第45話 Your time is limited (全振り)
文字数 2,681文字
サオリは家に戻り、シャワーを浴び、朝食を食べ、いつもどおり学校に向かう。
学校までの道のりは住宅街だ。制服の上から白猫ジャージをかぶって家々の屋根や塀の上を走る。登校ついでの軽身行。その姿は近所の人から『裏路地の白猫』と呼ばれて可愛がられていた。
なるべく険しい道を難しい移動方法で進む。外堀通りに出る頃には白猫だった外見も薄汚れた黒ネズミになっている。通りに出る前に体についた泥や木の葉を払い、息を整え、パーカーを脱いでコートに着替える。こうして雙葉生らしくなったところでしゃなりしゃなりとお嬢様ぶって、人波に飲み込まれながら学校へと向かうのだった。
サオリは、学校で授業を受けている。
ーー自分がこうしている間にも、アイちゃんは錬金術の修行をしている。差をつけられたくない。
少し時間が空くと焦る心が生まれてくる。ただ、焦りは何も生み出さないことを知っている。
ーー今できることをやる。それしかない。
学校にいる間はひたすら勉強に勤しんだ。宿題を授業中に終わらせ、日課の教科書全科目全ページ速読一気読みをすませ、学校を出てからは何もしなくてもいいようにしておいた。
昨日あんなことがあったのにも関わらず、ピーチーズはいつもと変わった様子がない。記憶を失っていたからだろう。けれどもサオリは昨日と全く変わっている。カメが「放課後マック行こうよ。シェイク飲み比べ動画撮りたい」と誘ってくれたが、今日のサオリは断らざるをえない。もちろんピーチーズと遊ぶのは楽しい。好きだ。昨日の話もしたい。友達が大事だ。大事にしたいとも思っている。ただ、時間は全ての選択肢を選ばせてはくれない。
ーー今は錬金術の習得に時間を全振りするしかない。
時間は有限だ。正しい修行とかけた時間の分だけしか何かを成し遂げることなんてできない。少しの慢心はいつだって成功できないという成果をもたらす。簡単に出来ますなんて煽り文句や宣伝は全て嘘だ。断言できる。少なくとも成功経験のある人は全員、簡単に達成できることに大した成果はないことを知っている。目標を達成するまで努力し続けるという行為は、えげつないくらいの我慢が必要だ。体がもじもじすることも一度や二度ではない。だからこそ、努力し続けられる人が少なく、だからこそ、能力や貧富の差が生まれるのだ。
だが、友達と遊ぶのが動物の喜びとすると、何かを達成するというのは人間の喜びという気がする。やり遂げたその一日が自分の成果に結びついているし、脳の深いところが満足する。それに修行は自分の将来に繋がる。動物の中で未来のことを考えられるのは人間だけらしいが、実力がつけばつくほど、未来が見えていないという何となくな不安が少しずつ氷解していく気がする。
とにかくサオリは今、最低限の現実以外は錬金術のことしか考えないことにしていた。
「またね!」
サオリはピーチーズに向かって手を挙げ、紺のショルダーバックを肩にかけ、時間を追いかける狩人のような勢いで教室を飛び出した。「沙織、あんなに急いで帰って。彼氏でもできたのかなぁ」と言うユキチの声を置き去りにして。これからリアルカディアへ戻り、マサヒロの師匠だったモフフローゼンに会いに行くのだ。
「初めて会う人には菓子折りを持っていくこと」
仙術の教えではなくママの教えだ。
お土産は決まっている。『若葉』のたい焼き一択だ。学校を出る前に予約をしておいた。
たい焼きを受け取り、東京メソニックセンターへと急ぐ。お小遣いを使いたくないので電車は使わないが、サオリの足なら三十分もかからずに到着する。
永井坂という名の坂を短く上ると、昨日の建物が目に映る。夜とは違い、昼間はより低さが際立つ建物だ。太陽に照らされてガラス部分が黒く輝いている。
ーー高級で怪しいたぁ、まるで虎屋の黒羊羹。
サオリは大きな羊羹の下をくぐり、『関係者以外立入禁止』の柵を跨ぎ、ガラス扉の横にあるインターフォンを押した。
「はい。東京メソニックセンターです」
「加藤沙織です」
サオリは何を言えばいいのかよくわからなかったが、とりあえず自分の名前を言った。そこで要件を聞かれたら細かく話していこうと。しかし、その考えは杞憂に終わった。
「お待ちしておりました」
