第51話 Ride on the Cat (ニャンコ乗る)
文字数 4,491文字
「わかった。それではレッスンを始めよう」
伝達飴の内容については何もなかったようだ。サオリは胸をなでおろした。
「沙織は、モーシャの錬金術測定棒が扱えなかったのか」
サオリの今の実力がわかるように、ダビデ王が伝達飴で、世界塔で起きた出来事を説明してくれたようだ。
ーーあれ、錬金術測定棒ていうんだ。
サオリはうなづいた。
「ということは、特殊なタイプのオーラを持っているということで間違いなかろう。地球の空気の内訳が、窒素約七十パーセントで間違いがないように、な」
ーー特殊なタイプ。
サオリは喜びで背中がゾクゾクとした。その様子を察したのだろう。モフフローゼンが続けて言う。
「特殊だからといって、より優れたオーラだというわけではない。車に例えると、レーシングカーは速いが壊れやすい。四輪駆動はごついが坂を登れる。小型車は小回りがきいて燃費がいい。それだけの差で、どれが優れているかは乗り手次第だ」
ーー車で例えるなんて女子高生にたいする例えとしてはうまくない。せめて血液型とかで言ってくれるとわかりやすいのに。
とはいえ、今までの例えとは違い、言いたいことがわかりやすい。
「沙織は最終的には、雅弘からもらったファンタジーを自由に扱えるようになりたいんだな」
サオリはうなづいた。クルクルクラウンを自由に扱えれば、何か新しいことが起きる予感がしている。
「とはいえファンタジーは、賢者の石を扱えるようになってから使用できるモノだ。しかも沙織の持っているクルクルクラウンはS3DF。素質があっても、かなりの修行を積まなくては扱うことができないだろう。何年もかかるかもしれない。だが、そこまで長い間ずっとクルクルクラウンの発動をおさえることができないと、微弱ながらもサオリはずっとオーラを放出し続けることになるし、私生活にも支障をきたす。そこで、ワシがまず、サオリのオーラを利用して発動を止めよう。止めるのは発動するより簡単だ。それから改めて、一から錬金術師になるための修行をする、というのはどうだ? いずれは自由に発動できるようになることが目標だが、今はそれでいいか?」
ーーもちろん。
サオリはうなづいた。
「では沙織。まずは立ち上がりなさい」
サオリは言われるがまま立ち上がった。モフフローゼンは再び四本足でサオリの周りを回り、匂いを嗅ぐ。サオリのオーラがどんな性質なのかを確かめているのだ。
モフフローゼンは何周かした後で、オーラの匂いを確信し、サオリを持ち上げて机の上に乗せた。サオリはされるがまま。お人形さんのような気分だ。
「さて」
モフフローゼンはサオリの右手をとり、クルクルクラウンの上に重ねた。モフフローゼンの肉球は乾いていて柔らかい。
「沙織のオーラは、んー、こんな感じかな?」
言うと同時に、肉球一つ一つがコタツのような温かみを帯び、ゆっくりとサオリの体に浸透してくる。皮膚を温め、肉を温め、血液を温め、神経を温める。
「沙織。集中しなさい」
サオリは呼吸を整え、体内の気脈を拡げるようにイメージしてオーラの絶対量を増やした。気脈の広がりが、いつもは糸だとしたら今はホースだ。
「そのオーラを、自分の右手に集めるようなイメージを持って」
ーーミハエルが教えてくれた、オーラを一点に集中させるやつ。
サオリはあの後、学校の休み時間を含めて、時間があればずっと練習をしていた。その成果が出たのだろう。朝よりはかなりスムーズに、サオリのオーラは右手に集められた。モフフローゼンは、左手でクルクルクラウンを、右手でサオリの右手を掴んだ。
「ふむーん。クルクルクラウンの発動がバレないように、誰かが上からオーラをかぶせているな。ずっしりと重みのあるオーラ。ダビデ王か? だが、これならワシも真似できる。こうして…こう」
モフフローゼンは、クルクルクラウンの上からさっと左手を一振りした。クルクルクラウンにかかっていた重い違和感がふっと消える。その途端、またマサヒロを思い出すような雰囲気が湧き出してくる。しかも他のオーラで押さえつけられていたからだろうか、以前よりもさらに深く、マサヒロの存在を感じる。匂いや形や体温までもが感じられる。
