2020.12.1~2020.12.15

文字数 2,217文字

「クリスマスを彼女と過ごす」なんて話を俺の前でするんじゃねえ。いいか、俺は独り身だ。お前らとはスタートが違う。ピストルが鳴ったとき、まだ服すら着ていないのだ。え、そんな変態とつき合うヤツはいない?いいところ突くじゃねえか。さてと、寒くなってきたんでそろそろ服着るわ。
 (2020.12.1)


 老人は暖炉に文箱を投じた。炎が移り、詰まった手紙が鱗粉のようにきらめく。彼は苦しげに息をしながら、
「愛しい娘よ、さらばだ。私は優しいおじさんのままで逝く。達者でな……」

 そのころ地球の反対側で、ひとりの少女が何度もポストを覗いている。
「おじさんのお手紙、まだかなぁ」
 (2020.12.2)


“1+1”が理解できなかった少年は血の滲むような努力を重ね、当代随一の数学者となった……この話を美談だと思ったあなた、結局彼は死ぬまで“1+1”を理解できなかったと聞けば、どうだろうか。その最期の言葉は、
「どんな才能を手に入れても、自分の欲を満たせなければただの重荷でしかない」
 (2020.12.3)


 世界最高峰に挑んだ登山家の夢は、あと一手で潰えた。クレバスに落ちるリュックからこぼれたポラロイドカメラが、深い雪の中に消えていく……。
 世紀が巡り、白く凍りついたそれを毛むくじゃらの腕が拾い上げた。

 カシャッ

 登山家の子孫がこの地点に辿り着くのは、もう少し先の話である。
 (2020.12.4)


 初めて斬ったあやかしが、幼子の姿をしていた。それがいけなかった。柔らかな肉の感触――罪悪感が、両の手にこびりついて取れなくなった。塗り潰せば消える……そう信じて、あやかしをたくさん斬った。それが、本当にいけなかった。いまこの両の手は、命を斬る感触に慣れてしまったのだから。
 (2020.12.5)


 僕の頭は安い。自分が悪かろうが悪くなかろうが「申し訳ございませんでした」、簡単に下がる。それだけで、怒り狂っていた相手は態度を変える。なんて誠実なんだろう、なんて真摯なんだろう――ね、簡単でしょう?侮蔑は腹に押し込めて、僕は今日も、安い頭を、安い人間のために下げ続ける。
 (2020.12.6)


 数学史最大の難問を解いたのは、弱冠10歳の少女だった。ぜひうちに――群がる権威たちに少女は首を振る。
「この解が人の役に立つには、あと何十年か必要でしょう。私は今この瞬間、目の前で苦しんだり困ったりしている人を助けたいんです」
 ひた向きな眼差しに、大人たちはみな口を噤んだ。
 (2020.12.7)


 ぼろぼろのモーテルの壁で、在りし日のデヴィッド・ボウイは険しい目で宙を睨んでいる。多くの娘を彼氏から奪った紅顔も、色あせて久しい。いつしかその存在が“名も知らぬハンサムな男”になってしまったとき、天国の彼は何と言うだろうか――主の老婆は、うたた寝にそんなことを思っている。
 (2020.12.8)


 天才は人でなしだ。あるいは人でなしこそが天才になり得る――いま私は、その見識を改めねばならないところに来ている。他ならぬ私自身が、人でなしだと気づいたからだ。そして私は他人に誇れる才能を持たない。つまり、“ただの”人でなしだ。口元が引き攣る。狂気はぬるりと、脳髄を浸した。
 (2020.12.9)


 祖母の遺品にまぎれていた、一冊の本。手垢にまみれた分厚い背表紙。ページを開くと、不意に青い匂いが立ち上った。木の葉が、栞の代わりに挟み込まれている。当然枯れている。ふと、祖母のひと息のような気がして、慌てて記憶を手繰り寄せる。けれどあの匂いは、どこにも見当たらない。
 (2020.12.10)


「あきらめなさい、クラッススはもういないのよ」
 幼い私に母は言った。泣いていたように思う。私も悲しかった気がする。だけど私は、クラッススが何だったのかを思い出せない。家族だったのか、友人だったのか、それとも動物だったのか。言葉だけが宙に浮かび、じっとこちらを視ている。
 (2020.12.11)


 またあの女が来ている。二階から漏れる嬌声が耳に刺さる。息子も高校生だ、彼女がいてもおかしくない。自分にもあんな年頃があったのに、どうして喜んであげられないのだろう。皿を洗う手はうつろだ。

 どしん。

 頭上から響いた。指先に痛み、目を落とすと、自分の指が皿を割っていた。
 (2020.12.12)


 竜三(りゅうぞう)は病床でため息をついた。匕首掴んで五十年、白浪稼業に賭した人生に一片の悔いもない。しかし、
(もし堅気で暮らしてたら……)
 そんな思いが膨らんで、肝が冷たくなった。塀の向こうから聴こえてくる、明るい声。竜三は泣いた。泣いたまま死んだ。子分たちは偉大なお頭の死を悼んだ。
 (2020.12.13)


 路地裏。赤ちょうちんが猫の顔を照らし出す。瞳を朱に染めて、猫は揺れる灯を見上げる。何かが違うと思った。記憶をたどり、それが人間の声だと気づく。あの騒がしい音を聞かなくなって久しい。それでも赤ちょうちんは、変わらず辺りを照らし続けている。たいしたやつだと、猫は思った。
 (2020.12.14)


「寒いね」と言ったら「コーヒー淹れよっか?」と言ってくれる。いつかお返しがしたくて、きみが「寒いね」と言ったとき何をしたらいいか考えていた。でも最近、それが間違いだと気づいた。きみの言葉を待つんじゃなくて、僕から言葉を届けなきゃいけないんだ。
「コーヒー、淹れよっか」
 (2020.12.15)
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