2021.8.16~2021.8.31
文字数 2,345文字
戦争が終わったらしい。それで何が変わったかと訊かれても、答えられない。街は煤けたままで、お腹の鳴る音は止まらなくて、これが平和だなんて誰が思うものか。腹を切った人がいるそうだが、きっとその人も空腹に耐えられなかったのだろう。穴が開いていれば、もう鳴ることはないもの。
(2021.8.16)
私と彼との関係は、周りから見ればドライすぎるらしい。たしかにイチャイチャすることはないし、四六時中一緒にいるわけでもない。互いの踏み込んではいけない領域を理解しているからだと思っているが、まるで真剣の立合いだなんて言うやつもいる。まあ真剣だってことは間違いないけど。
(2021.8.17)
「死んだ妻を忘れたくなくてね。私は芸術家だから、こうすればいつまでも残しておけると思ったんだよ」
彼の隣には、人でも、獣でも、鳥でも魚でも虫でもない石の塊。抽象彫刻の大家らしい作品だ。
差し出される一枚の写真。
「これが妻だ。そっくりだろう?」
私は見比べる。
確かに。
(2021.8.18)
自分の中に、命を懸けてでも信じ抜けるものがあるか?私は無い。そんなものを持っている人を畏れ恐れる。自分がそうだったなら、折れるのが怖くてとても歩くことなどできない。人間わざではないと思いつつ、人間以外にそんなものは持ち得ないと気付き、ならば自分はと悲しみに暮れる夜。
(2021.8.19)
機関砲が火を吹く。翼や胴体を撃ち抜かれた戦闘機が、虫のように海に落ちていく。背いたか岬の物見台――のどかな愛称で知られる建築物は、今や殺戮の舞台と化していた。一機が壁面を掠めざま、漏洩した燃料を飛び散らせた。ゆるゆると垂れ下がった触手が、子供たちの落書きを侵食していく。
(2021.8.20)
社会的戦力の拡充策として、国民に何らかの資格取得が義務付けられた。資格の数=価値の世の中、無資格者は冷遇され、幼少期からあらゆる試験対策が行われた。
しかし国は転覆した。使い道も分からず道具を集めても意味がない。目的ではなく手段を重視したがゆえの、当然の結末であった。
(2021.8.21)
運転中、一瞬だけよそ見をした。気づけば反対車線に侵り込み、正面には軽自動車が……死を覚悟したとき、全ての時間が止まった。
「危なかったですね」声が聞こえた。
「あなただけは動くことができます。今のうちに車から脱出を」
しかし私は動けない。目の前に、青ざめた親子の顔がある。
(2021.8.22)
ある日、おばけが道に迷いました。行き合った村人に訊ねましたが、その男は適当な方角を教えました。おばけは進み続け、百年かかって村に戻ってきました。怒ったおばけは村を襲いました。あの男はもう死んでいましたが、おばけにはそれが分かりません。村人たちは無意味に殺されました。
(2021.8.23)
「わたしが押すの!」
バスの車内に元気な声が響く。わくわくな女の子に周りの顔もほころぶ。とそこへ、空気を読まないおっさんが!さりげなく身体を入れてディフェンス……をしたのは俺だけではなかった。おっさん、怒りの矛先を見失い舌打ち。女の子、無事に停車ボタンを押せましたとさ。
(2021.8.24)
新進気鋭のファッションデザイナーが作る服は、その過激さゆえランウェイ以外で着ることは不可能だ。
「なぜ外を歩けないような服を作るのか」
あるとき無理解な人が訊ねた。彼女は答えた。
「どんな川でも棲める魚と水槽の中でしか生きられない魚、どちらが高価かしら?そういうことよ」
(2021.8.25)
