2022.8.16~2022.8.31
文字数 2,334文字
盆明け、ご先祖様たちが話に花を咲かせている。
「今年の精霊馬は何でした?」
「フェラーリ」
「いいなあ。うちは今年も牛と馬ですよ」
「行きはいいけど帰りはね。名残惜しいから徐行しちゃうのよ。クラッチ操作で足がパンパン」
「もう足はないでしょうに」
「ははは!そうだった!」
(2022.8.16)
弁当箱を開けると、不格好なおにぎりが並んでいた。海苔が剥がれて形が崩れているものもある。それらをひとつひとつ、味わって食べた。
『おいしかったよ!』
LINEを送るとすぐ、ニコニコのスタンプが届いた。小学生になった娘の手作り弁当デビュー。残りの言葉は、帰って直接伝えよう。
(2022.8.17)
ふいに涙が落ちた。損益計算書に並んだ数字がにじむ。利益余剰金――それは会社が今まで稼いできた利益の集積。我が社の半世紀にわたる血と汗の結晶が、ここに記されている……そう思うと、訳もなく激情が胸を突き上げたのだ。経理は理論で動かねば。しかし電卓を弾く指には力がみなぎる。
(2022.8.18)
「ぼくはこの学校に入りたくありません」
沈黙は一瞬、母は烈火のごとく怒り出した。いい子の仮面も今日まで、お受験という名の地獄に復讐するのだ。
「どうしてですか?」
訊ねる試験官に、ぼくは理路整然と語った。
数日後、合格通知が届いた。ロジカルな思考が評価されたという……。
(2022.8.19)
封筒には剃刀の刃と、古典的な脅し文句が入っていた。宛名は見ずとも分かる。無名時代から粘着し、接触禁止になった途端ストーカーと化した男。刃を抜き取ると、お菓子の缶を開けて中に放り込んだ。がしゃりと、悪意の群れが新入りを迎えた。いつの日か、全部返してやろうと思っている。
(2022.8.20)
「右、もうちょっと右!」
声を頼りに歩を進める。目隠しをしているが、的の位置はおおよそ分かる。
「ここだ!」
思い切り棒を振り下ろす。が、少しずれたようだ。
「ダメだよ、一発で仕留めなきゃ」
「悪い、次はちゃんと当てるから」
的に謝る。あまり長く苦しませたらかわいそうだ。
(2022.8.21)
近所のババアが飼う小型犬は、誰にでも飛びかかって吠える。犬が苦手なので注意したら、
「こんなに可愛いのに。あなたおかしいわよ」
頭にきた私は、自慢のペットを連れてきた。ババアは白目を剥いて気絶した。
「こんなに可愛いのに」
ざまあみろ。しかし、ニシキヘビの肩車はきつい。
(2022.8.22)
夜道を歩く人影。見たところサラリーマンだ。と、
「うらめしや……」
恐ろしい顔をした幽霊が現れた。
「わーっ!」
サラリーマンは泡を食って逃げ出した。幽霊は満足げに笑って消えた。
しばらく走ったサラリーマン、ふいに立ち止まり、
「だまされやがって」
ニヤリと笑って消えた。
(2022.8.23)
衝動を抑えきれず、夕立の中に飛び出した。瞬く間に濡れ鼠になる。雨の幕をかき分けるように走る。大人になりたいけど大人になれない、窮屈な日々。やり場のない憤りが身体を突き動かす。無意味なのは自分がいちばん分かっている。やっぱり子供だ――熱を帯びるまなじりを雨のせいにする。
(2022.8.24)
感情をあらわにするのは幼稚だと、物心つく前から思っていた。わめくほど簡単なことはない、腹の内に抱え込むことこそ美徳だと信じていた。長じるにつれ、何事にも程度はあるということに気がついた。しかし時すでに遅く、伝える力を養わなかった私はただのわがままな大人になっていた。
(2022.8.25)
「誰よ、このマイって!浮気してるでしょ!」
「ばあちゃんだよ。最近スマホ買って」
「ウソ!」
彼女は電話をかける。出たのは当然ばあちゃん。
