2022.4.16~2022.4.30

文字数 2,204文字

 サマージャケットに袖を通すと、背筋がすきっと伸びた。姿見の前に立って、映り込んだ自分に口許が緩む。これだ-――色、デザイン、ひと目惚れの勘に狂いはなかった。衣服との縁は人とのよりも難しい。応えてくれないもどかしさも受け入れて、わたしを輝かせる大切な相棒、これからよろしく。
 (2022.4.16)


「100万円もらえる権利と、くじを引く権利があります。くじに当たれば200万円、外れたら一円ももらえません。どちらを選びますか?」
「どちらも選びません。金には困っていませんから」
「そうですか、では次の方……」
 私は青ざめた。
 (えっ、心の綺麗な人は両方もらえるんじゃないの?!
 (2022.4.17)


 ねぐらへ急ぐ鳥を見ていたら、夜の帳は降りていた。今日は終わった、煙草に火を点けたのは太陽への労いである。天は回って地は動く、退屈な法則に縛られた世界で、ただよう紫煙に自由を夢見る。時計の針が二度回る先で、おれは同じことをしているだろう。摩天楼を駆ける風が火先を撃つ。
 (2022.4.18)


 きみの無知をいいことに、あることないことうそぶいて自分を飾り付ける。全てが剥がれ落ちたときのことなど今は考えない。欲望の導くまま、ニキビ面の青年は突き進む。青春は甘酸っぱいなんてぬるいこと、誰が言ったんだろう。絶対にきみを逃がさない、それだけで毎日死に物狂いなんだ。
 (2022.4.19)


 花見中。皿の上のサンドイッチを、
「あっ!」
 とんびがかっさらっていった。木に降り立つと、ひと息に飲み込んだ。と、羽が震え、地面に落ちて動かなくなった。
「まあ、どうしたのかしら?」
 義母は首を傾げる。同調しながら、内心で舌を打った。毒が強すぎた、次からは量を減らそう。
 (2022.4.20)


 新幹線の車窓に映る景色は、都市部を離れ小村へと移り変わる。低層住宅が地に張り付くように延びる上に、雲とも靄とも見える白が一面にのしかかっている。背後に連なる峰々はその向こう側に隠れている。天はそこまでして、己の広さを誇示したいのだろうか――雑念はトンネルの闇で遮られた。
 (2022.4.21)


 パパはとっても背がたかい。いっしょに歩くときは、お手てをうんと伸ばさないと届かないの。お顔がとおくにあって、キリンさんみたいに首が長くないと見えないんだ。でもほめてくれるときは、しゃがんでお顔がちかくなるの。パパ、だいすきよ。いい子にするから、いっぱいお顔見せてね。
 (2022.4.22)


 落ち着かない……身じろぎするたび、甘い香りが過る。出社前に彼女からつけられた香水はベタベタのベリー系。当然、周りに気づかれる。言い訳しようとしたら、
「人気のブランドなのよ」
「そ、そうなの?」
「見せつけるじゃん」
 肘で小突かれた。そう言われたら、悪い気はしない。単純。
 (2022.4.23)


 王はバルコニーから眼下の都を眺めた。貧民窟生まれの彼は、才能で一国の主に登り詰めたのだ。自ら図面を引いて築いた街並みだが、そこには知らずのうち、幼き頃の景色が意匠として表れていた。それは生に食らいついていた日々の消しがたい痕跡だ。
 (過去は我が影だ)
 王は襟元を正した。
 (2022.4.24)


 血の味を感じるほど咳をして、地面に唾を吐いた。唾は土の上でむずがるように身を捩った。雑居ビルが落とす影に、最後の紫煙が消えてゆく。吸わなければ良かったと後悔した。大人の階段なんて無かったのだ。あるだけのフリスクを頬張り噛み砕く。バレたときの言い訳を考えるのも面倒だ。
 (2022.4.25)


 百点のテストを見せると、親は満面の笑みで頭を撫でた。ぼくも笑みを返す。百点なんて授業を真面目に聞いて勉強すれば取れるし、特別なものじゃない。だけど親の喜ぶ顔を曇らせることはしたくないから、ぼくは努めて喜びを表現するのだ。これはきっと、勉強だけでは身に付かないことだ。
 (2022.4.26)


 ベンチで休んでいると、周りから非難の視線を浴びた。マスクは病人がするものだ、同調圧力になど屈しない。
「マスクを外さないでください!」
 店員の声が聞こえた。無視して目を閉じイヤホンの音量を上げた……。

 商業施設で発生したガス漏れ事故は、1名の死者を除き大半が軽傷で済んだ。
 (2022.4.27)


 金を使い込んだことを咎めても、アルバイトに反省の色は見受けられなかった。それどころか不服さを顕にした。たかが札の一枚と高を括っていた。だから警察を呼んだと告げたときの狼狽ぶりは酷かった。
「て、店長もクビになりますよ!」
「なるか」
 甘すぎる。見る目がなかった、反省だ。
 (2022.4.28)


「ありがとうございました!」
 威勢よく客を送り出す。駅前の商店街、狭い店内には地元で採れた野菜が溢れる。同業者が手広くやっていく中で、昔ながらの対面販売は時代遅れかもしれない。しかし客の喜びを直に触れられるこのやり方に、私は無上の幸せを感じる。体温のある商売をしたい。
 (2022.4.29)


 博士の論文には致命的な欠陥があった。助手は気づいたが、指摘できなかった。論文は博士の金庫から盗んだものだからだ。嫌みな指導への八つ当たりにとしたことだが、不意に師の衰えを見て悲しくなった。翌日の朝早く、助手は論文を金庫に戻した。欠陥は辻褄が合うよう書き直されていた。
 (2022.4.30)
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