2019.8.16~2019.8.31
文字数 2,552文字
「で、どこまで行く?」
僕は助手席のベロに訊ねる。
「世界の果てまで」
16歳の少女は答える。
「……世界の果てはハイオク60リッターで行ける場所なの?」
「そうよ」
迷いはない。やれやれ。僕はシフトを切り替えてアクセルを踏み込む。こうして、僕たちの最初で最後の冒険が始まった。
(2019.8.16)
あの日、僕と姪は水路で遊んでいた。姪は流れに足を取られて転んだ。僕は彼女が顔を水に浸けてもがく姿を面白がって眺めていた。異変を感じたときは手遅れだった。
あれから二十年が経つ。川面に揺れる藻の一群は年々その長さを増している。
隙間から覗く女の顔は、今年も何も言わない。
(2019.8.17)
竜は人類の脅威だ。身動 ぎひとつで都市を砂塵に変える。私は化学者として、彼らを殺す毒薬を発明した。偶然にも瀕死の竜を捕獲し、効果を試す機会を得た。
しかし地に伏せ静かに呼吸する竜を前にして、私は凍りついた。瞳に宿る知性の光。お前は神を殺すのか――私自身の叫びが脳裏に響く。
(2019.8.18)
マスターが看板を下げにカウンターを出る。それを横目に見るともなしに、藤沢 の意識は混濁の渦中にある。キープで入れたばかりのボトルはショット一杯ぶんを残して消失している。翌日の地獄に戦く余裕もない。
戻ってきたマスターが藤沢の肩を叩く。
「看板ですよ」
汚い鼾 が返事をした。
(2019.8.19)
欄干を越えかけた静 の身体は強い力で引き戻された。弾みで橋に尻餅を突く。雨を飲んだ川の轟きが耳に戻ってくる。
男は知らない顔だった。
「だれ……?」
「御遣いさ。あんたを死なせたくねェ男のね」
「え……」
「会うかい?」
男は手を差し出す。躊躇いは刹那、お静はその手を掴んだ。
(2019.8.20)
案内されたのは古寺だった。本堂に真新しい位牌が置かれている。
「お父ッつぁん……?」
「あんたを遊郭に売ったことを悔いて、親父さんは必死で金を稼いだ。だけど流感 に罹 っちまッてよ……受け取ンな」
男はぼろぼろの巾着をお静の手に乗せた。ずしりと重かった。お静は声をあげて泣いた。
(2019.8.21)
ユカとミカは一卵性の双子だ。感性はほぼ同じなので、小さい頃はよく喧嘩になった。だから互いに意識して、自分の好みからわずかに外れたものを選ぶようになった。服装、食事、付き合う男。そしてそのうち、
(あれ、わたしってなんだっけ?)
二人は誰でもない誰かになってしまっていた。
(2019.8.22)
人間の設計図――発明家の言葉に、集った記者たちはざわついた。
「任意の年齢性別の人間を量産できる。自身をそうだとは認識しない。人口減少問題は解決するだろう」
「神への冒涜だ!」
ある記者が叫んだ。発明家はその男を見た。
「ああ……これがその第1号です。よく出来てるでしょう?」
(2019.8.23)
「先輩……恨んでます?その、カノジョを取ったこと……」
「過去は清算しようぜ。そのために、廃車前のこいつでドライブに誘ったんだ」
「えっ……許してくれるってことッスか?」
「違う違う。廃車にするから少々汚れても平気ってことさ」
パンと乾いた音がして、助手席の窓が赤く染まった。
(2019.8.24)
幽霊の写真は目にするが、妖怪の写真は滅多にない。何かワケがあるのか……民俗学者は全国を歩き、幽霊妖怪の噂ある場所で写真を撮って回った。彼らの姿を分析してみて、民俗学者は至極単純な結論に辿り着いた。
「……恥ずかしがりか」
妖怪たちは皆、困ったような顔をこちらに向けている。
(2019.8.25)
ひと夏の思い出なんて安いものじゃないんだ。そんな一瞬で満たされる気持ちなら、僕は恋なんてしない。枯葉舞う秋だって、雪が降る冬だって、花が咲く春だってそばにいたいよ。眩しい太陽に再会したら、もう一度ここで手を握ろう。繋がる体温に胸が燃えたなら、また一緒に季節を渡ろう。
(2019.8.26)
この世は無駄に長い文章で溢れている。そこで制定されたのが『読点禁止法』。全ての文章から読点が廃され読点なしでも読めるよう再構成された。
結果どうなったか……当然だが細切れの文章ほど理解を妨げるものはない。今日も議会では都合よく解釈された文章を巡って税金が浪費されている。
(2019.8.27)
級友たちが退屈な授業を受けている時に、彼氏のベッドで惰眠を貪る。優越感、優越感……心の中で言い聞かせ、身体を起こせばやっぱり横は空っぽだった。帰ってきたのは脱ぎ散らかした服と、ひと口ふた口齧っただけの夕食で知れる。ざまあみろ。私は、たぶん眠気を覚ますために目蓋を擦る。
(2019.8.28)
本岡 薫 は部下を褒めたことがない。殴られ怒鳴られ育った世代だから、理不尽への反骨こそが成長だと思っているのだ。だから「褒めて伸ばす」昨今の風潮は理解の範疇外にある。
そんな彼の上司として『褒め神様』明石 勲 が赴任してきたからさあ大変。本岡な地獄のような日々が幕を開けた……。
(2019.8.29)
シャーレに満ちる寒天を揺り籠に、名もない菌は音もなく蠢いている。創造主である男は傍らで顳顬 を撃ち抜き果てたばかりだ。なぜ彼らを処分しなかったのか、今となっては誰も知る術を持たない。