「ごめん……」
「いいよ」
「……あ、さっきはありがと」
「たいがいにしなよ」
浮気相手も“マイ”なのが幸い。ばあちゃん、いつもごめん。
(2022.8.26)
つむじ風が砂を巻き上げた。集まった人々は思わず顔を伏せる。ひるがえった優勝旗の鮮やかな刺繍を目にすることができたのは、ぼくのチームだけだった。大会が始まり一度はこの手を離れるが、必ず取り返す。風が過ぎ人々が顔を上げたとき、優勝旗は何事もなかったかのように佇んでいた。
(2022.8.27)
一面にうろこ雲が流れる下、稲穂は黄金の大洋となり、豊穣の潮騒を響かせている。こんなにも喜ばしい季節なのに、寂しさが胸に染みるのはなぜだろう。記憶を探っても心当たりは見つからない。もし遺伝子に刻まれたものだとするならば、その時に私はヒトとなる運命を定められたのだろう。
(2022.8.28)
黎明。亡霊は墓場へと戻らねばならぬが、私は空を見上げている。
「何してる、そろそろ日が昇るぞ」
「空の色、綺麗ですね」
「ばか、日の光を浴びたら消えちまうぞ」
誰もいなくなる。死後の世界はあった。二度めの生があったからこそ、二度めの死を欲したのかもしれない。ああ、朝が。
(2022.8.29)
そろそろ団扇を片付けようと言う妻に、まだいいだろと答えた。
「日中は暑いじゃないか。風呂上がりにも使うぞ」
「そうですけど、いつまでも夏気分じゃ秋が来ませんよ」
なにを生意気にと思いつつ、秋が来ないのは困る。団扇とにらめっこした結果、押し入れでお休みいただくことにした。
(2022.8.30)
「師範代、それがしを謀っておられるのですか!」
麟太郎 は床を拳で打った。音は道場の四方に反響し、消えた。
「このようなものが秘剣だと?!」
必勝の剣――それは卑怯な太刀筋、だからこその必勝だった。師範代は頷く。
「それでも極めるか?」
歯がかちかちと鳴る。ここが己の岐路だ。
(2022.8.31)
「今年の精霊馬は何でした?」
「フェラーリ」
「いいなあ。うちは今年も牛と馬ですよ」
「行きはいいけど帰りはね。名残惜しいから徐行しちゃうのよ。クラッチ操作で足がパンパン」
「もう足はないでしょうに」
「ははは!そうだった!」
(2022.8.16)
弁当箱を開けると、不格好なおにぎりが並んでいた。海苔が剥がれて形が崩れているものもある。それらをひとつひとつ、味わって食べた。
『おいしかったよ!』
LINEを送るとすぐ、ニコニコのスタンプが届いた。小学生になった娘の手作り弁当デビュー。残りの言葉は、帰って直接伝えよう。
(2022.8.17)
ふいに涙が落ちた。損益計算書に並んだ数字がにじむ。利益余剰金――それは会社が今まで稼いできた利益の集積。我が社の半世紀にわたる血と汗の結晶が、ここに記されている……そう思うと、訳もなく激情が胸を突き上げたのだ。経理は理論で動かねば。しかし電卓を弾く指には力がみなぎる。
(2022.8.18)
「ぼくはこの学校に入りたくありません」
沈黙は一瞬、母は烈火のごとく怒り出した。いい子の仮面も今日まで、お受験という名の地獄に復讐するのだ。
「どうしてですか?」
訊ねる試験官に、ぼくは理路整然と語った。
数日後、合格通知が届いた。ロジカルな思考が評価されたという……。
(2022.8.19)
封筒には剃刀の刃と、古典的な脅し文句が入っていた。宛名は見ずとも分かる。無名時代から粘着し、接触禁止になった途端ストーカーと化した男。刃を抜き取ると、お菓子の缶を開けて中に放り込んだ。がしゃりと、悪意の群れが新入りを迎えた。いつの日か、全部返してやろうと思っている。
(2022.8.20)
「右、もうちょっと右!」
