2019.3.16~2019.3.31
文字数 2,597文字
開発物資を運ぶための人工衛星を破壊せよ――興梠 の持ち出した機密文書を頼りに、たった5人のレジスタンスは『棺 』計画が進行する種子島宇宙センターへと潜入する。もう迷わない――覚悟を決めた光希 は政晃 とチームを組み、爆薬を背中に通気孔を進むが、死角からの一撃を受けて昏倒してしまう。
(2019.3.16)
拘束された光希の前に現れた興梠。そして、政晃。全てはレジスタンスを壊滅させるための計略だった。光希の精神はついに崩壊する。
「恐れることはない、《月》は僕らの安息の地となるんだ」
政晃の言葉も光希には届かない。正気を失った彼女は地下の独房に軟禁される。そして月日は流れ――
(2019.3.17)
24歳を迎えた日。光希は独房の電子錠が外れていることに気づく。辿り着いた地上は凍えるような静寂に満ちていた。打ち捨てられた模造品たち。天を仰げば、蒼く輝く天体は静かにそこにあった。光希は手を伸ばす。広げた掌から溢れるほどに大きくて――
月が地球に墜ちるまで、あと6日。(完)
(2019.3.18)
新進気鋭の芸術家の住む森がある。森に存在するものは木から石から全て人工物で、藁とデンプン糊を練って作られているらしいが詳しい製法は専門家にも分からないという。
訊ねようにも肝心の当人は肉体を鹿に改造して木立の合間を跳ね回っており、すでに彼岸に別れを告げてしまっている。
(2019.3.19)
愛する人が、愛する人の姿をしたまま壊れていく。俗世の殻を脱ぎ捨てて、醜いばかりの無垢を曝け出す。
哀しい悲しいとは口ばかりで、私の心は微動だにせず、あなたの元を離れることはない。
九十九里の砂浜で千鳥と戯れるあなた。横顔にちらつく黄色い幻影……ただよう死の匂いは、酸 い。
(2019.3.20)
春の宵に傾けるバカラグラス。口に含んだ琥珀色は、ブルックナーのアダージョとまろやかに混ざり合う。弦楽器の織り成す調べに誘われた眠り路 は、突如咆哮した金管群により遮られる。強かに打ち付けた膝を擦りながら、この失態を知るのは幸いにも、カラヤンとベルリンフィルだけだった。
(2019.3.21)
愛は火じゃない、消せども消えることはない。
愛は水じゃない、汲めども尽きることはない。
愛はうねりだ。大切なひとを想うとき、そのぬくもりを両手に抱くとき、心に沸き立つうねりが愛だ。
有機物でも無機物でもない、心地よく豊かな悦びだ。
ただそのままに、身を任せればよいのだ。
(2019.3.22)
三間四方の檜舞台で、男は憑かれたように舞い続ける。隆盛 も没落も頭に無い。道を極めんがため――その一念を腹に括り付け、男は舞う。
やがて男は気づく。
面に満ちる闇の中、浮かぶひとつの顔がある。
現か、幻か。
視線が交わり、それが己だと悟ったとき。
男の心に、一輪の花が開いた。
(2019.3.23)
グラスに注いだジャックダニエルをひと息に呷る。喉から胃へと滑り落ちる灼熱は、しかしあなたの吐息に及ばず、私はまた孤独を抱いて夜を過ごす。背徳的な恥態でベッドを汚し、冒涜的な言葉で己を穢す。そして朝日が街に昇る頃、ぶちまけた吐瀉物がこびりついた便器を呆然と眺めるのだ。
(2019.3.24)
張りつめた会場に、男の鬼気迫るヴァイオリンが響く。悪魔から教わった技――聞こえた囁きに彼は口元を歪めた。違う、これは私が至った境地。ならば悪魔とは私自身か。
渾身込めて弾ききると、万雷の喝采が降り注いだ。男は両手を上げて客応える。影が巨大な翼のように聴衆に覆い被さった。
(2019.3.25)
燭台の灯のもと、重蔵 は震える手で剪定鋏 を砥ぐ。石と鋼の摩 れる音が、三畳一間に鋭く響く。
この錆にまみれた刃は、かつての彼の商売道具だ。それをいま一度手に取るは、嬲 り殺された孫娘の仇を討つためだ。齢八十、失うものは何もない。だからこそ重蔵は、この剪定鋏を選んだのだった。
(2019.3.26)
嘘吐 くと、山から鬼が降りてくるでな――母が広げた絵本には、恐ろしい化物の姿があった。以来、それは私に棲み付き、折々に顕 れては戒めた。しかし私は目を瞑り、罪を重ねた。
そして今、私の前に鬼が居る。
報いを受ける時が来たのだ。
おぞましき異形は顎 を開く。
ただ、喰らうがために。
(2019.3.27)
兎は鍋をかき回す。優しかった爺さんは、狸が食わせた婆汁のせいで狂ってしまった。あれが食いたい――拒んだ兎を爺さんは殴った。彼女は泣く泣く、新鮮な『食材』を求める日々を送っている。いっそ死ねたら。だが今となっては――兎は膨らみ始めた下腹部に手を遣る。
涙がぽたりと鍋に落ちる。
(2019.3.28)
撃刺矯捷 なること隼 の如し。
男は生きるために殺し、殺すために生きた。天性の剣士は時代の求めに呼応して、人を斬る鬼として駆けた。
そして今、役人の刃は振り下ろされ、男の首は胴を離れて宙を舞った。
双眸 に切口が映る。
(下手やのう)
口元が冷笑を模 った。
岡田 以蔵 、享年二十七。
(2019.3.29)
