第111話 Thank U (サンキュー)
文字数 2,739文字
車に戻ってミハエルが運転をする。助手席にはチャタロー。後部座席には愛染と沙織が寝ている。
ーー朝日が綺麗だな。
ミハエルは感傷に浸った後で、この後の航空券をどのようにして取ろうか考えながら車を走らせた。
「着いたぞ」
ミハエルが揺り動かし、ようやく沙織は目を覚ました。空の低いところに太陽が出ている。すでに夕方だ。
「おはよ」
のんびりとした沙織の言葉に苦笑しながらも、ミハエルは同じ言葉を返した。
ここはアリススプリングス。メイソンホールがある街だ。沙織とクマオと愛染とチャタローは出国記録がないので、ここからイコンを開いて帰らなければならない。逆に、ミハエルはイコンを使用できないので、これから空港に行かなければならない。
「また日本で会おう」
どれだけ体力があるのだろうか。ミハエルは一言残して、休憩もせず、また車を走らせた。
沙織はクマオをアタックケースに乗せ、愛染とチャタローと歩く。
「愛ちゃん」
「ん?」
相変わらず愛染の笑顔は眩しい。
「どうして、アタピがピンチだってわかったの?」
「そりゃ沙織のことだったら何でもわかるよー」
愛染は言った後で沙織の目を見た。真剣だ。全く誤魔化せていない。
『事実を知るには正しい情報を知り、感情と分けなければならない』
仙術の教えだ。
いくら沙織のことを愛染が好きとはいえ、さすがに自分がピンチの時に限って、こんなに良いタイミングで助けに来てくれるはずがない。愛染は、やれやれ仕方がないという顔で話を続けた。
「なーんてね。そりゃ、クエスト行く前に急に家の前にいるし、危険な時に助けにくるし、おかしいとは思うよね」
沙織はうなづいた。愛染は、沙織があまり世話を焼かれたくないと思っていることは知っていた。だが、沙織の目を見ると、もう真実を話さなくてはならないと思った。
ーーストーカーが自供しているみたいで嫌なんだけど。
愛染は渋々と話し始めた。
「実は四月の終わり頃に、一人でトボトボと歩いてるチャタローを見かけたの。それで、あんまり様子がおかしかったから声をかけたの。チャタローは普通のことしか言わなかったけど、沙織と喧嘩して落ち込んでいるように見えたわ。それで何か、沙織がゴールデンウィークに何か危険なことをやろうとしている予感がしたの」
ーーそれでクエストに行く前にアタピの家の前にいて、あんなにもアタピのことを心配してくれてたのか。
しかし、疑問はまだある。
「予感だけであんなに良いタイミングで助けに来てくれたの ?」
この後に及んで嘘はつけない。愛染は観念して続けた。
「心配になって銀次郎をつついてみたら、雰囲気で、ゴールデンウィークに何かやることが分かったわ。しかも、最近よく沙織と会って、一緒に修行していることもわかった」
ーーギンさん、嘘が下手だからな。
「銀次郎がいるのなら心配いらない、とは思っていても、やっぱり不安で。そしたら私には、沙織の他にもう一人、親友がいることに気づいたの」
沙織はクマオを見た。クマオは慌てて隠れたが、大きなお尻とせわしなく動く丸い尻尾が隠し切れていない。愛染は笑った。
「そう。クマオ。頼れるクマさん。彼に、沙織が危険な時は教えて欲しいと頼んで、『パドアラーム』というFを持ってもらったの。でも、危険な時にすぐに駆けつけられるウィッシュ『一対の羽』は、クマオがPカードを持ってないから契約できなかったの。そこで出発当日に、ホント悪いとは思ったんだけど、その、沙織のPカードに『一対の羽』を契約させてもらったってわけ」
「アタピのPカードに勝手に契約なんて、そんなこと出来るの ?」
「二人の深い愛があればね」
「誤魔化さないで」
愛染は笑顔の後で、急に真面目な口調になった。
「ホントよ。これ、『マザーズラブ』っていってね、お互いが心から許し合って、愛し合ってる同士しか使えないFなの」
「アタピたち、女同士」
「ま、私は沙織となら一向に構わないけどね」
愛染は真面目な口調から、今度は一転、笑顔になった。コロコロと表情がよく変わる。
「それに、沙織のクエストを助けなきゃいけないかもしれないと思いながら入団試験を受けたら、試験を早く合格しようって気持ちが強くなるじゃない。そういう打算もあったの」
愛染は照れ隠しのように言い訳をする。そんな告白を、沙織は淡々と聞き続けた。
