第85話 MInori Holari (保刈成穂)

文字数 5,186文字

 次の日、サオリはすっきりと目が覚めた。ベッドカバーを持参したことがよかったのかもしれない。クマオも起きている。必要以上にぬいぐるみになろうとしているのだろう。ハエの鳴くような声で「おはよう。今日も冒険日和やな」と言い、ベッドに腰掛けているサオリの腕を叩いてきた。

 十分前には支度を終え、クマオ入りリュックを背負い、キャリーケースを転がして部屋を出る。
ーーまーぶしっ。
 やはり太陽の光が東京とはちがう。外ではギンジロウが、ミートパイを片手に立ち話をしていた。若い黄色人。三十代であろう。細身でいながらも、がっしりとしている。長袖の白シャツ、ジーンズという、簡単ないでたちだ。現地の人間なのか、日に焼けている。笑顔がシワだらけなところが、爽やかで可愛い。
 キャリーケースを転がす音で、二人はサオリに気がついた。
「おはよう!」
 日本語だ。男は随分と人懐こい。
「おはよ」
 サオリも挨拶を返した。
 ギンジロウの「おはよう」は、口の中で反響し、サオリの耳にまでは届かなかった。第三者の前で、サオリに好意を持っていることがバレたくないがゆえの声の小ささだ。
 男は、サオリに握手を求めた。
ーー握手……。
 サオリは、こういう行為があまり得意ではない。だが、差し出された手を拒むほどの気持ちはない。手の皮がゴツくて力強い。
「ドーラ会から紹介されたガイドの保刈成穂です。ドーラ会の皆さんにはいつもお世話になっております。今回も利用してくれてどうもありがとう。宿泊場所や車の手配、運転、全て私にお任せください。もちろん、秘密も厳守しますよ」
 ギンジロウがレンタルした車は、ついさっきキャンセルをしてくれたらしい。
ーー頼もし!
 荷物も全てミノリが積み込み、車はスムーズに出発の時を迎えた。