重箱に並んだ稲荷寿司に、父の顔がほころんだ。武骨な指でつまみ上げ、口に放り込む。ひと粒ひと粒、噛みしめるほどにあふれる油を啜りながら、次の一貫へ手を伸ばす。少しは母さんの味に近づけたかな。
私もひとつ口に入れる。
ああ、おいしいなぁ。
見上げた空は、桜を纏って春爛漫だ。
(2019.3.30)
悪酔いに身を任せて独り、河口をぶらつく深夜二時。指先を二本曲げて、見えない煙草を挟んでみる。ラークの9㎎。あなたが好きだった銘柄。私は嫌いだった銘柄。肺の奥まで吸い込んで、天に向かって噴き上げる。ニコチンもタールも無い健全な紫煙は、潮風に巻き上げられて、月を滲ませる。
(2019.3.31)
(2019.3.16)
拘束された光希の前に現れた興梠。そして、政晃。全てはレジスタンスを壊滅させるための計略だった。光希の精神はついに崩壊する。
「恐れることはない、《月》は僕らの安息の地となるんだ」
政晃の言葉も光希には届かない。正気を失った彼女は地下の独房に軟禁される。そして月日は流れ――
(2019.3.17)
24歳を迎えた日。光希は独房の電子錠が外れていることに気づく。辿り着いた地上は凍えるような静寂に満ちていた。打ち捨てられた模造品たち。天を仰げば、蒼く輝く天体は静かにそこにあった。光希は手を伸ばす。広げた掌から溢れるほどに大きくて――
月が地球に墜ちるまで、あと6日。(完)
(2019.3.18)
新進気鋭の芸術家の住む森がある。森に存在するものは木から石から全て人工物で、藁とデンプン糊を練って作られているらしいが詳しい製法は専門家にも分からないという。
訊ねようにも肝心の当人は肉体を鹿に改造して木立の合間を跳ね回っており、すでに彼岸に別れを告げてしまっている。
(2019.3.19)
愛する人が、愛する人の姿をしたまま壊れていく。俗世の殻を脱ぎ捨てて、醜いばかりの無垢を曝け出す。
哀しい悲しいとは口ばかりで、私の心は微動だにせず、あなたの元を離れることはない。
九十九里の砂浜で千鳥と戯れるあなた。横顔にちらつく黄色い幻影……ただよう死の匂いは、
(2019.3.20)
春の宵に傾けるバカラグラス。口に含んだ琥珀色は、ブルックナーのアダージョとまろやかに混ざり合う。弦楽器の織り成す調べに誘われた眠り
(2019.3.21)
愛は火じゃない、消せども消えることはない。
愛は水じゃない、汲めども尽きることはない。
愛はうねりだ。大切なひとを想うとき、そのぬくもりを両手に抱くとき、心に沸き立つうねりが愛だ。
有機物でも無機物でもない、心地よく豊かな悦びだ。
ただそのままに、身を任せればよいのだ。
(2019.3.22)
三間四方の檜舞台で、男は憑かれたように舞い続ける。
やがて男は気づく。
面に満ちる闇の中、浮かぶひとつの顔がある。
現か、幻か。
視線が交わり、それが己だと悟ったとき。
男の心に、一輪の花が開いた。
(2019.3.23)
グラスに注いだジャックダニエルをひと息に呷る。喉から胃へと滑り落ちる灼熱は、しかしあなたの吐息に及ばず、私はまた孤独を抱いて夜を過ごす。背徳的な恥態でベッドを汚し、冒涜的な言葉で己を穢す。そして朝日が街に昇る頃、ぶちまけた吐瀉物がこびりついた便器を呆然と眺めるのだ。
(2019.3.24)
張りつめた会場に、男の鬼気迫るヴァイオリンが響く。悪魔から教わった技――聞こえた囁きに彼は口元を歪めた。違う、これは私が至った境地。ならば悪魔とは私自身か。
渾身込めて弾ききると、万雷の喝采が降り注いだ。男は両手を上げて客応える。影が巨大な翼のように聴衆に覆い被さった。
(2019.3.25)
燭台の灯のもと、
この錆にまみれた刃は、かつての彼の商売道具だ。それをいま一度手に取るは、
(2019.3.26)
嘘
そして今、私の前に鬼が居る。
報いを受ける時が来たのだ。
おぞましき異形は
ただ、喰らうがために。
(2019.3.27)
兎は鍋をかき回す。優しかった爺さんは、狸が食わせた婆汁のせいで狂ってしまった。あれが食いたい――拒んだ兎を爺さんは殴った。彼女は泣く泣く、新鮮な『食材』を求める日々を送っている。いっそ死ねたら。だが今となっては――兎は膨らみ始めた下腹部に手を遣る。
涙がぽたりと鍋に落ちる。
(2019.3.28)
男は生きるために殺し、殺すために生きた。天性の剣士は時代の求めに呼応して、人を斬る鬼として駆けた。
そして今、役人の刃は振り下ろされ、男の首は胴を離れて宙を舞った。
(下手やのう)
口元が冷笑を
(2019.3.29)
重箱に並んだ稲荷寿司に、父の顔がほころんだ。武骨な指でつまみ上げ、口に放り込む。ひと粒ひと粒、噛みしめるほどにあふれる油を啜りながら、次の一貫へ手を伸ばす。少しは母さんの味に近づけたかな。
私もひとつ口に入れる。
ああ、おいしいなぁ。
見上げた空は、桜を纏って春爛漫だ。
(2019.3.30)
悪酔いに身を任せて独り、河口をぶらつく深夜二時。指先を二本曲げて、見えない煙草を挟んでみる。ラークの9㎎。あなたが好きだった銘柄。私は嫌いだった銘柄。肺の奥まで吸い込んで、天に向かって噴き上げる。ニコチンもタールも無い健全な紫煙は、潮風に巻き上げられて、月を滲ませる。
(2019.3.31)