サオリはこれからどこに行くのかすら知らなかった。
ーーなんだろう? リアルカディアって。
サオリはKOKの入団試験を受けるためにイノギンに言われるがままついてきただけだ。ただ、こういう時は簡潔な説明が求められるということは分かる。結局、サオリの口から出てきたのはこんな言葉だった。
「行きたいからです」
「…なるほど」
簡潔はいいが、説明がまるでない。ヤマは苦虫を噛み潰したような顔をして、まともだと思われるアイゼンと話をすることにした。
「では愛染。お前はなぜリアルカディアに行きたいのだ?」
「私はKOKが世界のバランスを取る組織だというところに興味を持っております。もし私が世界の平和に貢献できるのならば、是非ともKOKに入団したいのです」
「愛染はKOKに入団したいがためにリアルカディアへ行くのだな。沙織は? 観光気分か?」
ヤマはからかうつもりでサオリに言ったのだが、サオリは全く気にしていなかった。それどころかヤマの言葉にも一理あると思った。もちろん用事はあるが、興味本位で行くこともまた確かだからだ。けれどもこれは入国審査だという。それだけでは入国したい理由として不十分な気がしたので、左手を突き出して、今思い出したもう一つの理由を言った。
「あと、クルリン扱えるようにしたい」
「クルリンとは、おお、その腕輪か。エスキューブド・ドープ・ファンタジーだな。我がお前をカトゥーの子供だと確信したのはその腕輪から漏れ出るオーラからだ。なんだ? お前はカトゥーのオーラを止めることができないのか? 我がやってやろうか」
サオリは首を振って答えた。
「形見だから。アタピが自分で止められるようになりたい」
「形見?」
「パパの」
「なるほど。だがリアルでそんなにブンブンお宝の気配を出し続けていたら、それが欲しい者たちがどんどん集まってきてしまうな。沙織の近くにいる敏感な一般人達も、なぜかわからないが気分が落ち着かなくなるかもしれん。確かに沙織。お前もリアルカディアに行かねばならない理由がある。司禄」
「はいっ。書きとめましてございますぅ」
サオリとアイゼンを見下ろしていたヤマは、一度目線を離して楽な体勢で座り直した。
「よし。二人とも。お前達がリアルカディアに入りたい理由、まずはわかった。認めてやろう」
サオリは緊張しすぎてポーカーフェイスを崩さなかったが、アイゼンは表情を明るく作ろうとした。寸前。すぐにヤマは言葉を続けた。
「ただ一点。リアルカディアへの入国を許可するには、リアルカディアの法律を守ってもらわなければならない。いいか?」
サオリは特に引っかからずに話を聞き流していたが、アイゼンはすぐに割り込んだ。
「リアルカディアの法律とはどのような法律ですか? あまりに無理な話をされますと、私たちも破ってしまうかもしれません。なんせあなたは閻魔様なのですから」
ヤマは笑顔になった。
「うむ。お前たちが守ると無条件に返事をしていたら、無茶な話をして帰そうと思っていた。愛染、やるな」
アイゼンは軽くお辞儀をした。サオリも、アタピだって聞こうと思ってたもんという顔をした。ヤマは満足そうに続けた。
「それではリアルカディアの法律を伝えよう。まずひとつ。アルカディアに関連する全ては、知らない人にはなるべく口外しないこと。ただし、生命に関わるなどの緊急の事態にはその限りでは無い。あくまで悪意や自分の意志によって口外した場合に限る。特に文章にしてはいけない」
アイゼンは意外そうな顔をして質問をした。
「なるべくでいいのですか?」
ヤマはアイゼンよりも意外そうな顔をした。
「お前たちは人間。ということは動物だろう? 動物の意志なぞそれ以上期待できん。いつも思うが人間たちは人間のことを過信しすぎている。お前たちは欲望の詰まった薄い理性袋に過ぎないというのに。これでも結構、難しいと思うぞ」
サオリはヤマの腹の底に響くような声を聞きながら、クマオやイノギンが自分に何も話してくれなかったのはこの法律のせいだったのだと理解した。ヤマの説明は続く。
「次に、リアルカディア内での一切の物理的な喧嘩を禁ずる」
これは当然だ。サオリとアイゼンは深くうなづいた。
「最後に、KOKの判断を無断で破らないこと」
「KOKの判断、ですか?」
「うむ。この世界はお前たちの住むリアルと、我々の住むアルカディアによって出来ている。このバランスをとっているのがダビデ王の騎士団、通称KOKだ。KOKの判断通りにおこなわなければ世界が崩壊してしまうかもしれないのだ」
「しかし、その判断があまりにも横暴だった時にはどうすればいいのですか?」
「KOKに入団できれば、何か重要なことがあった時には誰でも円卓会議に参加できる。そこで心ゆくまで話し合ってお互いが納得し合う。それしかないな」
アイゼンは話し合いさえできれば自分の意見が負けることはないと思っているので、この法律にも合点がいった。
「なるほど。わかりました」
ーー他には?
