第86話 Ilkari (空)

文字数 4,418文字

 五分も経たずに車の速度は緩まる。目の前で、赤いシャツを着た男が手を振っている。ホテルマンだがラフな格好だ。リゾート地という気がする。ホテルマンは、駐車場まで誘導をしてくれた。
 セイルズ・イン・ザ・ホテルは、帝国ホテルやウィンストンホテルのような高層ビルとは違う。三階建ての黄色い団地が何十棟も並んでいる。それだけの簡素な作りだ。ただし、敷地面積はやたらと広い。四角形の日除けが、テントのように沢山はためいている。
「それでは受付をしてきます。少しお待ちください」
 車を止めて、ミノリが降りた。サオリも降りる。
ーーえっ? 今、お待ちくださいって言ったばっかなのに?
 ミノリは、サオリを三度見した。
「いえいえ。車の中でお待ちください」
 サオリは首をふった。
「アタピ、ホテル見たい」
 ミノリは困った顔をした。
「今までそんなに不警戒だったドーラ会の方はいらっしゃいませんでしたよ?」
「なら、俺も行こう。そして、保刈さんがチェックインし終えたら、それとなく車に戻るよ」
ーーなんだ ? この二人、付き合ってるのか? 敵が来たらどうする? 脇が甘すぎるだろう。
 ミノリは呆れ顔をした。けれども依頼主だ。言うことを聞くしかない。
「わかりました。ただホント、なにをやるのかわかりませんが、お気をつけてくださいね」
「わかってる。だから俺がついていくんだ」
 ミノリは軽く手をあげ、前面ガラス張りのホテルのフロントに向かった。サオリはずっと車内にいたので、早く体を動かしたかった。
ーーうーん。体さびたー。
 まずは、通りを見ながら柔軟運動をする。人が見ていないタイミングで、ホテルの壁をのぼる。
ーー楽しー。
 ギンジロウは、観光客から不審がられないように気をつかった。
ーーやっぱり子供だな。
 サオリは、ホテルの外壁を蹴って回転していた。
 ミノリはチェックインを無事に済ませた。二人のキャリーケースも部屋に入れた。駐車場の隅で二人に部屋の鍵を渡す。一人一部屋ずつとってくれたようだ。
ーーだよな。
 ギンジロウは、当然とは思ったが少しガッカリした。
「運転してくれてありがと」
 サオリは頭をさげた。
「いえいえ、こちらこそ。たくさん話を聞いてもらえて楽しかったですよ」
 両手を振りながら大きく笑うミノリの姿は好感が持てた。
「保刈さんはこれからどうするんだい?」
 サオリ以外には横柄な言葉遣いをするギンジロウだが、ミノリは気にする様子もない。
「私は、このままアナング族の友人の家に行きます。ウルルの近くに住んでいるんですよ。五月五日の夜、またこの駐車場まで迎えに来ますね」
「それまでずっと友達の家にいるの?」
「なんか悪いな」
「いえいえ。お金をもらって友達と会えるなんてありがたいです。こういう機会でもないと彼らの家に行けませんから。本当にただ、アボリジナルが好きなんです」
 ミノリは車に乗り、車窓を全開に手を振りながら、ターミナルを回ってウルル方面へと消えていった。
「さて、と」
 ギンジロウはロビーに戻り、時計を見た。今は17時10分。打ち合わせまで後1時間50分もある。
「何時に集合する?」
 ミノリに話していたのと同じ調子で、横柄にサオリに話しかける。
「18時45分に、こ、こ!」
 サオリは荒々しく地面を指差した。ピーチーズではやっている断定の行動だ。だがギンジロウは、サオリが丁寧語を使わないことに怒っているのかと勘違いした。
「お、オッケーです! もしホテルの外に出るのでしたら、その時は必ず俺に知らせてください!」
 サオリは何も気づいていない。口の両端を伸ばすいつものサオチャンポーズで了解した。

