2021.11.1~2021.11.15
文字数 2,213文字
夜も更けた渋谷はハロウィンの狂騒も冷め、道路のあちこちに役目を終えた仮装の残骸が散らばっている。不意にガイコツのお面が小刻みに震え、地面を這い回り出した。次いで魔女の箒、カボチャのマスク、ドラキュラのマントも思い思いに動き始める。付喪神――そりゃあれだけ盛り上がればね。
(2021.11.1)
夫は執拗に唇をねぶる。愛ゆえの行動ではなく、口紅の味を堪能しているのだ。口臭と香料が絶妙に調和しているという。あまりの嫌悪感に頬を張ったこともある。そのとき、夫は幼児のような金切り声で泣いた。その不協和な響きのほうが厭で、私はこの地獄のような閨を耐えているのだった。
(2021.11.2)
打面にマレットを振り下ろす。
……違う。
打楽器は単純に見えて難しい。叩くだけなら誰でもできるが、鳴らすとなると至難の業だ。このティンパニのような気分屋は特に。安定しないが、はまれば最高の鳴りを見せる。
「頼むよ、いい子だから」
チューニングは丁寧に。ご機嫌取りも大切だ。
(2021.11.3)
棺の中の父は眠っているようにしか見えない。もう動きも喋りもしないことが信じられない。私はその胸に、愛用していた手帳を乗せる。武骨な指でペンを握り、日々のこまごまを綴っていた。旅の供にはふさわしい。残りはちょうど四十九日。そこから先は、向こうで馴染むやつを見つけてね。
(2021.11.4)
どんな男がタイプかと訊かれたら、スカートのほつれに気づいてそっと教えてくれるような人と答える。そんなヤツいないと笑われる。あんたの彼氏と真逆じゃないと言われる。そりゃそうなんだけど、タイプ一致なんてそうそうあるもんじゃないのよ。ベストじゃなくてもベターで十分って話。
(2021.11.5)
話には聞いていたが、家に居続ける日々がこんなに辛いとは思いもしなかった。妻や子供がいればそれなりに刺激もあろうが、あいにく前者は仏壇の中、後者は海の向こう側だ。趣味を探そうとしてみるも、目に入るのは株価や景気の話題ばかり。今さら錆び付いたクラブを握る気にはなれない。
(2021.11.6)
「なにジロジロ見てんだよ」
亜里沙 は僕を睨む。ぶっきらぼうな口調こそ普段どおりだが、スーツ姿しか知らない僕にとって、彼女の私服は新鮮――というか衝撃だった。パステルカラーのコーデは秋晴れの空によく似合う。だから素直にそう言った。
「そっか」
パープルの唇が、華麗に咲いた。
(2021.11.7)
霧雨に濡れるあなたは、白く燃えているかのようだ。炎のしずくが指先から地に流れ、円やかな波紋を描く。蒼く凍った頬。宵に溶ける衣。この世に幽霊というモノが在るならば、きっとこのような姿をしているのだろう。あなたになら、死ねと言われて死ぬ覚悟はできている。届かない強がり。
(2021.11.8)
後輩を打席に送り出す。ベンチに座り直すと、自分の体温が返ってくる。初めは慣れなかった。攻撃や守備から戻っての、冷たいベンチが有り難いものだったとは思いもしなかった。世代交代、今は勝利のひと駒として、その時を待つ。
監督が来た。
「頼む」
「はい」
立ち上がり、尻を叩く。
(2021.11.9)
廃墟となった小学校。夜も更けて、教室の一つに青い火が灯る。浮かび上がるのは、暗い顔で“こっくりさん”に興じる女の子たちの姿。もう何十年もこの場所で、憧れの男の子を奪った同級生を呪い続けている。上級の動物霊である“こっくりさん”ですら縛り付けるその一念たるや、すさまじい。
(2021.11.10)
テーブルにうつ伏せて、首だけ右に傾ける。90度ずれた視界に、あなたの顔。疲れたのかな、退屈したのかな――そんな心の声が聴こえてきそう。ぜんぜん元気だよ。退屈なワケないじゃん。だけど私は黙っている。戸惑うあなたが好きだから。あとで謝るから、もうちょっとだけ、いじわるさせて。
(2021.11.11)
「お前なんか産まなければよかった!」
予期していたとはいえ、言葉の衝撃に目が眩む。しかし私は黙して耐える。今でも覚えている――子宮の中に浮かんでいたとき、何者かの声が聴こえた。母となる女はお前を愛さない、出るか否かと。運命は決まっていたのだ。それでも私は選んだ。だから。
(2021.11.12)
夢で何度も訪れる場所がある。家の裏手から繋がる駅のホーム、そこから遥か遠い郷里まで一駅で着く。生まれた土地などとうの昔に捨てたが、抑圧された願望を視るのが夢ならば、己に郷愁などという思いが潜んでいることになる。ああ、夢で現が揺らぐなんて莫迦なことがあっていいものか。
(2021.11.13)
防衛隊の攻撃を物ともせず、怪獣は首都へと進行する。五十年前と同じ、辺り一面を焼け野原にするのだろう。なぜ怪獣は首都を目指すのか。いまだ答えは出ていない。
――ジジッ
景色が乱れた。
私は“そちら”を見る。
銀幕の向こう側。
大勢の観客。
そうか。
そうでなくては、“こちら”は。
(2021.11.14)
