2023.1.16~2023.1.31

文字数 2,342文字

 出張先は田舎町。夜は早く、都会にはありえない闇があちこちに口を開けている。独り得体の知れない気配に怯え、光を求めて足を速める。商店街のシャッターは軒並み閉ざされ、侘しげな軋み音に心をかきむしられる。やがてひとつだけ見えた提灯の明かりに、飛び込むように暖簾をくぐった。
 (2023.1.16)


 フレンチのフルコース、毛皮のコート、ダイヤの指輪……子供の頃に高級だと思っていたものは、大人になるにつれ意外と簡単に手に入るのだと気がつく。だからと言って価値が下がったわけではないが、人は新たな飢えを感じ、特別を探し求める。贅沢は人の性、良くも悪くも上向きな生き方。
 (2023.1.17)


 彼氏がマフラーを巻いてあげると言うのでドキドキしてたら、ひどく手際が悪い。
「昨日YouTubeで練習したんだけどなぁ」
 向き合ってるからやりにくいんだ。後ろに立ってやれば、自分に巻いてるようにできるよ。
「ホントだ、頭いい」
 髪に触れる唇。背に沁みる体温。あたしのほうが策士。
 (2023.1.18)


 降りしきる雨が、冷気もろともに街を切り刻んでいる。不意に殺されたくなって、傘を手放した。傷のひと筋も付かないこの身体はよほど頑丈にできているか、生への執着が強すぎるらしい。傘はどこかへ行ってしまい、白い吐息の宿り先も失くしてしまった。足元で、野良猫の影が鋭く鳴いた。
 (2023.1.19)


 流れ星に人は願いをかける。その足元で何が行われているかも知らずに。影をご覧なさい、最初はもっと濃かったはずだ。影と運命は繋がっている。他力本願の怠け者には、願ったぶんだけ運命が差し引かれているのだ。だから流星群の夜は気をつけることだ。あれは神さまが仕掛ける美しき罠。
 (2023.1.20)


 銀幕に映る痴話喧嘩の男女。二人は四半世紀前、この映画で華々しくデビューした。男は今でも現役だが、女は撮影終了後に失踪している。
 女が慣れた手付きで煙草を咥えた。紫煙を吐く――その中に苦悶に歪んだ女自身の顔が浮かび、霧散するのを見た。水が合わなかったのだなと私は思った。
 (2023.1.21)


 対人賠償責任保険が適用されるのは当然、被害者が人間の場合に限られる。しかし精工なロボットが造られるようになり、被害者を人間と装る詐欺が後を絶たない。
「だから人間だって言ってるでしょ!」
 声を荒げる女性。怪我をしたのは、いや壊れたのはロボットだ。そしてこの女性も……。
 (2023.1.22)


 一人の男が空を見上げている。彼は考えている。その集中力にあらゆる刺激は遮断されている。だからいま、背中にナイフが刺さっていることにも、肉体が限界を迎えそうなことにも気づいていない。彼が我に返ったとき奇妙な殺人事件が完成することになるが、それは彼の知るところではない。
 (2023.1.23)


 床に倒れた妻は動かない。散らばった陶器の破片が不気味な幾何学模様を描いている。突然に家中の皿を割り出したのに殴りつけるのがやっとだった。一人息子が就職した矢先になぜ。
 妻が呻いた。
「これであの子は安泰ね」
「何を……」
「これだけ割ったのよ、厄除けには十分でしょ……」
 (2023.1.24)


「痛っ」
 前戯もそこそこに挿れられて、思わず地声が出た。客は気に障ったらしく、途端に機嫌が悪くなる。これだから“素人”は厭なんだ。だがそこは慣れたもの、私は精一杯のしなを作って、
「ごめんなさい、初めてのときみたいだったから……」
 男は一気に怒張した。馬鹿だ馬鹿だ馬鹿だ。
 (2023.1.25)


 有紗(ありさ)は薬指から指輪を引き抜くと、ベッドの脇に放った。陸斗(りくと)は笑いながら、
「行儀が悪いな、親の顔が見てみたいぜ」
「知ってるくせに。あんたこそ人妻になっても手を出すなんて、親の顔が見てみたいわ」
「知ってるくせに」
 二人は抱き合い絡み合う。双子の境は消えて、ひとつになる。
 (2023.1.26)


 朽ちたあばら屋の中で、フランス人形は塵の一つも身にまとわず、独り微笑んでいた。私の眼には清浄な光景に映った。待っていたのだと疑いもなく思った。抱え上げると紙片が落ちた。稚拙な文章で呪いが綴られていた。お前の命はあと一週間――私はもう少しだけ生きなければならないらしい。
 (2023.1.27)


 あの子は元気なのかと訊ねると、さあとため息にも似た声が返ってきた。
「さあって何ですか」
「家出してるんだよ」
 どうして――喉元まで出かかった言葉を飲み込む。理由などはっきりしているではないか。立場が逆なら苦しんでいたのは自分なのだ。この男を責めるのは身勝手というものだ。
 (2023.1.28)


 恋バナ大好物なので、身近にないか探しちゃう。で、いまいちばん熱いのはバイト先の喫茶店に来るお客さん!意識し合ってるのは見え見えなんだけど、お互い一歩が踏み出せないんだ。ニヤニヤしてたらオーナーに小突かれる。
「人のことより自分はどうなの?」
 そ、それは触れないで……。
 (2023.1.29)


 ショーウィンドウ越しの景色がマネキンの世界の全てだったが、高価な服を身にまとい羨望の眼差しを浴びる日々は幸福だった。
 しかし下品な女が服を買い占め、彼女は裸にされた。店を出る女を笑顔で睨みつけていると店長が来て、かつらを取り外した。
「売れた売れた。やっと処分できる」
 (2023.1.30)


 猪牙舟の中で、男と女は固く抱き合っていた。蒼ざめた膚。春の兆しが窺える午後に、静かな死があった。千五郎(せんごろう)は合掌すると、部下に始末を命じた。心中に走る若者の気持ちが、在りし日に同じ過ちを犯した彼には良く分かる。だから余計に腹が立った。恥を晒したからこその歪な嫉妬だった。
 (2023.1.31)
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