<Rock End Credit Roll> 映画監督は映画に映らない
文字数 5,138文字
イギリスのとある事務所で電話が鳴る。スタイルの良い壮年が受話器を取った。束ねた金髪が美しいが、目の下には珍しくクマができている。ヘンリー・ムーアだ。
「はい。ムーア法律事務所です」
「俺だよ、俺。カーッカッカッカッカ」
この乾いた高音の笑い声。ヘンリーは、一声で相手がわかった。
ーーちょうどいい。ただ指示に従うだけではない。しっかりと主張もするというところを見せつけねばと思っていたところだ。
ヘンリーはぶっきらぼうに返事をした。
「どうしたのですか ?」
相手はまったくヘンリーの気持ちに寄り添わず、自分のペースを崩さない。
「なーに。例の闇の女王の件、足取りを掴んでいるのかを知りたくてな」
「手持ちのロスチャイルドの駒が、総出で捜索しております。方角は分かっているので、すぐに見つかるでしょう」
「そうかそうか。カーッカッカッカッカ。彼女を使えれば、さらに面白い計画を立てることができる。楽しみにしてろよ」
「待ってください」
ヘンリーは、切ろうとされた電話を止めた。
「説明して欲しいことがあるのです」
「なんだ ?」
相手は面倒くさそうに答える。
「次回の作戦は楽しみにしております。あなたへの信頼も揺らぎません。ですが、どうしてあの時、エスゼロ(加藤沙織)を助けに来てしまったのですか。説明をお願いします。ミスター・ヤマナカ」
電話の相手、山中は、観念した、という溜息をついた。
「分かった分かった。で、何を説明して欲しいんだ?」
ヘンリーは長い舌で、乾いた自分の唇をひと舐めした。
「はい。そもそもは、私がエスゼロの能力を奪い、C3(クルクルクラウン)を発動させ、ワールドゲートを固定。何人もの屈強なアルカディアン兵士を手に入れ、その武力を背景に世界の権力を握ろう、というのが、今回の計画だったじゃないですか。だというのに、なぜあなたはエスゼロ達の味方をしたのですか ?」
山中は少し黙って、すぐに返事をした。
「なるほど。それは説明が足りなかった。あの計画の変更には、仕方がない事情があったんだよ」
「いや。あの時に、あなたが私たちの味方をしてくれたら、きっと今頃、計画は成功していたでしょう」
「ふむ…。そう思ったか ?」
「逆に、そう思わない方がおかしくありませんか?」
「お前ですら、そう思ってしまうのか。カーッカッカッカッカ」
「笑い事じゃありませんよ」
「いや、悪い悪い。しかしな、俺が聖地にあらわれた時には、すでに計画は失敗していたんだよ」
「どういうことですか ?」
「そもそも、なぜ俺があのタイミングであらわれたのか、不思議じゃなかったか ?」
「不思議でした」
ーーだから聞いているんですよ。
ヘンリーの気持ちなどつゆ知らず、山中は相変わらず楽しそうだ。
「順を追って説明していこう。まず、俺がなぜ聖地に行ったのか。正解は、ラーガ・ラージャ(藤原愛染)がエスゼロに『一対の羽』を埋め込んでいたからだ」
「しかし、あの二人は親友です。『一対の羽』を仕込んでいてもおかしくはないですよね ?」
「うん。それが見抜けなかった」
「なぜですか ?」
「ヘンリーは、あの二人の仲を知らないだろう ?」
「だから。親友ですよね ?」
「うん。だが彼女たちは、お互いを助けたいとは思うが、相手に助けられたいとは絶対に思わないタイプの親友だ。特にエスゼロは、ラーガ・ラージャに対して強烈なライバル心を抱いている。『一対の羽』は、お互いの同意がないと埋め込めないウィッシュだ。しかも彼女たちは、錬金術師(アルキメスト)になってからまだ日が浅い。ウィッシュのことを細かく知る時間はない。よって、その可能性はないと思っていた」
「ではなぜ、彼女は仕込むことができたのですか ?」
「それが驚くことに、彼女は何の同意もなく、エスゼロのPカードに『一対の羽』を埋め込んだんだよ。ストーカーが相手のスマホに位置探索アプリを入れるように強引に、な。カーッカッカッカッカ」
「そんなことが出来るんですか?」
「心が通い合っていれば出来るだなんてバカな話だと思うが、それが出来たから驚いている。もし俺がAD(ドリームメーカー)だったら、新しい研究結果だと小躍りしているだろうな。カーッカッカッ」