 ミノリが運転してギンジロウは助手席。サオリは後部座席に揺られる。ギンジロウは、サオリと一緒に後部座席に座りたかったが、どうしても言い出すことができなかった。
 高速道路は東京のものほど滑らかな路面ではないが、揺れに強いタイプの4WDに乗っているので、あまり気にならない。
ーーたぶん、カメなら車酔いする。
 そのくらいの揺れ方だ。
 ミノリは落ち着いた喋りかただが、よく通る声で、よく喋ってくれる。あまり話さないサオリと、話題が思い浮かばないギンジロウにはありがたい。
 彼は元々、貿易の仕事をしていたらしい。ところが、ウルルの広大さに魅せられて、オーストラリアに移住してきたそうだ。
「久しぶりに話せる日本語が嬉しくてねー」
 陽気に運転しながら、ウルルについて話してくれる。
「オーストラリアはどうです?」
「シドニやキャンベラと違って、アリススプリングスは、思ったより白人が少なかったな」
「そうですねー」
 ミノリは前を向いたまま話す。
「でも、つい三百年前までは、アボリジナルと呼ばれている先住民族しかいなかったんですよ。日本だと江戸時代ですね」
ーー江戸時代。古っ。
「彼らは、自然と融合して、のんびりと生活していたそうです。けれども、自然と共に暮らしていると、機械文明は発達しません。文明がなければ、人間はただの動物。猿と同じです。それで幸せでした。ところが」
 ミノリは険しい顔をした。
「イギリスがやってきて、オーストラリアを植民地に認定してしまったのです」
ーーあらー。黒船来航は1853年だから、それより百年も前にかー。
「アボリジナルは機械文明がないので、軍事力が弱い。簡単に征服されてしまいます。そもそも誰もが国という単位で物事を見ていませんでした。そして、当時のイギリスのお国事情がまたひどかったのです」
ーーあれ? 涙ぐんでる?
 ミノリは純粋な男だ。感傷にひたりながら話を続けた。
「当時のイギリスには、アメリカ大陸に島流し、という刑罰がありました。ところがアメリカは、独立戦争に勝利してしまいます」
ーー1775年~1783年だっけ?
 サオリは教科書を覚えているので、すぐに年号が出てくる。
「そうなると、島流しにする場所がなくなってしまう。どうしようと考えた時に、植民地で、未開発地であったここ、オーストラリア大陸に送ることが決定したのです。つまり、十八世紀後半のオーストラリアは、イギリスから囚人がたくさんいました」
ーー「力のあるものだけが決定権を持つ」か。仙術で教わった。けど、話を聞くとヒドい。
「十九世紀に入ると、ヨーロッパの国は、お互いの軍事力が強くなりすぎてしまいました。領土を拡大しようにも、戦争をしなければいけない。戦争には、たくさんのお金が必要です。そんな時、オーストラリアでは、金が発掘できるということがわかりました」
ーー運わるっ!
 ミノリのハンドルを握る手に力が入る。
「アメリカのゴールドラッシュのように、オーストラリアにもたくさんのイギリス人が移住してきました。彼らは、この新天地で好き勝手に暴れまくりました。オーストラリアの生物は九割以上が殺され、たくさんの種族が絶滅しました。アボリジナルも人間とはみなされず、たくさんの人がイギリス人の奴隷にされました。逃げ回るアボリジナルを何人殺せるかという遊びもされていました。人間が欲望のままに生きるということは、ひどい結果をもたらします。
ーー世界全体の平和を考えないで、自分たちだけ、なんて国境を作るから、人のものを奪おうと思っちゃうんじゃないのかな……。
 サオリは、「人間は動物だ」ということを仙術の勉強で知ってはいた。けれども、残酷な話の具体例を聞くと、やはり悲しい気持ちになる。路上で通り魔が、とか、電車で痴漢が、とかいう、少数の特別な獣人間の話ではない。
ーー多数の普通のイギリス人が、楽しみで人や動物を殺すのが常識だった時代があっただなんて。
 憤りが体内に充満して、破裂してしまいそうだ。その一方で、人や動物を殺すことにこんなにも憤りを感じているのに、動物を食べている自分はなんなんだ、という疑問も感じた。
ーー動物愛護協会の中には、「動物を食べるな」と言いながら人を傷つけ、「植物は食べてもいい」という人がいる。けど、可哀想でいえば、人も植物も可哀想だ。「感謝して食べればいい」というが、自分が「感謝されながらだったら食べられてもいいのか」と思うと、何か違う。
 サオリの頭の中では、普段考えない常識の矛盾がグルグルと回り続けた。
 一方、ギンジロウは、錬金術師としての経験はもう三年になる。何度も理不尽な経験を積み重ねていたので、力があるモノが強いということは、常識に染みこんでいた。
「力を持つ者は責任を持たなければならない」。
 師匠であるヤマナカの教えだ。
ーー絶対に、自分の力で、震える沙織を守ってやるんだ。
 ギンジロウはバックミラーをチラ見しながら、強い決心を再度固めた。
「けどね、人間が現在まで、ずっと動物的で残酷だった訳ではないんですよ」
 荒野を延々と車で進みながら、ミノリの話は救いのある現代へと続く。
「オーストラリアはこのような悲惨な歴史があったので、五十年ほど前から、どこの国よりも人権が尊重されるようになっていったのです。奴隷制度も廃止になり、人間は全て平等だということを徹底するようになりました。いま私たちが向かっているウルルも、アボリジナルの聖地だったにも関わらず、少し前までは、エアーズロックなんて呼ばれていたんですよ」
ーーエアーさんの岩! またイギリスの偉い人!! 人の名前をつけるて、イギリスの文化なのかしらん。
 ミノリは興奮している。
「それを、時のオーストラリア首相、ケビン・マイケル・ラッドさんが、アボリジナルに謝罪し、ウルルをアボリジナルに返還し、観光地であるにもかかわらず、登山禁止にしたのです。
ーーえー、観光地ならお金儲かってただろうに。でも、今ある儲かることを、他人の人権を守るために捨てるなんて。なんて誇り高い首相なんだろう。
 サオリは感激した。ミノリも誇りたかい顔だ。
 教科書を丸暗記しているので、大航海時代や、アメリカ独立戦争や、植民地の話はもちろん知っている。だが、支配する人たちの歴史の陰には、支配される人たちの歴史もあった、ということは知らなかった。サオリはこの地で、この地に生きている人に聞いて、初めて生きている知識として肌で吸収した。

