第27話 One Phrase (一言)

文字数 2,770文字

 サオリは物心ついた時から自分のことを物語の主人公だと思っていた。主人公たるもの、いつか大きな出来事に否応なく巻き込まれていくものだと。事実、クマオなんていう喋るぬいぐるみから親友と言われた。形見の腕輪は価値の高い物であった。KOKなんていう聞いたことのない組織が現れた。そして、自分自身も毎日仙術で心身を鍛えてきた。この流れはどう考えても、自分のように儚く可憐な美少女が、怖がりながらも否応なく、強制的に世界の命運を握る戦いに巻き込まれていくという展開でなくてはならない。それがなぜか、少年漫画の主人公のような男に手を差し出され、自分の物語はモブの一人として幕を閉じようとしている。今まで続いていた平々凡々な日々が、「おかえりなさい」とばかりにすぐそこまで自分を迎えにきている。
ーーどんなドラマの主人公でも、いつの間にか勝手に事件に引きずり込まれるものだったのに。
 けれども現実はこんな感じ。自分からなにか行動しなければ結果なんて得られない。可愛いとか才能があるとか、今この場においてそんなことは一切関係がない。
 沙織は怖かった。自分が再び主人公になるためには絶対にしなくてはならないことがある、ということがわかっていたから。
 その行為とは、ある言葉を口に出す。それだけだ。けれども、この行為は拒絶されてしまうかもしれないし、成功しても人生がガラリと変わってしまうかもしれない。それだけの覚悟を持たなければ、この言葉を口にすることはできない。今までの人生で最大の勇気が必要だ。
 サオリは、今の人生もそんなに悪くないと思っている。ママは仕事であまり帰ってこないけど、満足できるくらいのお小遣いはもらっている。仲も良い。パパはいないけど、愛されていた思い出と仙術は残っている。ミハエルという優しい師匠もいて、毎日仙術修行をしてくれる。友達もたくさんいる。学業もいつも学年トップ。可愛いのでちやほやもしてもらえる。日本というインフラの整った国に生まれたことも幸運だ。
ーーじゃあ一体、何が不満なんだろ? ここで素直にクルリンを渡してしまえば、また何事もない生活を送れるんだよ。
 サオリは、しらずしらずのうちに窓際にいるアイゼンを目で追っていた。
 アイゼンはモーゼの話を聞きながら、タクトを持って、叩いたり、念じたり、両手で曲げてみたりと、大好きな実験を繰りかえしているようだ。
 二月十九日。十七時。雪は止んでいる。カーテンの隙間から空が見える。厚い雲。隙間から一筋の月の光がアイゼンを照らしている。まるでスポットライトのように。アイゼンを見て、サオリはなぜか神話に出てくる英雄を想像した。英雄という主人公はアイゼンくらい無邪気で、アイゼンくらい美しかったのかもしれない。
 その時、サオリは気づいた。アイゼンの方が二つ年上だが、幼い頃から共に仙術を学び、可愛いと言われ続け、同じ学校に入り、同じように学年トップの成績を取ってきた。ところがアイゼンは背が伸びて、可愛いから美人へと脱皮した。剣道で全国大会を優勝し、世間からも認知され始めた。東大にも合格した。歴史に名を残すという夢に向かって着実に進んでいる。
 一方サオリだ。可愛いけど背も低いまま。おそらく一生、これ以上伸びることはないだろう。音楽部のパーカッションで全国大会には出場したが、世間からは全く認知されていない。冒険家になって世界の不思議を紐解きたいという夢の、まだ最初の一歩も踏み出していない。そもそもマサヒロが好きだから同じ職業である冒険家になりたいと思っているが、本当の夢かと言われるとそれすらもまだわからない。
 けれども、今すぐここで決断をしなければならない。時間も空間もひとつしか選べない。何かを得るためには何かを失う必要がある。
 サオリは確実に、今この瞬間、冒険家の道に一番近い場所にあった。冒険というものはワクワクすることである。今回の『危機桃音(ハイピッチ・ピンチ・ピーチ)事件』。怖かったが自分の持てるスペックを全て使ったような満足感と、明らかに成長したという充実感があった。
 仙術。パルクール。ボルダリング。パーカッション。ただ学んでいるだけでは意味がない。学んでいることは実践を経て初めて輝きだす。
 サオリはわかっていた。今、自分の意志を、はっきりと、このKOKと名乗る人たちに伝えることが、自分の夢への一番の近道だということを。今、自分が一番やりたいことなのだと。こんな経験は今までしたことがない。けれどもクルクルクラウンを渡したら、不思議世界へのとっかかりはなくなり、今後一生こんな経験をすることはないだろう。
 夢から逃げて普通に暮らす。それは、アイゼンのいる、あの光指す、我は我なり、というポジションから降りて、ピーチーズのような陽だまりの中、お金のことを考えながら、他人よりいい暮らしを模索し、年齢と闘いながら死を待つという、悪くはないが、一生何事もない人生を送るということに他ならない。サオリは一瞬モヤモヤとして、すぐにその正体に気づいた。
 その正体とは、今が、『大多数と個人の分岐点』だ、ということだ。
 大好きなマサヒロと同じように冒険家になって、体と頭と心をフル回転させながら真剣に明るく生きる日々を送りたい。けれども本能では変化を恐れている。やらない方が簡単だし、やらないための言い訳はたくさんできる。
 人間が死ぬ時に言う一番多い言葉は、「やっときゃよかった」という後悔らしい。でもそんな後悔は、やらなかったからこそできる甘ったれた人生を送ってきた人間が発する最後の甘えだ。そういう人間は百回人生をやり直したとしてもきっと同じ後悔をして死ぬ。
 行動して失敗した人は、インタビューもされないくらい深い歴史の沼の底の底に沈んで溜まっているのかもしれない。幾多の仲間と共に屍体として重なり、腐って泡を出しながら、プランクトンの餌になっているのかもしれない。全ての努力が報われずに四肢失い、タンプルウィードと共に人知れず砂漠に転がっているのかもしれない。けれども死にさえしなければ、失敗をし続けてもし続けても最後には成功にたどり着く。それが成功というものなのではないだろうか。
 サオリは主人公として失敗したくはなかったが、成功の道を閉ざされてしまうことにはさらに我慢ができなかった。
ーーどんなに無様でもいい。諦めの悪い子供のように、鼻水流してでもしがみつかなきゃ、アタピの夢は遠ざかる。
ーー全てを失ってもいいと思えるくらいの莫大な好奇心よ。アタピに食らいつけ! 今できないことは一生できない!
 物事を決意するための唯一の手段は、アファメーションだ。サオリは自分自身に強く念じて、成功に続くための決意の一言を口に出した。
「アタピをKOKに入れてください!!
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登場人物紹介

サオリ・カトウ

夢見がちな錬金術師。16歳。AFF。使用ファンタジーはクルクルクラウン。

使用武器はレストーズ。

パパの面影を探しているうちに世界の運命を左右する出来事に巻き込まれていく。

カメ

「笑いの会」会長。YouTuber。韓流好き。

ニヒルなセンスで敵を斬る。ピーチーズのリーダー的存在。

映像の編集能力に長けている。

クマダクマオ

アルカディアから来たクマのぬいぐるみ。女王陛下の犬。

サオリのお友達。関西弁をしゃべる。

チャタロー

カトゥーのパートナーだった初代から数えて三代目。

『猫魂』というファンタジーを使って転生することができる。

体は1歳、中身は15歳。

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