第68話 Cosmos Identity (コスモスアイデンティティ)

文字数 4,717文字

 ボンキュッポンの紫ボディコン、頭くらい大きなお団子髪を結んでいる化粧の濃い美女が、しなを作ってサオリたちに近づいてくる。高いピンヒールのせいで、アイゼンよりもさらに頭ひとつ分高い。コスモスアイデンティティの店員だ。イラクサというらしい。最近わかったが、神の左目悪魔の右目を契約していないクリーチャーはほとんどおらず、リアルカディアでは名刺がわりにお互いのプロフィールを見合う。
「あーら、いらっしゃい。美しい二人組ねぇ」
「そうなんです!」
 アイゼンは元気に言った。イラクサが二人の顔を見て驚く。
「ま! ラーガちゃんと沙織ちゃんじゃないのん?」
「知ってます?」
 アイゼンがサオリを指差した。
「そりゃー知ってるわよーん。久々に現れた大物ルーキーだって、KOKの常連さんが噂してたわーん。ここにいるとわからないけど、今のリアルとアルカディアのバランスはかなり悪くなってんでしょーん。あなたたちには期待してるから、早く団員になって、じゃんじゃん平和な世界を作ってってねーん」
ーーアタピ、自分のことでまだそれどころじゃない。
「任せてください」
 アイゼンが自信満々に肯定したので、サオリも慌てて自分だけの特別なピースサインをイラクサに送った。
「さて、お二人がご来店したってことは、KOKの団服がもらえたってことなのかしら?」
「いえいえ。まだ私たちは見習いなんですよ。今回は沙織がアルキメストになった記念に、ジュエルを見にきたんです」
「確かにまだ二ヶ月経ってないのにKOKに入団なんて、いくら期待のルーキーでもそりゃないわよねーん」
「ジュエルって宝石?」
 サオリはアイゼンにたずねたが、イラクサが代わりに返事をする。
「そうよーん。インスタントジュエル。これさえ持っておけば、好きな時に服を一瞬で着替えられるようになるの」
「どんな服でも?」
「ここでスクラップさえしておけばね」
「スクラップ?」
「そ。あの奥がカメラ室で、あそこで写真に撮られれば、その時の服装がそのままインスタントジュエルに保存されるの。服を着替える時はジュエルにオーラを入れて「瞬着」というとその服装になれるし、「解除」というと元に戻れるの。もちろん掛け声は変えられるし、ポーズをとることで変身出来るカスタマイズもあるのよーん。ま、もちろんピッピはかかるけど」
ーーどんな服を着てどんな髪型でスクラップしよかな。
 サオリの頭はファッションのことでいっぱいになった。 
「まずは、こちらへどうぞーん」
 イラクサがしなやかに手を差し出して案内する。サオリたちは店の奥に向かった。途中、五枚の閉められた扉がある。先ほど説明にあったカメラ室だ。けれども今回はそこには入らず、一行はさらに奥まで進んでいった。
 行き止まりの部屋の扉を開けると、数々のガラスケースにおさめられた宝石が並んでいる。
ーーBT!
 鮫肌のエラと、口裂けのベロ。二体の美しい女性店員が出迎えてくれる。入口を挟んで、頭にトゲがあるクリーチャーと、三メートルはある屈強そうな猛獣型のクリーチャーが二体、座って話をしている。ボディガードであろう。安全面を考慮してプロフィールは見られない。
 イラクサはガラスケースの前まで案内した。
「愛染ちゃんたちはまだ若いからピッピもあんまり持ってないかしらん? だったらこんな可愛いのはどう? 一着しか入らないけどたった…」
 アイゼンはイラクサの話を遮り、一枚の紙を見せた。
「大丈夫です。オーダーメイドで予約をしています」
 イラクサは口に手を当てて恥ずかしそうな顔をした。
「あーらま! ちょっと失礼」
 アイゼンが出した紙を受け取ってじっくりと見る。イラクサはすぐに笑顔で対応した。
「わかりましたーん。すぐ取りに行って参りますねーん」
 奥の倉庫に消える。
「アイちゃん」
「ふふ」
 アイゼンは笑い、サオリの両手をぎゅっと握って腰をかがめた。アイゼンの手は細長く、柔らかく、温かかい。お互いのオーラが溶け合って、視線を通じて繋がっている。
ーー桃源郷。
 二人はずっと目をあわせ、蕩けるような気分を味わっていた。
「お待たせいたしましたーん」
 イラクサが帰ってきたのでアイゼンは立ち上がる。サオリも慌てて手を離した。だが、離そうとした手の片方をアイゼンは握ったままだった。
ーーえっ? 恥ずかしっ!!
 イラクサは特に気にしていない。
「こちらでお間違えはないですかーん?」
 普通に接客をしてくれる。持ってきたモノは、ハートが散りばめられた紙に包まれた小さな長方形の箱だ。
「それです」
 イラクサは赤い口紅まみれの大きな口を広げた。
「はーい。それじゃ、ピッピをピッピッ…と。ありがとーん。ついでにスクラップもしていく?  このままじゃ使えないわよん」
ーーでも…、時間ない…。
 アイゼンはサオリの潤んだ瞳を見て理解した。商品を受け取ってイラクサに言う。
「はい。でも私たち、今日は時間がないの。もう帰らないと。後日また来ます!」
「時間時間…。今日今日…。リアリストがいつも言ってる大事なやつね。私たちは時間という単位は知ってるけど概念がよくわからなくて。ほら、見てーん。あのクリーチャー爺ちゃんなんか、もうあなたたちの時間でいう二十年以上はあそこでしゃべり続けているし…。でもわかってるわ。お客様の気持ちに寄り添うことが店員の大事なお仕事ですからね! またのお越しをお待ちしておりますわん」
「こちらこそまた来られるのを楽しみにしてます!」
「アタピも!」
 サオリたちは挨拶をして店を出た。