「しかし、じゃあ、その、『一対の羽』が仕込まれていたのは仕方がないとして、なぜ、あのタイミングで発動したのですか ? あれは、エスゼロ側から呼びかけない限りは発動しないはずです」
W『一対の羽 -神は二人を離さない-』とは、お互いの同意がある場合にPカードを重ねて契約するタイプのウイッシュだ。相手の呼ぶ場所へ瞬時に向かうことができる、という効果がある。
この、「呼ぶ場所」というところがミソだ。いつでも行けるわけではなく、呼ばれない限りは向かうことができない。どんなにピンチでも、このウイッシュがPカードに仕込まれていることを知らない沙織が愛染を呼ぶ事はない。
「うーん。だが発動した。ということは、おそらくエスゼロは、無意識にラーガ・ラージャを呼んだのだろうな」
「…なるほど。それでラーガ・ラージャが危険を知って、こちらへ来た、と」
「そういうことだ」
「都合が良すぎますね」
「俺もそう思ってビックリしたよ。カーッカッカッカッカ」
ーーまだ聞きたい事は残っているんだ。
ヘンリーは質問を続けた。
「でもなぜ、あなたが来たのですか ? ラーガ・ラージャ一人なら、私たちで充分、始末することができました」
「そう。だが奴は、自分一人で行ってもエスゼロ側の状況が打開できないということを知っていた」
「なぜです ?」
『一対の羽』は呼ぶだけのウイッシュなので、呼んでいる相手がどのくらい危険なのかは分からない。普通なら、呼ばれてピンチだと思ったら、自分だけですぐに向かってしまうはずだ。
「それは、パドアラームのせいだ」
「パドアラーム ? エスゼロが押したというのですか ?」
GHF『パドアラーム』は、離れた相手に自分の状況を知らせる時に使う、簡易的なホープファンタジーだ。自分の弟子や子供に持たせることが多い。キャラメル箱程度の大きさで、ボタンが一つついている。ボタンを押すと位置が送信され、後はボタンを押す回数によって危険度を知らせることができる。
科学力によって作れる程度の機能しかないので、修行中のドリームメーカーが練習として作る場合が多いホープ・ファンタジーだ。
「いや。ボタンを押したのはクマオだ」
「クマオ ?」
「ああ。あの、いつもエスゼロが持っているぬいぐるみだ。後で聞いたところによると、ラーガ・ラージャは、エスゼロが何か隠していることを見抜いていたらしい。だが、エスゼロ本人に言っても仕方がないから、何かピンチが会った時には教えてくれと言って、あのぬいぐるみにパドアラームを渡していたというわけさ」
「あのぬいぐるみは、アルカディアンじゃないんですか ?」
アルカディアンはファンタジーを使えない。その代わりに、ファンシーやウイッシュを使うことができる者もいる。一部例外はあるとはいえ、これは錬金術師の一般常識だ。
「んー。不思議生物、というしかない。カーッカッカッカッカ」
山中は笑って応えた。
ーーなるほど。様々な不確定要素が混ざっている。これが今回の作戦失敗の原因か。
それでもヘンリーは、自分も、山中より優れた作戦能力を有する部分があるということを認めてもらいたかった。なんせ、Sランクの錬金術師なのだ。それなりにプライドもある。
「それでこちらの状況が分かってしまっても、あなたが行かないと言い切れば、結局、ラーガ・ラージャも一人で来ざるをえなかったのではないでしょうか ?」
「俺も行き渋れば、ラーガ・ラージャ一人で向かうと思っていた。もし一人で行かなくても、少なくとも時間を稼げるとは思っていた。だが奴は、俺が少しでも遅らせようとした途端、KOKの他の団員に呼びかけて助けに行こうとしやがったんだ」
「そんなことをしたら、エスゼロが規約違反を犯しているということがバレてしまいますよ」
ヘンリーは驚いた。今回の作戦は、エスゼロに規約違反を犯させて、KOKと連絡を取らないようにさせることが肝だ。この部分は山中ではなく、ヘンリーが自(みずか)ら考えた。
ラーガ・ラージャがKOKに話すということは、今後、エスゼロがリアルカディアに入ることができなくなる、KOKに入団することもできなくなる、ということだ。
ーーまさか、親友なのにそんなことを !
