2019.7.16~2019.7.31
文字数 2,509文字
私は聴いた。
だからあなたにも聴いてほしい。
私は触れた。
だからあなたにも触れてほしい。
同一でありたい。
一体となりたい。
愛は一種の狂気だ。
その種は
誰の心にも在り
ひと粒の水滴で
芽を吹き
根を張り
理性を吸い尽くす。
愛。
それは
この世で
ただひとつ
赦された狂気。
(2019.7.16)
推理作家は唸った。次作のテーマは多重密室殺人。人の目、監視カメラ、指紋認証……これらをいかに潜り抜けるか――現場の俯瞰図を前に筆は止まっていた。
そんな折、友人が訪ねてきた。話を聴いた彼はしばし考えた後、図に記された被害者にペンを突き刺した。
「……どう?」
「どうじゃねえ」
(2019.7.17)
布団に寝て瞼を閉じる。次第に身体は沈み込んでいく。見えてはいないが、このとき背後には巨大な嬰児の顔が展びている。嬰児は声の限りに泣き叫んでいるが、不思議と音は聞こえない。それが己だと気づいた瞬間、私は目を覚ます。いまだに記憶に残る夢……夢ではなかったのかもしれないが。
(2019.7.18)
きみは私を苗字で呼ぶ、他の子と同じに。つらい夜は妄想のきみに身をゆだねる。名前で呼んでくれるし、私のしてほしいことは全部してくれる……けど。
汗とデオドラントの混じった男の子のにおい――きみのにおいは現実にしか存在しない。
だから私は今日も妄想を裏切り、現実に向き合うのだ。
(2019.7.19)
梅干しと、ご飯と、みそ汁。
風邪をひいた私のために、弟は朝食を用意してくれた。あたたかくて、おいしかった。
「次はちゃんと作るからさ、料理教えてよ……あっ、また風邪ひけって意味じゃないから!」
慌てる姿が愛しくて、私は弟の頭を撫でた。むくれながらも、弟は手を払わなかった。
(2019.7.20)
真夜中の逢瀬はいつもの公園で。ぶらんこの脇で待っていたきみは、僕の姿を認めると小走りに駆け寄ってくる。真っ暗なあずま屋の中で、僕は彼女の一糸纏わぬ身体を存分に愛撫する。きみは恍惚の表情を浮かべながら、指や腕に舌を這わせてくる。時折、甘い声が口から洩れる。
「にゃあん」
(2019.7.21)
初めてうさぎを目にした娘。
「……にゃんこ?」
「あれはね、うさぎさんだよ」
「うしゃじ?」
「撫でてみる?」
恐る恐る手を伸ばす娘。毛並みに触れた瞬間、目をまんまるにして、
「うしゃじ、ふわふわ!」
すっかり夢中になってしまった娘を連れ帰るのはひと苦労だった。また来ようね。
(2019.7.22)
縁側で酒を酌み交わす青年――その正体は齢百年の古狸だ。化け損ねた姿を見て以来、何の因果か飲み友になった。
「バレずに暮らすのは簡単さ。でも人間は『化ける』もので『なる』ものじゃない。完璧すぎてもダメなんだ。それに……あなたみたいな人間と仲良くなりたいし」
赤い顔で彼は言う。
(2019.7.23)
私は缶ビール一本で幸せな気分になれる。安上がりな幸福だと人は嗤うが、大きなお世話だ。硬貨数枚で幸福が手に入るなんて喜ばしいことじゃないか。大枚をはたいてしか手に入らない幸福には、それ相応の価値があるとは思う。しかし価格の高低で優劣を決められる謂れなんてどこにもない。
(2019.7.24)
瓜子姫 を辱しめた罰として、天 の邪鬼 は八つ裂きにされた。飛び散った血は蕎麦や粟の畑を朱に染めた。
それから暫く経ち、この畑で採れた食材を口にした者が狂気の症状を顕し始めた。「ひめはいずこ」と呟きながら昼夜問わず徘徊するのだ。この症例は21世紀になっても時折確認されている。
(2019.7.25)
「早く帰りなさい」
午後7時。LINEに夢中の私に守衛は声をかけた。私は無視して画面に戻る。しばらくして守衛はどこかへ行った。