「沙織。さらに右手に集中して」
ーーパパ。
先ほどよりもさらに集中力が上がる。自分のオーラにガソリンでも加えられているかのように、モフフローゼンのオーラがと溶け合う。モフフローゼンのオーラには色がなく、サオリのオーラと混ざると、そのままサオリのオーラを増大させた。
わああああああああん。
大音量で巨大なオーラがクルクルクラウンの中に収束されていく。共鳴しているのだろうか。すごい振動だ。手首が痺れる。
三十秒ほど続いた後で、ようやく振動はおさまった。サオリはクルクルクラウンの感触を確かめた。以前と同じように、ただの腕輪に戻っている。
「ふう」
モフフローゼンはゆっくりとサオリの手を離し、毛が生えているので見えないが、滝のような汗をかいている額をぬぐった。
ーーこれでクルクルクラウンの発動は止められた。しかし…、これだけのオーラを使用せねば発動が止まらないとは、ワシ以外の者では誰も止められなかっただろう。雅弘め。ワシと沙織を引き合わせようと画策しおったか。
モフフローゼンはニヤリと笑った。サオリは安堵した。と同時に、急に体が失われる感覚に陥り、意識が遠くなり始めた。生まれて初めて体の芯から疲れたという感覚を覚える。体がガクガクと震えて立っていられない。
ーーここで倒れるの、かっこ悪い。
サオリは、意識を失いそうになる精神を必死に繋ぎ止めようとした。モフフローゼンは、サオリの顔に血の気が失せ、震えだした姿を見て慌てた。
ーーおおお。すまんすまん。そうだった。
動物は個体によって量こそ違えど、常に自分の体にオーラを有しているものだ。そして、普通に生きている限りはオーラを放出することはない。だが、ファンタジーを扱うということは、ファンタジーにオーラを放出するということだ。オーラがなくなると動物は死んでしまう。サオリは今回、オーラを使いすぎた。血液でいうと出血多量の状態だ。
「沙織。目をつぶって落ち着け。呼吸を整えて、自分のオーラを再び作れ」
モフフローゼンは水をすくうかのように両手を広げ、サオリの全身を横たわらせた。モフフローゼンの手のひらに乗せられる。サオリの体には再び温かいオーラが注ぎ込まれた。体が熱くなるこの感じは、お風呂の中にいる時のようだ。そうして魂が抜けたり戻ったりしているような感覚をどのくらい味わっていたのだろう。その間、モフフローゼンは息を吐きながら集中していたが、一つゆっくりと空気を吸い込むと、体を緩ませ、ゆっくりとサオリを下ろした。うつぶせで机の上に乗せられる。
「ふう。危機は脱したようだな。クルクルクラウンも発動を止めた。まずはめでたし。もう使わないのならば、二度と発動することはないだろう。だが、沙織はこのファンタジーを自由に使えるようにしたいんだろ? だったら、しっかりと錬金術の修行をしないとな。明日からはこういう裏技は使わず、しっかりと地に足ついたアルケミストになるための修行をおこなおう。だから沙織。今日は家に帰って、ゆっくりと体の中にオーラを貯めてきなさい。まるでダムが水を貯めるかのように」
ーー例えが下手すぎる。
サオリはうなづこうと思ったが、体が動かなかった。立ち上がろうとしても、うつぶせのままお尻が三センチ持ち上がる程度。糸の切れた操り人形とはこのことだ。クマオは机に上がり、心配そうにサオリの体をさすった。チャタローがだるそうに近づいてくる。
「沙織。帰るぞ」
「帰るいうても動けへんねん」
クマオの反論をチャタローは気にしない。
「大丈夫。俺がリアルまで送っていく。そこからミハエルにでも迎えにきてもらやぁいい」
「送り狼ならぬ送り猫てか? 送るいうてもチャタローはワイより小さいやないか。沙織を引きずっていけんやろ。どないして送んねん」
「体の大きさ? ここはリアルじゃない。現実と夢の狭間だぜ、クマノスケクマタロウ。まあ見てろ」
言うやいなや、チャタローは息を大きく、何度も空気を吸い込んだ。
スハスハスハスハ。
スー。
何度か吸い込み、最後に大きく息を吸い込んだ後、一度呼吸を止め、目をつぶってプルプルといきむ。
「ふんっ!」
途端に、チャタローの体は二十倍以上の大きさに膨れ上がった。
「なんでやねん!」
クマオは大きく飛びのき、わざとらしくずっこけた。
ーーなにそれ?