 エルドゥンダという、ドライブインのような場所で一息ついた後も、ミノリの話は続いた。今度は歴史ではない。地形だ。ミノリは窓を開け、遠くを指さした。
「ほら。さっきから、山のように大きな岩がいくつも見られるでしょ? それらは、地面の下でウルルとつながってるんだよ。とてつもなく大きな一枚岩なんだってさ」
 ミノリは、オーストラリアの壮大さを語るとき、本当に嬉しそうだ。
ーーその一枚岩て、地球とくっついてるんだよね? そうなると、一番大きいてなんだろ? 海から出てる高さ? 陸からの高さ? 見えてる高さ?
 こうなると、もはやどうでも良いことのように思えてくる。
ーー日本は、六畳ほどの小さな島をコンクリで囲み、沈まないようにして自分たちの領土を主張してるて聞いたことがある。中国はもっとひどい。自分の領土でもない、海面から出てもいない岩に土をかぶせ、その上に軍事基地を作ってしまった。
 自分たちの国から二百海里が自分たちの領海だという国際ルールのために、島の存在を主張しているのだ。
ーーこうして考えると、何かがあるとか、何かが大事とか、何かが大きいなんて、誰かの想いひとつで簡単に変わるもんだな。クルリンもそうだ。アタピにとってはただの形見なのに、シェンシェーは盗んだもんだて言うし。S3ランクのお宝だなんて、誰かが決めるから狙われちゃう。
 ウルルまでの道程は、五百六十キロと長い。ギンジロウが助手席に座ってくれたので、サオリは後部座席に一人腰掛けながら、知識と知識を繋げる時間をたくさん持つことが出来た。
 普段のサオリの毎日は忙しい。こうしてのんびりと、自然の風を浴びながら様々な問題に思考を巡らせる作業は、頭の中に詰まっているただの知識に命を与えているように感じた。サオリは有意義な時間を過ごしているなと思いながら、揺れる後部座席で、砂漠と低木と大岩しかない風景を眺めていた。クマオも気づかれないようにリュックから這い出し、サオリの懐で一緒に外を眺めていた。
 風の音がする。
 クマオは、サオリにしか聞こえないくらいの声で、そっとつぶやいた。
「アルカディアでの冒険もよかったけど、これはこれでええな」
 サオリは返事をせず、ただクマオの後頭部にある縫い目をそっとなぞった。

 途中、さらに一回、小さな休憩所に立ち寄り、後は、ただひたすらまっすぐに高速道路を走っていく。最初は楽しかった車の旅。けれどもさすがに、荒れた砂地と枯れた低木、ひたすら見える地平線だけだと飽きてくる。お尻も痛い。
 考え疲れたのだろうか。サオリはいつの間にか眠っていた。夢を見た。草むらから出てきたヘビが噛みついてきた時、少年が助けてくれる夢だ。助けてくれた少年は言う。
「沙織。まったくお前は。俺がいねーと、なんにもできねーな」
「××××!」
 ……。
「沙織。街が見えんで」
 クマオの声で目が覚めた。代わり映えしない景色が続いていく中、やっと代わり映えった景色に出会えたからだろう。クマオの引っ張る腕は軽快だった。
 車の中は静かだ。ただ、エンジンの音だけが聞こえる。運転しているミノリはもちろん、ギンジロウも起きている。時計を見ると十六時二十分。サオリが起きたことに気づいたのか、ミラー越しにミノリは言った。
「もうすぐ到着しますよ」
 ギンジロウは、到着するまでサオリが寝ていてくれたらと思った。「ついたよ」と言いながら揺り起こしたかったのだ。触れる機会を逃した。
 サオリは、そんなことには気づかず、辺りを見回した。荒野の隣には、オアシス程度の小さな街がある。
「ここ、どこ?」
「ユルル。別名、エアーズロック・リゾートという基地です。ウルルから二十キロと少し離れていますが、ここが宿泊地としては一番近い場所です」
ーー到着?
 道路の行き手には、遠くキャラメル程度の大きさで、ウルルが荒野に落ちている。
「今日はウルルに行かないの?」
「はい。待ち合わせ場所は、ここのセイルズ・イン・ザ・デザートというホテルの一階、イルカリというレストランです。私がチェックインを済ませますので、到着しましたら、車の中でお待ちください」
 道路を左に入ると、ユルルに到着する。大きなロータリーに沿って、幾つかのホテルや、重要施設が並んでいる。町ともいえないくらい小さな街なのに、警察署や消防署まである。
ーーおもちゃの街みたい。小さければ小さいで、また面白そ。
 サオリは窓にしがみつくようにして、街の景色を見逃さないようにした。
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登場人物紹介

サオリ・カトウ

夢見がちな錬金術師。16歳。AFF。使用ファンタジーはクルクルクラウン。

使用武器はレストーズ。

パパの面影を探しているうちに世界の運命を左右する出来事に巻き込まれていく。

カメ

「笑いの会」会長。YouTuber。韓流好き。

ニヒルなセンスで敵を斬る。ピーチーズのリーダー的存在。

映像の編集能力に長けている。

クマダクマオ

アルカディアから来たクマのぬいぐるみ。女王陛下の犬。

サオリのお友達。関西弁をしゃべる。

チャタロー

カトゥーのパートナーだった初代から数えて三代目。

『猫魂』というファンタジーを使って転生することができる。

体は1歳、中身は15歳。

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