第62話 Dove Spring (ハトの羽千枚)

文字数 4,604文字

 次の日は四月二日。まだ学校は春休みだ。
 サオリは朝の修行を終えてプロテインとサラダを摂取すると、すぐにクエストに向かうことにした。ほぼ毎日リアルカディアに通い続けていたので、リアルで過ごすのは久しぶりだ。サオリは、どこに行けば大量のハトの羽を手に入れられるのかを考えた。
 ハトがいるとなるとすぐに思い浮かぶのは浅草か上野公園だ。とはいえ浅草は人も建物も多く、羽を探すには適していない気がする。初日だし失敗しても仕方がない。すぐに行動することが重要だ。サオリはまず上野公園に向かった。四谷から上野までは約四キロ。サオリの脚力ならゆっくり走っても三十分とかからない。
 上野公園に着く。大きな階段を上る。目の前には大きな西郷隆盛の銅像がお出迎えしてくれる。たくさんの植樹された緑と、あみだくじのように入り組んだ道路で構成されている細長い公園。飲食店や美術館、博物館、動物園が混在していながら、少しもその美しい景観を崩すことがない。
 朝十時だというのに、世間も春休みなので人出は多い。同様に餌狙いのハトも多かった。サオリの狙い通りだ。
 だが、サオリには一つだけ誤算があった。ハトは多いが、地面に落ちている羽がほとんど無いのだ。そして、その理由もすぐにわかった。ボランティアや浮浪者が隙あらば公園を美化しようと密かに目を光らせているのだ。
「沙織。全然羽なんか落ちてへんで。あっこを見ても、こっこを見ても、ポッポはないで」
 最近、クマオは人が近くにいても話すことがある。リュックの中で隙間から辺りを覗いているようだ。チャタローは女子中学生らしい一団に囲まれて、「かわいい、かわいい」言われている。サオリは、しきりに「それな」と連発する少女が気になった。
ーー流行りの言葉を使いたがる人は声が大きい気がする。
 サオリは。リュックの中からクマオに強めに突かれて我に返った。
「なー。どうすんのや? 道路の隅に縮れた羽がいくつかゴミのように固まっとるだけやないか」
 サオリはしゃがんで縮れたハトの羽を手に取った。クマオが言った通りだ。これではハトの羽だと認定してくれないだろう。サオリから見てもただのゴミだ。
ーーんー。時間帯によっては羽が大量に落ちてる時間があんのかな。だとしたら夜来ると、いや、ポッポも寝てれば羽を散らかさないか。まさか最新のポッポは羽も落とさない親切仕様になっておりますてことはないよね。愛玩犬なんかは毛が落ちないように品種改良されたって話だけど。んー。どこに落ちてんだろ。
 サオリは何気なく目の前のベンチを見た。フランクに笑い合う二人組の浮浪者が座っている。パーマをかけた中肉中背で目が細い日本人と、大きくて細長くて髭をたくわえた白人の二人組だ。日本人は背中が曲がっているが、白人は小汚い格好をしていなければ英国紳士のようだ。なぜか二人とも浮浪者なのに上品に見える。
ーー外国人の浮浪者。珍しい。
 サオリは日本人の浮浪者と目が合った。男はサオリの視線に気づいて笑顔で手を振ってくる。なんだか明るくて害がなさそうだ。何よりもし襲いかかってこられたとしても簡単に倒せそうなほど弱そうな外見をしている。危険な感じがまるでしない。サオリは小さく手を挙げ返した。
 それに気を良くした浮浪者は、危険信号が反応しないくらい遠くから、大声でサオリに話しかけてきた。
「どうしたー、姉ちゃん。何か落とし物かい? さっきからキョロキョロとして見ちゃいらんねーな。おいらは上野公園のことなら何でも知ってるぜ。落し物なら仲間や警官に口きいてやろうか? どうしたどうした」
 中年だがクシャッとした笑顔が愛らしい。隣の浮浪紳士も静かに優しく微笑んでいる。警戒心の強いサオリは、普段なら絶対にそんなことはしないが、いつの間にか、知らず知らずのうちに浮浪者に相談をしていた。
「ハトの羽が欲しいんだけど、あんまりないの」
 浮浪者は相手が女子高生だからと侮ることもなく、あくまでも対等に真剣に話を聞いた。
「学校の宿題かい? 公園はいつも浮浪者やボランティアが清掃をしてるんであまり落ちてねーだろ?」
 日本人の浮浪者は立ち上がった。
「でも掃除もしょせんは人間のやっていること。人にとって見えづらい場所にゃあ、それなりに羽が落ちてるよ。ほら。これをやろう」