扉はカチッと音をたてた。そっと押すと開く。鍵を開けてくれたようだ。
大広間に向かうと、すぐに奥からスーツを着た大柄の男が現れた。偉そうで迷いのない顔つきをした髭メガネ。モーゼだ。
「十六時ちょうどだな」
モーゼは時計を見てつぶやいた。サオリは普段から時間通りに動く。遅すぎたりて早すぎたりするということは、相手に時間を合わせてもらっているということだ。合わせてもらっているのは甘えているようでカッコ悪い。独立した対等な大人はなるべく他人に甘えない。だからこそサオリは、自分は堂々とする権利がある、と思っている。サオリは堂々と、先ほど買ったたい焼きを一尾、モーゼに渡す。
「お土産。天然物。昨日はお世話になりました。ギンさんは?」
「ちょうど甘いものを食べたかったところだった。ギンは修行が終わらなくてこっちには来られないみたいだ。だがクリスタルパレスで待っていると言ってたぞ」
「じゃあ平気」
ならば特に何も気にならなかった。それよりも早く、リアルカディアに自分一人でダイバーダウンしてみたい。
「もう行くのか?」
ーーそりゃモーゼさんと一緒に今からゆっくりお茶でも飲んで話しましょ、という気はさらさらないよ。だったらピーチーズとマックでお喋りするに決まってる。
サオリはキリッとした目つきでうなづいた。
「わかった。じゃあ五分間、この部屋を立ち入り禁止にしよう」
モーゼは大広間に通じる全ての扉の鍵を閉め、「じゃあな」と手を挙げて奥の部屋に入っていった。
ガチャリ。
モーゼの出ていった扉の鍵も閉まる。
「プーちゃん」
サオリはポケットにしまったままのスマートフォンを触りながらプットーに呼びかけた。ホログラムのように透明なプットーが目の前に表れ、フワフワとサオリの前を飛ぶ。
「どしたの?」
「リアルカディアに行きたいの」
「りょ。クマオと二体?」
「ん」
「オケ。オーラ出して。イコンにタチして」
ここはアクセスポイントだからといって、直接イコンに触らなくてはならない場所だ。サオリはオーラを出しながら、部屋のステンドグラスに描かれている六芒星に手を伸ばした。
「じゃ、行くよ」
次の瞬間には昨日と同じく、VRのゴーグルを外したように唐突に、サオリはオーロラカーテンに包まれたクリスタルパレスに佇んでいた。
学校までの道のりは住宅街だ。制服の上から白猫ジャージをかぶって家々の屋根や塀の上を走る。登校ついでの軽身行。その姿は近所の人から『裏路地の白猫』と呼ばれて可愛がられていた。
なるべく険しい道を難しい移動方法で進む。外堀通りに出る頃には白猫だった外見も薄汚れた黒ネズミになっている。通りに出る前に体についた泥や木の葉を払い、息を整え、パーカーを脱いでコートに着替える。こうして雙葉生らしくなったところでしゃなりしゃなりとお嬢様ぶって、人波に飲み込まれながら学校へと向かうのだった。
サオリは、学校で授業を受けている。
ーー自分がこうしている間にも、アイちゃんは錬金術の修行をしている。差をつけられたくない。
少し時間が空くと焦る心が生まれてくる。ただ、焦りは何も生み出さないことを知っている。
ーー今できることをやる。それしかない。
学校にいる間はひたすら勉強に勤しんだ。宿題を授業中に終わらせ、日課の教科書全科目全ページ速読一気読みをすませ、学校を出てからは何もしなくてもいいようにしておいた。
昨日あんなことがあったのにも関わらず、ピーチーズはいつもと変わった様子がない。記憶を失っていたからだろう。けれどもサオリは昨日と全く変わっている。カメが「放課後マック行こうよ。シェイク飲み比べ動画撮りたい」と誘ってくれたが、今日のサオリは断らざるをえない。もちろんピーチーズと遊ぶのは楽しい。好きだ。昨日の話もしたい。友達が大事だ。大事にしたいとも思っている。ただ、時間は全ての選択肢を選ばせてはくれない。
ーー今は錬金術の習得に時間を全振りするしかない。
時間は有限だ。正しい修行とかけた時間の分だけしか何かを成し遂げることなんてできない。少しの慢心はいつだって成功できないという成果をもたらす。簡単に出来ますなんて煽り文句や宣伝は全て嘘だ。断言できる。少なくとも成功経験のある人は全員、簡単に達成できることに大した成果はないことを知っている。目標を達成するまで努力し続けるという行為は、えげつないくらいの我慢が必要だ。体がもじもじすることも一度や二度ではない。だからこそ、努力し続けられる人が少なく、だからこそ、能力や貧富の差が生まれるのだ。
