2021.9.16~2021.9.30
文字数 2,194文字
姉様は透けるような肌を持っている。共に湯船に浸かるときなど、眩さに目を背けてしまうほどだ。訪れる客人も皆、その美しさに見惚れてしまう。当然だ、姉様は神さまだもの。それも蛇の神さまだ。私は知っている。ある夜、離れの客間で、月明かりに白い身体をくねらせていた姉様の姿を。
(2021.9.16)
「俺は“顔のない”音楽を奏でたいんだ」
知人のピアニストはそう語る。
「音楽を聴いたとき、いろんなイメージが頭に浮かぶだろ。風景だったり感情だったり、かつて見たもの感じたもの、あるいは現実にはないものが。そういった余分なものをもたらさない、音そのものを鳴らしたいんだよ」
(2021.9.17)
争い事が嫌いなたちだ。勝負がつくイベントには一歩退いた姿勢で挑んでしまう。根性なしと罵られようが、その先に見える不毛さが拭えない。あらゆる岐路も無難に選んできた。そうやって、いま私の心を捉えているのは、勝ちへの渇望だったりする。これだから人生は不可解で、おもしろい。
(2021.9.18)
飼い犬が死んだので、村はずれの墓地に埋めに行く。ここでは人も動物も、死ねば等しく墓に入るのだ。刈り取りを終えた田を横目に、粗末な棺を担いで歩く。楡の木は融通の利かない番兵のように、どこかを見張っている。風には冬のきざしがある。薄情な私は、この道程に嫌気が差している。
(2021.9.19)
蒋田 元衛門 ほど処世術に長けた者はおるまい。海千山千の腹を読み、巧みに取り入る先を変える。そんな彼を人は風見鶏と揶揄する。僻みと分かっているから、元衛門も気にはせぬ。が、一方で緊張を強いられている己がいる。
(風見鶏が風を読み違えては話にならぬ)
誰にでも悩みはあるのだ。
(2021.9.20)
月の面に腰を下ろし、二羽の兎は地球を眺めている。虚も凝り固まれば実となる―彼らは人々の想いによって生まれ、長くここに住んでいる。
「さ、まずは一杯」
「お前さんも一杯」
仲良く酒を酌み交わす。
「地球ってのは飽きないね」
「いつ見てもきれいなもんだ」
風雅は場所を選ばない。
(2021.9.21)
水着さん、今年もお世話になりました。感謝を込めて手など合わせてみる。買った当初は派手すぎないかと怯んだけど、着てみたら何てことない、むしろ見るなら見ろってな勢いで、楽しいひとときを過ごさせてもらった。来年もよろしくお願いします。相手が毎回違う男なのは大目にみてくれ。
(2021.9.22)
「振り込まれた報酬が、取り決めの金額より多いのですが」
「それは私の気持ちよ。迅速に相手を始末してくれたから」
「困ります。事前の取り決めから1ドルの過不足もあってはなりません」
「律儀なのね」
そうではない。余分な気持ちは受け取らないのが賢明だ。巡り巡って己に害を為す。
(2021.9.23)
「まさかエレベーターの上に遺体を隠してたとはな」
「重量オーバーのブザーは故障じゃなかったんですね。よくあの巨体を引っ張り上げたもんだ」
「さて、帰るか」
エレベーターが到着し、刑事たちは乗り込む。と、
ブーッ
「……搬出は終わりましたよね?」
「……まだ、載ってるらしい」
(2021.9.24)
結婚する後輩のために祝いの席を設けた。妻はすでに身籠っているそうだ。
「良い父親というものがよく分からないんです」彼の実父は親らしいことをしなかったそうだ。私は答える。
「自分がされて嫌だったことはしない、それだけは忘れるな」
「……はい」
力強く頷いた。大丈夫、君なら。
(2021.9.25)
「野菜が高くなったなぁ」
トマトを棚に戻す。一人暮らしを始めていちばんの変化は、食品の値段を気にかけるようになったことだ。限られた財布でやりくりすることの何と難しいことか。今さらながら親には頭の下がる思いだ。
「安くて良いものを……」
運よく特売品を発見。迷わず手に取る。
(2021.9.26)
売れないシンガーと恋をした。ちょうど私も落ちていたから、二人で傷を舐め合った。
程なく彼女はチャンスを掴み、成功への階段を上り始めた。生来の明るさを取り戻し、周りを酔わせた。
そして私は彼女の元を去った。恋心は冷めていた。自分と同等以下しか愛せぬ、歪んだ性根を知った。
(2021.9.27)
貧困に喘ぐ村を訪れた。土の上に座り込む人々は、蝿がまとわりつくのもそのままに、呆けた顔を地に向けている。彼らの目は何も視ていない。過去も、未来も、今すらも。なぜここにいるのかも忘れてしまったかのようだ。彼らはヒトのかたちをしたままモノになっていた。虚しい眺めだった。
(2021.9.28)
相次ぐ虐待死を受け、国は過激な法案を作成した。すなわち「目には目を」である。議会は異様な熱気を伴い推し進められたが、一人の識者が声を上げた。
「あなたがたは存続中に最も刑を執行した政権として名を残すことになるが、その覚悟はおありか」
一同は沈黙した。
法案は否決された。
(2021.9.29)