沙織も驚いてはいたが、全く動けなかったので声も出ない。
「バルーン」
チャタローはいつも通りのクールな言い方をし、サオリの首根っこをくわえて大きく振った。サオリは空中で一回転し、チャタローの胴体に乗せられた。
「さすがチャタロー。三代目なだけのことはあるな」
モフフローゼンがチャタローを褒める。サオリはバルーンとは何かを聞きたかったが、もう口も動かない。だが、表情で察したモフフローゼンが説明する。
「バルーンとは、修練を積んだ猫が使用できる技の一つだ。人間がファンタジーやウイッシュが使用できるように、他の動物はファンシーという技を使用できるようになる」
「ま、いくら修練しても、リアルじゃほとんどのファンシーが使用できねーんだけどな」
チャタローは吐き捨てるように言った。クマオはわざとらしいほど大袈裟に、たくさん息を吸ったり、息を止めて顔を真っピンクにしたりしている。ファンシーを使えるかどうか試しているのだ。
「いくぞ」
チャタローが歩き始めたので、クマオは小走りでチャタローの胴体にしがみつき、よじ登ってサオリの上に乗った。クマオはせわしなくサオリの上で動き回ったが、タオル地でできているので気持ちがいいだけだ。そこからの記憶は覚えていない。朝、目が覚めた時には、自分の部屋のベッドの横たわっていた。
それにしても十六歳の回復力は凄い。あれだけ疲弊していたサオリの体はすっかり元通りに回復しており、しっかりと朝の五時に目が覚めた。
サオリは、今日くらい休めばいいものを、這うようにして、座禅だけとはいえ、ミハエルとオーラの修行をおこない、学校へ行き、放課後はモフフローゼンの元へとむかった。
これからしばらくは、これが日常となる。
「大きな目標を決め、一日毎の細かい目標を決め、毎日目標をこなすこと。目標が無いのは、出来ることが無いからである。その場合はとにかく知識と経験を仕入れよ」
仙術の教えだ。
ーー今の大きな目標は、KOKに入団すること。けど、アルキメストが何なのかすらまだよくわかんないから、具体的には決めらんない。だからしばらくの目標は、たくさん知識を仕入れながら大きな目標を決められるように努力する、にしよう。モフモフさんの修行、楽しみ。
モフフローゼンのワンワン工房まではあと少しだ。
「がんばんでー!」
「おーっ!」
サオリはクマオをバッグから出し、オーロラロードを走りながら、明日に向かえとばかりに叫んで、大きく飛び跳ねた。
伝達飴の内容については何もなかったようだ。サオリは胸をなでおろした。
「沙織は、モーシャの錬金術測定棒が扱えなかったのか」
サオリの今の実力がわかるように、ダビデ王が伝達飴で、世界塔で起きた出来事を説明してくれたようだ。
ーーあれ、錬金術測定棒ていうんだ。
サオリはうなづいた。
「ということは、特殊なタイプのオーラを持っているということで間違いなかろう。地球の空気の内訳が、窒素約七十パーセントで間違いがないように、な」
ーー特殊なタイプ。
サオリは喜びで背中がゾクゾクとした。その様子を察したのだろう。モフフローゼンが続けて言う。
「特殊だからといって、より優れたオーラだというわけではない。車に例えると、レーシングカーは速いが壊れやすい。四輪駆動はごついが坂を登れる。小型車は小回りがきいて燃費がいい。それだけの差で、どれが優れているかは乗り手次第だ」
ーー車で例えるなんて女子高生にたいする例えとしてはうまくない。せめて血液型とかで言ってくれるとわかりやすいのに。
とはいえ、今までの例えとは違い、言いたいことがわかりやすい。
「沙織は最終的には、雅弘からもらったファンタジーを自由に扱えるようになりたいんだな」
サオリはうなづいた。クルクルクラウンを自由に扱えれば、何か新しいことが起きる予感がしている。
「とはいえファンタジーは、賢者の石を扱えるようになってから使用できるモノだ。しかも沙織の持っているクルクルクラウンはS3DF。素質があっても、かなりの修行を積まなくては扱うことができないだろう。何年もかかるかもしれない。だが、そこまで長い間ずっとクルクルクラウンの発動をおさえることができないと、微弱ながらもサオリはずっとオーラを放出し続けることになるし、私生活にも支障をきたす。そこで、ワシがまず、サオリのオーラを利用して発動を止めよう。止めるのは発動するより簡単だ。それから改めて、一から錬金術師になるための修行をする、というのはどうだ? いずれは自由に発動できるようになることが目標だが、今はそれでいいか?」
