2021.6.1~2021.6.15

文字数 2,195文字

 箸が止まる。野菜炒めの中にキャベツがひと切れ――それは僕と妻だけに分かる合図。風呂に入り、子どもたちを寝かしつけ、妻にウインクする。手渡されるまな板。側面に触れると展開し、現れた画面には黒ずくめのボスの姿。
「お仕事ご苦労様。さて、残業の時間だ」
 秘密諜報員に休息はない。
 (2021.6.1)


 衛星軌道上のゴミは糸に絡め取られ、月へ引き寄せられていく。糸を手繰るのは巨大な蜘蛛。月の裏側に住む彼らは、外見こそ脅威だがシャイだ。かねてから地球に関心があった彼らは、“まず控えめに”自分たちの力を見せたのだ。このパフォーマンスは大当たりし、宇宙外交の第一号となった。
 (2021.6.2)


 ホワイトボードに記された顛末に、真島(まじま)は言葉を失った。客からのクレームに端を発した内部調査の結果、浮かび上がったのは中核部門の違法な営業行為だった。全てを明るみにすれば倒産する……瀬戸際に立たされた真島は、経営者として、
「何とかしろ」
 どうとでも受け取れる指示を出した。
 (2021.6.3)


 ここに名も知らぬ草が一輪、ひっそりと生えている。辺りは薄暗いが、膜を通したような光に満ちている。とある雑居ビルの屋上、その片隅に置かれた貯水槽の中。どこからか運ばれた種が芽吹き、根を張ったのである。風すらも知らぬ草は水のそよぎに合わせ、小さな命を静かに揺らしている。
 (2021.6.4)


 突如として首都のシンボルタワーが倒壊し、現れたのは未知の群生生物。地下鉄網は瞬く間に掌握され、全都民に避難指示が出された。人の気配が消えて死に絶えた街に、倒壊するビルの響きがこだまする。千里の堤も蟻の一穴から――果たして食い荒らされるのは、首都だけで済むのだろうか……。
 (2021.6.5)


 ブランドもののバッグが一、二、三……。五まで数えて私はキレた。
「こんなに買い込んで!」
「ごめんなさい。全部処分します」
「まったく……」
「あ、待って」
 妻が取り出したのは私のスマホ。しかもゲーム用の。
「そ、それは!」
「ずいぶん課金したみたいね……さ、あなたも“処分”して」
 (2021.6.6)


「またか」
 入金明細を眺めながら、ため息が漏れる。1円の過入金。ここの経理担当は社長の姪で、頻繁にやらかすのだ。すぐに電話をかける。
「はい、小倉(こくら)工業です」
「すみません、入金の件ですけど」
「あ、はい!私です!」
 声のトーンが上がる。だから、何でいつも嬉しそうなんだよ。
 (2021.6.7)


「ご契約ありがとうございました。こちら、粗品ではございますが」
 要らない……とは言えない質である。そうやって溜め込んだいろいろが、テレビの前にズラリ。男やもめの独り暮らしには似合わないキャラクター人形。下手したら仏様より面を拝んでるんじゃないかと、不謹慎なことを考える。
 (2021.6.8)


 たぶん、いや間違いなく奇跡だ。何の変哲もないバックでも10回は切り返す女が、縦列駐車を一発で決めたのである。まあここは素直に褒めておくのが無難だろう。
「やるじゃん」
「お、おう」1オクターブ低い声。そのままカクカクとこちらを向いて、
「で、どうやって出るの?」
 おいおい。
 (2021.6.9)


 殺し屋に必要なのは非情さではない。私だって緊張するし、哀れみもする。必要なのは機械のように精密な技術だ。どこを撃てば死ぬか。どこを刺せば死ぬか。どこを折れば死ぬか。過たず、最小の動きで事をし遂げる。ある意味スポーツ的だ。大きな違いは、賭けるのは他人の命だということ。
 (2021.6.10)


 スターティングメンバーに藍沢(あいざわ)周士(しゅうじ)の名前は無かった。ざわつく一同。一方の当人は心中で安堵していた。絶対のエースにも他人には見えない不振がある。それを監督は見抜いていたのだ。監督と視線が合う。頭を下げようとした藍沢を切れ長の目が制した。エースは背筋を伸ばし、前を向いた。
 (2021.6.11)


 マッチを放る。ガソリンをたっぷり吸った札束の山は、一瞬で炎の塊と化した。惜しいが、やむを得ない。盗んだ金には識別用の塗料が付着しており、手元に置いておくのは危険と判断したのだ。酷い臭いに吐きそうになる。紙に染み込んだ人間の脂だ。どんな炎でも浄化できない、欲望の臭い。
 (2021.6.12)


 布団が、ふっ飛んだ。
 洒落ではなく、本当に吹っ飛んだ。
 遠心力を利用し窓から投げ出された羽毛布団は、空中で減速したのち、どぶ川に着水した。
 唖然とする俺の襟首を、梨子(りこ)は乱暴に掴む。
「他に元カノからもらったものあったら、全部出せ」
 付き合うまでのしおらしさは、幻と消えた。
 (2021.6.13)


 偽物だ。どれほど真に迫っていても、限りなく近いだけで、越えられぬ一線が存在するのだ。
 しかし、一流鑑定士の眼は看破できなかった。あろうことか、未発掘の逸品だと箔を付けてしまった。
 もう後戻りはできない。私の手慰みはいま、防弾ガラスの中に鎮座し、秒単位で金を産んでいる。
 (2021.6.14)


 生きざまの美しいひとに憧れる。ものの見方、考え方に芯が通っていて、ブレることがない。それはただ頑固なのとは違い、揺れてしなる柔らかさも持ち合わせている。言葉は聡明でよく響き、鋭さを感じない。あんなふうになりたい……なれるだろうか……私は、とても贅沢な悩みを味わっている。
 (2021.6.15)
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