初商談なのに、担当は30分も遅れて来た。表情は虚ろで話も要領を得ないので、無礼だと打ち切った。
翌朝のニュースで会社員の自殺が報じられていた。あの担当だった。「商談取れずごめんなさい」遺書にはそうあったという。やり切れなさに唇を噛んだ。
過労死は社内だけの問題ではない。
(2021.9.30)
(2021.9.16)
「俺は“顔のない”音楽を奏でたいんだ」
知人のピアニストはそう語る。
「音楽を聴いたとき、いろんなイメージが頭に浮かぶだろ。風景だったり感情だったり、かつて見たもの感じたもの、あるいは現実にはないものが。そういった余分なものをもたらさない、音そのものを鳴らしたいんだよ」
(2021.9.17)
争い事が嫌いなたちだ。勝負がつくイベントには一歩退いた姿勢で挑んでしまう。根性なしと罵られようが、その先に見える不毛さが拭えない。あらゆる岐路も無難に選んできた。そうやって、いま私の心を捉えているのは、勝ちへの渇望だったりする。これだから人生は不可解で、おもしろい。
(2021.9.18)
飼い犬が死んだので、村はずれの墓地に埋めに行く。ここでは人も動物も、死ねば等しく墓に入るのだ。刈り取りを終えた田を横目に、粗末な棺を担いで歩く。楡の木は融通の利かない番兵のように、どこかを見張っている。風には冬のきざしがある。薄情な私は、この道程に嫌気が差している。
(2021.9.19)
(風見鶏が風を読み違えては話にならぬ)
誰にでも悩みはあるのだ。
(2021.9.20)
月の面に腰を下ろし、二羽の兎は地球を眺めている。虚も凝り固まれば実となる―彼らは人々の想いによって生まれ、長くここに住んでいる。
「さ、まずは一杯」
「お前さんも一杯」
仲良く酒を酌み交わす。
「地球ってのは飽きないね」
「いつ見てもきれいなもんだ」
風雅は場所を選ばない。
(2021.9.21)
水着さん、今年もお世話になりました。感謝を込めて手など合わせてみる。買った当初は派手すぎないかと怯んだけど、着てみたら何てことない、むしろ見るなら見ろってな勢いで、楽しいひとときを過ごさせてもらった。来年もよろしくお願いします。相手が毎回違う男なのは大目にみてくれ。
(2021.9.22)
「振り込まれた報酬が、取り決めの金額より多いのですが」
「それは私の気持ちよ。迅速に相手を始末してくれたから」
「困ります。事前の取り決めから1ドルの過不足もあってはなりません」
「律儀なのね」
そうではない。余分な気持ちは受け取らないのが賢明だ。巡り巡って己に害を為す。
(2021.9.23)
「まさかエレベーターの上に遺体を隠してたとはな」
「重量オーバーのブザーは故障じゃなかったんですね。よくあの巨体を引っ張り上げたもんだ」
「さて、帰るか」
エレベーターが到着し、刑事たちは乗り込む。と、
ブーッ
「……搬出は終わりましたよね?」
「……まだ、載ってるらしい」
(2021.9.24)
結婚する後輩のために祝いの席を設けた。妻はすでに身籠っているそうだ。
「良い父親というものがよく分からないんです」彼の実父は親らしいことをしなかったそうだ。私は答える。
「自分がされて嫌だったことはしない、それだけは忘れるな」
「……はい」
力強く頷いた。大丈夫、君なら。
(2021.9.25)
「野菜が高くなったなぁ」
トマトを棚に戻す。一人暮らしを始めていちばんの変化は、食品の値段を気にかけるようになったことだ。限られた財布でやりくりすることの何と難しいことか。今さらながら親には頭の下がる思いだ。
「安くて良いものを……」
運よく特売品を発見。迷わず手に取る。
(2021.9.26)
売れないシンガーと恋をした。ちょうど私も落ちていたから、二人で傷を舐め合った。
程なく彼女はチャンスを掴み、成功への階段を上り始めた。生来の明るさを取り戻し、周りを酔わせた。
そして私は彼女の元を去った。恋心は冷めていた。自分と同等以下しか愛せぬ、歪んだ性根を知った。
(2021.9.27)
貧困に喘ぐ村を訪れた。土の上に座り込む人々は、蝿がまとわりつくのもそのままに、呆けた顔を地に向けている。彼らの目は何も視ていない。過去も、未来も、今すらも。なぜここにいるのかも忘れてしまったかのようだ。彼らはヒトのかたちをしたままモノになっていた。虚しい眺めだった。
(2021.9.28)
相次ぐ虐待死を受け、国は過激な法案を作成した。すなわち「目には目を」である。議会は異様な熱気を伴い推し進められたが、一人の識者が声を上げた。
「あなたがたは存続中に最も刑を執行した政権として名を残すことになるが、その覚悟はおありか」
一同は沈黙した。
法案は否決された。
(2021.9.29)
初商談なのに、担当は30分も遅れて来た。表情は虚ろで話も要領を得ないので、無礼だと打ち切った。
翌朝のニュースで会社員の自殺が報じられていた。あの担当だった。「商談取れずごめんなさい」遺書にはそうあったという。やり切れなさに唇を噛んだ。
過労死は社内だけの問題ではない。
(2021.9.30)