包装紙を乱暴に破かれた瞬間、わたしの初恋は終わった。憧れの先輩は、無作法なニキビ面の子供に格下げされた。恥ずかしいくらいに舞い上がり喚き散らしているが、もうその言葉は耳に届かない。わたしの心は、この一生の不覚をいかに取り繕い、無かったことにするかに向けて動いている。
(2021.8.26)
目には目を、歯には歯を。良い言葉だ。復讐は法の裁きなんて間怠っこしい手段でなく、この手で成されなければ意味がない。流される血が恥辱で汚れた心を清めるのだ。もっとも、罪には同じ重さの罰をというのは生温い。やるなら完膚なきまでに。言うならば、拳には鈍器を、刃には銃器を。
(2021.8.27)
ロシアの美術館から名画が盗まれた。必死の捜索も虚しく見つからない。程なく容疑者が拘束された。
「目と鼻の先にあるよ。美術館の中さ」
その言葉どおり、絵画は館内の壁紙の一枚とすり替えられていた。誰も気づいていなかった。
名画の作者はマレーヴィチ。
作品名は『黒の正方形』。
(2021.8.28)
男は喧騒のなかを歩いている。腹に巻き付けた時限爆弾が重い。この一撃が、腐り切った世界を変えるのだ。起爆まで数秒。男は目を閉じ、彼の信じる似姿を想った。瞼の裏に浮かんだそれは、
真っ赤な舌を出して嗤っていた。
爆発の瞬間、男の顔が絶望に歪んでいたことを知る者はいない。
(2021.8.29)
社会を嗤ったっていい、恋愛を謳ったっていい、臆することなくロックを叫べ。二十世紀に入って解体されたシンフォニーみたいに、今やロックと名乗ったものこそがロックなのだ。言いたいことがあるか?伝えたいことがあるか?ならば結構。うるさい評論家は蹴り飛ばして、さあ、歌おうぜ。
(2021.8.30)
花火が禁じられて半世紀、火薬は全て銃火器に充てられる。写真でしか知らない世代も少なくない。もう一度、この夜空に……しかし力無き人間に為す術はない。この夏何度めかのため息をついた私は、ふと視界の隅を過る閃光を見た。あれは弾薬庫の方角――。
次の瞬間、地表に大輪の花が咲いた。
(2021.8.31)
(2021.8.16)
私と彼との関係は、周りから見ればドライすぎるらしい。たしかにイチャイチャすることはないし、四六時中一緒にいるわけでもない。互いの踏み込んではいけない領域を理解しているからだと思っているが、まるで真剣の立合いだなんて言うやつもいる。まあ真剣だってことは間違いないけど。
(2021.8.17)
「死んだ妻を忘れたくなくてね。私は芸術家だから、こうすればいつまでも残しておけると思ったんだよ」
彼の隣には、人でも、獣でも、鳥でも魚でも虫でもない石の塊。抽象彫刻の大家らしい作品だ。
差し出される一枚の写真。
「これが妻だ。そっくりだろう?」
私は見比べる。
確かに。
(2021.8.18)
自分の中に、命を懸けてでも信じ抜けるものがあるか?私は無い。そんなものを持っている人を畏れ恐れる。自分がそうだったなら、折れるのが怖くてとても歩くことなどできない。人間わざではないと思いつつ、人間以外にそんなものは持ち得ないと気付き、ならば自分はと悲しみに暮れる夜。
(2021.8.19)
機関砲が火を吹く。翼や胴体を撃ち抜かれた戦闘機が、虫のように海に落ちていく。背いたか岬の物見台――のどかな愛称で知られる建築物は、今や殺戮の舞台と化していた。一機が壁面を掠めざま、漏洩した燃料を飛び散らせた。ゆるゆると垂れ下がった触手が、子供たちの落書きを侵食していく。
(2021.8.20)
社会的戦力の拡充策として、国民に何らかの資格取得が義務付けられた。資格の数=価値の世の中、無資格者は冷遇され、幼少期からあらゆる試験対策が行われた。