ーー愛ちゃん。あっけらかんと笑いながら言ってるけど、言葉のところどころにひしひしと愛情が滲み出てくるよ。誤魔化せないんだから。
「でもホント、沙織が無事でよかった。もし沙織が死んでたら、こんな可愛い顔にも二度と会えなかったんだし」
愛染は、沙織の両頬をつまんで伸ばした。沙織は、伸びた頬を伝って、円形に涙の筋をつけた。
「やだ。沙織。泣かないでよ。どうしたの? 沙織……」
愛染も、いつの間にか涙が出ていた。
二人はいつの間にか、抱き合って泣いていた。
ーーこんなところにいつまでもいるのは、野暮ってなもんだぜ。
チャタローはクマオをくわえて、二匹ひっそりと部屋から消えていた。
その後、沙織たちは夕食を食べた。他愛のない話でも楽しかった。アリススプリングスからクリスタルパレスにダイバーダウンする際には、もうこれで、またしばらく会わないのだなぁという寂しさがあった。
クリスタルパレスに到着した二人と二匹は、いよいよしばしの別れを迎える。
「じゃあね」
「うん」
「あばよ!」
愛染とチャタローは、曲がりくねったオーロラの道を、それぞれの方向に進んでいった。
「……」
沙織も歩こうとした。
一歩。
二歩。
が、少し立ち止まり、もう一度振り向いた。
「ま……、待って!」
愛染とチャタローは不思議そうな顔をして立ち止まり、沙織の方を向いた。
「あの……、あの……」
沙織は、普段からよく使っている言葉を言おうとしたのにも関わらず、言葉を喉に通すことに難儀した。
よく使う言葉なのに、今から言う一言には、普段とは違う重い気持ちが込められている。汚れた長身美少女と子猫は、黙ってその言葉が出てくるのを待った。
「あ……、ありがとう」
沙織は、心の中にずっと溜まっていた感謝の言葉を、初めて、口にした。
「なーに、いいってことよ」
「私も。沙織が生きててくれてありがたいよ」
一匹と一人はそう何気なく言って別れを交わし、それぞれオーロラのカーテンを二、三回曲がった後、涙で顔がくしゃくしゃになった。この涙は悪いものではなかった。ただ、人に見られると純粋な想いが乱れる気がして、絶対に誰にも見られたくないなとは思った。こういう時に、それぞれの向かう方角へと導いてくれるオーロラロードは、絶対に他人と会うことはない。全員はそれぞれ、道を歩きながら、思う様、泣きじゃくった。
ーー朝日が綺麗だな。
ミハエルは感傷に浸った後で、この後の航空券をどのようにして取ろうか考えながら車を走らせた。
「着いたぞ」
ミハエルが揺り動かし、ようやく沙織は目を覚ました。空の低いところに太陽が出ている。すでに夕方だ。
「おはよ」
のんびりとした沙織の言葉に苦笑しながらも、ミハエルは同じ言葉を返した。
ここはアリススプリングス。メイソンホールがある街だ。沙織とクマオと愛染とチャタローは出国記録がないので、ここからイコンを開いて帰らなければならない。逆に、ミハエルはイコンを使用できないので、これから空港に行かなければならない。
「また日本で会おう」
どれだけ体力があるのだろうか。ミハエルは一言残して、休憩もせず、また車を走らせた。
沙織はクマオをアタックケースに乗せ、愛染とチャタローと歩く。
「愛ちゃん」
「ん?」
相変わらず愛染の笑顔は眩しい。
「どうして、アタピがピンチだってわかったの?」
「そりゃ沙織のことだったら何でもわかるよー」
愛染は言った後で沙織の目を見た。真剣だ。全く誤魔化せていない。
『事実を知るには正しい情報を知り、感情と分けなければならない』
仙術の教えだ。
いくら沙織のことを愛染が好きとはいえ、さすがに自分がピンチの時に限って、こんなに良いタイミングで助けに来てくれるはずがない。愛染は、やれやれ仕方がないという顔で話を続けた。
「なーんてね。そりゃ、クエスト行く前に急に家の前にいるし、危険な時に助けにくるし、おかしいとは思うよね」
沙織はうなづいた。愛染は、沙織があまり世話を焼かれたくないと思っていることは知っていた。だが、沙織の目を見ると、もう真実を話さなくてはならないと思った。
ーーストーカーが自供しているみたいで嫌なんだけど。
愛染は渋々と話し始めた。
「実は四月の終わり頃に、一人でトボトボと歩いてるチャタローを見かけたの。それで、あんまり様子がおかしかったから声をかけたの。チャタローは普通のことしか言わなかったけど、沙織と喧嘩して落ち込んでいるように見えたわ。それで何か、沙織がゴールデンウィークに何か危険なことをやろうとしている予感がしたの」
