第83話 Alice Springs (アリススプリングス)

文字数 4,124文字

 東京メソニックセンター大広間。サオリとクマオとギンジロウは、六芒星が描かれたステンドグラスの前に立っていた。毎日のように使用しているこのイコン。今日はリアルカディアに行くのではない。行き先はオーストラリア、アリススプリングスだ。
 アリススプリングスへダイバーダウンするには、受け入れ先からの許可と、契約料の20万ピッピが必要である。それだけではない。一回ダイバーダウンするたびに10万ピッピ、往復で20万ピッピだ。瞬時にオーストラリアにたどり着けると思えば確かに安い。だが、サオリはピッピに余裕が無かったので、今日まで、アリススプリングスへ行くための予行練習ができなかった。
ーーリアルカディア以外にダイバーダウンするの、初めて。
 サオリはコブシを握りしめていた。ギンジロウがメソニックセンターの奥の部屋から、自分とサオリのキャリーケースを転がしてくる。前にこっそり家から持ちだしておいたものだ。旅行道具がすべて詰まっている。
「それでは、ダイバーダウンを開始しよう。準備はいいですか?」
「おう!」
 クマオは、リュックから顔を出し、大きく手を上げて叫んだ。
ーーうん!
 サオリは、リュックの掛ける部分を握りしめながら、強くうなづく。
「プットー。結界。アリススプリングスメイソンホールまでダイバーダウンを」
 オーラを高める。サオリも、七十日前とは違う。ダイバーダウンをする程度のオーラなら、意識をせずとも簡単に上げることができる。
「確認いたしました。井上銀次郎、加藤沙織、クマダクマオの三体でよろしいですか?」
「ああ。頼む」
 ギンジロウはうなづき、六芒星のイコンに手を触れた。サオリは、ギンジロウの袖と、自分のキャリーケースをつかむ。
「フリーメイソンリーアリススプリングスメイソンホールに接続いたしました。あちらのイコン付近に、まだクリーチャーが存在しています。もう少しお待ちください。………………。いなくなりました。それでは、アリススプリングスへ接続します。ダイバーダウン」
 空間が反転する。軽いめまい。いつものやつだ。気がつくと、まったく違う空間にいる。
ーーこんな不思議なことにも簡単に慣れるなんて。人間て、こういうとこが、他と違って、地球で一番強い生物でいられる理由なのかもなー。
「うおー。またすぐこんな場所着いたでー。何度してもごっついなー。もう、ギューなって、カーなって、バーいうて」
「成功しました。終了いたします」
 リュックから顔を出して騒いでいるクマオとは対照的に、サオリはいたって冷静になった。なんせ、初めての場所なのだ。今いる場所の確認をしなければならない。サオリはあたりを見回した。
ーー教室?
 古い木造の小さな建物の一部屋。大きさは、東京メソニックセンターの大広間と同じくらいだ。ホールという割には狭い。二十人も入らないだろう。壁には、ピラミッドに目が描かれたタペストリーが貼ってある。ここのイコンだ。目の前には、乱雑に椅子が並んでいる。後方には観音開きの扉。壁には大きな窓。白いカーテンがかかっている。外は晴れていそうだ。
ーーここがオーストラリアか。気温は日本とそんな変わんない。日本とオーストラリアは時期が正反対。今、日本が五月だから、十一月くらいの気候だ。ちょと、空気が乾燥してる。
 ギンジロウはつい最近、下調べにきていた。特に気にせずスタスタと、観音開きの扉に向かって歩いていく。サオリもトランクをひきながら、後をついて歩いていった。
ーーうわぁ、眩しい。
 扉を開けた。日差しが東京より強い。時差は三十分。今は二時前のはずだが、まるで寝起きの日差しのようだ。高い建物がないので、直接日差しが降り注いでくる。やはり東京とは違う。住宅街にいるのだが、ほとんどが砂色をした平屋だ。道路が広く、整備されていない。緑が少なく、芝生はほとんど枯れている。遠くには丘が見えるが、やはり枯れ草色だ。
ーーうーん。地味な景色に映える色。
 サオリは、この景色に合う服装を考えはじめた。キャリーケースには、毎日少しずつ詰めこんだ服が入っている。サオリにとって、可愛くあるということは、他の何よりも優先されるのだ。
 ギンジロウは老人と英語で話している。麦わら帽子に長い顎髭、丸メガネをかけた細長い男だ。
ーーもしかして、案内役?
 ギンジロウはお礼を言っている。
「ありがとうございます。お世話になります」
「いやいや。たった一日ホールを貸すだけで、二千ドルももらえるんだ。おかげで今日の夕食は、スポーティーで、豪勢にオージービーフでも堪能させてもらうよ」
「はい。また五月六日に借りることになると思います。よろしくお願いします」
 どうやら老人は、このメイソンホールの持ち主のようだ。
ーーしかし、二千ドルて十五万円? もう一度借りたら三十万円? これ、アタピも少しは払わないと? けど、オーストラリアドルは三百ドルしか持ってないし、日本帰っても、貯金二十万円くらいしかない……。
 サオリは、早くも自分のお金が枯渇してしまうことに、焦燥感を隠しきれなかった。老人は、ギンジロウの後ろでうつむいているサオリに気がついた。
「おや?」
 老人は、こんなところに少女がいることに驚いたようだ。
「妹かい?」
「エスゼロ」
 サオリは、シワだらけで垂れた目を見つめて、自己紹介をした。肌が日に焼けていて、歯はボロボロだ。
「ほっほっ。かわいいな」
「知ってる」
 老人がさらに話そうとしたところで、ギンジロウが間に入る。
「深く詮索をしないという約束のはずです」
「ああ、そうだった。ひとさらいだったら困ると思ったが、マルドラの紹介なのだからそんなはずないな。危ない危ない。一週間後の豪勢なディナーが無くなるところだった」
 老人は、ほとんど歯のない顔で笑った。大人のあどけない表情が、東京に生きているサオリには新鮮だ。つい笑みがこぼれた。
ーー身分を明かすのは危ないとあれほど言っているのに。自分から名乗っちゃダメだろう。
 ギンジロウだけは、二人を見ながら笑っていなかった。

