2018.9.16~2018.9.30
文字数 2,443文字
君と二人きりの教室は広くて、ここが世界の全てなんだとか思ったりする。時計の針は見て見ぬふりして、僕は相対性理論に必死の抵抗を試みるのだ。
時々噛み合わない会話や相槌にうんざりしないで。君の言葉、仕草、笑顔を逃がすまいと必死なんだ。君の前では、余裕でなんていられない。
(2018.9.16)
きついとかつらいとか遠慮せずにぶつけてくるから、僕も君に弱音を吐ける。背負えない重荷は半分ずつ持ってみて、限界が来たら潔く投げ出す。愚痴って喧嘩してちょっぴり泣いたら、もう一度手を取って歩き出す。そんな関係を許して許されて、僕達の恋は随分と甘やかされている気がする。
(2018.9.17)
紫煙たゆとうカウンターで、揺らぐ視線は酒瓶の摩天楼を駆け巡る。琥珀の水面に美しい女の横顔が浮かぶのを見たならば運命だ。彼女の名を静かに呟けば、煌めくガラスの槽 に乗って、君の元へと降りてくる。水の珠を湛えて輝く肌。君が優しく添えた唇を通じて、胃の腑に熱い接吻をくれる。
(2018.9.18)
椛 舞う街で君に会う。下ろし立てのパンプスが刻むリズムに乗れば、下手くそな鼻唄も様になるもんだ。どんな服を着て来るかな。明るくした髪に気付いてくれるかな。今にも止まりそうな心臓を奮い立たせ、約束の場所に着く。君はもう来ていた。溢れる笑顔。
――ああ、もうどうだっていいや。
(2018.9.19)
葬儀場で働き始めたころ、初仕事でパニクってしまい、遺族に「またお越し下さいませ」と言ってしまった。青ざめた私に、喪主であるお爺さんは言った。
「分かった。私の時は、貴女にお願いするよ。頼むね」
そして今、私は約束を守ってくれたお爺さんのために最後の舞台を準備している。
(2018.9.20)
君と過ごすようになって、随分と刻が過ぎた。必死になって追いかけたその表情も、今では見慣れたものになった。
けれどたまに、その表情が呼吸を忘れるくらいに切なくなる一瞬がある。純粋な輝きに思わず顔を赤らめてしまう。その刹那だけは、まるで初恋のような快楽が、胸に満ちるのだ。
(2018.9.21)
君の前ではいい子のふり。煙草も吸わない。汚い言葉も吐かない。退屈な話に耳を傾け、偶然を装って君の腕をかすかに撫でる。その気になった君は、近いうちに踏み込んでくる。その時は種明かしをしてさようなら。私は君に興味はない。真実を知って、恥辱に歪む愚かな男の顔が見たいだけ。
(2018.9.22)
人は心のうねりを分析し、愛情とか嫉妬とかラベルを貼って分類しようとする。
けれどそれは残酷な腑分けに他ならない。生きたまま切り刻んでほじくり返して、残るのは直視に耐えない醜い屍。
だから厭になるのだ。自分の心から目を背けるのだ。ただうねりに身を任せればいいだけなのに。
(2018.9.23)
夜更けの埠頭 。クレーンの灯 が鼓動のように時を刻んでいる。
女は岸壁の縁に立った。生の執着を棄てた女は、殺し屋の来訪を笑顔で迎えた。それは凍るほどに美しく、俺は思わず目を逸らしたほどだった。
銃を向けると、女は目を閉じた。引鉄を引く。小さな水音。汽笛が一条 、夜に響いた。
(2018.9.24)
駿河 八十丞 、空き腹抱えの流浪の侍。
それが何の因果か、鳴沢 藩主朝倉 路興 より登城の命を受けた。路興は悪政を敷き暗君と名高き人物である。
(莫迦 殿様に好かれるたァ、御仏 さんも粋な縁組みしやがるぜ)
嘆息する八十丞だが、これ幸いと登城して只飯を喰らっているのだから始末が悪い。
(2018.9.25)
愛した男が死んだ。慟哭する私はその頬に縋り付いた。せめて別離の接吻をと、唇に顔を寄せた。
その僅かに開いた口の中から、小さな蠅が一匹、顔を覗かせた。
蝿は忙しげに手足を擦ると、何処へと飛び去った。
意識を奪われていた私が我に帰ると、目の前には死体がひとつあるだけだった。
(2018.9.26)
夜明けと共に筆を執り、原稿用紙に向かう。生来口下手だが紙の上では饒舌だ。言葉は筆先から滔々と溢れる。流れを塞き止めぬよう、一向 らに指を動かし続ける。陽が落ちる頃に漸く筆を置く。層を成した原稿用紙は西日を背負い伽藍 のように佇んでいる。
物書きの一日は斯くの如く過ぎゆく。
(2018.9.27)
ある都市に起きた悲劇を語ろう。
その冬の雪は珍しく積もり、聖夜にお誂 え向きの舞台が整えられていた。
しかし街に人影は無かった。静まり返った交差点で信号機は虚しく明滅を繰り返していた。 それは一羽の鳥が齎 したものだった。
たった一羽の鳥によって、この街は殺されたのだった。
