2018.12.1~2018.12.15

文字数 2,452文字

 見よ、君が粗雑に扱った我が心を! 殻が破れて溢れ出たのは腐肉の汁――包みを剥がされた我が劣情。 私はそれを諸手で(すく)い、一心不乱に飲み下す。飲んでは吐き、吐いては飲む。君の蔑視に酔い痴れる。吐瀉物も涙も、今の私には極上の(さかな)だ。
 ああ、その眼に焼き付けよ、君が壊した男の末路!
 (2018.12.1)


 図らずも衆目に裸体を晒した事で、英雄メロスの名声は幾分か下半身寄りなものとなってしまった。好奇と羨慕(せんぼ)の視線は常に付き纏った。その身を包んだ緋のマントは、好事家(こうずか)が挙って求める珍品となった。恥の多い人生を送った事こそ不憫ではあるが、少なくとも彼は生涯、女に困らなかった。
 (2018.12.2)


 苦悶、苦悩、苦渋――運命は若人(わこうど)の肉体に幾度も(つち)を振るう。重い打撃に骨身は(ねじ)れ、まさに千切れんばかりである。
 だが若人よ、屈するな。面を上げて前を向け。捻れて引き絞られたその肉体は、今や万界無双(ばんかいむそう)(いしゆみ)となった。
 (つが)え射て、意志の矢を。
 乾坤一擲、闇をも融かし、光を導く路を描け。
 (2018.12.3)


 まただ――市瀬(いちせ)亮子(りょうこ)は思う。視線は起立の位置にある。しかし身体は足元に仰臥(ぎょうが)している。首から先は闇に溶けて視えない。
 首が抜けている。身体を離れ宙に浮いている。
 無論、夢である。もう幾度見た事か。今では夢中に夢だと気付ける程だ。翌日に崩れる体調を考え、亮子は憂鬱な気分で居る。
 (2018.12.4)


 深夜の高速道路。丸一日の立ち仕事からの帰路、車中に会話が途絶えて久しい。頭の中は無だ。もはや運転すらも作業のように感じられる。
「綺麗やな」
 ふと助手席の同僚が呟いた。窓の外に眠らぬ工場の灯が明々と燃えていた。ああ、と相槌を打った私は、未だ存在する人間らしい心に驚く。
 (2018.12.5)


 しんと冷えた朝は、ココアの湯気の主張が激しい。あなたは眼鏡が曇らないように、せかせかとマグを吹いている。大人なあなたが今だけは子供に見えて、思わず頬が緩んでくる。何だよと顔を上げた目の前が真っ白になって、私はとうとう噴き出しちゃう。
 甘い香りのひととき、私はしあわせ。
 (2018.12.6)


 独りで飲むコーヒーは熱いばかりで味なんかしない。向かいに置いた君のマグは妙に畏まり、その白い肌に骨壺の像が被さって飲む気が失せる。流しに捨てたコーヒーは渦を巻いて排水溝に消える。あの日、君が染めたてを(なび)かせた髪の色と同じで――。
 涙が未練がましく、点々と渦を滲ませていく。
 (2018.12.7)


 常人ならざる出自、活躍、そして死。男の生涯は英雄たるに相応しいものだった。
 しかし死後、その碑に刻まれたのは化物の二文字だった。惜しくも時代は男を受け入れなかった。人々は彼を「人ならざる」異形としか認識しなかったのである。
 荒野の片隅で、碑は今日も雨風に晒されている。
 (2018.12.8)


 秋が去り、沼地は冬に閉ざされる。陽は厚い雲に遮られ、立ち枯れた蓮の群は震えながら頭を垂れている。
 敬虔なる信徒は一途に忘我を希う。やがて結ばれる果実は欲の手に摘み取られ、愚かなロトファゴイの唇を潤すだろう。
 蓮よ、憐れな花よ。今はただ己の安寧の為に、(とう)して忘我を孕め。
 (2018.12.9)


 その小さな影はいつも部屋の隅に佇んでいる。三才児ほどの大きさで、何か悪さをするでもないので放置していた。
 ある日、霊感のある後輩を家に呼んだ。部屋に入るなり彼は凍り付いた。
「やっぱ見えるか。子供の霊?」
「……あれ何ですか」
 影を見る。無数の細い腕が床を這い回っている。
 (2018.12.10)


 ゆらゆらと
 ラインの(かいな)に揺られて沈む

 何びとの指も
 憩いの宿にはならなかった

 無双の英雄も
 死の鎖を絶ち切れなかった

 黄金の肌に揺らめくは
 神々の城を焦がす滅びの焔
 戦乙女の清らかな愛の化身

 静かに瞼を閉じ
 胎に巣食う呪いを抱く

 乙女の歌声にくるまれて
 指輪は水底の(しとね)に還る
 (2018.12.11)


 タコ型の宇宙人が現れた。警戒する地球人に親愛の情を示そうと、宇宙人は身体を大きく開いた。それは彼にとってのハグだったが、傍目には丸呑みにしようとしているようにしか見えなかった。宇宙人は蜂の巣にされて死んだ。全身から吹き出た膿のような汁を涙だと理解する者はいなかった。
 (2018.12.12)


 いやらしく闇をねぶる貴方の舌は
 さながら肥え太ったなめくじで
 蠕動(ぜんどう)に呼応してわななく唇から
 わたくしのなめくじは這い出ずる
 糜爛(びらん)が擦れてぐじゅぐじゅ鳴いて
 快楽が蛋白質を滾らせて爆ぜる
 突如として首切り刃は落ちかかり
 交わりは頂きのまま幕を閉じる
 穢らわしい愛慾(あいよく)は渇いて臭う
 (2018.12.13)


 画壇の爪弾き者だった男が遺した金庫には、現代最高峰の画家ですら嘆息するほどの作品が山と積まれていた。天文学的な価格で落札された作品は世界の富豪達の手に渡った。
 しかし幾日も経たず、全ての作品がぼろぼろと崩壊していった。露わになった画布には突き立った中指が描かれていた。
 (2018.12.14)


 部室に先輩と二人きり。冬の陽だまりが床で静かに揺れている。
「きーちゃん年末は実家帰るの?」
「バイトなんで明けてからっすね」
「頑張るねぇ、感心するわ」
 こんな会話も今年まで。春に先輩は卒業する。交わす言葉を大切にしたい。だけど意識すると作りものみたくなる。歯がゆい。
 (2018.12.15)
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