 少し歩く。アイゼンは先ほど買った箱を取り出し、サオリに差し出した。
「沙織。遅くなっちゃったけど」
 箱を見ると、ハートに紛れてハッピーバースデーと書かれている。アイゼンを見上げる。目が合ってうなづく。サオリは目を輝かせてたずねた。
「開いていいの?」
「もちろん!」
ーーウッヒョー! バリバリバリ!! といきたい気分。
 包装紙を取っておくわけではないが、こういう時にビリビリとだらしなくは破けない。サオリはなるべく慌てないようにしてそっと包装紙を剥がして箱を開けた。中には花模様のブローチが入っていて、真ん中の花弁に大きな黒い宝石が埋め込まれてある。七箇所ある花びらの部分には、一箇所だけ紫色の宝石が埋め込まれており、他の部分には番号が振ってある。
「これ、インスタントな例のやつ?」
「そ。私とお揃いなの。使い方はね、宝石の番号に合わせて撮影室で衣装をスクラップして、瞬着したい時に触りながら番号を念じるだけ。修行用、普段着、レストラン用、パーティー用、戦闘用、アルキメスト用、変装用、なんて具合に。沙織はオシャレだから七個じゃ足りないかもしれないけど」
ーーどんなものでもいいよ。だって、忙しいのにアタピのために時間を使ってくれたんだもん。
 サオリはアイゼンが選んでくれたことを考えて胸が熱くなった。
「アタピ、これ、大事にする!」
「気に入った?」
 サオリは大きくうなづいた。アイゼンは包み込むようにしてサオリを抱きしめる。
「私だと思って、いつも肌身離さず持っていてね」
ーーうん。
 サオリはもう一度小さくうなづいた。その動きをアイゼンは見えていなかったが、胸にあたる感覚で全てを察した。アイゼンはサオリの綺麗で素直なつむじを見つめた後、もう一度サオリを抱きしめた。