 部屋は二階だ。ロビーから比較的近い。サオリは自分の部屋に入った。広い。クイーンサイズのベットが二つ。お茶ができる程度のテーブルセットもある。壁にはミニシアターもあり、外観とは想像ができないほど綺麗だ。トイレや洗面台もある。バスタブもついている。アボリジナルが描いたトカゲの絵が飾られている。キャリーケースも届いている。
ーーわー。ワイ、こっちのベッドもーらいっと。
 クマオはバッグから飛び出し、壁側のベッドで跳ねて遊んだ。サオリは、窓側のベッドがよかったのでちょうどいい。
ーー早く寝転がりたい。
 けれども、まずやることがある。ギンジロウからもらった盗撮・盗聴機器捜索キットで、危険がないかを確かめることだ。手のひらサイズの機械のスイッチを入れる。壁にそわせる。怪しいものがあると音を出して反応するらしい。だが、音は鳴らない。問題ないようだ。
ーーふひー。
 サオリは機械をしまい、ベッドに埋もれた。
ーーようやく一息つける。
 良い人と慣れている人との旅行とはいえ、知らずに気を遣っているのだろう。それに、長距離を移動すると、それだけでなぜか疲労が溜まる。
 サオリは窓を開けた。オーストラリアの匂いだ。景色はウルル方面ではないが、見渡すばかりの広野が続いている。サオリは思い切り空気を吸い込んだ。
ーーはあ。しゃーわせ。ロマンチ、ねー。
 車内でずっと起きていたので疲れたのだろうか。クマオはベッドで瞼を閉じ、長いまつげを自慢げに見せていた。
ーー知らない土地で完全に一人。
 圧倒的な自由。海外はやはりいい。自分の知らなかった世界にいるだけで、自分がレベルアップしたように感じる。いや、レベルではない。ひとまわり大きくなるというか、殻を破るというか。体の中にある眠っていた遺伝子が目を覚ますというか。この感覚は、日本で過ごしているだけでは感じることができない。そんな成長だ。
ーーまだ冒険は始まってないのに。これ、どんだけ成長しちゃうんだろ? 一週間でアイちゃん追い抜いちゃうかも。
 サオリは楽しくて仕方がなくなってきた。だが、浮かれる気持ちは堪えなければならない。
「いつも通りのことをいつも通りにやりきる」仙術で大事とされている、成功の絶対条件だ。
 サオリはベッドの上で座禅を組んだ。半眼になる。アファメーションとイメージングから始まる仙術と錬金術の修行だ。毎日やっていること以外はできない、ということをサオリは知っている。本当はホテルの探検に行きたかったが、いつものように割り切った。シャットダウンビジュアルだ。瞑想をする。
ーーアタピは凄い。やればできる子。努力は裏切らない。
 自己肯定感をあげていく。それからモード・アルキメストのイメージや、オーラソードのイメージ練習だ。

 18時10分。アラームの音と共に修行を終える。全身を使った特別な呼吸法による瞑想だったので、軽く汗をかいている。
ーーシャワー浴びよ。
 着替えについて考える。これから調査隊と初顔合わせだ。
ーーどんな服装にしよ。
 魔女の宅急便を意識した錬金術師の格好をした方がいいのか。まだクエストが始まっていないので普段着でいいのか。
ーーいや。子供だと舐められるかもしれない。今回の会食で目指すべき成果は、信頼されることだ。
 レストランで打ち合わせということもある。悩んだ末、正装を着ていくことに決めた。若いからこそ似合う、タイトな黒いカジュアルスーツ。中は白いワイシャツに蒼いネクタイ。足元は光る石のついた黒い革靴。これこそがTPOをわきまえた大人の振る舞いというものだろう。
ーーあとはアタピの正体がバレないようにしなきゃ。
 サオリは最後に、イラクサからもらった魔法のファンデーションを塗り、少し大人っぽい化粧を施した。