ーーもちろん。
サオリはうなづいた。
「では沙織。まずは立ち上がりなさい」
サオリは言われるがまま立ち上がった。モフフローゼンは再び四本足でサオリの周りを回り、匂いを嗅ぐ。サオリのオーラがどんな性質なのかを確かめているのだ。
モフフローゼンは何周かした後で、オーラの匂いを確信し、サオリを持ち上げて机の上に乗せた。サオリはされるがまま。お人形さんのような気分だ。
「さて」
モフフローゼンはサオリの右手をとり、クルクルクラウンの上に重ねた。モフフローゼンの肉球は乾いていて柔らかい。
「沙織のオーラは、んー、こんな感じかな?」
言うと同時に、肉球一つ一つがコタツのような温かみを帯び、ゆっくりとサオリの体に浸透してくる。皮膚を温め、肉を温め、血液を温め、神経を温める。
「沙織。集中しなさい」
サオリは呼吸を整え、体内の気脈を拡げるようにイメージしてオーラの絶対量を増やした。気脈の広がりが、いつもは糸だとしたら今はホースだ。
「そのオーラを、自分の右手に集めるようなイメージを持って」
ーーミハエルが教えてくれた、オーラを一点に集中させるやつ。
サオリはあの後、学校の休み時間を含めて、時間があればずっと練習をしていた。その成果が出たのだろう。朝よりはかなりスムーズに、サオリのオーラは右手に集められた。モフフローゼンは、左手でクルクルクラウンを、右手でサオリの右手を掴んだ。
「ふむーん。クルクルクラウンの発動がバレないように、誰かが上からオーラをかぶせているな。ずっしりと重みのあるオーラ。ダビデ王か? だが、これならワシも真似できる。こうして…こう」
モフフローゼンは、クルクルクラウンの上からさっと左手を一振りした。クルクルクラウンにかかっていた重い違和感がふっと消える。その途端、またマサヒロを思い出すような雰囲気が湧き出してくる。しかも他のオーラで押さえつけられていたからだろうか、以前よりもさらに深く、マサヒロの存在を感じる。匂いや形や体温までもが感じられる。
「沙織。さらに右手に集中して」
ーーパパ。
先ほどよりもさらに集中力が上がる。自分のオーラにガソリンでも加えられているかのように、モフフローゼンのオーラがと溶け合う。モフフローゼンのオーラには色がなく、サオリのオーラと混ざると、そのままサオリのオーラを増大させた。
わああああああああん。
大音量で巨大なオーラがクルクルクラウンの中に収束されていく。共鳴しているのだろうか。すごい振動だ。手首が痺れる。
三十秒ほど続いた後で、ようやく振動はおさまった。サオリはクルクルクラウンの感触を確かめた。以前と同じように、ただの腕輪に戻っている。
「ふう」
モフフローゼンはゆっくりとサオリの手を離し、毛が生えているので見えないが、滝のような汗をかいている額をぬぐった。
ーーこれでクルクルクラウンの発動は止められた。しかし…、これだけのオーラを使用せねば発動が止まらないとは、ワシ以外の者では誰も止められなかっただろう。雅弘め。ワシと沙織を引き合わせようと画策しおったか。
モフフローゼンはニヤリと笑った。サオリは安堵した。と同時に、急に体が失われる感覚に陥り、意識が遠くなり始めた。生まれて初めて体の芯から疲れたという感覚を覚える。体がガクガクと震えて立っていられない。
ーーここで倒れるの、かっこ悪い。
サオリは、意識を失いそうになる精神を必死に繋ぎ止めようとした。モフフローゼンは、サオリの顔に血の気が失せ、震えだした姿を見て慌てた。
ーーおおお。すまんすまん。そうだった。
動物は個体によって量こそ違えど、常に自分の体にオーラを有しているものだ。そして、普通に生きている限りはオーラを放出することはない。だが、ファンタジーを扱うということは、ファンタジーにオーラを放出するということだ。オーラがなくなると動物は死んでしまう。サオリは今回、オーラを使いすぎた。血液でいうと出血多量の状態だ。
「沙織。目をつぶって落ち着け。呼吸を整えて、自分のオーラを再び作れ」
モフフローゼンは水をすくうかのように両手を広げ、サオリの全身を横たわらせた。モフフローゼンの手のひらに乗せられる。サオリの体には再び温かいオーラが注ぎ込まれた。体が熱くなるこの感じは、お風呂の中にいる時のようだ。そうして魂が抜けたり戻ったりしているような感覚をどのくらい味わっていたのだろう。その間、モフフローゼンは息を吐きながら集中していたが、一つゆっくりと空気を吸い込むと、体を緩ませ、ゆっくりとサオリを下ろした。うつぶせで机の上に乗せられる。
