2020.2.16~2020.2.29

文字数 2,190文字

 金曜日には、姉と一緒にサラダを食べる。ボウルにたっぷりと野菜を盛り、気まぐれのドレッシングで和える。食卓にはそれだけ。相性のいいワインで乾杯し、とりとめのない話に花を咲かせる。どんなに忙しくても欠かしたことはない。私たちにとってそれは、人生を区切るための儀式なのだ。
 (2020.2.16)


 恋人が死んだ夜。馴染みのバーの扉は重い。マスターは何も言わずにボトルを差し出す。薄れゆく幻に乾杯を、薄っぺらい男には肘鉄を。判断力が溶ける頃、寂れた風俗で男を買う。紙切れ二枚の交わりは一瞬で。青ざめた横顔を朝日が暴く。愛は渇いて、心は虚ろ。どぶに吐き出す夢の名残り。
 (2020.2.17)


 土地開発の波に飲まれ、古びた公園は更地に還る。ぶらんこや滑り台に代わり、汚れた重機が夕陽に滲む。思い出がまたひとつ死ぬ。跡に建つマンションは、僕にとって騒がしい墓碑でしかない。気づけばこの街は墓碑だらけだ。生きながら墓地をさまよう僕は、まだまだ死者になれそうもない。
 (2020.2.18)


 貧しさに憧れた。僕たちは何もかも満ち足りていたから。三畳一間で身を寄せ合い、愛だけで日々を乗り越えるような暮らしが眩しかった。そんなわけで僕たちはコンビニで買ったジャンクフードを摘まみながら、ミネラルウォーターでカップ麺を作る。それが貧しさなのだと毛ほども疑わずに。
 (2020.2.19)


 深夜3時の交差点。オフィス街は明滅する信号機のはざまで眠りに就いている。真っ赤なメトロノームに酔わされて踊るスローワルツ。最小公倍数でかち合うリズムは、どんな天才作曲家でも生み出せない。月に手を伸ばしながら白線の小節を飛び渡る。路面に刻んだ足跡が太陽を連れてきて、朝。
 (2020.2.20)


 あなたを想うと、涙が止めどなく溢れてくる。滴は拭う指先に熱を伝える。あなたへの気持ちはいまだ冷めることなく、この胸の中で燃え続けているのだ。いつかは炎を消す日が来るかもしれない。そのときは燻らないよう綺麗に始末するつもりだ。それが私なりのけじめのつけ方と信じるから。
 (2020.2.21)


「つまらない人生だった。書きたいものは書けなかった。売れるものしか書けなかった。それは俺ではなく、俺の顔をした他人だ。金は溜まったが腸(はらわた)はズタズタだ。それもやっと終わる。生まれ変わったとしても、文字とは無縁の命でありたい」
 これが稀代の文豪、森永(もりなが)賢蔵(けんぞう)の最期の言葉だった。
 (2020.2.22)


「総理、あなたは料亭Aでご飯を召し上がっていないと答弁された。しかし来店履歴があるのは何故ですか?」
「来店したがご飯は食べていないということです」
「じゃあ何を召し上がったんですか?」
「私が食べたのは(中継が途切れる)」
 直後に総理は辞任した。理由は今もって不明である。
 (2020.2.23)


 春の陽揺れる縁側で、(ほり)雅兼(まさかね)は足軽の将棋を見物している。
「軍師どのはお強いのでしょうな」
 足軽が雅兼に言った。
「ふふ。だが好んで指そうとは思わぬ」
「誰も相手になりませぬか」
「面白くないからじゃ。誉高き兵も情厚き兵も、将棋には居らぬでな」
 そう答え、雅兼は茶を啜った。
 (2020.2.24)


 たとえば、バーのカウンターでたまたま隣りに座るような出逢い。たとえば、お互いに名前も知らないけれど同じ話題で盛り上がる時間。たとえば、それじゃまたねと大して意味もない約束を交わす別れ。この世にこういったものがある限り、一期一会という言葉にはまだまだ生きる場所がある。
 (2020.2.25)


 神は時おり硬貨を投げて遊ぶ。繁栄か破滅か――そうやって地球は誕生し、恐竜は滅びた。しかし人類が生まれてからというもの、硬貨はいつも地面に立ってしまうようになった。神と云えども結果は覆せない。こうして人類史は最良と最悪の二つの顔を持つようになった。運が良いのか、悪いのか。
 (2020.2.26)


 散歩で通る濠の一角で、蓮の栽培が行われていた。ある夜、何気なく目をやると蓮が白く光っていた。見るとそれは女の足だった。うぶ毛ひとつない、蒼く熟れた生足が葉の隙間からだらしなくこぼれていた。翌朝再び通ってみたが、足などどこにもなかった。その日から散歩のコースを変えた。
 (2020.2.27)


 陽が落ちて
 君の影は何処
 薄暗い部屋で
 I.W.ハーパー
 独りあおる

 いま僕は
 夜をひっぺがし
 君へと走る
 寝ぼけた月は
 海に蹴り込んで
 逃げ遅れた星は
 宝石に変えて
 君へのブーケに
 太陽の馬鹿笑いが
 未来を燃やしてる
 うるさい神父に
 中指立てて
 僕らは歩き出す

 そんな
 夢の中
 夢の中。
 (2020.2.28)


 村上(むらかみ)春樹(はるき)の『風の歌を聴け』は恐ろしい物語だ。読み進める僕の中に、まだ生まれてもいなかった1970年が立ち現れた。そしてそれらは消えてゆくとき、僕の中にある現実を少しずつ削り取っていった。結果、僕は穴だらけになった。井戸を掘られた火星の方が、よっぽどマシだと思えるほどに。
 (2020.2.29)
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