第19話 The Other Side of Evening (夕方は別の顔)

文字数 2,926文字

 音楽室。冬の低い西日がカーテンに遮られて薄暗い。机はすぺて後ろに下げられている。前方には黒板と教壇。高級そうな黒いグランドピアノが一台。
 男がピアノを弾いている。恰幅の良いスーツ姿の男。曲はノクターン第二番。ゆったりとしたショパンの名曲だ。
 ガタ。ガタガタ。
 扉が音を立てる。
「誰ですか?」
 男はピアノを弾く手を止めた。突然の扉の音にも動じていない。男の声に応えるかのように、音楽室の扉は乱れた音で開いた。開けたのは、背が低くて目の大きな女子高生ユキチ。ピーチーズの石出幸代だ。その自慢の大きな瞳はどことなくうつろで、手には鈍く光る金色の腕輪を持っている。男は立ち上がり、ピアノの上に置いてあった指揮棒を手に取った。
「やっと来ましたか」
 男はユキチに近寄る。
 と、ユキチの後ろに誰かの影。男は足を止めた。
「道案内ご苦労様」
「ごくろうさん」
 ユキチは手を持たれて廊下に引っ張り戻された。代わりに竹刀を手にした背の高い女子高生と、背の低い青ざめた女子高生と、自立した小さなクマのぬいぐるみ。
 クマオは幻脳ウィキを開いて音楽室にいる大柄の男を見る。男は落ち着いた風貌だが、アイゼンとサオリの姿を見てかすかに狼狽している。クマオはそんな人間の気持ちの機微なんていっさい考慮しない。ノーマーシーだ。声高らかに幻脳ウィキに書かれていることを読み上げた。
「元バチカン市国『マグナ・ヴェリタス』所属。使用ファンタジーは『ガイルタクト』。効能は十体までの知性を持った動物を触れることによって操ることができる。ただしPSやファンタジーを持つ者に関してはその限りではない。名前はクリスティアン・ゴッドロープ・ネーフェ。ドンピシャや」
「よく出来ました。たくさん見られるのね」
「KORが調査したことのある錬金術師やアルカディアンやったらな。後はネットに落ちとる情報程度や」
 クマオはノリノリだ。錬金術師やアルカディアンなどのルール上言ってはいけないであろう単語を連発している。だが、犯人を見つけたことに興奮して気がついていない。
 アイゼンはわかっていてあえて黙っているので、サオリも空気を読んで指摘はしなかった。けれど最近聞き覚えのある単語に心中考える。
ーーファンタジー? アルカディアン?
 話の流れからすると、リアリストのようにクマオが人を種別するための定義のようだ。こんなにスラスラと出てくるところからして、クマオが普段から当たり前に使っている単語なのだろう。
ーーそういえば。
 サオリは先ほどその言葉に思い当たる節があった。
ーーネーフェしぇんしぇーが廊下で聞いてきた単語だ!
 サオリは意味を考えた。
ーーアルカディアンは理想郷に住む人という意味? リアリストは現実の人? アタピはリアリスト? ファンタジーは幻想の道具のこと? クルリンもファンタジー? 他にも種類がある?
 予測を立てた後でサオリは心のため息をついた。
ーーでもその単語をクマオから最初に聞いてたら、襲ってくる相手がしぇんしぇーかもしれないと予想できたのに。世の中なかなかうまくいかないな。でもアイちゃんが来てくれたからおあいこか。後はこの結果次第、と。
 サオリは身体中にいくつかの鈍痛を感じながら、ネーフェの動きをじっと見た。
ーーけど、こうして痛い思いをしながらも無事に犯人にたどり着けてよかった。アタピじゃなくてアイちゃんが作戦を考えたとこが悔しいけど。
 サオリは改めて、目の前に立っている毅然としたアイゼンの後ろ姿に惚れなおした。
 実際こうして結果がわかってみればもっと簡単にわかったのではないかという気がする。だが結果がわかってからなら誰だってそんなことは言える。結果がわかっている宝くじなら誰でも当てることができる。アイゼンの凄いところは、何もわからない状態で目的地にたどり着く地図を作成したということだ。