ともかく、人類を三度殺すことができる最悪の微生物は『良識ある』研究者の手に委ねられた。
(2019.8.30)
獅子の王様が身罷ると
肉を食う獣たちは
その身体を食べ尽くす。
草を食む獣たちは
残された骨を踏み砕く。
空を舞う鳥たちは
骨の欠片を撒いて回る。
地を這う虫たちは
骨の欠片を大地に還す。
こうして
いのちは巡る。
彼らには
自然なことだ。
ああ
首を捻るは
ただ
人間ばかりだ。
(2019.8.31)
僕は助手席のベロに訊ねる。
「世界の果てまで」
16歳の少女は答える。
「……世界の果てはハイオク60リッターで行ける場所なの?」
「そうよ」
迷いはない。やれやれ。僕はシフトを切り替えてアクセルを踏み込む。こうして、僕たちの最初で最後の冒険が始まった。
(2019.8.16)
あの日、僕と姪は水路で遊んでいた。姪は流れに足を取られて転んだ。僕は彼女が顔を水に浸けてもがく姿を面白がって眺めていた。異変を感じたときは手遅れだった。
あれから二十年が経つ。川面に揺れる藻の一群は年々その長さを増している。
隙間から覗く女の顔は、今年も何も言わない。
(2019.8.17)
竜は人類の脅威だ。
しかし地に伏せ静かに呼吸する竜を前にして、私は凍りついた。瞳に宿る知性の光。お前は神を殺すのか――私自身の叫びが脳裏に響く。
(2019.8.18)
マスターが看板を下げにカウンターを出る。それを横目に見るともなしに、
戻ってきたマスターが藤沢の肩を叩く。
「看板ですよ」
汚い
(2019.8.19)
欄干を越えかけた
お
男は知らない顔だった。
「だれ……?」
「御遣いさ。あんたを死なせたくねェ男のね」
「え……」
「会うかい?」
男は手を差し出す。躊躇いは刹那、お静はその手を掴んだ。
(2019.8.20)
案内されたのは古寺だった。本堂に真新しい位牌が置かれている。
「お父ッつぁん……?」
「あんたを遊郭に売ったことを悔いて、親父さんは必死で金を稼いだ。だけど
男はぼろぼろの巾着をお静の手に乗せた。ずしりと重かった。お静は声をあげて泣いた。
(2019.8.21)
ユカとミカは一卵性の双子だ。感性はほぼ同じなので、小さい頃はよく喧嘩になった。だから互いに意識して、自分の好みからわずかに外れたものを選ぶようになった。服装、食事、付き合う男。そしてそのうち、
(あれ、わたしってなんだっけ?)
二人は誰でもない誰かになってしまっていた。
(2019.8.22)
人間の設計図――発明家の言葉に、集った記者たちはざわついた。
「任意の年齢性別の人間を量産できる。自身をそうだとは認識しない。人口減少問題は解決するだろう」
「神への冒涜だ!」
ある記者が叫んだ。発明家はその男を見た。
「ああ……これがその第1号です。よく出来てるでしょう?」
(2019.8.23)
「先輩……恨んでます?その、カノジョを取ったこと……」
「過去は清算しようぜ。そのために、廃車前のこいつでドライブに誘ったんだ」
「えっ……許してくれるってことッスか?」
「違う違う。廃車にするから少々汚れても平気ってことさ」
パンと乾いた音がして、助手席の窓が赤く染まった。
(2019.8.24)
幽霊の写真は目にするが、妖怪の写真は滅多にない。何かワケがあるのか……民俗学者は全国を歩き、幽霊妖怪の噂ある場所で写真を撮って回った。彼らの姿を分析してみて、民俗学者は至極単純な結論に辿り着いた。
「……恥ずかしがりか」
妖怪たちは皆、困ったような顔をこちらに向けている。
(2019.8.25)
ひと夏の思い出なんて安いものじゃないんだ。そんな一瞬で満たされる気持ちなら、僕は恋なんてしない。枯葉舞う秋だって、雪が降る冬だって、花が咲く春だってそばにいたいよ。眩しい太陽に再会したら、もう一度ここで手を握ろう。繋がる体温に胸が燃えたなら、また一緒に季節を渡ろう。
(2019.8.26)
この世は無駄に長い文章で溢れている。そこで制定されたのが『読点禁止法』。全ての文章から読点が廃され読点なしでも読めるよう再構成された。
結果どうなったか……当然だが細切れの文章ほど理解を妨げるものはない。今日も議会では都合よく解釈された文章を巡って税金が浪費されている。
(2019.8.27)
級友たちが退屈な授業を受けている時に、彼氏のベッドで惰眠を貪る。優越感、優越感……心の中で言い聞かせ、身体を起こせばやっぱり横は空っぽだった。帰ってきたのは脱ぎ散らかした服と、ひと口ふた口齧っただけの夕食で知れる。ざまあみろ。私は、たぶん眠気を覚ますために目蓋を擦る。
(2019.8.28)
そんな彼の上司として『褒め神様』
(2019.8.29)
シャーレに満ちる寒天を揺り籠に、名もない菌は音もなく蠢いている。創造主である男は傍らで
ともかく、人類を三度殺すことができる最悪の微生物は『良識ある』研究者の手に委ねられた。
(2019.8.30)
獅子の王様が身罷ると
肉を食う獣たちは
その身体を食べ尽くす。
草を食む獣たちは
残された骨を踏み砕く。
空を舞う鳥たちは
骨の欠片を撒いて回る。
地を這う虫たちは
骨の欠片を大地に還す。
こうして
いのちは巡る。
彼らには
自然なことだ。
ああ
首を捻るは
ただ
人間ばかりだ。
(2019.8.31)