声を頼りに歩を進める。目隠しをしているが、的の位置はおおよそ分かる。
「ここだ!」
思い切り棒を振り下ろす。が、少しずれたようだ。
「ダメだよ、一発で仕留めなきゃ」
「悪い、次はちゃんと当てるから」
的に謝る。あまり長く苦しませたらかわいそうだ。
(2022.8.21)
近所のババアが飼う小型犬は、誰にでも飛びかかって吠える。犬が苦手なので注意したら、
「こんなに可愛いのに。あなたおかしいわよ」
頭にきた私は、自慢のペットを連れてきた。ババアは白目を剥いて気絶した。
「こんなに可愛いのに」
ざまあみろ。しかし、ニシキヘビの肩車はきつい。
(2022.8.22)
夜道を歩く人影。見たところサラリーマンだ。と、
「うらめしや……」
恐ろしい顔をした幽霊が現れた。
「わーっ!」
サラリーマンは泡を食って逃げ出した。幽霊は満足げに笑って消えた。
しばらく走ったサラリーマン、ふいに立ち止まり、
「だまされやがって」
ニヤリと笑って消えた。
(2022.8.23)
衝動を抑えきれず、夕立の中に飛び出した。瞬く間に濡れ鼠になる。雨の幕をかき分けるように走る。大人になりたいけど大人になれない、窮屈な日々。やり場のない憤りが身体を突き動かす。無意味なのは自分がいちばん分かっている。やっぱり子供だ――熱を帯びるまなじりを雨のせいにする。
(2022.8.24)
感情をあらわにするのは幼稚だと、物心つく前から思っていた。わめくほど簡単なことはない、腹の内に抱え込むことこそ美徳だと信じていた。長じるにつれ、何事にも程度はあるということに気がついた。しかし時すでに遅く、伝える力を養わなかった私はただのわがままな大人になっていた。
(2022.8.25)
「誰よ、このマイって!浮気してるでしょ!」
「ばあちゃんだよ。最近スマホ買って」
「ウソ!」
彼女は電話をかける。出たのは当然ばあちゃん。
「ごめん……」
「いいよ」
「……あ、さっきはありがと」
「たいがいにしなよ」
浮気相手も“マイ”なのが幸い。ばあちゃん、いつもごめん。
(2022.8.26)
つむじ風が砂を巻き上げた。集まった人々は思わず顔を伏せる。ひるがえった優勝旗の鮮やかな刺繍を目にすることができたのは、ぼくのチームだけだった。大会が始まり一度はこの手を離れるが、必ず取り返す。風が過ぎ人々が顔を上げたとき、優勝旗は何事もなかったかのように佇んでいた。
(2022.8.27)
一面にうろこ雲が流れる下、稲穂は黄金の大洋となり、豊穣の潮騒を響かせている。こんなにも喜ばしい季節なのに、寂しさが胸に染みるのはなぜだろう。記憶を探っても心当たりは見つからない。もし遺伝子に刻まれたものだとするならば、その時に私はヒトとなる運命を定められたのだろう。
(2022.8.28)
黎明。亡霊は墓場へと戻らねばならぬが、私は空を見上げている。
「何してる、そろそろ日が昇るぞ」
「空の色、綺麗ですね」
「ばか、日の光を浴びたら消えちまうぞ」
誰もいなくなる。死後の世界はあった。二度めの生があったからこそ、二度めの死を欲したのかもしれない。ああ、朝が。
(2022.8.29)
そろそろ団扇を片付けようと言う妻に、まだいいだろと答えた。
「日中は暑いじゃないか。風呂上がりにも使うぞ」
「そうですけど、いつまでも夏気分じゃ秋が来ませんよ」
なにを生意気にと思いつつ、秋が来ないのは困る。団扇とにらめっこした結果、押し入れでお休みいただくことにした。
(2022.8.30)
「師範代、それがしを謀っておられるのですか!」
「このようなものが秘剣だと?!」
必勝の剣――それは卑怯な太刀筋、だからこその必勝だった。師範代は頷く。
「それでも極めるか?」
歯がかちかちと鳴る。ここが己の岐路だ。
(2022.8.31)