2023.8.1~2023.8.15

文字数 2,185文字

 着なれない浴衣でも、誉めてもらえるなら頑張ってみる。よろめく足元も、あざとさに変わるなら利用してやる。あなたの手を取り、夏祭りの夜にふたりで飛び込む。射的、りんご飴、金魚すくい……一秒ごとに好きになって、めまいがしそう。花火より眩しい笑顔、満足するにはまだ早いのに。
 (2023.8.1)


 目の前に二枚の便箋がある。ひとつは白紙。長年想い続けても叶わぬ相手に、最後の手段と恋文をしたためようとしている。もうひとつは恋文。思いもかけぬ相手から受け取り驚いたが、一途な想いに胸を打たれた。どちらを選んでも、あるいは選ばなくても、後悔しない道を行きたい。私は――、
 (2023.8.2)


 突然のスコールを高架下でやり過ごし、雨だれしたたるエノキをくぐった先に待っていたのは、小さな喫茶店だった。ドアを開けると、年季の入った調度品と豊かな豆の薫りに出迎えられる。見惚れていると、マスターから声をかけられた。
「おかえりなさい」
 ああ、好きだ――通おうと思った。
 (2023.8.3)


 そもそも器自体がひび割れていたのだ。だからいくら上質な水を注いでも漏れるばかり、それに気づかなかったおれはなんて愚かだったのだろう。この手は人を鞭打つ方法はいくらでも知っている。しかし器の直し方は知らなかった。知らずにここまで来てしまった。せめて、引き際だけは潔く。
 (2023.8.4)


 地下室の電気は不安定に明滅している。壁面にしつらえた棚には、おびただしい数の壺が並べられていた。手に取ると、ずっしりと重い。
「骨壺ですよ」
「どうしてこんなに……」
「木を隠すには森の中、と言うでしょう」
 彼はそれ以上言わなかった。隠したい“木”はどちらなのだろう……?
 (2023.8.5)


 夜に星より明るい光がなかった頃、一匹の猿が木の枝を手に宙を薙ぐことがあったかもしれない。彼らが肉体の運動に秩序を付与し、生涯の隙間に娯楽という意味を見いだしたことを必然だと思いたい。街の灯に星が霞む今夜、僕たちは歓声を上げて、木の棒で打たれた白球の行方を追っている。
 (2023.8.6)


 錆びたオルゴールを叩き割ると、小さな筒が現れた。財産目当てに事故に見せかけ殺した父は、遺言書に奇妙な暗号を遺していた。まだ隠していたのか。悲しむ親族を尻目に宝探しに勤しんだ。舌舐めずりを一つ、爪をかけてこじ開ける――。

 ぷしゅっ

 翌日、密室での毒殺事件が町を賑わせた。
 (2023.8.7)


 尊きモノづくりと言われても、携わる側としては金を稼ぐ手段だから違和感がある。やるからには全力で取り組むのは当然で、そこを誉められるのも持ち上げられている気がしてむず痒い。冷めていると思われるかもしれないが、熱は指の先にあるから、生み出すモノに宿しているから構わない。
 (2023.8.8)


 富豪が遺した金庫の鍵が紛失した。親族は慌てふためき、家政婦が疑われたが知らぬ存ぜぬを通した。が、彼女は知っている、金庫の中身はカラであることを。亡き主人は金に汚い親族を嘲笑おうと、信頼のおける家政婦を抱き込みひと芝居打たせたのだ。本当の鍵、それは家政婦自身の指紋だ。
 (2023.8.9)


 垢じみた浪人は畳にひと抱えの包みを置いた。解くと勤王派の首が現れた。局長は礼を述べ、切餅を渡す。浪人は懐に仕舞うと、衣擦れの音も無く座敷を出ていった。
「危ないな」
 副長は呟いた。局長は頷く。
「味方にはできまい」
「なら斬るか」
「無理だろう。せいぜい上手く使うことだ」
 (2023.8.10)


「おかえりなさい」
 出迎える父母の背がまたいちだんと曲がっていることに気づく。年に一度の里帰りを欠かさないのは、こうした現実を実感するためでもある。元気な姿を見せてくれればと言うけれど、綺麗事ばかりでもいけないと思う。鞄に詰めた資料の重さを確かめて、玄関の敷居を跨ぐ。
 (2023.8.11)


 露店で焼きそばを売っていたのは小学校の同級生だった。
「よお、久しぶり」
「何年ぶりかな」
 話に花が咲く。せっかくだからと注文すると、さりげなく紅しょうがを抜けてくれた。
「給食のとき残してただろ」
「覚えてたんだ」
「好きだったからな」
 ふたり笑う、ひと夏のポートレート。
 (2023.8.12)


 バスのドアから飛び込んできた黒い塊は、席を揺らすやおばさんの姿になった。一同は呆れ顔を隠せない。そのうちバスは満員に。冷房も効かず、一人の少女が苦しげに喘ぎ出した。
 その腕が掴まれた。
「ここ、座んな!」
 おばさんだった。吊革なしで床を踏みしめる姿は神々しくすらあった。
 (2023.8.13)


 盆の飾り付けを見てはしゃいでいた我が子が、ふと小さな指を持ち上げて、
「あれはだれ?」
 そこには、在りし日の祖父母の写真が。二人ともこの子が生まれる前に亡くなった。わたしは我が子を膝に乗せ、長い物語を始める。わたしは語らなくてはならない。あなたは知らなくてはならない。
 (2023.8.14)


 大人たちは神妙な顔で、ラジオの声に聞き入っている。戦争に敗けたという。なぜと思った。勝っていると言っていたじゃないか。
 長じるにつれ、事実を知った。なぜと思った。欺かれた怒り――無知への羞恥。
 若者よ、負の遺産を託す我々を許してほしい。これは、絶やしてはならぬ炎なのだ。
 (2023.8.15)
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