2019.10.16~2019.10.31
文字数 2,487文字
物語が終わる。エンドロールを飾る花火が開き、きみの横顔が夜空に咲く。ぼくは夢中でインスタントカメラのシャッターを切る。フィルムが尽きても、指は未練たらしくダイヤルを巻き続ける。きみの隣りにはぼくじゃない誰かがいて、きみと深く唇を重ねている。ダイヤルは空回る、空回る――。
(2019.10.16)
日帰り出張。新幹線での移動とはいえ心身に堪える。座席に凭れ、発車を待ちながら窓の外に目をやる。ホームの下、1メートルほどの隙間に男が座っている。疲れた脳は状況を理解しない。やがて新幹線は駅を離れ、男の姿は見えなくなる。
次の駅に着く。
同じ男が、同じように座っている。
(2019.10.17)
仕事に翻弄され、足を引きずり帰路を辿る。疲れ果てた脳は停止寸前なのに、不思議と文字は溢れ出し文章は紡がれる。所詮、社会を回す歯車のひとつかもしれない。けれどもこの歯車には、まだまだ熱い血が通っている。生きているなぁ――僕は口許を緩ませながら、夢中で想像を書き留めるのだ。
(2019.10.18)
きみと歩く帰り道。手と手が触れて思わず鼓動を忘れた。必死に笑顔をキープする。きみはおしゃべりを続けている。私は内心冷や汗を拭いながら、聴き逃した話に相槌を打つ。この場所は譲れない。ここは恋も愛も実らないけど、きみの傍にいられる場所。いくじなしの私にはお似合いの場所。
(2019.10.19)
「いつから居たんだ」
小林 透 は最初から部屋にいた――あるいは途中で入室したのだが、その事に気づく者はいない。存在感が薄い男なのである。付いた渾名が『ぬらりひょん』。ばつの悪さを誤魔化すように、人は彼を疎む。この特性が彼の裏稼業に役立っているなど思いもよらないのであった。
(2019.10.20)
潮風が河を遡っていく。母は鳩たちが翼を休める護岸を指差し、
「あの場所でプロポーズされたの」
その胸元には形見の結婚指輪が揺れる。父は物心つく前に逝った。私には抱けない感情を抱ける母が、正直うらやましい。
白い一羽が沖に向かって飛び立った。母はいつまでもその姿を見送る。
(2019.10.21)
天才の逸話には奇矯な振る舞いが伴う。才能や功績よりそちらの面がクローズアップされていることは否めない。凡人は天才を異形としておきたいのだ。彼らは天才を羨むが、自身が天才になろうという努力はしない。辿り着けない彼岸の住人とすることで、怠惰への免罪符を得ようとするのだ。
(2019.10.22)
鏡に向かい化粧する。好きだと言ってくれたから、あなた好みの顔になるため時間を費やす。徐々に失われる私の原型。それでも愛してほしいから、そうしないと愛してもらえないから、白を塗り眉を引き紅を差す。そして出来上がる他人の顔。歯並びは微笑みで誤魔化して、女の覚悟は決まる。
(2019.10.23)
無理心中を企てた母親が逮捕された。幼い娘を扼殺したが自身は死なず、警察に自首したのだ。
「死のうとしたとき、娘の横顔に夕日が射したんです。その瞬間、心が洗われました。あの子は私の苦しみを背負って逝ってくれたんです」
母親はそう供述した。ときに救済は残酷な笑みを見せる。
(2019.10.24)
そのおっさんは頑なにレシートの受け取りを拒む。たぶんレシートに触れると死ぬ呪いにかかっているのだ。その回避スキルは並大抵ではなく、避ける動きは蝶か蛇かと見紛うほど、拳法家も斯くやという鮮やかさだ。だが悲しいかな、誰も「要りません」のひと言を教えてくれなかったらしい。
(2019.10.25)
耳元できりぎりすが鳴いている。こんなに近くで聴いたのは初めてだ。あの有名な童話を思い出す。遊び呆けたきりぎりすは、ありに嗤われながら死ぬべきなのだ。それがこの様、皮肉にも程がある。途切れ途切れの葬送曲が鼓動とすり替わっていく。なあ同胞、せめてもっと陽気なのを頼むよ。
(2019.10.26)
最初の一杯はハイボール――当時はそう決めていた。酩酊への誘い役は、聖女の名を持つきみに相応しいと思ったから。きみの姿が棚から消えて、随分浮気もした。思わぬ再会に気まずさを覚えながら、氷を抱かせてお迎えする。不実な男は甘い唇で受け止められ、ますます居場所を失くしてしまう。
(2019.10.27)
柊 卓弥 は事件現場に足を踏み入れる。裸電球が揺れる畳の上に、女が仰向けで事切れていた。首には紐が巻き付いている。
「身元は?」
問われた警官は言葉に詰まった。
「どうした」
「……柊美緒 。警部の奥様ですよ」
警官は答えた。他人事のように聞く柊の目から、この世の光は消えていた。
(2019.10.28)
笑っている。
羽間 昇 は祖母の姿を視界から外す――しかし視てしまう。祖母は先程と寸分違わぬ姿勢で、こちらを向いて笑っている。二年前、祖母は認知症を患った。徘徊や暴力行為はない。その代わりいつも笑っている。いつも羽間の方を向いて静かに笑っている。
羽間は、笑えなくなっている。
(2019.10.29)
