2019.4.16~2019.4.30

文字数 2,364文字

 小雨ちらつく日本橋
 瓦斯燈(ガスとう)ゆれる欄干で
 若い男女は巡り逢う。

 傘の合間に目を交わし
 あっという間の一目惚れ。
 どちらともなく手を取って
 粋な和装をひるがえし
 くるりくるりと踊り出す。

 蛇の目でダンスも素敵でしょ?

 やがてくちびる触れ合えば
 あら大団円
 お天道(てんと)さまが顔を出す。
 (2019.4.16)


「結婚しても、貴方のいちばんは絵のままでした。それが悔しくて、いちばんになりたくて、全部焼き捨てたのです。でも貴方からいちばんを奪っても、私がいちばんになれるわけじゃなかった。浅はかな女を許して。せめて、貴方の二番めのまま死に」
 そこまで読んで、男は手紙を破り捨てた。
 (2019.4.17)


 尿意を感じ便所に立つ。田舎の夜は闇より暗い。丑三つの廊下を手探りで歩く。突き当たりの戸を開けて電気を点けた。
 裸電球のちりつく円の下に、何かがいる。
 子牛ほどのそれは見られていると知るや、ぎゃっと鳴いて窓から消えた。
 しばらくして私は、濡らした衣服を換えに部屋へ戻った。
 (2019.4.18)


 海沿いの道を歩く。二十年前、木枯らしに吹かれながらペダルを漕いだ通学路。学友たちの笑い声が聞こえてきそうな気がして、イヤホンも外してしまった。あの頃、必死になって追い求めたものは、今はひとつも手元に残っていない。若さだけで生きていた日々の、何とシンプルだったことか。
 (2019.4.19)


 私の彼氏は、正真正銘の透明人間。傍にいても気づかないこともある。だからデートする前には、真っ赤なルージュでしるしをつける。スクランブル交差点の中だって見失う心配はない。あっという間の一日。それじゃあまたねと(おそらく)手を振って、宙に浮かんだくちびるが夜に溶けていく。
 (2019.4.20)


 多摩川の水が一滴残らず乾上がった。山奥で調査隊が見たものは、渓流を塞ぐ巨大な石だった。石は狂ったように水を吸い込んでいた。ひでりがみじゃ――案内の古老は言った。渇きを司る神は自らも渇きに苛まれていた。調査隊は御神酒(おみき)を捧げ、その場を辞した。
 翌朝、多摩川は元に戻っていた。
 (2019.4.21)


 出張先は、幼い頃に住んでいた町だった。仕事を片づけた僕の足は、いつの間にか商店街を歩いていた。呉服屋の水槽から錦鯉はいなくなっていた。たばこ屋の看板猫は茶トラから三毛になっていた。変わったのは僕だけではなかった――安堵と寂寞の念は身の内で混じり合い、僕の鼻をすすらせた。
 (2019.4.22)


 お遊戯のための楽器だと思ってないか?
 冗談じゃねえ!俺が刻むリズムにはジプシーの血が流れてんだ。この気持ちを分かってくれるのはトライアングルの姉御くらいさ。おまけに俺には太鼓とシンバルが両方ついてる。いわばハイブリッドなんだぜ――

 聴いてください、タンバリンのブルース。
 (2019.4.23)


 ラジオから流れたのは英語の歌だった。不真面目な中学生には、もちろん意味なんて分かりゃしない。だけど不思議と理解できたのだ。男のがなり声は言語を超えて胸に沁みた。
「お聴きいただいたのは、ローリング・ストーンズで『ビッチ』……」
 こうして、僕の遅すぎる70年代がやってきた。
 (2019.4.24)


 ぶりっ子するなとか媚びるなとか、うるせーんだよ。気持ちよく生きようとして何が悪いんだ。てめーらだって、男どもからちやほやされてみろ、ころっと手の平返しするのは目に見えてんだ。ま、そんな才能、端から無いんだろうけどさ。
 黙って口閉じてろ。負け犬の遠吠えは耳障りなんだよ。
 (2019.4.25)


 由美(ゆみ)のうすもののような(はだ)に、省吾(しょうご)は指や唇の形を刻んでいく。首筋、乳房、腹部を経て内股へと下る省吾の動きが、止まった。
 覚えのない鬱血の跡。
 焦れた由美が身をもたげた。硬直の理由に気づいた瞬間、青ざめる頬。由美を見据えたまま、省吾は跡を強く吸った。
 女は声も立てなかった。
 (2019.4.26)


 男はただ、つばめを斬るためだけに技を磨いた。そして、時は来た。巣の前に立ち、刀を抜く。鋼が鞘中(しょうちゅう)を擦る音が届いたか、つばめは首を廻らせて、男を捉えた。男はゆるりと刃を構える。つばめは翼を拡げた。身の丈三里はあろうかという怪鳥は、ひらり宙に浮き上がると、男へと疾駆した。
 (2019.4.27)


 鴉が一羽、道を闊歩している。その行く手を小さな水溜まりが塞いだ。鴉は水面を覗き込み、そこに映る己に向かって二三度瞬いた。
 次の瞬間、水溜まりから青白い手が伸びて、鴉を中に引きずりこんだ。
 ばしゃん、と大きな水音。
 あとには黒い羽がひとひら、水面に浮かんでいるだけである。
 (2019.4.28)


 椋鳥(むくどり)がオフィスビルの合間に遊んでいる。かしましく跳ね回る姿は童のようだ。
 はたと、彼らの動きが止まる。一様に首を伸ばし、空の一点を凝視する。その嘴の先を辿ってみる。ちぎれた雲があるだけだった。
 顔を戻すと椋鳥の姿はなかった。まるで最初から存在していなかったかのように。
 (2019.4.29)


 頬をつつくと姪は無邪気に笑った。兄嫁が外出する間、子守りは(りん)の役目である。
 不意に、この愛らしい天使も子作りの結果なのだと凜は思う。脳裏に閨で乱れる夫婦の姿が浮かんだ。兄嫁の顔はいつしか自分になり、兄の顔は片想いの同級生となる。
(ふしだらだ)
 凜は赤い顔を姪から背けた。
 (2019.4.30)
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