だが、友達と遊ぶのが動物の喜びとすると、何かを達成するというのは人間の喜びという気がする。やり遂げたその一日が自分の成果に結びついているし、脳の深いところが満足する。それに修行は自分の将来に繋がる。動物の中で未来のことを考えられるのは人間だけらしいが、実力がつけばつくほど、未来が見えていないという何となくな不安が少しずつ氷解していく気がする。
とにかくサオリは今、最低限の現実以外は錬金術のことしか考えないことにしていた。
「またね!」
サオリはピーチーズに向かって手を挙げ、紺のショルダーバックを肩にかけ、時間を追いかける狩人のような勢いで教室を飛び出した。「沙織、あんなに急いで帰って。彼氏でもできたのかなぁ」と言うユキチの声を置き去りにして。これからリアルカディアへ戻り、マサヒロの師匠だったモフフローゼンに会いに行くのだ。
「初めて会う人には菓子折りを持っていくこと」
仙術の教えではなくママの教えだ。
お土産は決まっている。『若葉』のたい焼き一択だ。学校を出る前に予約をしておいた。
たい焼きを受け取り、東京メソニックセンターへと急ぐ。お小遣いを使いたくないので電車は使わないが、サオリの足なら三十分もかからずに到着する。
永井坂という名の坂を短く上ると、昨日の建物が目に映る。夜とは違い、昼間はより低さが際立つ建物だ。太陽に照らされてガラス部分が黒く輝いている。
ーー高級で怪しいたぁ、まるで虎屋の黒羊羹。
サオリは大きな羊羹の下をくぐり、『関係者以外立入禁止』の柵を跨ぎ、ガラス扉の横にあるインターフォンを押した。
「はい。東京メソニックセンターです」
「加藤沙織です」
サオリは何を言えばいいのかよくわからなかったが、とりあえず自分の名前を言った。そこで要件を聞かれたら細かく話していこうと。しかし、その考えは杞憂に終わった。
「お待ちしておりました」
扉はカチッと音をたてた。そっと押すと開く。鍵を開けてくれたようだ。
大広間に向かうと、すぐに奥からスーツを着た大柄の男が現れた。偉そうで迷いのない顔つきをした髭メガネ。モーゼだ。
「十六時ちょうどだな」
モーゼは時計を見てつぶやいた。サオリは普段から時間通りに動く。遅すぎたりて早すぎたりするということは、相手に時間を合わせてもらっているということだ。合わせてもらっているのは甘えているようでカッコ悪い。独立した対等な大人はなるべく他人に甘えない。だからこそサオリは、自分は堂々とする権利がある、と思っている。サオリは堂々と、先ほど買ったたい焼きを一尾、モーゼに渡す。
「お土産。天然物。昨日はお世話になりました。ギンさんは?」
「ちょうど甘いものを食べたかったところだった。ギンは修行が終わらなくてこっちには来られないみたいだ。だがクリスタルパレスで待っていると言ってたぞ」
「じゃあ平気」
ならば特に何も気にならなかった。それよりも早く、リアルカディアに自分一人でダイバーダウンしてみたい。
「もう行くのか?」
ーーそりゃモーゼさんと一緒に今からゆっくりお茶でも飲んで話しましょ、という気はさらさらないよ。だったらピーチーズとマックでお喋りするに決まってる。
サオリはキリッとした目つきでうなづいた。
「わかった。じゃあ五分間、この部屋を立ち入り禁止にしよう」
モーゼは大広間に通じる全ての扉の鍵を閉め、「じゃあな」と手を挙げて奥の部屋に入っていった。
ガチャリ。
モーゼの出ていった扉の鍵も閉まる。
「プーちゃん」
サオリはポケットにしまったままのスマートフォンを触りながらプットーに呼びかけた。ホログラムのように透明なプットーが目の前に表れ、フワフワとサオリの前を飛ぶ。
「どしたの?」
「リアルカディアに行きたいの」
「りょ。クマオと二体?」
「ん」
「オケ。オーラ出して。イコンにタチして」
ここはアクセスポイントだからといって、直接イコンに触らなくてはならない場所だ。サオリはオーラを出しながら、部屋のステンドグラスに描かれている六芒星に手を伸ばした。
「じゃ、行くよ」
次の瞬間には昨日と同じく、VRのゴーグルを外したように唐突に、サオリはオーロラカーテンに包まれたクリスタルパレスに佇んでいた。