 浮浪者はしゃがんでベンチの下を探り、三枚の羽をサオリにかざした。サオリは跳ねるように近づいて受け取った。
「ありがと」
 浮浪者は照れているのかヘラヘラしたままだ。だが、サオリの笑顔が気に入ったのだろう。張り切った口調で答えた。
「なんてこたねーよ。あと何枚欲しいんだい?」
「千枚」
「ん? 千枚?」
「千枚」
「日之出煎餅のせん?」
「そ」
 浮浪者は聞き間違いではないことを確認した。ベンチから立ち上がって様子を見ていた英国浮浪紳士は声を上げて笑った。パーマの和風浮浪者はバツが悪そうな顔をした後で質問をした。
「羽を千枚も何に使うんだい? もし枕や羽毛ぶとんを作ろうってんなら、こんな硬い羽じゃなくて違う鳥の羽を使った方が快適だぜ」
「そうなんだけど…、わかんないの」
「わからない?」
「持ってくとお金みたいなのもらえるの」
 サオリはクエスト屋のことを誤魔化して答えた。
「わからないけどハトの羽を千枚欲しいってそりゃ…」
 パーマの浮浪者は頭を掻きながらじっとサオリと目を合わせた。
「そりゃ手伝うし、おいらにゃ教えなくてもいいけど、何のために使うのかだけはわかっておいた方がいいぜ」
 サオリは何を言われているのかがよくわからなかった。浮浪者は堂々と、手振りまでつけて話し始めた。まるで講演会でもしているかのようだ。
「ハトの羽千枚は姉ちゃんにとっちゃ価値がねーけど、誰かにとっては凄く価値のあるもんだってこったろ? 今から一緒にハトの羽がどこにあんのか考えるけど、もし姉ちゃんが価値を知ってんなら、その商談相手の仕事を真似して会社を立ち上げた方が楽して儲かるかもしんねぇ。真似ができねぇ仕事だったとしても、今後も相手が羽を必要としてるんなら、これから探す羽は細かいところに落ちてる一回きりの羽千枚じゃなく、なるべく多く、長い間供給し続けられる羽千枚がある場所を探さねーとな。そうすりゃ姉ちゃんは継続的にお金みてーなもんがもらえる」
 普通の人間は地位のある人の言葉以外を信用しない傾向がある。だがサオリは正しいかどうかを自分で判断するようにして生きてきたので、その浮浪者の言っていることには凄く真実が含まれていると思った。
ーーなるほど。ピッピが継続的に手に入るんなら、より修行に力を入れられるし、やりたいことにかける時間も増える。そしたらアタピ、リアルカディアでショッピングもしたい。
 サオリはもっと色々と考えたかった。その考える道筋を示すように浮浪者は質問をする。
「それじゃあ姉ちゃん。まず姉ちゃんは、どこにハトの羽がたくさんあると思うんだい?」
ーーあっ。アタピが考えようとしてたこと。一緒に考えてくれるんだ。
 普段は自分一人で物事を考えることが多いので、サオリはなんだかワクワクした。
ーーどこに羽がたくさん落ちてんだろ?
 サオリは考えたが、何かフィルターがかかっていて思い浮かばない。それを見た浮浪者は言葉を続けた。
「別に間違うこたぁ構わねーよ。おいらもよく間違えるし、人間は間違えながらじゃなきゃ進めねーもんだってこたぁ知ってらー」
 その一言でサオリは、他人の前で間違えることが恥ずかしかったのだと気がついた。
ーーでも相手は大人で社会的地位もない。緊張する要素は何一つない。
 サオリは急に気が楽になり、思い切って、先ほどからずっと頭の片隅に引っかかっていた単語を口に出した。
「じゃあ、ゴミ捨て場」
「公園のゴミ収集所かい? いいじゃない。掃除した人はみんな持っていくもんなー。他には?」
 褒められて、サオリは俄然、調子が出てきた。
「動物園?」
「なるほど。鳥がたくさんいるもんなー。羽はハトのでなくともいいのかい?」
 サオリは首を振った。
「じゃあ無理か。リサイクル品の羽毛ぶとんを破いて取ってくるとかもできねーなー」
 浮浪者も自分から間違えてくれるので、サオリはますます話しやすかった。
「野鳥園?」
 浮浪者は明るい顔をした。
「ついに上野から羽ばたいたねー。いいよいいよー。もっとハトがたくさんいる場所はねーかなー?」
「んー」
 サオリは腕を組み、右手を顎に当てて考えた。
「伝書鳩の専門店?」
「おー。そんな店があんなら一番ありそうだねー。やるじゃんやるじゃん。後でネット検索してみよう」
「鳩の研究所、とかあるかな?」
「調べてみぃ、調べてみぃ」
 こうして浮浪者とサオリは、話してはネットで探し、一時間後にはいくつもの探しに行く候補が見つかった。

