2023.3.1~2023.3.15

文字数 2,178文字

 バイト代につられて安易な気持ちで応募したことを後悔する。制服だと渡されたが布の面積が小さすぎる。あちこち見えそうで不安だ。でも隠すわけにはいかない。仕事だ、やらねば。前任者と交代して笛を吹く。
「プールから上がってくださーい」
 ブーメランパンツなんか二度と履くものか。
 (2023.3.1)


 日没の空に灯るふたつの星。見慣れた配列だと思いきや、いとしいあの子の泣きぼくろだった。あの子の周りにはいつも恋がある。その遍歴を思えば嫉妬で気が狂いそうになる。夜よ、お前はどれほどに抱き、抱かれてきたのだ?お前を思って身悶えする、いくじなしの勇者はこの世にいるのか?
 (2023.3.2)


「あっ、もうまたこんなイタズラして!」
 大成功。ぼくは物陰から様子を窺いながら笑いをこらえる。案の定すぐに見つかり、正座させられた。
「何でこんなことするの!?」
「お雛様も毎年同じメンツじゃ飽きるでしょ?」
 雛壇の上には、アメコミのヒーローたちが夢の大終結をしている。
 (2023.3.3)


「その日は非番でした。警察官にもプライベートはあります」
「それが現場に居合わせたのに立ち去った理由か。恥を知れ!」
「どちらが大事かと言われたら親の命です。犯人確保に協力していたら臨終には間に合いませんでした」
 呆れて言葉もない。それとも、私が間違っているのだろうか。
 (2023.3.4)


 おしどり夫婦で知られた彫刻家のカップル。互いを模した木像を抱擁させた作品は世界でも高い評価を得た。しかし創造性の違いから別れることになった。二人は合作の破棄を望んだが叶わなかった。やがて画壇から姿を消した二人に代わり、過去の亡霊は今でも仲睦まじく身を寄せ合っている。
 (2023.3.5)


「おはよう」
 給湯室から現れた課長を見て、思わず悲鳴を上げそうになった。髪はボサボサ、髭はボーボー。顔は脂でドロドロだ。
「昨日も泊まったんですか」
「終わらんのよ、仕事が」
 熊が吠えるような欠伸をして、課長は手洗いに消えていった。おれもいつかはああなるのだろうか……。
 (2023.3.6)


 ミートチョッパーから新鮮なミンチが出てくる。手捏ねしてフライパンで焼けば、香ばしい匂いが立ち込め生唾が湧いてきた。あんた料理のセンスがあるよ。どうだい、記念すべきひと口め。そんな余裕無いか。では代わりに味見を。こう見えてグルメなやくざなのさ。おい、誰か止血してやれ。
 (2023.3.7)


 電話口で息子を騙ると簡単に引っかかった。こちらの要望に素直に従ってくれる。笑いを堪えていると、なぜか相手が笑い出した。
「どうしたの?」
「あんたから連絡くれるとはねえ。……もう逃がさないよ」
「え?」
「すぐに行くから」
 電話が切れる。
 ドアノブがゆっくりと回り始めた。
 (2023.3.8)


「先輩、なんか計算式が壊れたんですけど」
 壊したんだろ――ぶん殴りたい拳を抑えつつ復旧する。事務なのにExcelが使えないとか致命的だ。適当な配置転換を恨む。すると今度は、
「なんか見たことないデータが出てきたんですけど」
 そ、それは非表示にしていた裏帳簿!まさかこいつ……。
 (2023.3.9)


 街は人の心を映す鏡だ。だからこの物憂げさな感じは春霞のせいだけではない。卑屈な男は想いびとの旅立ちを祝福できなかった。夢を選んだ勇気を称えられなかった。遠ざかる腕を掴めなかった手が、でくの坊の身体の脇で揺れている。傍にいてくれと叫べなかった口は、言い訳だけは饒舌だ。
 (2023.3.10)


 フェイスペイントがひとつ剥がれるたび、ゲームは終わりに近づいていく。熱狂は頂を過ぎ、日常という麓へ向かって降っていく。けれど試合終了が告げられるまでは、この場所は戦いの舞台である。枯らした喉のひりつきをビールで潤し、最後の最後の一瞬まで、私たちは応援をあきらめない。
 (2023.3.11)


 道路の白線が塗り直されていた。どうして――僕は憤りを覚える。薄れていく色を、理不尽な環境にすり減っていく自分に重ねていたのだ。生まれ変わった姿は朝日に眩しく誇らしげだ。しかし早くも通勤ラッシュに襲われている。今のうちだと強がってみせる僕は、本来の色すら見失ったままだ。
 (2023.3.12)


 動物園の人気者だった象は、ふとしたはずみで飼育員を踏み殺してしまい処分されることになった。園長は最後に、象が好きだった絵を描かせてやることにした。筆を持たせると、象はすらすらと描き上げた。画用紙いっぱいの、やさしい人間の顔。投げつけられた筆が、園長の横っ面を張った。
 (2023.3.13)


「……なによ、これ」
「バレンタインのお返し。ハッピーホワイトデー」
「あたし聞いてないんだけど」
「サプライズだからね。驚いた?」
「…………」
「そんな顔するなって。ほら」
 彼は私の手を取る。どんな顔したら良いっていうのよ――薬指だけが素直に、銀の指輪を受け入れている。
 (2023.3.14)


「えっ、おばちゃん、お店閉めちゃうの!」
「長いこと贔屓にしてくれてありがとね」
「そんなぁ……ここの和菓子大好きだったのに」
「そのうちまた会えるわよ」
 そう言って意味深にウィンクした――。

 数ヶ月後。
「!?」
 おばちゃんがテレビに出ている。
『和菓子職人、パリデビュー』
 (2023.3.15)
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