2021.5.1~2021.5.15

文字数 2,198文字

 かつて海や川には『魚』という生き物が棲んでいた。しかしある時、彼らは突然に絶滅した。死因はまさかの溺死だった。いま水族館で泳いでいるのは、ホルマリン漬けにされた標本だ。うつろな目をして、淡い光に浮かんでいるのは哀れだが、その姿は生前とたいして変わらないようにも思う。
 (2021.5.1)


 人間が滅んだ後、ロボットが繁栄していた。無機質な外見だが知能と感情を有し、高度な文明を築いていた。そんな彼らにも、人間を超えられないものがあった。生殖機能だ。彼らにとって、今や神秘の域にある。その畏敬の念は信仰のシンボルとして、子宮を包む二対の腕の意匠に表れている。
 (2021.5.2)


 双葉(ふたば)が通る通学路には、おいしいパン屋がある。脇道を抜けた森の中に建っており、まるで童話のようだ。棚に並んだパンはふっくらと香ばしく、どれも絶品。店員の花田(はなだ)さんとはすっかり顔見知りになっている。パンについて語る花田さんの表情は明るい。双葉は思う。働くって、楽しいんだ。
 (2021.5.3)


「嘘じゃない!儂は見た!でっけえ化け物が船をひっくり返したんだ!」
 老人は訴える。駐在としてなだめながら、私は座礁した船に目をやる。何かが起きたことは認めるが、
 (本当に化け物が?)
 陥没した船底に残る五つの跡。それはどう見ても指紋だった。ひとつが人の身の丈ほどもある……。
 (2021.5.4)


 郷里には川に鯉のぼりをかける風習がある。十町ごとに橋のように渡される様は壮観だ。川上から来る厄災を、鯉の身を潜らせ川下へ流すという意味がある。文献には村を襲った厄災――黒い龍――が流される絵が残っている。比喩とは思うが、古老の中にはそれを見たと言う者もおり、真偽は不明だ。
 (2021.5.5)


「何度言えば分かるんだ!?おれはリアリティーのある作品に出たいんだよ!」
 俳優は癇癪を爆発させた。たしかに彼のキャリアは、リアリティーからは程遠い。出演したのはSF、ホラー、ファンタジーばかり。まあそれも仕方ない。宇宙人の役者なんて、ドキュメンタリードラマに出せないもの。
 (2021.5.6)


 取締役は複数の物事を同時に考えることができる。最年少で役員に登り詰めた、やり手だ。個室のオフィスが与えられ、集中するときは扉が閉ざされる。新人たちは神のように崇めているが、何人かは知っている。扉の向こうでは、取締役が集中と引き換えに見せられない顔になっていることを。
 (2021.5.7)


 狂信的愛国者という冷笑と世辞のハイブリッドのような(ある意味では純血たる冷笑のような)言葉は、この男のためにあるに違いない。街頭に立ってビラを撒き、拡声器で喚き散らすことも厭わない。こういう人間に限って嗜好には煩く、ワインはボルドーなどと講釈を垂れるのが世の常である。
 (2021.5.8)


 わが家の母の日は、“赤”身のステーキでお祝いするのが恒例だ。今年古希を迎えるがまだまだ元気、食欲も旺盛である。
「来年はどこどこの牛が食べたいわね」
「も~、気が早いって」
「おれも食べたいなぁ」
「お父さんまで!」
 笑いが弾け、食卓は賑わう。
 お母さん、いつもありがとう。
 (2021.5.9)


 宵闇にひと筋、炎が立ったようだった。か細いクラリネットは怪しげな情景を紡いでいく。未知の体験に息を呑みながら、ぼくの視線は紗良(さら)に釘付けだった。付き合い始めて2ヶ月。またひとつ、知らなかった彼女を知った。出番を終えた紗良がこちらを見た。頷くと、不器用なウインクが応えた。
 (2021.5.10)


 おっかなびっくりのソロキャンプデビュー。“超簡単”な火起こし器にも四苦八苦だが、持ち前の負けず嫌いで何とかやりとげる。ひと息つこうと寝転がると、鳥が横切り、降り注ぐ木漏れ日に目が眩んだ。鳴り響く葉ずれにくすぐられながら、どうにもならないことも美しいんだと初めて思った。
 (2021.5.11)


「金を出せ」
 包丁を握る手が震える。飢えに負けた末の凶行だった。男の腹は絶え間なく鳴り続けている。
「……こちらへどうぞ」
 店員は男を裏口へ導いた。そこには廃棄したばかりの商品が置かれていた。
「通報はしません。好きなだけ食べたら、お帰りください」
 男の手から包丁が落ちた。
 (2021.5.12)


 筋骨隆々たる腕に締め上げられ、獣の首は折れた。そして生け贄は祭壇へと捧げられる。現代人の目には野蛮に映るが、彼らにとっては厳格な倫理に導かれた行いである。職業柄、このような場面に立ち会わせてもらえるが、仲間になれるわけではない。文化人類学者は、あくまでよそ者なのだ。
 (2021.5.13)


 知人の葬儀には大勢の人が詰めかけた。業界の著名人も参列している。胸を占めるのは嫉妬だった。
(あんなやつのために……)
 焼香も形ばかり、こんな薄情な人間は私以外――。
「あっ!」
 突然、遺影が割れた。次の番の弔問客が青ざめている。私だけではなかった。そして私はその客以下だった。
 (2021.5.14)


 寝台列車に乗るときは、赤の他人と空間を共有することに抵抗がないかが重要となる。私は自分に害がなければ相手が何者だろうと気にならない……のだが、今回ばかりは辟易している。というのも、
「あっ、失礼!」
 隠した拳銃を床に落とすほどの、ど素人もはなはだしいスパイだったからだ。
 (2021.5.15)
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