第31話 Freemasonry (フリーメイソンリー)

文字数 3,715文字

 三台のベンツが巨大な芋虫のように重厚な軌跡を描き、ゆっくりと夜の東京に轍を刻む。目の先には世界の侘び寂びをゆっくりと水飴のように縦に伸ばして出来上がったかのようなオレンジ色の光の塔が闇にぼんやりと浮かんでいる。東京タワーだ。
「もうすぐです」
 無口な運転手が初めて言葉を発した。サオリはアイゼン、ミハエルと共に二台目のベンツに乗っていた。前の車にはモーゼ、後ろの車にはイノギンが乗っている。まだクルクルクラウンが発動し続けているので、もし敵が現れた時のために前後で警備を固めてくれているのだ。
 サオリは後部座席で、アイゼンとミハエルに挟まれて座る。クマオはコートの中だ。サオリにはこの安らぎが、これから起こる急激な変化に対する最後の日常を与えてくれているように感じていた。ミハエルの左手はサオリの両腿の上に乗せられ、まるで小皿に乗った分厚いステーキのようにはみ出している。アイゼンの右手は付け合せのインゲンのようだ。
 緊張が解けたのだろう。サオリは人肌の温もりとクマオの柔らかさをお供に、眠りの世界に入り込んでいた。夢の中では、マサヒロに抱きしめられながらただただ落下し続けただけだ。何か話していたが内容は覚えていない。
 長い坂を登っていくとベンツはゆっくりと速度を緩める。巨大なビルが立ち並ぶ都心のどどど真ん中に低めの建物が見える。一階は神殿のように太い何本もの柱。二階には全面ガラス張りの平べったい長方体がのっぺりと乗せられている。まるで黒い宝石のような建物だ。
「あっ。ここって」
 アイゼンの手に力がこもる。建物を見回し、『メソニック38MT』という標識を見つけて確信した。
「やっぱり。ここ、フリーメイソンリーの日本グランド・ロッジ、東京メソニックセンターだ。『関暁夫の都市伝説』で見たことある」
 アイゼンの独り言を、サオリはなんとなく夢見心地で聞いていた。
 フリーメイソンリー。自由・平等・博愛・寛容・人道の精神を持つ秘密結社。現在の会員数は全世界で約百四十万人。かつてはフランス革命やアメリカの南北戦争に深い関わりを持ち、幾多のアメリカ大統領がフリーメイソンであることから、世界を裏で動かしていると都市伝説で囁かれている組織だ。
 ただ最近では、フリーメイソンリーはただの友愛結社・ボランティア団体で、闇に暗躍する秘密結社ではないと世間的にも認知され始めている。儀式だけが秘密で、活動内容やメンバーに関してはテレビに出演して話している人もいるくらいだ。
 けれども、これから向かう先が東京メソニックセンターであるのならば、フリーメイソンリーが裏で世界のバランスをとっているという都市伝説はあながち外れてはいないのかもしれない。火の無い所に煙は立たないという諺が今回の話に当てはまるのかどうか。
 サオリはアイゼンの言葉を聞いて頭を働かせようとした。だが働かない。それでも、いくら眠くて考えがまとまっていなくても、いつでも世界の時間は止まらない。
 ベンツは建物のロータリーへと入っていき、大きなガラス扉の前で反動なく静かに止まった。
「着きましたよ」
 運転手が囁く。
 コンパス。定規。Gのマークを象った怪しい雰囲気のフリーメイソンリーのマーク。そして大きく緑色に掲げられた「警察官立寄所」の看板。謎と健全。二つのシンボルマークの対比は、サオリを現実から乖離させていく。
 ガラス扉は取っ手の部分にもこれみよがしにフリーメイソンリーのマークが彫られている。あちこちにフリーメイソンリーを示すシンボルマークだらけ。秘密結社といわれている組織に入会する人たちで形成されている組織なのだから、ここにいる人間は秘密を持つ記号が大好きなのだろう。他人との差別化も図れるし、アイデンティティの確立も出来る。
 黒服がサオリたちの元に集まってきた。黒服の一人がインターフォンで何かを話している。 違う黒服が扉を開ける。秘密結社なのに扉は簡単に女子高生たちに口を開いた。サオリたちはモーゼを先頭に、黒服に囲まれて中に入っていく。
 メソニックセンターの中は学校の音楽室くらいの大きさのホールが広がっている。右手の壁には老天使に頭を撫でられる女性の巨大なレリーフ。レリーフの左右にはステンドグラスが飾られている。左のステンドグラスにはフリーメイソンの有名なシンボルマークであるGやプロビデンスの目。それに太陽や、月や、聖書らしきものが散りばめられている。右のステンドグラスにはバラの花を中心に、三角形や、十字架や、六芒星など、フリーメイソンと関係なさそうな中世の家紋らしきものが並んでいる。細かいローマ字でずらりと人名が彫ってある壁もある。過去の有名なフリーメイソンが書いてあるらしい。知っている人はいるかと一通り見回すと、何人かの昔の大物政治家の名前が見られた。これならアイゼンが「KOKで政治家になってもいいのか」と聞いた時、即答で「大丈夫だ」と返ってくるわけだ。