今や文章は原稿用紙を飛び出して、電子の海を泳ぎ回っている。誰もが自作を発表できる世の中だ、文豪たちの専売特許は過去の遺物と成り下がった。インクの重さと引き換えに、文章は窮屈な軛から解き放たれたのだ。さあ書け、紡げ。求める者は必ず居る。世界を巡る巨大な潮流に飛び込め。
(2019.10.30)
課長のプレゼンは拍手喝采で迎えられた。当然だ、作ったのは俺なんだから。完全に終わった気でいるが、まだ資料は残っている。俺はキーを叩く。スクリーンに映る課長のバカ面。隣りには下着も露な社長の娘。背を向けた課長は気づかない。止まる拍手。凍りつく社長。
プレゼンは大成功だ。
(2019.10.31)
(2019.10.16)
日帰り出張。新幹線での移動とはいえ心身に堪える。座席に凭れ、発車を待ちながら窓の外に目をやる。ホームの下、1メートルほどの隙間に男が座っている。疲れた脳は状況を理解しない。やがて新幹線は駅を離れ、男の姿は見えなくなる。
次の駅に着く。
同じ男が、同じように座っている。
(2019.10.17)
仕事に翻弄され、足を引きずり帰路を辿る。疲れ果てた脳は停止寸前なのに、不思議と文字は溢れ出し文章は紡がれる。所詮、社会を回す歯車のひとつかもしれない。けれどもこの歯車には、まだまだ熱い血が通っている。生きているなぁ――僕は口許を緩ませながら、夢中で想像を書き留めるのだ。
(2019.10.18)
きみと歩く帰り道。手と手が触れて思わず鼓動を忘れた。必死に笑顔をキープする。きみはおしゃべりを続けている。私は内心冷や汗を拭いながら、聴き逃した話に相槌を打つ。この場所は譲れない。ここは恋も愛も実らないけど、きみの傍にいられる場所。いくじなしの私にはお似合いの場所。
(2019.10.19)
「いつから居たんだ」
(2019.10.20)
潮風が河を遡っていく。母は鳩たちが翼を休める護岸を指差し、
「あの場所でプロポーズされたの」
その胸元には形見の結婚指輪が揺れる。父は物心つく前に逝った。私には抱けない感情を抱ける母が、正直うらやましい。
白い一羽が沖に向かって飛び立った。母はいつまでもその姿を見送る。
(2019.10.21)
天才の逸話には奇矯な振る舞いが伴う。才能や功績よりそちらの面がクローズアップされていることは否めない。凡人は天才を異形としておきたいのだ。彼らは天才を羨むが、自身が天才になろうという努力はしない。辿り着けない彼岸の住人とすることで、怠惰への免罪符を得ようとするのだ。
(2019.10.22)
鏡に向かい化粧する。好きだと言ってくれたから、あなた好みの顔になるため時間を費やす。徐々に失われる私の原型。それでも愛してほしいから、そうしないと愛してもらえないから、白を塗り眉を引き紅を差す。そして出来上がる他人の顔。歯並びは微笑みで誤魔化して、女の覚悟は決まる。
(2019.10.23)
無理心中を企てた母親が逮捕された。幼い娘を扼殺したが自身は死なず、警察に自首したのだ。
「死のうとしたとき、娘の横顔に夕日が射したんです。その瞬間、心が洗われました。あの子は私の苦しみを背負って逝ってくれたんです」
母親はそう供述した。ときに救済は残酷な笑みを見せる。
(2019.10.24)
そのおっさんは頑なにレシートの受け取りを拒む。たぶんレシートに触れると死ぬ呪いにかかっているのだ。その回避スキルは並大抵ではなく、避ける動きは蝶か蛇かと見紛うほど、拳法家も斯くやという鮮やかさだ。だが悲しいかな、誰も「要りません」のひと言を教えてくれなかったらしい。
(2019.10.25)
耳元できりぎりすが鳴いている。こんなに近くで聴いたのは初めてだ。あの有名な童話を思い出す。遊び呆けたきりぎりすは、ありに嗤われながら死ぬべきなのだ。それがこの様、皮肉にも程がある。途切れ途切れの葬送曲が鼓動とすり替わっていく。なあ同胞、せめてもっと陽気なのを頼むよ。
(2019.10.26)
最初の一杯はハイボール――当時はそう決めていた。酩酊への誘い役は、聖女の名を持つきみに相応しいと思ったから。きみの姿が棚から消えて、随分浮気もした。思わぬ再会に気まずさを覚えながら、氷を抱かせてお迎えする。不実な男は甘い唇で受け止められ、ますます居場所を失くしてしまう。
(2019.10.27)
「身元は?」
問われた警官は言葉に詰まった。
「どうした」
「……柊
警官は答えた。他人事のように聞く柊の目から、この世の光は消えていた。
(2019.10.28)
笑っている。
羽間は、笑えなくなっている。
(2019.10.29)
今や文章は原稿用紙を飛び出して、電子の海を泳ぎ回っている。誰もが自作を発表できる世の中だ、文豪たちの専売特許は過去の遺物と成り下がった。インクの重さと引き換えに、文章は窮屈な軛から解き放たれたのだ。さあ書け、紡げ。求める者は必ず居る。世界を巡る巨大な潮流に飛び込め。
(2019.10.30)
課長のプレゼンは拍手喝采で迎えられた。当然だ、作ったのは俺なんだから。完全に終わった気でいるが、まだ資料は残っている。俺はキーを叩く。スクリーンに映る課長のバカ面。隣りには下着も露な社長の娘。背を向けた課長は気づかない。止まる拍手。凍りつく社長。
プレゼンは大成功だ。
(2019.10.31)