「ふう。危機は脱したようだな。クルクルクラウンも発動を止めた。まずはめでたし。もう使わないのならば、二度と発動することはないだろう。だが、沙織はこのファンタジーを自由に使えるようにしたいんだろ? だったら、しっかりと錬金術の修行をしないとな。明日からはこういう裏技は使わず、しっかりと地に足ついたアルケミストになるための修行をおこなおう。だから沙織。今日は家に帰って、ゆっくりと体の中にオーラを貯めてきなさい。まるでダムが水を貯めるかのように」
ーー例えが下手すぎる。
サオリはうなづこうと思ったが、体が動かなかった。立ち上がろうとしても、うつぶせのままお尻が三センチ持ち上がる程度。糸の切れた操り人形とはこのことだ。クマオは机に上がり、心配そうにサオリの体をさすった。チャタローがだるそうに近づいてくる。
「沙織。帰るぞ」
「帰るいうても動けへんねん」
クマオの反論をチャタローは気にしない。
「大丈夫。俺がリアルまで送っていく。そこからミハエルにでも迎えにきてもらやぁいい」
「送り狼ならぬ送り猫てか? 送るいうてもチャタローはワイより小さいやないか。沙織を引きずっていけんやろ。どないして送んねん」
「体の大きさ? ここはリアルじゃない。現実と夢の狭間だぜ、クマノスケクマタロウ。まあ見てろ」
言うやいなや、チャタローは息を大きく、何度も空気を吸い込んだ。
スハスハスハスハ。
スー。
何度か吸い込み、最後に大きく息を吸い込んだ後、一度呼吸を止め、目をつぶってプルプルといきむ。
「ふんっ!」
途端に、チャタローの体は二十倍以上の大きさに膨れ上がった。
「なんでやねん!」
クマオは大きく飛びのき、わざとらしくずっこけた。
ーーなにそれ?
沙織も驚いてはいたが、全く動けなかったので声も出ない。
「バルーン」
チャタローはいつも通りのクールな言い方をし、サオリの首根っこをくわえて大きく振った。サオリは空中で一回転し、チャタローの胴体に乗せられた。
「さすがチャタロー。三代目なだけのことはあるな」
モフフローゼンがチャタローを褒める。サオリはバルーンとは何かを聞きたかったが、もう口も動かない。だが、表情で察したモフフローゼンが説明する。
「バルーンとは、修練を積んだ猫が使用できる技の一つだ。人間がファンタジーやウイッシュが使用できるように、他の動物はファンシーという技を使用できるようになる」
「ま、いくら修練しても、リアルじゃほとんどのファンシーが使用できねーんだけどな」
チャタローは吐き捨てるように言った。クマオはわざとらしいほど大袈裟に、たくさん息を吸ったり、息を止めて顔を真っピンクにしたりしている。ファンシーを使えるかどうか試しているのだ。
「いくぞ」
チャタローが歩き始めたので、クマオは小走りでチャタローの胴体にしがみつき、よじ登ってサオリの上に乗った。クマオはせわしなくサオリの上で動き回ったが、タオル地でできているので気持ちがいいだけだ。そこからの記憶は覚えていない。朝、目が覚めた時には、自分の部屋のベッドの横たわっていた。
それにしても十六歳の回復力は凄い。あれだけ疲弊していたサオリの体はすっかり元通りに回復しており、しっかりと朝の五時に目が覚めた。
サオリは、今日くらい休めばいいものを、這うようにして、座禅だけとはいえ、ミハエルとオーラの修行をおこない、学校へ行き、放課後はモフフローゼンの元へとむかった。
これからしばらくは、これが日常となる。
「大きな目標を決め、一日毎の細かい目標を決め、毎日目標をこなすこと。目標が無いのは、出来ることが無いからである。その場合はとにかく知識と経験を仕入れよ」
仙術の教えだ。
ーー今の大きな目標は、KOKに入団すること。けど、アルキメストが何なのかすらまだよくわかんないから、具体的には決めらんない。だからしばらくの目標は、たくさん知識を仕入れながら大きな目標を決められるように努力する、にしよう。モフモフさんの修行、楽しみ。
モフフローゼンのワンワン工房まではあと少しだ。
「がんばんでー!」
「おーっ!」
サオリはクマオをバッグから出し、オーロラロードを走りながら、明日に向かえとばかりに叫んで、大きく飛び跳ねた。