「そう。だからしないと思っていたが、奴はなんの躊躇(ちゅうちょ)もなく助けを求めようとしていた。あと三秒、俺の決断が遅ければ、必ず奴は、他の団員に助けを求めていただろう。そうしたらKOKが何人も来て、お前もきっと聖地から逃げることができなかった」
「なるほど…」
「さらに俺は、ラーガ・ラージャだけを先に聖地に送り、後について行くふりをしてギリギリで辞める、という計画も立てようとした。だが、俺が二秒ほど行き渋った態度を見て、何か怪しい可能性もあると感じたのだろう。奴は自分より先に、入団試験の監視用に浮かんでいた、アルゴスの『フライングアイ』を持っていきやがった。そうすることで逆に、俺の態度は監視されることになったのだ」
アルゴス。百の目を持つ巨人。アルカディアン。ダビデ王の騎士だ。彼のW『フライングアイ』は、見た景色を本人に繋げる。
「そうなると、助けに行かない場合はKOKからも疑われますね。しかし来てから、『フライングアイ』ごと奴らを皆殺しにすることはできなかったのですか ? 確か『フライングアイ』は、後方は見えませんよね ?」
「もちろん考えたさ。そして聖地の状況を見た。まず作戦通り、ワールドゲートが開いていた。イノギン(井上銀次郎)は負けそうだった。だが、予定外のジョットがいたことと、エスゼロが死にそうだったところがまずかった。俺の計画では、エスゼロを生かしておかなければ、今後、再びワールドゲートを開くことができなくなる。そうなると、大山鳴動させておいて魔物一匹しか収穫がない、という成果になってしまう。その上、ジョットだ。見た事はないが、自分の半径百メートル以内の全ての人間を瞬殺できるほどの大技を持っていると聞いたことがある。もしエスゼロが死んでしまったら、奴は、躊躇(ちゅうちょ)なくその技を繰り出すだろう。俺は、それが怖かった」
「あなたほどの錬金術師でも怖いのですか?」
「ああ。ファンタジーには相性がある。俺のファンタジーは、『雷霆ケラウノス(ジョットのSDF)』と相性が悪い。勝てるかもしれないが、負けた時は全てを失う。そんな賭け事は避けたかった」
「なるほど」
「結果、エスゼロに味方した方が、 KOKや弟子からの信頼も厚くなる。魔人も殺しておいた方が、無駄に目立たずに済む。そう結論づけた。目立つ行動をとる時には、すでに手遅れと言えるほどの軍事力を持っていなければ、他の権力にやられてしまう。圧倒的な軍事力の確保。それまでは静かにコトを運ばなければならない。だから今回はエスゼロに味方した。お前なら、こんなことは、説明せずとも分かっていると思っていたぞ」
ヘンリーは恥ずかしい本心がバレないように、慌てて言葉に演技を含ませた。
「え、ええ。もちろんですとも。あくまで答え合わせ、ですよ」
「カーッカッカッカッカ。そういうことにしておくか。あんまり俺からの信頼を落とすなよ」
「心得てございます」
山中は、ヘンリーの気持ちなど、さして興味はないようだ。
「ということは、次の作戦も細かく説明した方がいいか ? 俺が言ったいくつかの情報で、作戦の概要は理解しているのか ?」
「理解しております」
「ならいい。お前が闇の女王陛下をお迎えできるかどうかで、作戦の方向は大きく変わってくる。頼んだぞ」
「任せてください」
「カーッカッカッカッカ」
高笑いの後で電話は切れた。ヘンリーは大きく息を吐いた。
ーー何もかも見透かされているみたいだ。
緊張が解ける。体中の毛穴から汗が滲(にじ)み出してくる。ヘンリーは、山中が練っているという次の計画がどのようなものだかはあまりよく分からなかった。が、ついていくに値する人物だということを再確認できて、自分が安心感に包まれていることを感じた。
ーー敵に回らなくてよかった。
ヘンリーは、ロスチャイルドから送られてきていた、次の作戦概要についてのメールを、もう一度読み返した。
ーー次の作戦の決行は七月。後二ヶ月、か。
それまでにやらなければならないことはたくさんある。
ヘンリーは、窓の外で光る、これから闇へと向かう落日を眺めながら、長い手足で大きく伸びをした。