ーーそれでクエストに行く前にアタピの家の前にいて、あんなにもアタピのことを心配してくれてたのか。
しかし、疑問はまだある。
「予感だけであんなに良いタイミングで助けに来てくれたの ?」
この後に及んで嘘はつけない。愛染は観念して続けた。
「心配になって銀次郎をつついてみたら、雰囲気で、ゴールデンウィークに何かやることが分かったわ。しかも、最近よく沙織と会って、一緒に修行していることもわかった」
ーーギンさん、嘘が下手だからな。
「銀次郎がいるのなら心配いらない、とは思っていても、やっぱり不安で。そしたら私には、沙織の他にもう一人、親友がいることに気づいたの」
沙織はクマオを見た。クマオは慌てて隠れたが、大きなお尻とせわしなく動く丸い尻尾が隠し切れていない。愛染は笑った。
「そう。クマオ。頼れるクマさん。彼に、沙織が危険な時は教えて欲しいと頼んで、『パドアラーム』というFを持ってもらったの。でも、危険な時にすぐに駆けつけられるウィッシュ『一対の羽』は、クマオがPカードを持ってないから契約できなかったの。そこで出発当日に、ホント悪いとは思ったんだけど、その、沙織のPカードに『一対の羽』を契約させてもらったってわけ」
「アタピのPカードに勝手に契約なんて、そんなこと出来るの ?」
「二人の深い愛があればね」
「誤魔化さないで」
愛染は笑顔の後で、急に真面目な口調になった。
「ホントよ。これ、『マザーズラブ』っていってね、お互いが心から許し合って、愛し合ってる同士しか使えないFなの」
「アタピたち、女同士」
「ま、私は沙織となら一向に構わないけどね」
愛染は真面目な口調から、今度は一転、笑顔になった。コロコロと表情がよく変わる。
「それに、沙織のクエストを助けなきゃいけないかもしれないと思いながら入団試験を受けたら、試験を早く合格しようって気持ちが強くなるじゃない。そういう打算もあったの」
愛染は照れ隠しのように言い訳をする。そんな告白を、沙織は淡々と聞き続けた。
ーー愛ちゃん。あっけらかんと笑いながら言ってるけど、言葉のところどころにひしひしと愛情が滲み出てくるよ。誤魔化せないんだから。
「でもホント、沙織が無事でよかった。もし沙織が死んでたら、こんな可愛い顔にも二度と会えなかったんだし」
愛染は、沙織の両頬をつまんで伸ばした。沙織は、伸びた頬を伝って、円形に涙の筋をつけた。
「やだ。沙織。泣かないでよ。どうしたの? 沙織……」
愛染も、いつの間にか涙が出ていた。
二人はいつの間にか、抱き合って泣いていた。
ーーこんなところにいつまでもいるのは、野暮ってなもんだぜ。
チャタローはクマオをくわえて、二匹ひっそりと部屋から消えていた。
その後、沙織たちは夕食を食べた。他愛のない話でも楽しかった。アリススプリングスからクリスタルパレスにダイバーダウンする際には、もうこれで、またしばらく会わないのだなぁという寂しさがあった。
クリスタルパレスに到着した二人と二匹は、いよいよしばしの別れを迎える。
「じゃあね」
「うん」
「あばよ!」
愛染とチャタローは、曲がりくねったオーロラの道を、それぞれの方向に進んでいった。
「……」
沙織も歩こうとした。
一歩。
二歩。
が、少し立ち止まり、もう一度振り向いた。
「ま……、待って!」
愛染とチャタローは不思議そうな顔をして立ち止まり、沙織の方を向いた。
「あの……、あの……」
沙織は、普段からよく使っている言葉を言おうとしたのにも関わらず、言葉を喉に通すことに難儀した。
よく使う言葉なのに、今から言う一言には、普段とは違う重い気持ちが込められている。汚れた長身美少女と子猫は、黙ってその言葉が出てくるのを待った。
「あ……、ありがとう」
沙織は、心の中にずっと溜まっていた感謝の言葉を、初めて、口にした。
「なーに、いいってことよ」
「私も。沙織が生きててくれてありがたいよ」
一匹と一人はそう何気なく言って別れを交わし、それぞれオーロラのカーテンを二、三回曲がった後、涙で顔がくしゃくしゃになった。この涙は悪いものではなかった。ただ、人に見られると純粋な想いが乱れる気がして、絶対に誰にも見られたくないなとは思った。こういう時に、それぞれの向かう方角へと導いてくれるオーロラロードは、絶対に他人と会うことはない。全員はそれぞれ、道を歩きながら、思う様、泣きじゃくった。