 18時40分。寝ているクマオを置いて、ホテルのロビーへと降りる。まだギンジロウは来ていない。ちょうどツアーが終わったのだろう。ガラス張りのロビーは、富裕層やバックパッカーで溢れかえっている。
 サオリは、何か面白いものがないかと探してみた。レセプション近くの壁に、ツアーやアクティビティについての宣伝が貼ってある。
ーーどれどれ。英語の勉強にもなりそうだ。
 見ているうちに、一枚の張り紙に興味をひかれた。「5月3日、ホテルの近くで、大きなキャメルレースが開催!」と書かれている。イメージトレーニングをしたばかりだからだろう。サオリの脳裏に映像が思い浮かぶ。ラクダがヨダレを垂らしながらゆっくりと走り、ターバンを巻いた騎手が早く走れと急かしている。
ーーラクダのレース? 面白そう。
「沙織さん」
 妄想をしていると、ギンジロウがやってきた。ダブダブのスラックスを腰ではき、「私は山に登りません」と英語で書かれたパーカーを着ている。
ーーあ! お土産屋で売ってたパーカー。
 ウルルは聖地なので登って欲しくない、と願うアボリジナルの意思を尊重し、登りませんよという同意を示すメッセージが書かれている。ここまで案内してくれたミノリの話に感化されたのだろう。
ーーギンさん……。いい人なんだけど単純ね。だってアタピたち、明日から山に登るのに。登らないなんて描かれた服、一緒にいて恥ずかしいよ……。
 サオリの気持ちなどつゆ知らず、ギンジロウは自慢げにパーカーの紐を引っ張った。
ーー現地のものをすぐに取り入れるという俺の服のセンスはどうだい? 褒めてもいいんだぜ?
 ギンジロウの思いは、サオリには全く響いていなかった。ただ、これ以上アピールするのはカッコ悪い。そんなことより待ち合わせだ。
 サオリはあらかじめ、待ち合わせ場所のイルカリ・レストランを見つけていた。ホテルの中で一番豪華なレストラン。店内は開放的で、白を基調としている。割合清潔だ。真ん中はビュッフェ形式になっており、所狭しとたくさんの料理が並んでいる。アリは多いが、ハエが飛び回っていないことが嬉しい。客席は多く、二百人は入れるだろう。ただ、個室はなさそうだ。半個室ならあるが、誰も使用していない。あそこで打ち合わせをするのなら、自分たちが一番早く到着したようだ。
ーーうーん。初対面の相手と待ち合わせ。どのくらいの時間で席に着けばいんだろ? 時間に遅れるという選択は言語道断。でも、早すぎてもどうかと思う。相手より先に入っていた方がいいのかな? 相手が入るのを確認してから入った方がいいのかな? 10分前には入った方がいいのかな? 時間ぴったりに行った方がいいのかな?
 サオリは人生経験が豊富ではない。こういう小さなことにも迷ってしまう。ギンジロウは当然とばかりにイルカリの入口に進み、白い服を着たボーイに英語で話しかけた。
「こんにちは。M.D.で予約してるんだけど、わかる ?」
 ギンジロウの英語はネイティブだ。黒人のボーイは目を大きくして答えた。
「おー、確認してくるよ」
 すぐにボーイは戻ってきた。
「こっちだって」
 ダサい服を着た黄色人の若者と、スーツ姿の小柄な美少女。ナメられているのだろうか。ボーイは口笛を吹き、踊りながら二人を案内した。ボーイは店内の一番奥まで進む。黒いカーテンだ。開けると隠し扉がある。豪華な飾りが施されている。ボーイは扉をノックをした。
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登場人物紹介

サオリ・カトウ

夢見がちな錬金術師。16歳。AFF。使用ファンタジーはクルクルクラウン。

使用武器はレストーズ。

パパの面影を探しているうちに世界の運命を左右する出来事に巻き込まれていく。

カメ

「笑いの会」会長。YouTuber。韓流好き。

ニヒルなセンスで敵を斬る。ピーチーズのリーダー的存在。

映像の編集能力に長けている。

クマダクマオ

アルカディアから来たクマのぬいぐるみ。女王陛下の犬。

サオリのお友達。関西弁をしゃべる。

チャタロー

カトゥーのパートナーだった初代から数えて三代目。

『猫魂』というファンタジーを使って転生することができる。

体は1歳、中身は15歳。

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