 正直サオリは、ユキチが音楽室に向かっている最中もネーフェが犯人だなんて思いたくはなかったし思うつもりもなかった。むしろネーフェも誰かに襲われているのではないかと心配したくらいだ。なんならこれだけ証拠が出た今でさえもネーフェが犯人とは思いたくなかった。そんな意外性のある犯人を探すために、アイゼンはどうやってこの作戦を考えついたのか。
 アイゼンはまず、ピーチーズが闇雲に襲ってくることに違和感を覚えた。どう考えても自分の意思で動いているようには思えない。そこでサオリの腕輪が特殊能力を持っている希少価値の高い宝飾品だということをクマオから聞く。そして質問により他にも違う特殊能力を持つ腕輪があるという情報を引き出す。とすると人を操れる腕輪を持っている者がいたら、姿を見せずに襲ってくることができると仮定した。
 次に操れるとしたら、どのくらいの精度で何人くらいの人を操れるのだろうという予測だ。仙術や武術を習っているから知っているが、人間にとって自分一人の体を精密に動かすことでさえ難しいので、人間一人がピーチーズ全員の体を同時に動かすことは不可能に近い。操っている三人の視界が全て自分の目に映っているのだとしたら、自分の見ている景色が誰から見ての景色なのかを把握しきれずに混乱してしまう。
 ならば人を操れる相手が一人ではなく複数ならばどうだろう。この場合はピーチーズのようにガムシャラに向かって来ず、もっと精密な動きをするはずだ。しかしピーチーズは雑で真っ直ぐに来る。ということは、敵は一人に違いない。
 一人だとしたら、一人分の人間の脳の容量には限界がある。同時に多数の人を操るならば、基本はオートマチックな動き、例えば、「サオリをおさえつけて腕輪を奪い、奪った者だけが自分の元に帰ってこい」という程度の単純な命令しか与えられないだろう。そうでないと統率しきれない。
 また、敵はクルクルクラウンの位置がわかっているはずなのに、ピーチーズはクルクルクラウンの位置がわかっていなかった。調理室に逃げたサオリが捕まらなかったことが何よりの証拠だ。ということは、テレパシーのようなもので簡単に指示できるわけではないのだろう。
 それら全ての予想から、敵はサオリを押さえつけて腕輪を奪い、自分のところまで持ってこさせた後で姿をくらまそうとしている、とアイゼンは読んだ。そこで、「クルクルクラウンをわざと奪わせ、気づかれないように後からついていく」という作戦を思いついたのだ。
 ユキチに奪わせたのは、一番非力で奪い返すことが簡単だからだ。
 ユキチがクルクルクラウンを奪って教室を出たことを確認したアイゼンは、すぐにサオリを救出し、全員を後ろから縛り上げた。操られている人たちは砂糖に群がるアリのようにサオリにしか目がいっていないので、縛り上げるのは簡単だった。
 サオリはアイゼンが縛り上げている間にユキチの後を追い、自分の位置情報をスマートフォンのGPSを使ってアイゼンに流す。アイゼンは全員を縛り終えた後、体操服のズボンをスカートの下にはき、竹刀を持ってサオリの後を追いかけたという訳だ。
 ネーフェの敗因は、サオリがか弱く見えるのに実は強かったことと、アイゼンの存在を最後まで予測出来なかったことにあった。
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登場人物紹介

サオリ・カトウ

夢見がちな錬金術師。16歳。AFF。使用ファンタジーはクルクルクラウン。

使用武器はレストーズ。

パパの面影を探しているうちに世界の運命を左右する出来事に巻き込まれていく。

カメ

「笑いの会」会長。YouTuber。韓流好き。

ニヒルなセンスで敵を斬る。ピーチーズのリーダー的存在。

映像の編集能力に長けている。

クマダクマオ

アルカディアから来たクマのぬいぐるみ。女王陛下の犬。

サオリのお友達。関西弁をしゃべる。

チャタロー

カトゥーのパートナーだった初代から数えて三代目。

『猫魂』というファンタジーを使って転生することができる。

体は1歳、中身は15歳。

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