第114話 Golden Term (蜂蜜色の日々)
文字数 1,886文字
スケジュールというのは冷酷だ。何の感情もなくまた次の日を迎え、沙織の疲労や精神状態とは何の関係なく、ただ淡々と過ぎていく。このスケジュールをこなすには、ただ淡々と毎日を習慣とするほかない。
ただ、沙織の師匠のミハエルは、時間というクールなやつとは違って、しっかりと沙織の体調管理をしてくれる。朝は動的な仙術修行が多い中、今日はただ座禅を組んで、仙丹精錬呼吸法をおこないながら、今日までのことを思い返せという修行だった。
誕生日から約三ヶ月。本当に色々なことがあった。ピーチーズに襲われ、黒幕がネーフェだったこと。銀次郎が現れ、アルキメスト(錬金術師)について知ったこと。アルカディアという夢の世界があったこと。知らなかった雅弘のこと。オーストラリアでは日本の常識とは全く違う生き方をしている人がいるということ。世界の危機を救ったこと。
世界は知らないことだらけだった。考えたいことはまだまだあったが、修行の時間は記憶の表面をなぞるだけで終わってしまった。
一昨日はあんなに激しい闘いの渦中にいたのに、5月6日の今日は制服を着て、歩いてとはいえ学校へ向かう。朝ご飯の時にニュースを調べたが、オーストラリアで起きたあの事件については何も放送されていなかった。
アルケミー(錬金術)もない。魔人もクリーチャーもいない。Pカードはただのスマートフォンになってしまったし、モフフローゼンから貸与されていた賢者の石『スカイ』も一旦返却してしまった。オーラを練ってもただ体が熱くなるだけだ。
クルクルクラウンは、キリストになれたり、アルカディアを具現化できたりした一昨日とは違って、いくらオーラを注いでも、うんともすんともニャーとも言わない。沙織も、この大きすぎる力を扱える気がしないので、まだあえて使用しようとは思っていなかった。
今までの出来事が現実だったとわからせてくれるのは、鞄の中で寝ているクマオだけだった。
学校に着く。
「おはよー」
ウサの普通の挨拶が、なんだかホームに帰ってきたようでありがたい。前までは時間が勿体無いと焦っていた会話が、今日は心から楽しめる。この三ヶ月間、頑張ってきたご褒美のように感じられる。
ーーそうか。この安全な社会って、普通にあるものだと思っていたけど普通じゃなくて、仲良くしようと思い合うみんなのおかげで出来ているんだな。楽しいって、アタピが楽しいと思うから楽しいんだ。ピーチーズと会うなんて普通のことだったけど、一昨日の闘いで死んでたら会えなかった。こういう当然と思っていることって、本当は当然のことじゃ無いんだ。
沙織は、一人の世界に入って深く考え始めた。
ーーじゃあなんで、アタピは日常が特殊なことだって思えているんだろう?
多分、毎日ピーチーズと遊んでいるだけではこんなことは思えなかった。それどころか、毎日毎日同じことをしていて、未来が決まっている人生に飽き飽きしていたんだった。そういえば常にあった、『何のために生きているのか』という気持ちも今は消えている。
ーー何でだろう? でもアタピ、なんか充実してる! 目に入るもの全てが愛おしい! アタピは、アタピで生きていることに大きな意義があるって、今は思う!
教室を見回す。
部屋に充満する女子の臭い。
先生の大きな声。
右を見ても左を見ても、知っている友達が、同じ制服を着て、熱心な顔で勉強をしている。
これが同じ服を着ていなくても、熱心に勉強していなくても、女子臭くなくても、沙織の思いは何も変わらないだろう。
もともと目のいい沙織だが、今日はさらにはっきりと世界が見えているような気がする。
ーーこれは……、何だろう?
