2023.3.16~2023.3.31

文字数 2,331文字

 スクランブル交差点の真ん中で、私は色彩の渦に囚われている。色と色は撓み弾けサイケデリックな暴力となって、脆き肉体を苛む。共感覚を持つ私は音を聴くと、目の奥に色が立ち上がる。天才と持て囃されて上京し、待っていたのは地獄だった。大都会は許容できないほどの音に溢れていた。
 (2023.3.16)


 車窓の外に満ちた夜は、くたびれた男の貌を描いている。民家の灯りはまばらで、まるで放棄された銀河のようだ。降りるべき駅は彼方へと去った。日常も義務も捨て、私はこの暗い銀河へと身を投じる。車掌のアナウンスがどことも知れぬ駅名を告げた。私は手荷物をまとめると、席を立った。
 (2023.3.17)


「……ちょっと濃いな」
「あれ、そのくらいじゃなかった?」
 友人は水を足す。三年会わないうちに好みの割り方を忘れたらしい。
「この具合じゃあ、飲み会増えたら上役たちに怒られるな」
「間違っても、お湯は後から入れるなよ」
「それはさすがに……でも若いのは」
「知らんかもな」
 (2023.3.18)


 花見という名の酒盛りもいいのだけれど、純粋に桜の花を愛でるのも好きだ。あたたかな陽の下で、さえわたる月の下で、はかなく散っていくさまは美のひと言に尽きる。天気予報では雨が続くらしいが、それはそれでいい。足跡に汚れて水たまりに浮かぶ花びらにもまた、風情があるのだから。
 (2023.3.19)


 ふざけたピアニストだった。やたらと表情筋を動かしながらベートーヴェンを弾きこなす。癇に障る。楽聖の傑作は顔芸ついでに奏でていい作品じゃない。調子に乗ったピアニストは、半目で昇天しながら熱情ソナタを弾き始めた。我慢の限界だ――椅子を蹴倒そうとした私の袖を、誰かが引いた。
 (2023.3.20)


 父は仕事に行ったまま帰ってこなかった。数日後、会社の偉い人が家に来た。
「殺されたんだ、この男に」
 偉い人は写真を見せた。そこには、世界中でヒーローと持て囃される人物が写っていた。
「我々は悪の秘密結社、ヒーローに退治される運命を変えたいのだ。一緒に来てくれないか……」
 (2023.3.21)


“夢の舞台”は、もう夢ではなくなった。ぼくの足跡が残る道になった。汗と涙が、喜びと苦しみが、まばゆいばかりに輝いている。何より喜ばしいのは、この眺めを皆で分かち合えることだ。共に戦った仲間たち、背中を押してくれた声援――夢の先には夢が続いていて、ぼくは再び歩き出すのだ。
 (2023.3.22)


「何を考えているんだ!」台所に呼び出された私は、兄に手酷く叱られた。
「不謹慎にも程があるぞ!」
「ごめんなさい」
「いい恥晒しだよ。自分の親の葬儀で笑うやつがどこにいるんだ!」
 だって――おかしかったのだ。皆一様に黒い服を来て、意味も知らない念仏に真面目腐っているのが。
 (2023.3.23)


 防犯カメラに顔を向けた二人の女は別人なのだが瓜二つだった。まるでクラナッハのユーディットとサロメだ。もっともこの女たちが手に持っているのは生首ではなく、林檎と桃だが。万引きの常習犯にもなると、人殺しと同じような目をするらしい。道徳を嗤い、誇らしげに獲物を掲げている。
 (2023.3.24)


「強盗と鉢合わせて殺してしまいました」
 通報を受けて急行した警察官は、血塗れの包丁を握った老人と、すでに息絶えた若者を発見した。
「この人が強盗?」
「はい、台所を物色していました」
「……あなたの息子さんだよ」
「何を言うんですか。こんな男知りませんよ……あんたら誰?」
 (2023.3.25)


 雪解けの水で口をすすぐ。唇に、ひりりと凍みた。山は春をほころばせながら、いまだ冬の険しさを残している。鼻腔を満たす空気にも、緑のふくよかさは疎らである。頂は遥か彼方、日輪を背負って黒く聳え立っている。昔日、庭のように駆け回った土地だが、還暦を過ぎた老体に容赦はない。
 (2023.3.26)


 かつては炊飯器すら持っていなかった自分が、料理にハマるとは想像だにしていなかった。仕事の憂鬱を晴らそうとして、行き着いたのがこれだった。料理は手をかけただけ応えてくれる。あと、少しの甘えも許してくれる。彩り豊かな食卓は自分へのエールだ。両手を合わせて、いただきます。
 (2023.3.27)


 各国の紙幣が山と積まれている。そこに火が放たれた。これらはとある犯罪者集団の手で精巧に作られた“贋札”だ。天才科学者が開発した判別機器によりかき集められたのだが……。
「ま、待て!焼却を止めろ!」青い顔をした役人が駆け込んできた。
「それは本物だ!科学者もグルだった!」
 (2023.3.28)


「運転手さん、速度超過です。パトカーまで来ていただけますか」
「みんなとばしてるじゃん!俺だけじゃなくて他のも捕まえろよ!」
「はい、今からやります」
 ドライバーの横を何かが高速で飛び去っていった。
「な、なに?!」
「ドローンです。あれが停めますので、パトカーへどうぞ」
 (2023.3.29)


 夕立のにおいが街を包んでいる。殺人にはうってつけの黄昏だった。濡れたアスファルトに倒れた身体は、捨てられた花束に似ていた。何人の男たちが、この芳しい身体を抱いたのだろう。せめて枯れるまで生けておけば――それは死よりも残酷な仕打ちだ。今になって、鉛玉ひとつが惜しくなる。
 (2023.3.30)


 不正の証拠を突きつけられているのに、部下の態度には不思議な余裕があった。内面は分からないが、頬には笑みすら浮かべている。何か隠しているのではないか……疑いの心が首をもたげるが、根拠はない。あっさりと処分を受け入れたのも引っかかる。それならなぜ不正など犯したのか……?
 (2023.3.31)
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