2021.3.16~2021.3.31

文字数 2,350文字

 撃たれた……のだと思う。撃たれた経験などないから推測だ。しかし此処は戦場で、背後から衝撃を食らい、吹き飛んで倒れているのだからそうなのだろう。鈍痛が喉を圧す。死ぬのだろうと思った。これも推測だ。もし死ぬのなら、あまりに簡単過ぎやしないか。命とはこれ程に安いものなのか。
 (2021.3.16)


 一人の青年が出版社を訪れた。賞に応募したいと言う。
「持ち込みは受け付けてないよ」
 青年は無言で、机に原稿用紙の束を載せた。そしてペンを握ると、猛烈な勢いで執筆を始めた。呆気にとられた社員が、こぼれ落ちた原稿を一読して、
「……!」

 青年は、その年の文学賞を総なめにした。
 (2021.3.17)


 南極。いま、若い観測隊員が人目を盗み、海に小箱を投じた。中には怪しい予言が綴られた便箋が一葉……それは幼稚な動機で捏造されたものだった。
 (へへ、俺は未来でノストラなんとかになってるかもな)
 隊員は足早に立ち去った。

 間もなく小箱は、深海から伸びてきた白い手に捉えられた。
 (2021.3.18)


 散歩道に椿の花が散っていた。瞬間、あの人の顔がよぎり、激しい自己嫌悪に陥る。たかが失恋。相手の死を願うなど品性を疑う……。そこへ無邪気な園児が通りかかり、地面に落ちた花びらを踏んづけていった。私はよろめき膝を突いた。ひくつく口許を押さえられない。私は屑だ。人でなしだ。
 (2021.3.19)


 遥か昔。西へ旅する一族と東へ旅する一族が、大河を挟んで出会った。彼らは身振り手振りで親愛の情を伝えようとした。
「それが殺戮の引鉄となった」
「どうして?」
「その身振り手振りは、互いにとって侮辱を表す行為だったのだ。歴史にはこのような悲劇が往々にして起こりうるのだよ」
 (2021.3.20)


 山登りの帰り道、温泉に立ち寄った。汗を流し、ラウンジのソファでくつろぐ。天井が高く、山に面して大きなガラスが嵌まっている。ガラスの向こうで、霧雨が木々を濡らしている。隣のソファに女性が座った。ラウンジに二人きり。無音の雨。均衡――そんな言葉が浮かんだ。最初に破ったのは。
 (2021.3.21)


 湖の女神は木こりに訊ねた。
「あなたが落としたのは金の斧ですか?それとも銀の斧ですか?」
「金の斧です」
「……正直に言いなさい。あなたが――」
「金の斧です!」
 木こりは走り去った。女神は途方に暮れた。自ら決めたルールは破れない。湖の底には、木こりが捨てた死体が沈んでいる。
 (2021.3.22)


 考古学の教授は、みやげ話をいろいろと聞かせてくれる。
「ピラミッドの調査をしたんだがね、ミイラが一体余分に出てきたんだよ」
「ほう」
「中に詰まっていたのは、何と大量の虫だった。人のかたちをしているからって、人間だとは限らないんだな」
 そうだ、よく分かってるじゃないか。
 (2021.3.23)


 きみと夜桜を見に行ったね。明日は大雨だって言うから、着の身着のまま、家出でもしてきたみたいだった。肌寒くて二人身を寄せ合った。夜桜はきれいだったけど、花よりもきみが気になって、ぼくはその髪に顔を埋めた。そんなことしなきゃよかった。傍らの虚ろは、かぐわしく匂うままだ。
 (2021.3.24)


 あなたと一緒に歌ったのは、失恋ソングばかりだった。あんなに満たされていたのに、歌詞の少女になり切って、ぼろぼろ泣いていた。バランスを取ろうとでもしていたのか。じゃあ今、甘い恋のうたが歌えるかといえばそんなことはなく、やっぱり惨めな失恋ソングを、独りで歌っているのだ。
 (2021.3.25)


 セキュリティカードを通すと、分厚い扉が開かれる。深奥に繋がれているのは犬ほどの大きさの生物だ。体液に猛毒を有するため、国により特定動物に定められている……が、その体液、実は希釈すると万病に効く薬になるのだ。しかしこの情報は秘匿され、一部の老人どもの延命に使われている。
 (2021.3.26)


 誘拐した女は落ち着いていた。食事と排泄の時以外は柱に拘束され、常に名も知らぬ男の視線にさらされているにも関わらず。犯人は嘆息した。
「大した度胸だな」
「慣れていますから」
「どういう意味だ?」
「主人が、そういう人ですので」
 女は艶やかに笑った。犯人は羞恥に顔を背けた。
 (2021.3.27)


 非道な犯行だった。罪なき命は突然に奪われたのだ。真相は解明されなければならない。だからこの場に警察がいて、探偵がいて、容疑者がいるのは当然だ……当然のはずだ。
 (何だろう、この違和感は)
 一同は等しく思いながら、被害者を見下ろす。殻を砕かれて事切れた、一匹のかたつむりを。
 (2021.3.28)


 失敗は立て続く。海原の機雷のように、一つの発覚が潜んでいた二つ三つを呼び起こし、辺りは火柱だらけになる。なぜ気づかなかった……なぜ防げなかった……自責の念がのしかかる。落ち込んで、うなだれて……それでもいい、身体は前のめりで、前へと進むんだ。まだ終わりなんかじゃないんだ。
 (2021.3.29)


 ユカちゃんが泣いている。両手で顔を覆って、わんわんと泣いている。僕じゃない。いや僕なんだけど、僕じゃない。ちょっと上履きを隠しただけだ。でも見つかった上履きはズタズタになっていた。僕はそんなことしていない。
 指の隙間からユカちゃんの顔が覗く。

 その目は、わらっている。
 (2021.3.30)


 ブザーとともにドアが閉まり、新幹線は静かにホームを滑り出した。二十二年、住み慣れた街が左へと飛び去っていく。何でもない記憶が急に湿っぽくよみがえってきて、涙腺を熱くする。ずるいよな。悔しいから春霞のせいにして、ボストンバッグを抱え上げた。行ってきます、私のふるさと。
 (2021.3.31)
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