1時間後、私は教室を出た。玄関に着き、靴箱に手を入れる。
――違和感。
(靴が、ない)
固まった私の手を皺だらけの指が掴む。
「だから早く帰れと言ったのに」
(2019.7.26)
今朝も始発前のホームできみに会う。私は歩み寄ってベンチに座る――背中合わせに。瞼を閉じ、数センチ隔てたきみの呼吸に耳をすます。
アナウンスが響き、真後ろの呼吸がふっと遠ざかる。いってらっしゃい――呟いて私は瞼を開く。きみを乗せた電車は、私の知らない場所へときみを連れていく。
(2019.7.27)
入道雲の足元で、僕たちの町はまるでがらくただ。ひび割れた建物ばかりが並んで、色という色はすっかり干上がっている。連日の暑さで人々は頭がおかしくなった。大人は子供を殴った。子供は猫を殺した。このままじゃいけない。繋がらない。僕が輪にしよう。僕は猫になって大人を殺そう。
(2019.7.28)
光は虹になりたくて、雲間から地表に降りてきた。やがて浮かび上がった下界の姿に、光は思わず立ち竦んだ。
欲。欲。欲。それしかなかった。
こんなところに足を着けたくない――引き返そうとした光を雨粒が捕らえ太陽が炙った。出来損ないの虹は衆目に晒された。人間はこの恥を美と呼んだ。
(2019.7.29)
父の趣味は標本作りだった。展翅版に並ぶ姿は異国の紋章のようで、私たち家族に何があろうとも、壁の上で静かに佇んでいた。
それが堪らなく憎かった。
父が死んだ日、私は標本を破壊した。脚や翅は容易く千切れたが、彼らは最後まで死者としての慎みを貫いた。
あとには私だけが残った。
(2019.7.30)
宵闇に遊ぶ蛍が二匹……いや、違う、あれは貴方とあの子のタバコの灯。堪えきれない咳に、二人との決定的な差を思い知らされる。紫にたなびく結界が、大人になれない女の鼻先で嘲笑う。
ああ、私がひとひらの蛾だったなら!ひと息に貴方の焔先に飛び込んで、明るく明るく燃えてあげるのに!
(2019.7.31)
だからあなたにも聴いてほしい。
私は触れた。
だからあなたにも触れてほしい。
同一でありたい。
一体となりたい。
愛は一種の狂気だ。
その種は
誰の心にも在り
ひと粒の水滴で
芽を吹き
根を張り
理性を吸い尽くす。
愛。
それは
この世で
ただひとつ
赦された狂気。
(2019.7.16)
推理作家は唸った。次作のテーマは多重密室殺人。人の目、監視カメラ、指紋認証……これらをいかに潜り抜けるか――現場の俯瞰図を前に筆は止まっていた。
そんな折、友人が訪ねてきた。話を聴いた彼はしばし考えた後、図に記された被害者にペンを突き刺した。
「……どう?」
「どうじゃねえ」
(2019.7.17)
布団に寝て瞼を閉じる。次第に身体は沈み込んでいく。見えてはいないが、このとき背後には巨大な嬰児の顔が展びている。嬰児は声の限りに泣き叫んでいるが、不思議と音は聞こえない。それが己だと気づいた瞬間、私は目を覚ます。いまだに記憶に残る夢……夢ではなかったのかもしれないが。
(2019.7.18)
きみは私を苗字で呼ぶ、他の子と同じに。つらい夜は妄想のきみに身をゆだねる。名前で呼んでくれるし、私のしてほしいことは全部してくれる……けど。
汗とデオドラントの混じった男の子のにおい――きみのにおいは現実にしか存在しない。
だから私は今日も妄想を裏切り、現実に向き合うのだ。
(2019.7.19)
梅干しと、ご飯と、みそ汁。
風邪をひいた私のために、弟は朝食を用意してくれた。あたたかくて、おいしかった。
「次はちゃんと作るからさ、料理教えてよ……あっ、また風邪ひけって意味じゃないから!」
慌てる姿が愛しくて、私は弟の頭を撫でた。むくれながらも、弟は手を払わなかった。
(2019.7.20)