「これからどこ行くの?」
「メイソンホールに二部屋とってるので、まずは荷物を整理しよう。あ、沙織さん。日本との時差が三十分あるので、時計を直しておいてください」
 サオリは、時計を直しながら耳を傾ける。
「今日の予定は特にありません。車を借りたり、体を気候に慣らしながら、明日の早朝に備えましょう」
「急がなくていいの?」
 サオリは、自分の立てたスケジュールに穴がたくさんあったことには気がつかなかった。 
「ええ」
 ギンジロウは特に突っ込まない。そういうところも可愛いと思っているからだ。
「ここから集合場所のユルルまでは、急いでも六時間以上かかる。今から行くと、到着するのが真夜中になってしまうんだ」
ーー二十時ごろ? 悪いかな……。
 サオリの不思議そうな顔に答える。
「この辺りは砂漠地帯が続くから、夜になんらかのトラブルで車が止まってしまったら、死んでしまうかもしれない。しかも、案内してくれる人に連絡をしなくてはいけなくなるしね。なので、今日はここに泊まることになります」
ーー言え。言ってしまえ。
 ギンジロウは極めて自然に言えるように努めて、そのまま話を続けた。
「沙織さんはどうします ? い、一緒に手続きとかやりに行きますか?」
 サオリは、外国での車を借りる手続きの仕方に興味があった。
ーーんー、けど、この街、面白そ。クマオとあちこち探検したい。
 どちらかを考えた末、後者をとった。外国に一人でいるという実感が欲しかったのだ。
「アタピ、一人で散歩してきたい」
 ギンジロウは一緒にいたかったが、誘い方に失敗したと思った。
ーーあー、もっと自然に、当然一緒に行くもの、という言い方をすればよかった。
 時間は戻らない。けれども、タダでは転ばない。サオリにたいする心配から、次の策を思いついた。
「もちろんです。た、ただ、一人で何かあった時に危ないので、一対の羽だけ、プットーに入れておいてもらえる?」
「なにそれ?」
「一対の羽は、危険があった時に、沙織さんの場所に瞬時に移動できるウイッシュです」
「それ、行動を監視されたりはしちゃわない?」
 サオリはなんだか首輪をつけられているようで、窮屈を感じることを危惧した。それに関しては、ギンジロウは自信をもって答えることができる。
「もちろん。沙織さんが俺の名前を唱えない限り、俺は沙織さんの居場所もわからないし、飛ぶこともできません。それに何より、俺自身が絶対にしないと誓います」
ーーなんせ、沙織さんから信頼を失いたくはないからな。
 ギンジロウは、怪しまれたことにたいして、少しだけ気分を害した。
ーー確かに今まで、ギンさん、アタピに、悪いことを一度もしてない。
 サオリは、警戒している態度をとったことを反省した。
「ごめんなさい」
ーー嬉しい!
 やましい気持ちがゼロではなかったので仕方がないと思っていたギンジロウの機嫌は、サオリが謝ってくれたことですぐに治った。
「いいんです。それじゃあ沙織さん。Pカードを出してください」
 サオリは空中にPカードのウインドウを開けた。
「プットー。俺の羽を一枚沙織に」
「かしこまりました。……こちらでよろしいですか?」
ーーあれ? もうすでに一対の羽が契約されている?
 ギンジロウは疑問に感じた。もちろん、誰と結ばれているのかを見ることはできない。
ーー沙織さん、誰と契約してるんだろう? モフフローゼン様もみどりも、リアルカディアから出てこないだろうし……。愛染? だったらいいけど……。
 一度考えると簡単に最悪の思考にまで到達する。
ーーもし俺の知らないアルキメストとつきあってたりしたら……。いや、でも、こんなクエストに一緒に誘ってくれるほど、沙織さんは俺を信頼してくれている。それに、訓練に忙しくて、他のアルキメストと会う時間なんてなかったはずだ。そんなはずは絶対ない。でも……、じゃあ何で……。
 嫉妬していることに気づいたギンジロウは、動揺していないフリをして契約を終えた。もちろん、誰と契約をしているのかなんて聞けない。ただモヤモヤだけが頭の中に残り続けた。
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登場人物紹介

サオリ・カトウ

夢見がちな錬金術師。16歳。AFF。使用ファンタジーはクルクルクラウン。

使用武器はレストーズ。

パパの面影を探しているうちに世界の運命を左右する出来事に巻き込まれていく。

カメ

「笑いの会」会長。YouTuber。韓流好き。

ニヒルなセンスで敵を斬る。ピーチーズのリーダー的存在。

映像の編集能力に長けている。

クマダクマオ

アルカディアから来たクマのぬいぐるみ。女王陛下の犬。

サオリのお友達。関西弁をしゃべる。

チャタロー

カトゥーのパートナーだった初代から数えて三代目。

『猫魂』というファンタジーを使って転生することができる。

体は1歳、中身は15歳。

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