2020.3.1~2020.3.15

文字数 2,293文字

 立て籠り犯は一人残らず絶命していた。歴戦の特殊部隊も目を覆う惨状だ。少女――“始末屋”は窓際で汚れたナイフを磨いている。
「虫も殺せねぇような面して……」
 部隊長の呟きに少女は応えた。
「虫は殺せないわ。なに考えてるか分からないもの」
 部隊長はその言葉の裏を考えないようにした。
 (2020.3.1)


 コンドルの陪審員団はある青年の判決を任された。難病の母親の医療費に悩み、生命維持装置を切ったのだ。執行猶予付の判決が妥当と思われた。しかし陪審員団は青年の嗜好品出費に注目、医療費は捻出できたと結論づけた。判決は死刑。吊るされた青年の肉に、コンドルは我先に飛び付いた。
 (2020.3.2)


 年に一度のハレの日は、少女の悲鳴で始まった。畳の上に転がるバラバラにされた男雛の残骸。その傍らには何故か衣服のはだけたフランス人形。困惑と恐怖で泣き喚きながら、少女は母親を呼びに走った。
 その光景を、女雛は壇上から静かに見下している。のっぺりとした、死人のような顔で。
 (2020.3.3)


 批判が相次ぎ、ついに国会もマスク着用が義務づけられた。しかし口許が見えないのをいいことにヤジが飛び放題、言った言わないの水掛け論に。誰もいない控え室では知事の会見映像が流れている。
「このたび、X県で初の陽性患者が確認され……」
 念のため――この話はフィクションであり云々。
 (2020.3.4)


 3月の日々は濃密だ。まるで薄まっていた11ヶ月を埋め合わせようとでもするかのように。毎日を真剣に生きていたはずだ。でもひょっとしたら、無意識のうちに甘えていたのかもしれない。その後悔が溶け出して、日々の濃度を上げているのか。息苦しさにもがきながら、やがて訪れる春を想う。
 (2020.3.5)


 独善的な王は大臣の忠言にも耳を貸さなかった。
 ある日、大臣が首を吊っているとの報せが王に届いた。遺書には『目をお覚まし下さい』とあった。王は嘆き、自らの行いを悔いた。
 そこに死んだはずの大臣が現れた。王を諌めるためにひと芝居打ったのだ。
 王は怒り、大臣は首を刎ねられた。
 (2020.3.6)


 奥の間の客は朝夕の配膳だけでよい、ただし一切の言及を禁ずる――旅館の全従業員に通達がなされた。
 その部屋には誰もおらず、薄汚れたセルロイドのマネキンが一体、布団に寝かされていた。仲居は努めて何も見ないように、理解不能の給仕をこなした。
 客は三日三晩泊まり、翌朝に退館した。
 (2020.3.7)


 日曜の午後はシャツにアイロンをかける。元々は別れた妻の担当だった。彼女はアイロンがけの達人だった。私も最初こそ慣れなかったが、今ではずいぶんと上達した。しかし、どこかわずかにしわを残してしまう。完璧に仕上げてしまえば、妻がいてくれた理由がひとつ消えてしまう気がして。
 (2020.3.8)


 日頃の暴虐ぶりは何処へやら、庄兵衛(しょうべえ)は油虫のように逃げ回り、詰め腹を拒み、乱心した挙句に斬り死にした。武士にあるまじき死に様だった。
(暗君であったとはいえ、主に刃を向けたわしも武士とは云えぬがな)
 九郎(くろう)は小太刀を執ると、己が喉笛を掻き切り、武士にあるまじき最期を遂げた。
 (2020.3.9)


 マンハッタンが雨に煙る日は、透明な巨人が摩天楼を闊歩する。エンパイア・ステート・ビルは格好の展望台、セントラルパークでひと休みしたら、ブルックリンブリッジをまたぎ越して海に消えてゆく。僕だけに見える巨人。彼を眺めてさえいれば、両親の帰りを待つ時間も寂しくはないのだ。
 (2020.3.10)


 あれから9年の月日が経つ。夜が赤く染まるのを見た。海が黒いことを知った。
 いつまでも忘れないと思う人がいる。いつの日か忘れようと思う人もいる。正しい正しくないじゃ量れない熱を胸に抱き、僕らは今日を明日を生きていく。
 いま一人、黙して祈る――東の海に眠る御霊よ、安らかなれ。
 (2020.3.11)


“狂った外科医”と呼ばれる私に一人の男が宛がわれた。彼は不死で如何なる傷病も回復するという。私は様々な方法で男を殺そうと試みたが、苦しみこそすれ一向に死ぬ気配はなかった。悲鳴に苛まれる日々に耐え兼ね、ついには引退を決意した。化け物は私に人間の心を取り戻させたのだった。
 (2020.3.12)


 多彩な芸風の作曲家はそれ故に苦悩していた。ロマン派の化石、ただの雑音……キレた彼は五線譜に墨を垂らしたものを作品として発表した。すると批評家は「世紀の逸品」と大騒ぎ、楽譜はベストセラーになった。
「凡人どもめ!」
 作曲家は憤慨しながら、今日も印税で建てた豪邸で墨を磨る。
 (2020.3.13)


 もらえなかったんだから、お返しも何もないだろう。菓子売り場に積まれた白い箱を見つめて、溜め息をつく。クラスのマドンナである彼女は、誰にチョコをあげたんだろう。そして誰からチョコをもらうんだろう。もやもやと沸き立つ感情は羨望ではなく、想像に掻き乱される自身への侮蔑だ。
 (2020.3.14)


 メンデルスゾーンのヴァイオリン・コンチェルトのカデンツァ――紡ぐ音色は甘くふくよかで、かつて無い手応えを感じる。恋愛経験が演奏を豊かにするというのは本当のようだ。たとえそれが望まぬ別れであったとしても……。それでも歓喜が悲哀を凌駕してしまう私は、どうしようもなく音楽家だ。
 (2020.3.15)
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