「はい。ムーア法律事務所です」
「俺だよ、俺。カーッカッカッカッカ」
この乾いた高音の笑い声。ヘンリーは、一声で相手がわかった。
ーーちょうどいい。ただ指示に従うだけではない。しっかりと主張もするというところを見せつけねばと思っていたところだ。
ヘンリーはぶっきらぼうに返事をした。
「どうしたのですか ?」
相手はまったくヘンリーの気持ちに寄り添わず、自分のペースを崩さない。
「なーに。例の闇の女王の件、足取りを掴んでいるのかを知りたくてな」
「手持ちのロスチャイルドの駒が、総出で捜索しております。方角は分かっているので、すぐに見つかるでしょう」
「そうかそうか。カーッカッカッカッカ。彼女を使えれば、さらに面白い計画を立てることができる。楽しみにしてろよ」
「待ってください」
ヘンリーは、切ろうとされた電話を止めた。
「説明して欲しいことがあるのです」
「なんだ ?」
相手は面倒くさそうに答える。
「次回の作戦は楽しみにしております。あなたへの信頼も揺らぎません。ですが、どうしてあの時、エスゼロ(加藤沙織)を助けに来てしまったのですか。説明をお願いします。ミスター・ヤマナカ」
電話の相手、山中は、観念した、という溜息をついた。
「分かった分かった。で、何を説明して欲しいんだ?」
ヘンリーは長い舌で、乾いた自分の唇をひと舐めした。
「はい。そもそもは、私がエスゼロの能力を奪い、C3(クルクルクラウン)を発動させ、ワールドゲートを固定。何人もの屈強なアルカディアン兵士を手に入れ、その武力を背景に世界の権力を握ろう、というのが、今回の計画だったじゃないですか。だというのに、なぜあなたはエスゼロ達の味方をしたのですか ?」
山中は少し黙って、すぐに返事をした。
「なるほど。それは説明が足りなかった。あの計画の変更には、仕方がない事情があったんだよ」
「いや。あの時に、あなたが私たちの味方をしてくれたら、きっと今頃、計画は成功していたでしょう」
「ふむ…。そう思ったか ?」
「逆に、そう思わない方がおかしくありませんか?」
「お前ですら、そう思ってしまうのか。カーッカッカッカッカ」
「笑い事じゃありませんよ」
「いや、悪い悪い。しかしな、俺が聖地にあらわれた時には、すでに計画は失敗していたんだよ」
「どういうことですか ?」
「そもそも、なぜ俺があのタイミングであらわれたのか、不思議じゃなかったか ?」
「不思議でした」
ーーだから聞いているんですよ。
ヘンリーの気持ちなどつゆ知らず、山中は相変わらず楽しそうだ。
「順を追って説明していこう。まず、俺がなぜ聖地に行ったのか。正解は、ラーガ・ラージャ(藤原愛染)がエスゼロに『一対の羽』を埋め込んでいたからだ」
「しかし、あの二人は親友です。『一対の羽』を仕込んでいてもおかしくはないですよね ?」
「うん。それが見抜けなかった」
「なぜですか ?」
「ヘンリーは、あの二人の仲を知らないだろう ?」
「だから。親友ですよね ?」
「うん。だが彼女たちは、お互いを助けたいとは思うが、相手に助けられたいとは絶対に思わないタイプの親友だ。特にエスゼロは、ラーガ・ラージャに対して強烈なライバル心を抱いている。『一対の羽』は、お互いの同意がないと埋め込めないウィッシュだ。しかも彼女たちは、錬金術師(アルキメスト)になってからまだ日が浅い。ウィッシュのことを細かく知る時間はない。よって、その可能性はないと思っていた」
「ではなぜ、彼女は仕込むことができたのですか ?」
「それが驚くことに、彼女は何の同意もなく、エスゼロのPカードに『一対の羽』を埋め込んだんだよ。ストーカーが相手のスマホに位置探索アプリを入れるように強引に、な。カーッカッカッカッカ」
「そんなことが出来るんですか?」
「心が通い合っていれば出来るだなんてバカな話だと思うが、それが出来たから驚いている。もし俺がAD(ドリームメーカー)だったら、新しい研究結果だと小躍りしているだろうな。カーッカッカッ」