「以上だ」
ヤマはリアルカディアでの法律を全て言い終わり、すっきりとした顔をした。
ーーたった三つ?
サオリは驚いたが、また「人間だからな」と偉そうな顔をされるのは腹がたつので黙っていることにした。
「この三点に違反した場合、リアルカディア首長、ジョセフ・シュガーマンの名において、クリスタルとミラー・イン・ザ・ウォーターの使用を禁ずる。いいな」
「クリスタルとミラー・イン・ザ・ウォーターとはなんですか?」
ヤマは呆れた顔をした。
「知らんのか。まあそれはそうか。イノギンやクマオが他言していないという証拠だな。ふむ。ではリアルで他言しないと約束するのならば教えよう」
さっそく法律だ。サオリとアイゼンは食い気味に深くうなづいた。
「クリスタルとは、イコンを介して世界を移動する際に使用するウイッシュだ。お前たちもイノギンがクリスタルを使用してここに来ている。ミラー・イン・ザ・ウォーターは結界を張れるウイッシュだ」
「イコンてなんですか?」
「イコンはF、ファンタジーの一種だ。お前たちが来た東京メソニックセンターだと、確か六芒星の形をしたステンドグラスだったかな。そこからダイバーダウン。つまりワープすることができる」
サオリはこの際だから、曖昧な単語についても全て聞いておこうと考えた。
「ファンタジーて?」
「ファンタジーも知らんのか?」
ヤマは少し呆れながら答えた。
「ファンタジーとは、沙織が持っている腕輪みたいな宝具のことだ。リアルではFと略すことが多い。それぞれ効果が違っている。イコンは、水晶と水鏡の王にして大錬金術師、ジョセフ・シュガーマンが作るBランク・ホープ・ファンタジーだ。通常はBHFと省略する」
「ホープ・ファンタジー?」
ヤマはもう、自分にとって当たり前すぎる質問にもいちいち驚きはしない。
「ファンタジーにはホープとドープがある。ホープは誰でも使用できるファンタジーで、ドープは特定の者しか使用できないファンタジーだ。つまり、沙織の持つクルクルクラウンはSSSランクだから、S3DF、エスキューブド・ドープ・ファンタジーということだ」
「アタピしか使えないの?」
「お前だけでは無いかもしれないが使えるものは少ない。ちなみにこの空間で使えるものは誰もいない」
「それはどうしてわかるの?」
「我の持っているドープファンタジーでわかるのだ」
「なるほど。ヤマさんの持っているドープファンタジーは私にも使えますか?」
「アイゼンにはその素質が無いようだな」
アイゼンが質問をしている間、サオリは誰も使えないファンタジーを自分だけが使用できることが嬉しかった。心が軽くなったような気がする。
ーーアイちゃんにも使用できないファンタジーを自分だけが使用できる。絶対にちゃんと使えるようになろう。
サオリは心に固く決意した。
「それではウイッシュとはなんですか?」
「ウイッシュとはアルカディアンの中でも力のある王たちと契約することで使用できる特殊能力だ。錬金術師さえなれば、いずれお前たちも使うことになるであろう。質問は以上かな?」
ヤマは足元で誰かに急かされながら言った。早めに切り上げなければいけない理由がありそうだ。サオリはもうすっかり満足していた。だがアイゼンにはまだ質問がある。この機会に聞けるコトは全て聞いておこうという気持ちだ。
「リアルカディアとはなんですか? KOKの本部ですか?」