 再び歩く。リアルへの帰途。サオリは思い出した。今日アイゼンと会いたかった本当の理由を。アイゼンは本当にアメリカに行ってしまうのか。行くのならなぜまだ教えてくれないのか。その質問をしようとしていたのだ。
 ただ、アイゼンの会話は面白い。ヤマナカとの修行やクエスト、アルキメストとしての心構えや便利な小技についてなど、役に立つ話をテンポよく感情豊かに話すものだから、ただただ夢中になって聞いてしまう。そして、その一挙手一投足がサオリのことを愛している、という気持ちにあふれている。アイゼンがアメリカに行ってしまうからといって、クリスタルによるダイバーダウンが使えるサオリにとって、そんなに距離が離れてしまうわけではない。ピッピもあるし、ただアメリカ行きのイコンを契約すればいいだけの話だ。
ーーうん。たぶんアイちゃんにとって、アメリカに行っちゃうって話はそんなに大事な話じゃなかったんだな。
 サオリは心の中でモヤモヤすることをやめ、今この時間を楽しむことにした。ゆったりとしたカーブが続くクリスタルパレス内の一本道を通って、リアルへのイコン、光の間にたどり着く。
「じゃあ、戻ろうか。沙織」
 サオリはうなづき、アイゼンが差し出した手をギュッと握った。
「ダイバーダウン!」
 アイゼンは一言唱える。
 次の瞬間にはいつも通り東京メソニックセンターの大広間に到着している。すでに二十三時を回っている。ミハエルに電話をかけると、「メソニックセンターで一部屋借りて仮眠をしていた」と言い、すぐに重い足音の軽い足取りがやってきた。ミハエルはアイゼンがいることに驚いた。
「久しぶりだな」
「ミハエル! 元気だった? こんな遅くまで沙織を借りちゃってごめんね」
 アイゼンは首をすくめて謝った。
「いや。お前が沙織を危険にさらすはずはない。むしろいつも感謝してるぞ」
「いやいや。感謝してるのは私の方。ミハエルがいるおかげで、私も沙織の顔が曇ってやしないか心配しないで修行できるんだもん」
 ミハエルは軽く笑った。
「もう夜も遅いし、送っていこうか?」
「えっ! いいの? ありがとう!」
 アイゼンは明るい顔でミハエルにしがみついた。ミハエルは車で来ていたのだ。

 車中、アイゼンはずっとミハエルと話をしていた。サオリはそれを聞いているだけだった。神谷町から四谷までは近い。夜。空いている道路。十分もかからずに車はアイゼンの家の前に止まった。
「ミハエル。ありがとう! それと沙織。会えてよかったよ」
 夜に輝く太陽の出番は終わりだ。これでまた、次にいつ光合成ができるのかはわからない。サオリは植物が光を求めるように助手席から身を乗り出し、いつのまにか、もう我慢しようと思っていた問いを口に出していた。
「アイちゃん。アメリカ行くの?」
「あっ。そういえば言ってなかった。私、九月からイェール大学に入学するんだった」
ーーだった? 
 その一言でサオリの仮説は証明された。
ーー嗚呼。やっぱアイちゃんにとって、アメリカに行くてことは大した問題ではなかったんだ。アタピにとって東大は最高峰だけど、アイちゃんにとってはもっと大学ランキングの高いイェール大に行く事でさえ大した問題じゃなかったんだ。
 サオリは自分とアイゼンとの格の違いを思い知ると同時に、やはり自分の最大の親友はそうでなくてはいけないと誇りに感じた。こんな質問をした自分の小ささがわかってしまって恥ずかしかったが、同時に自分自身も自分の卑小さがわかって良かった。
ーーそう。アルキメストになって少し調子に乗ってたけど、今のアタピはまだこんなとこ。
「ほら。東大受かった時もあまり興味なさそうだったし、ま、いっかなーと思っちゃってた。沙織、知りたかったの?」
 サオリは、右手の親指と人差し指の腹を限りなく近づけてウインクをした。アイゼンは車窓から身を乗り出しているサオリをギュッと抱きしめた。
「次はちゃんと言うね」
 アイゼンはサオリに頭をゆっくり押し付けてもう一度言った。
「一番に言う」
 サオリは胸の奥の方から、何か体に良い類の興奮する物質がゆっくりとにじみ出ているのを感じていた。その晩は、物心がついてから覚えていないくらい久しぶりに、深い幸せに包まれてゆったりとした眠りについた。
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登場人物紹介

サオリ・カトウ

夢見がちな錬金術師。16歳。AFF。使用ファンタジーはクルクルクラウン。

使用武器はレストーズ。

パパの面影を探しているうちに世界の運命を左右する出来事に巻き込まれていく。

カメ

「笑いの会」会長。YouTuber。韓流好き。

ニヒルなセンスで敵を斬る。ピーチーズのリーダー的存在。

映像の編集能力に長けている。

クマダクマオ

アルカディアから来たクマのぬいぐるみ。女王陛下の犬。

サオリのお友達。関西弁をしゃべる。

チャタロー

カトゥーのパートナーだった初代から数えて三代目。

『猫魂』というファンタジーを使って転生することができる。

体は1歳、中身は15歳。

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