(2018.9.28)
正論直論 じゃ開けられねェ扉が在った。意地でもその先が見たかった俺は、邪論曲論 で抉じ開けた。お堅い連中は卑怯だと喚くが知ったこっちゃねェや。たとえ筋を曲げたとしても、遣えるモンなら何でも遣う。覚悟が無ェ奴ァ黙ってな。手前等 が一生賭けても拝めねェ絶景に、俺は逢いに行く。
(2018.9.29)
納骨堂の隅で手を合わせる。
瞼を閉じて呼吸を整える。
内と外の境が消える。
白檀 の香り。
鶲 の囀り。
葉擦れ。
鼓動。
息。
聞こえるが聴いていない。
見えないが視ている。
考えず、思わず。
私は「空」になる。
静かに瞼を開ける。
瞳に映る世界は。
少しだけ、きれいになった。
(2018.9.30)
時々噛み合わない会話や相槌にうんざりしないで。君の言葉、仕草、笑顔を逃がすまいと必死なんだ。君の前では、余裕でなんていられない。
(2018.9.16)
きついとかつらいとか遠慮せずにぶつけてくるから、僕も君に弱音を吐ける。背負えない重荷は半分ずつ持ってみて、限界が来たら潔く投げ出す。愚痴って喧嘩してちょっぴり泣いたら、もう一度手を取って歩き出す。そんな関係を許して許されて、僕達の恋は随分と甘やかされている気がする。
(2018.9.17)
紫煙たゆとうカウンターで、揺らぐ視線は酒瓶の摩天楼を駆け巡る。琥珀の水面に美しい女の横顔が浮かぶのを見たならば運命だ。彼女の名を静かに呟けば、煌めくガラスの
(2018.9.18)
――ああ、もうどうだっていいや。
(2018.9.19)
葬儀場で働き始めたころ、初仕事でパニクってしまい、遺族に「またお越し下さいませ」と言ってしまった。青ざめた私に、喪主であるお爺さんは言った。
「分かった。私の時は、貴女にお願いするよ。頼むね」
そして今、私は約束を守ってくれたお爺さんのために最後の舞台を準備している。
(2018.9.20)
君と過ごすようになって、随分と刻が過ぎた。必死になって追いかけたその表情も、今では見慣れたものになった。
けれどたまに、その表情が呼吸を忘れるくらいに切なくなる一瞬がある。純粋な輝きに思わず顔を赤らめてしまう。その刹那だけは、まるで初恋のような快楽が、胸に満ちるのだ。
(2018.9.21)
君の前ではいい子のふり。煙草も吸わない。汚い言葉も吐かない。退屈な話に耳を傾け、偶然を装って君の腕をかすかに撫でる。その気になった君は、近いうちに踏み込んでくる。その時は種明かしをしてさようなら。私は君に興味はない。真実を知って、恥辱に歪む愚かな男の顔が見たいだけ。
(2018.9.22)
人は心のうねりを分析し、愛情とか嫉妬とかラベルを貼って分類しようとする。
けれどそれは残酷な腑分けに他ならない。生きたまま切り刻んでほじくり返して、残るのは直視に耐えない醜い屍。
だから厭になるのだ。自分の心から目を背けるのだ。ただうねりに身を任せればいいだけなのに。
(2018.9.23)
夜更けの
女は岸壁の縁に立った。生の執着を棄てた女は、殺し屋の来訪を笑顔で迎えた。それは凍るほどに美しく、俺は思わず目を逸らしたほどだった。
銃を向けると、女は目を閉じた。引鉄を引く。小さな水音。汽笛が
(2018.9.24)
それが何の因果か、
(
嘆息する八十丞だが、これ幸いと登城して只飯を喰らっているのだから始末が悪い。
(2018.9.25)
愛した男が死んだ。慟哭する私はその頬に縋り付いた。せめて別離の接吻をと、唇に顔を寄せた。
その僅かに開いた口の中から、小さな蠅が一匹、顔を覗かせた。
蝿は忙しげに手足を擦ると、何処へと飛び去った。
意識を奪われていた私が我に帰ると、目の前には死体がひとつあるだけだった。
(2018.9.26)
夜明けと共に筆を執り、原稿用紙に向かう。生来口下手だが紙の上では饒舌だ。言葉は筆先から滔々と溢れる。流れを塞き止めぬよう、
物書きの一日は斯くの如く過ぎゆく。
(2018.9.27)
ある都市に起きた悲劇を語ろう。
その冬の雪は珍しく積もり、聖夜にお
しかし街に人影は無かった。静まり返った交差点で信号機は虚しく明滅を繰り返していた。 それは一羽の鳥が
たった一羽の鳥によって、この街は殺されたのだった。
(2018.9.28)
(2018.9.29)
納骨堂の隅で手を合わせる。
瞼を閉じて呼吸を整える。
内と外の境が消える。
葉擦れ。
鼓動。
息。
聞こえるが聴いていない。
見えないが視ている。
考えず、思わず。
私は「空」になる。
静かに瞼を開ける。
瞳に映る世界は。
少しだけ、きれいになった。
(2018.9.30)