真夜中の逢瀬はいつもの公園で。ぶらんこの脇で待っていたきみは、僕の姿を認めると小走りに駆け寄ってくる。真っ暗なあずま屋の中で、僕は彼女の一糸纏わぬ身体を存分に愛撫する。きみは恍惚の表情を浮かべながら、指や腕に舌を這わせてくる。時折、甘い声が口から洩れる。
「にゃあん」
(2019.7.21)
初めてうさぎを目にした娘。
「……にゃんこ?」
「あれはね、うさぎさんだよ」
「うしゃじ?」
「撫でてみる?」
恐る恐る手を伸ばす娘。毛並みに触れた瞬間、目をまんまるにして、
「うしゃじ、ふわふわ!」
すっかり夢中になってしまった娘を連れ帰るのはひと苦労だった。また来ようね。
(2019.7.22)
縁側で酒を酌み交わす青年――その正体は齢百年の古狸だ。化け損ねた姿を見て以来、何の因果か飲み友になった。
「バレずに暮らすのは簡単さ。でも人間は『化ける』もので『なる』ものじゃない。完璧すぎてもダメなんだ。それに……あなたみたいな人間と仲良くなりたいし」
赤い顔で彼は言う。
(2019.7.23)
私は缶ビール一本で幸せな気分になれる。安上がりな幸福だと人は嗤うが、大きなお世話だ。硬貨数枚で幸福が手に入るなんて喜ばしいことじゃないか。大枚をはたいてしか手に入らない幸福には、それ相応の価値があるとは思う。しかし価格の高低で優劣を決められる謂れなんてどこにもない。
(2019.7.24)
それから暫く経ち、この畑で採れた食材を口にした者が狂気の症状を顕し始めた。「ひめはいずこ」と呟きながら昼夜問わず徘徊するのだ。この症例は21世紀になっても時折確認されている。
(2019.7.25)
「早く帰りなさい」
午後7時。LINEに夢中の私に守衛は声をかけた。私は無視して画面に戻る。しばらくして守衛はどこかへ行った。
1時間後、私は教室を出た。玄関に着き、靴箱に手を入れる。
――違和感。
(靴が、ない)
固まった私の手を皺だらけの指が掴む。
「だから早く帰れと言ったのに」
(2019.7.26)
今朝も始発前のホームできみに会う。私は歩み寄ってベンチに座る――背中合わせに。瞼を閉じ、数センチ隔てたきみの呼吸に耳をすます。
アナウンスが響き、真後ろの呼吸がふっと遠ざかる。いってらっしゃい――呟いて私は瞼を開く。きみを乗せた電車は、私の知らない場所へときみを連れていく。
(2019.7.27)
入道雲の足元で、僕たちの町はまるでがらくただ。ひび割れた建物ばかりが並んで、色という色はすっかり干上がっている。連日の暑さで人々は頭がおかしくなった。大人は子供を殴った。子供は猫を殺した。このままじゃいけない。繋がらない。僕が輪にしよう。僕は猫になって大人を殺そう。
(2019.7.28)
光は虹になりたくて、雲間から地表に降りてきた。やがて浮かび上がった下界の姿に、光は思わず立ち竦んだ。
欲。欲。欲。それしかなかった。
こんなところに足を着けたくない――引き返そうとした光を雨粒が捕らえ太陽が炙った。出来損ないの虹は衆目に晒された。人間はこの恥を美と呼んだ。
(2019.7.29)
父の趣味は標本作りだった。展翅版に並ぶ姿は異国の紋章のようで、私たち家族に何があろうとも、壁の上で静かに佇んでいた。
それが堪らなく憎かった。
父が死んだ日、私は標本を破壊した。脚や翅は容易く千切れたが、彼らは最後まで死者としての慎みを貫いた。
あとには私だけが残った。
(2019.7.30)
宵闇に遊ぶ蛍が二匹……いや、違う、あれは貴方とあの子のタバコの灯。堪えきれない咳に、二人との決定的な差を思い知らされる。紫にたなびく結界が、大人になれない女の鼻先で嘲笑う。
ああ、私がひとひらの蛾だったなら!ひと息に貴方の焔先に飛び込んで、明るく明るく燃えてあげるのに!
(2019.7.31)