「こんなもんか? んー。楽しかったなー」 
 だいたい出尽くした感がしたところで、浮浪者は大きく伸びをした。
「そうだ、姉ちゃん。誰か見栄えのいい大人で助けてくれそうな人はいるかい?」
「はい。います!」
 サオリの頭の中にはすぐにミハエルの顔が浮かんだ。浮浪者は笑顔で言った。
「そうか。交渉はその人と一緒に行って頼むといい。姉ちゃんだと子供扱いして舐められちまうかもしんねーかんな。もしその人でうまくいかなかったらまた上野公園においで。うちの最高のイケメン交渉人を高級スーツと名刺付きで貸してやっから。なっ、セバス?」
 隣の浮浪紳士がうやうやしい顔でお辞儀をした後、二人は時間差で大きく笑った。サオリも笑顔で大きくうなづいた。

 みんなが笑った後で静まり返る。
 しばしの沈黙。
 浮浪者はサオリの顔をじっと見た。
ーーあれ? プーさんたち、まったく臭くない。
しばらくお互いが見つめあった後、浮浪者は再び口を開いた。
「姉ちゃん。名前はなんてんだ?」
「沙織。加藤沙織」
「沙織? いい名前だねぇ」
「おじさんは?」
「おいら? おいらは初芽ってんだ。で、こいつがセバスチャン。おいらのパートナーだ」
 サオリはしっかり名前と顔を覚えた。自分から名前を聞こうと思ったことも珍しいし、これほどもう少し離れないで話したいと思うことも珍しい。サオリは自分からハツメに質問をした。
「なんで色々教えてくれたの?」
浮浪者は笑顔のまま目をそらした後、立ち上がり、空を見上げて呟いた。
「なーに。ハトの羽を集める作業なんて、これからの世の中を支える若者たちがいつまでもやるもんじゃねー。そう思っただけさ」
 サオリは、ハツメの哀愁を帯びた立ち姿が何となく美しいと思えた。そのあと一言二言会話を交わし、サオリはハツメとセバスチャンと別れを告げた。

 公園の大階段を降りる手前で大きく両手を振っているサオリに手を振り返しながら、ハツメはセバスチャンに話しかけた。
「おいらは仕事がらいろんな人間と会ってきたけど、女王陛下のお友達には初めて会ったよ。ありゃなんか…」
 ハツメはサオリの消えた先を名残惜しそうに見た後、遠くを眺めて言葉を続けた。
「ありゃなんか、とんでもなく爽やかで魅力的な一陣の風だねぇ」
「はい。私もそう思いますよ。は・つ・め・さ・ま」
「はっ。バカにしやがって」
「いえいえ。尊敬しております」
 二人は笑った。そしてセバスチャンも、ハツメの真似をするように隣で目を細め、サオリの旅立ちを祝福するように遠くを眺めた。
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登場人物紹介

サオリ・カトウ

夢見がちな錬金術師。16歳。AFF。使用ファンタジーはクルクルクラウン。

使用武器はレストーズ。

パパの面影を探しているうちに世界の運命を左右する出来事に巻き込まれていく。

カメ

「笑いの会」会長。YouTuber。韓流好き。

ニヒルなセンスで敵を斬る。ピーチーズのリーダー的存在。

映像の編集能力に長けている。

クマダクマオ

アルカディアから来たクマのぬいぐるみ。女王陛下の犬。

サオリのお友達。関西弁をしゃべる。

チャタロー

カトゥーのパートナーだった初代から数えて三代目。

『猫魂』というファンタジーを使って転生することができる。

体は1歳、中身は15歳。

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