人間には、『なんとなく』な感覚がある。そもそも言葉は、人間が、社会を便利にするために作ってきたものだ。もともと人間に備わっている能力ではない。けれども同時に、人間は、なんとなくな感覚をしっかりと言葉にしなければ、自分の気持ちがまとまらない生き物でもある。
『情報と感情は、分けて考えなければならない』
仙術の教えだ。
そういえば、銀次郎から借りた遠藤双葉の詩集に、こんな一節があった。
『錬金術とは、物体を練り直して金を作るだけではない。今あるものを分解して再構築することこそが錬金術だ。僕は社会の言葉を分解し、自分の感覚と融合させ、自分の言葉を作り出す。僕の一生と、賛同する仲間と、未来の子孫達と共に。それが世界というものだ。僕は世界で、世界は僕だ』
沙織は今、この時、この感覚を、しっかりと言葉にするべきだと思った。
それが、アルキメストとしての役割だと思った。
ただ、沙織の師匠のミハエルは、時間というクールなやつとは違って、しっかりと沙織の体調管理をしてくれる。朝は動的な仙術修行が多い中、今日はただ座禅を組んで、仙丹精錬呼吸法をおこないながら、今日までのことを思い返せという修行だった。
誕生日から約三ヶ月。本当に色々なことがあった。ピーチーズに襲われ、黒幕がネーフェだったこと。銀次郎が現れ、アルキメスト(錬金術師)について知ったこと。アルカディアという夢の世界があったこと。知らなかった雅弘のこと。オーストラリアでは日本の常識とは全く違う生き方をしている人がいるということ。世界の危機を救ったこと。
世界は知らないことだらけだった。考えたいことはまだまだあったが、修行の時間は記憶の表面をなぞるだけで終わってしまった。
一昨日はあんなに激しい闘いの渦中にいたのに、5月6日の今日は制服を着て、歩いてとはいえ学校へ向かう。朝ご飯の時にニュースを調べたが、オーストラリアで起きたあの事件については何も放送されていなかった。
アルケミー(錬金術)もない。魔人もクリーチャーもいない。Pカードはただのスマートフォンになってしまったし、モフフローゼンから貸与されていた賢者の石『スカイ』も一旦返却してしまった。オーラを練ってもただ体が熱くなるだけだ。
クルクルクラウンは、キリストになれたり、アルカディアを具現化できたりした一昨日とは違って、いくらオーラを注いでも、うんともすんともニャーとも言わない。沙織も、この大きすぎる力を扱える気がしないので、まだあえて使用しようとは思っていなかった。
今までの出来事が現実だったとわからせてくれるのは、鞄の中で寝ているクマオだけだった。
学校に着く。
「おはよー」
ウサの普通の挨拶が、なんだかホームに帰ってきたようでありがたい。前までは時間が勿体無いと焦っていた会話が、今日は心から楽しめる。この三ヶ月間、頑張ってきたご褒美のように感じられる。
ーーそうか。この安全な社会って、普通にあるものだと思っていたけど普通じゃなくて、仲良くしようと思い合うみんなのおかげで出来ているんだな。楽しいって、アタピが楽しいと思うから楽しいんだ。ピーチーズと会うなんて普通のことだったけど、一昨日の闘いで死んでたら会えなかった。こういう当然と思っていることって、本当は当然のことじゃ無いんだ。
沙織は、一人の世界に入って深く考え始めた。
ーーじゃあなんで、アタピは日常が特殊なことだって思えているんだろう?
多分、毎日ピーチーズと遊んでいるだけではこんなことは思えなかった。それどころか、毎日毎日同じことをしていて、未来が決まっている人生に飽き飽きしていたんだった。そういえば常にあった、『何のために生きているのか』という気持ちも今は消えている。
ーー何でだろう? でもアタピ、なんか充実してる! 目に入るもの全てが愛おしい! アタピは、アタピで生きていることに大きな意義があるって、今は思う!
教室を見回す。
部屋に充満する女子の臭い。
先生の大きな声。
右を見ても左を見ても、知っている友達が、同じ制服を着て、熱心な顔で勉強をしている。
これが同じ服を着ていなくても、熱心に勉強していなくても、女子臭くなくても、沙織の思いは何も変わらないだろう。
もともと目のいい沙織だが、今日はさらにはっきりと世界が見えているような気がする。
ーーこれは……、何だろう?
人間には、『なんとなく』な感覚がある。そもそも言葉は、人間が、社会を便利にするために作ってきたものだ。もともと人間に備わっている能力ではない。けれども同時に、人間は、なんとなくな感覚をしっかりと言葉にしなければ、自分の気持ちがまとまらない生き物でもある。
『情報と感情は、分けて考えなければならない』
仙術の教えだ。
そういえば、銀次郎から借りた遠藤双葉の詩集に、こんな一節があった。
『錬金術とは、物体を練り直して金を作るだけではない。今あるものを分解して再構築することこそが錬金術だ。僕は社会の言葉を分解し、自分の感覚と融合させ、自分の言葉を作り出す。僕の一生と、賛同する仲間と、未来の子孫達と共に。それが世界というものだ。僕は世界で、世界は僕だ』
沙織は今、この時、この感覚を、しっかりと言葉にするべきだと思った。
それが、アルキメストとしての役割だと思った。