「しかし、じゃあ、その、『一対の羽』が仕込まれていたのは仕方がないとして、なぜ、あのタイミングで発動したのですか ? あれは、エスゼロ側から呼びかけない限りは発動しないはずです」
W『一対の羽 -神は二人を離さない-』とは、お互いの同意がある場合にPカードを重ねて契約するタイプのウイッシュだ。相手の呼ぶ場所へ瞬時に向かうことができる、という効果がある。
この、「呼ぶ場所」というところがミソだ。いつでも行けるわけではなく、呼ばれない限りは向かうことができない。どんなにピンチでも、このウイッシュがPカードに仕込まれていることを知らない沙織が愛染を呼ぶ事はない。
「うーん。だが発動した。ということは、おそらくエスゼロは、無意識にラーガ・ラージャを呼んだのだろうな」
「…なるほど。それでラーガ・ラージャが危険を知って、こちらへ来た、と」
「そういうことだ」
「都合が良すぎますね」
「俺もそう思ってビックリしたよ。カーッカッカッカッカ」
ーーまだ聞きたい事は残っているんだ。
ヘンリーは質問を続けた。
「でもなぜ、あなたが来たのですか ? ラーガ・ラージャ一人なら、私たちで充分、始末することができました」
「そう。だが奴は、自分一人で行ってもエスゼロ側の状況が打開できないということを知っていた」
「なぜです ?」
『一対の羽』は呼ぶだけのウイッシュなので、呼んでいる相手がどのくらい危険なのかは分からない。普通なら、呼ばれてピンチだと思ったら、自分だけですぐに向かってしまうはずだ。
「それは、パドアラームのせいだ」
「パドアラーム ? エスゼロが押したというのですか ?」
GHF『パドアラーム』は、離れた相手に自分の状況を知らせる時に使う、簡易的なホープファンタジーだ。自分の弟子や子供に持たせることが多い。キャラメル箱程度の大きさで、ボタンが一つついている。ボタンを押すと位置が送信され、後はボタンを押す回数によって危険度を知らせることができる。
科学力によって作れる程度の機能しかないので、修行中のドリームメーカーが練習として作る場合が多いホープ・ファンタジーだ。
「いや。ボタンを押したのはクマオだ」
「クマオ ?」
「ああ。あの、いつもエスゼロが持っているぬいぐるみだ。後で聞いたところによると、ラーガ・ラージャは、エスゼロが何か隠していることを見抜いていたらしい。だが、エスゼロ本人に言っても仕方がないから、何かピンチが会った時には教えてくれと言って、あのぬいぐるみにパドアラームを渡していたというわけさ」
「あのぬいぐるみは、アルカディアンじゃないんですか ?」
アルカディアンはファンタジーを使えない。その代わりに、ファンシーやウイッシュを使うことができる者もいる。一部例外はあるとはいえ、これは錬金術師の一般常識だ。
「んー。不思議生物、というしかない。カーッカッカッカッカ」
山中は笑って応えた。
ーーなるほど。様々な不確定要素が混ざっている。これが今回の作戦失敗の原因か。
それでもヘンリーは、自分も、山中より優れた作戦能力を有する部分があるということを認めてもらいたかった。なんせ、Sランクの錬金術師なのだ。それなりにプライドもある。
「それでこちらの状況が分かってしまっても、あなたが行かないと言い切れば、結局、ラーガ・ラージャも一人で来ざるをえなかったのではないでしょうか ?」
「俺も行き渋れば、ラーガ・ラージャ一人で向かうと思っていた。もし一人で行かなくても、少なくとも時間を稼げるとは思っていた。だが奴は、俺が少しでも遅らせようとした途端、KOKの他の団員に呼びかけて助けに行こうとしやがったんだ」
「そんなことをしたら、エスゼロが規約違反を犯しているということがバレてしまいますよ」
ヘンリーは驚いた。今回の作戦は、エスゼロに規約違反を犯させて、KOKと連絡を取らないようにさせることが肝だ。この部分は山中ではなく、ヘンリーが自(みずか)ら考えた。
ラーガ・ラージャがKOKに話すということは、今後、エスゼロがリアルカディアに入ることができなくなる、KOKに入団することもできなくなる、ということだ。
ーーまさか、親友なのにそんなことを !