「みんな騙されるな!こんなのは嘘っぱちだ!」
鎮守の龍神像を壊した田吾作 は、悪びれもせず言い放った。
「何を言うか!」
「龍神さまはこんな薄汚い色じゃねえ!俺は本物を見た!赤やら黄色やらで綺麗だった!」
田吾作は虹を見たことがなかったのだ……。
翌年の飢饉で、村は滅びた。
(2021.11.15)
(2021.11.1)
夫は執拗に唇をねぶる。愛ゆえの行動ではなく、口紅の味を堪能しているのだ。口臭と香料が絶妙に調和しているという。あまりの嫌悪感に頬を張ったこともある。そのとき、夫は幼児のような金切り声で泣いた。その不協和な響きのほうが厭で、私はこの地獄のような閨を耐えているのだった。
(2021.11.2)
打面にマレットを振り下ろす。
……違う。
打楽器は単純に見えて難しい。叩くだけなら誰でもできるが、鳴らすとなると至難の業だ。このティンパニのような気分屋は特に。安定しないが、はまれば最高の鳴りを見せる。
「頼むよ、いい子だから」
チューニングは丁寧に。ご機嫌取りも大切だ。
(2021.11.3)
棺の中の父は眠っているようにしか見えない。もう動きも喋りもしないことが信じられない。私はその胸に、愛用していた手帳を乗せる。武骨な指でペンを握り、日々のこまごまを綴っていた。旅の供にはふさわしい。残りはちょうど四十九日。そこから先は、向こうで馴染むやつを見つけてね。
(2021.11.4)
どんな男がタイプかと訊かれたら、スカートのほつれに気づいてそっと教えてくれるような人と答える。そんなヤツいないと笑われる。あんたの彼氏と真逆じゃないと言われる。そりゃそうなんだけど、タイプ一致なんてそうそうあるもんじゃないのよ。ベストじゃなくてもベターで十分って話。
(2021.11.5)
話には聞いていたが、家に居続ける日々がこんなに辛いとは思いもしなかった。妻や子供がいればそれなりに刺激もあろうが、あいにく前者は仏壇の中、後者は海の向こう側だ。趣味を探そうとしてみるも、目に入るのは株価や景気の話題ばかり。今さら錆び付いたクラブを握る気にはなれない。
(2021.11.6)
「なにジロジロ見てんだよ」
「そっか」
パープルの唇が、華麗に咲いた。
(2021.11.7)
霧雨に濡れるあなたは、白く燃えているかのようだ。炎のしずくが指先から地に流れ、円やかな波紋を描く。蒼く凍った頬。宵に溶ける衣。この世に幽霊というモノが在るならば、きっとこのような姿をしているのだろう。あなたになら、死ねと言われて死ぬ覚悟はできている。届かない強がり。
(2021.11.8)
後輩を打席に送り出す。ベンチに座り直すと、自分の体温が返ってくる。初めは慣れなかった。攻撃や守備から戻っての、冷たいベンチが有り難いものだったとは思いもしなかった。世代交代、今は勝利のひと駒として、その時を待つ。
監督が来た。
「頼む」
「はい」
立ち上がり、尻を叩く。
(2021.11.9)
廃墟となった小学校。夜も更けて、教室の一つに青い火が灯る。浮かび上がるのは、暗い顔で“こっくりさん”に興じる女の子たちの姿。もう何十年もこの場所で、憧れの男の子を奪った同級生を呪い続けている。上級の動物霊である“こっくりさん”ですら縛り付けるその一念たるや、すさまじい。
(2021.11.10)
テーブルにうつ伏せて、首だけ右に傾ける。90度ずれた視界に、あなたの顔。疲れたのかな、退屈したのかな――そんな心の声が聴こえてきそう。ぜんぜん元気だよ。退屈なワケないじゃん。だけど私は黙っている。戸惑うあなたが好きだから。あとで謝るから、もうちょっとだけ、いじわるさせて。
(2021.11.11)
「お前なんか産まなければよかった!」
予期していたとはいえ、言葉の衝撃に目が眩む。しかし私は黙して耐える。今でも覚えている――子宮の中に浮かんでいたとき、何者かの声が聴こえた。母となる女はお前を愛さない、出るか否かと。運命は決まっていたのだ。それでも私は選んだ。だから。
(2021.11.12)
夢で何度も訪れる場所がある。家の裏手から繋がる駅のホーム、そこから遥か遠い郷里まで一駅で着く。生まれた土地などとうの昔に捨てたが、抑圧された願望を視るのが夢ならば、己に郷愁などという思いが潜んでいることになる。ああ、夢で現が揺らぐなんて莫迦なことがあっていいものか。
(2021.11.13)
防衛隊の攻撃を物ともせず、怪獣は首都へと進行する。五十年前と同じ、辺り一面を焼け野原にするのだろう。なぜ怪獣は首都を目指すのか。いまだ答えは出ていない。
――ジジッ
景色が乱れた。
私は“そちら”を見る。
銀幕の向こう側。
大勢の観客。
そうか。
そうでなくては、“こちら”は。
(2021.11.14)
「みんな騙されるな!こんなのは嘘っぱちだ!」
鎮守の龍神像を壊した
「何を言うか!」
「龍神さまはこんな薄汚い色じゃねえ!俺は本物を見た!赤やら黄色やらで綺麗だった!」
田吾作は虹を見たことがなかったのだ……。
翌年の飢饉で、村は滅びた。
(2021.11.15)