ーーということは、あの時点でアイちゃんは、KOKのことを「昔のフリーメイソンのような秘密組織である可能性が高い」と予想していたのかな。
 振り返るとアイゼンはすでに黒服たちと仲良くなっている。相変わらず適応能力が高い。サオリはさらに部屋の中を見回した。新奇探索欲求があるのならばキョロキョロとしてしまうのは当然だ。アイゼンも黒服に教えてもらいながら部屋の中を見回している。だがミハエルだけは、ステンドグラスを見つめて眉間にしわを寄せていた。
「じゃあ、皆さん」
「そうだな。よし。みんな、奥の部屋に来い」
 イノギンにせつかれたモーゼの言葉で、黒服たちは全員奥の扉に消えていった。玄関ホールに残ったのは、サオリ、クマオ、アイゼン、イノギン、ミハエルの四人と一匹だけだ。
「プットー。結界を。これでクリスタルパレスに向かう準備が整いました。みなさん、用意はいいですか?」
ーー向かう準備?
 ここがKOK本部だと思っていたが、どうやら違うようだ。サオリは不安になった。だが、同様に何も知らないはずのアイゼンが、当然のような顔をして動揺の欠片も見せていない。
ーー負けない。
 サオリは覚悟を決め、怖いという思考を停止させた。クマオを握る手には力がこもったものの、それは仕方のないことだ。
「それではみなさん。まずはオーラを出してください」
 イノギンの周りの空気が少し揺れたような気がした。
ーーえっ? オーラ? なにそれ? 出し方わかんない。
 サオリは不安な顔でそっとミハエルを見上げた。ミハエルはそうなることがわかっていたようだ。目も合わせずに集中した顔で無言の問いかけに答える。
「沙織。オーラとは気のことだ。気を練れ。仙丹錬成呼吸法だ」
ーー気のこと? 
 言われてサオリは全てを理解した。アイゼンはそのことに気づいていたようで、すでに呼吸を開始している。サオリもさっそく仙丹錬成呼吸法を開始した。
 仙丹錬成呼吸法というのは体内に仙丹と呼ばれるエネルギーの塊を作り出す呼吸法で、仙術の基本だ。まず意識を落ち着けて腹式呼吸をおこない、ヘソの下にある丹田と呼ばれるツボに意識を集中させる。徐々に丹田が熱くなってくる。これが仙丹と呼ばれる気の塊だ。この仙丹をゆっくりと体内を通しておでこに上げていき、背中を通して肛門に下げて、一周させて丹田に戻す。こうして体内に仙丹を循環させながら気の量を増やしていく。
 サオリもアイゼンも幼少の頃から毎日欠かさずおこなっているのでお手のものだ。三十秒もすると体が熱くなってくる。
「ミハエルさんはさすが、もう十分な量が溜まってますね。俺より凄い。愛染と沙織さんはもう少し…、うん、それだけあれば足りるかな。それではみなさん、そのままオーラをとどめておいてください。それで俺の体のどこかに触れて。そうです」
 ミハエルとアイゼンはイノギンの肩に手を置いた。サオリは男に触る免疫がミハエル以外に対してない。少し躊躇したが、クマオを持っていない方の手でイノギンのスーツの裾を掴んだ。
ーーウヒョー。うーれしー。 
 イノギンは無表情でカッコつけた。
「初めてだと移動酔いをするかもしれないので目を瞑っていたほうがいいですよ。それでは行きますね」
 イノギンの一言で部屋の空気が変わった。自分の仙丹にガソリンで火をつけられた気がする。イノギンのオーラが混じっているのだろうか? サオリは酸素カプセルに入った時の高揚感を思い出した。
「プットー」
 イノギンはステンドグラスに描かれた六芒星のマークに手をかざした。
「ダビデ王の騎士団、井上銀次郎の名において命ずる。我がオーラに包まれている全ての者に、リアルカディアへ入る許可を与えたまえ。ダイバーダウン」
 言い終わると部屋全体が折り畳まれて一回転する。もちろんサオリは移動酔いがどうとか言われても好奇心が上回っているので目を開けていたが、まるでこの世の終わりかとでもいうような気持ちになった。なにか掃除機にでも吸い込まれたかのような、自分が部屋ごと雑巾のように絞られて裏返ってしまったかのような、そんな感覚だ。
ーーうわっ。
 サオリは結局、眼を瞑ってしまった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

サオリ・カトウ

夢見がちな錬金術師。16歳。AFF。使用ファンタジーはクルクルクラウン。

使用武器はレストーズ。

パパの面影を探しているうちに世界の運命を左右する出来事に巻き込まれていく。

カメ

「笑いの会」会長。YouTuber。韓流好き。

ニヒルなセンスで敵を斬る。ピーチーズのリーダー的存在。

映像の編集能力に長けている。

クマダクマオ

アルカディアから来たクマのぬいぐるみ。女王陛下の犬。

サオリのお友達。関西弁をしゃべる。

チャタロー

カトゥーのパートナーだった初代から数えて三代目。

『猫魂』というファンタジーを使って転生することができる。

体は1歳、中身は15歳。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み