「そう。だからしないと思っていたが、奴はなんの躊躇(ちゅうちょ)もなく助けを求めようとしていた。あと三秒、俺の決断が遅ければ、必ず奴は、他の団員に助けを求めていただろう。そうしたらKOKが何人も来て、お前もきっと聖地から逃げることができなかった」
「なるほど…」
「さらに俺は、ラーガ・ラージャだけを先に聖地に送り、後について行くふりをしてギリギリで辞める、という計画も立てようとした。だが、俺が二秒ほど行き渋った態度を見て、何か怪しい可能性もあると感じたのだろう。奴は自分より先に、入団試験の監視用に浮かんでいた、アルゴスの『フライングアイ』を持っていきやがった。そうすることで逆に、俺の態度は監視されることになったのだ」
アルゴス。百の目を持つ巨人。アルカディアン。ダビデ王の騎士だ。彼のW『フライングアイ』は、見た景色を本人に繋げる。
「そうなると、助けに行かない場合はKOKからも疑われますね。しかし来てから、『フライングアイ』ごと奴らを皆殺しにすることはできなかったのですか ? 確か『フライングアイ』は、後方は見えませんよね ?」
「もちろん考えたさ。そして聖地の状況を見た。まず作戦通り、ワールドゲートが開いていた。イノギン(井上銀次郎)は負けそうだった。だが、予定外のジョットがいたことと、エスゼロが死にそうだったところがまずかった。俺の計画では、エスゼロを生かしておかなければ、今後、再びワールドゲートを開くことができなくなる。そうなると、大山鳴動させておいて魔物一匹しか収穫がない、という成果になってしまう。その上、ジョットだ。見た事はないが、自分の半径百メートル以内の全ての人間を瞬殺できるほどの大技を持っていると聞いたことがある。もしエスゼロが死んでしまったら、奴は、躊躇(ちゅうちょ)なくその技を繰り出すだろう。俺は、それが怖かった」
「あなたほどの錬金術師でも怖いのですか?」
「ああ。ファンタジーには相性がある。俺のファンタジーは、『雷霆ケラウノス(ジョットのSDF)』と相性が悪い。勝てるかもしれないが、負けた時は全てを失う。そんな賭け事は避けたかった」
「なるほど」
「結果、エスゼロに味方した方が、 KOKや弟子からの信頼も厚くなる。魔人も殺しておいた方が、無駄に目立たずに済む。そう結論づけた。目立つ行動をとる時には、すでに手遅れと言えるほどの軍事力を持っていなければ、他の権力にやられてしまう。圧倒的な軍事力の確保。それまでは静かにコトを運ばなければならない。だから今回はエスゼロに味方した。お前なら、こんなことは、説明せずとも分かっていると思っていたぞ」
ヘンリーは恥ずかしい本心がバレないように、慌てて言葉に演技を含ませた。
「え、ええ。もちろんですとも。あくまで答え合わせ、ですよ」
「カーッカッカッカッカ。そういうことにしておくか。あんまり俺からの信頼を落とすなよ」
「心得てございます」
山中は、ヘンリーの気持ちなど、さして興味はないようだ。
「ということは、次の作戦も細かく説明した方がいいか ? 俺が言ったいくつかの情報で、作戦の概要は理解しているのか ?」
「理解しております」
「ならいい。お前が闇の女王陛下をお迎えできるかどうかで、作戦の方向は大きく変わってくる。頼んだぞ」
「任せてください」
「カーッカッカッカッカ」
高笑いの後で電話は切れた。ヘンリーは大きく息を吐いた。
ーー何もかも見透かされているみたいだ。
緊張が解ける。体中の毛穴から汗が滲(にじ)み出してくる。ヘンリーは、山中が練っているという次の計画がどのようなものだかはあまりよく分からなかった。が、ついていくに値する人物だということを再確認できて、自分が安心感に包まれていることを感じた。
ーー敵に回らなくてよかった。
ヘンリーは、ロスチャイルドから送られてきていた、次の作戦概要についてのメールを、もう一度読み返した。
ーー次の作戦の決行は七月。後二ヶ月、か。
それまでにやらなければならないことはたくさんある。
ヘンリーは、窓の外で光る、これから闇へと向かう落日を眺めながら、長い手足で大きく伸びをした。