質問を聞いてサオリは初めてハッとした。そういえば聞いておかなければならないことだ。満足している場合では無い。
「リアルカディアとは、リアルとアルカディアの間にある第三の世界のことだ。リアリストとアルカディアンは基本的にお互いの世界に行くことはできないが、リアルカディアだけはお互いに行き来することができる。KOKの本部もリアルカディアにある」
「ではファンタジーは、アルカディアからアルカディアンが持ってきて、リアルカディアで手に入れられるということですか?」
「いや。アルカディアから持ち込んだものをリアルに持って帰ることはできん。ファンタジーはな最初からリアルに存在している物もあるが、基本的には錬金術師が作る」
「錬金術師ってなんですか?」
「日本語でいうと錬金術師、一般的にはアルキメストと呼ばれている職業だな」
「錬金術師にはどうやったら会えるのですか?」
「錬金術師ならリアルカディアにはゴロゴロいるぞ。むしろアルカディアへ行くリアリストで錬金術師でないのは沙織と愛染くらいだ」
「イノギンさんも?」
「当然そうだ。まあ錬金術師だからといって、全ての者がFを作れるわけではないのだがな」
アイゼンがなおも質問をしようとしたところで、シロクではない小鬼がヤマに声をかける。
「ヤマ様」
小鬼がヤマに何か言うと、ヤマは「おお、そうだった」という顔をした。
「時間が来たようだ。ついつい話し過ぎてしまったが、二人が今したような質問は、クマオやイノギンでも答えられる簡単な質問だ。これからは聞いても答えてくれるだろう。彼らから聞きなさい」
サオリは「後で聞いてくれ」という一言で、クマオやイノギンやミハエルは先にリアルカディアで待っているのだということがわかってホッとした。
ーーこれ以上は何も答えてはくれないだろう。
アイゼンは空気を読むのもうまい。
「質問に答えてくださってありがとうございました」
アイゼンが清々しい顔でヤマにお礼を言ったので、サオリも慌てて首を傾けて片手と口角を少し上げ、自分なりのお礼の姿勢をとった。
「うむ。それでは両人とも前へ。司命。O.O.を」
シメイと呼ばれた先程の小鬼が前に出てきて、サオリとアイゼンの首に不釣り合いな太さの縄をネックレスのようにかけた。
ーーこれは斬新なファッション。パリコレなんかに出られそう。
サオリが内心笑っている間、アイゼンも特に抵抗をせずに縄をかけられた。
「O.O.は、『お嬢さん、お入んなさい』というFだ。日本人の錬金術師が作ったもので、縄の形とOをかけてもいる。これはリアルカディアにゲストとして入っているという証である。正式にリアルカディアに入国する許可が下りた時にこの縄は外れるだろう」
ーーバカげたネーミングっ。
サオリが思っている時にも、アイゼンは真面目な顔で質問を続ける。
「許可が下りなかった場合はどうなるのですか?」
「その場合はリアルに戻る時にO.O.の力で全てのことを忘れて帰る。もちろん法律を破った時も同様だが、再びここに来られた時はO.O.をつければ前のことを思い出せるようになる」
「別付けハードディスクって感じね」
アイゼンはひとりごとを言って、自分の首にかかっている太い縄を触った。
「取ったらその場でリアルに戻ってしまうから注意しろよ」
サオリも触ろうと思ったが、慌てて手を引っ込めた。最後にサオリの慌てた様子が見られて、ヤマはようやく満足した顔をした。