しかし国は転覆した。使い道も分からず道具を集めても意味がない。目的ではなく手段を重視したがゆえの、当然の結末であった。
(2021.8.21)
運転中、一瞬だけよそ見をした。気づけば反対車線に侵り込み、正面には軽自動車が……死を覚悟したとき、全ての時間が止まった。
「危なかったですね」声が聞こえた。
「あなただけは動くことができます。今のうちに車から脱出を」
しかし私は動けない。目の前に、青ざめた親子の顔がある。
(2021.8.22)
ある日、おばけが道に迷いました。行き合った村人に訊ねましたが、その男は適当な方角を教えました。おばけは進み続け、百年かかって村に戻ってきました。怒ったおばけは村を襲いました。あの男はもう死んでいましたが、おばけにはそれが分かりません。村人たちは無意味に殺されました。
(2021.8.23)
「わたしが押すの!」
バスの車内に元気な声が響く。わくわくな女の子に周りの顔もほころぶ。とそこへ、空気を読まないおっさんが!さりげなく身体を入れてディフェンス……をしたのは俺だけではなかった。おっさん、怒りの矛先を見失い舌打ち。女の子、無事に停車ボタンを押せましたとさ。
(2021.8.24)
新進気鋭のファッションデザイナーが作る服は、その過激さゆえランウェイ以外で着ることは不可能だ。
「なぜ外を歩けないような服を作るのか」
あるとき無理解な人が訊ねた。彼女は答えた。
「どんな川でも棲める魚と水槽の中でしか生きられない魚、どちらが高価かしら?そういうことよ」
(2021.8.25)
包装紙を乱暴に破かれた瞬間、わたしの初恋は終わった。憧れの先輩は、無作法なニキビ面の子供に格下げされた。恥ずかしいくらいに舞い上がり喚き散らしているが、もうその言葉は耳に届かない。わたしの心は、この一生の不覚をいかに取り繕い、無かったことにするかに向けて動いている。
(2021.8.26)
目には目を、歯には歯を。良い言葉だ。復讐は法の裁きなんて間怠っこしい手段でなく、この手で成されなければ意味がない。流される血が恥辱で汚れた心を清めるのだ。もっとも、罪には同じ重さの罰をというのは生温い。やるなら完膚なきまでに。言うならば、拳には鈍器を、刃には銃器を。
(2021.8.27)
ロシアの美術館から名画が盗まれた。必死の捜索も虚しく見つからない。程なく容疑者が拘束された。
「目と鼻の先にあるよ。美術館の中さ」
その言葉どおり、絵画は館内の壁紙の一枚とすり替えられていた。誰も気づいていなかった。
名画の作者はマレーヴィチ。
作品名は『黒の正方形』。
(2021.8.28)
男は喧騒のなかを歩いている。腹に巻き付けた時限爆弾が重い。この一撃が、腐り切った世界を変えるのだ。起爆まで数秒。男は目を閉じ、彼の信じる似姿を想った。瞼の裏に浮かんだそれは、
真っ赤な舌を出して嗤っていた。
爆発の瞬間、男の顔が絶望に歪んでいたことを知る者はいない。
(2021.8.29)
社会を嗤ったっていい、恋愛を謳ったっていい、臆することなくロックを叫べ。二十世紀に入って解体されたシンフォニーみたいに、今やロックと名乗ったものこそがロックなのだ。言いたいことがあるか?伝えたいことがあるか?ならば結構。うるさい評論家は蹴り飛ばして、さあ、歌おうぜ。
(2021.8.30)
花火が禁じられて半世紀、火薬は全て銃火器に充てられる。写真でしか知らない世代も少なくない。もう一度、この夜空に……しかし力無き人間に為す術はない。この夏何度めかのため息をついた私は、ふと視界の隅を過る閃光を見た。あれは弾薬庫の方角――。
次の瞬間、地表に大輪の花が咲いた。
(2021.8.31)