2022.4.1~2022.4.15

文字数 2,194文字

 壮年でデビューは遅咲きもいいところだが、朴訥と歌う姿が刺さり空前のヒットに。メディアには一切出ず秘密主義を貫いた。ブームが去るころ、所属事務所が会見を開いた。なんと本人は十年前に死んでいたという。誰も気づかなかった。彼は何度も歌っていたのに。
 『死んでも夢は叶うのさ』
 (2022.4.1)


 友人は私が貸した銃の暴発で死んだ。日に日に募る傲慢さに不満があったのは事実、事故でも起こればと思ったのも事実だ。しかし誓って殺意などなかった。即死しなかった友人は私を睨みつけて言った。
「やりやがったな……」
 そこで否定できなかったことで、私は本当の殺人者になったのだ。
 (2022.4.2)


 女郎屋の裏手に潜んで半刻が経つ。春の宵はまだ寒く、信吉(しんきち)は何度も洟を啜った。堀割に映る色街の灯は、不埒な行いに走る男を嘲笑うかのように揺れている。
 と、矯声が聴こえた。信吉は急いで目を閉じ、股間を弄り始める。金の無い時はこうするしかないのだ。男の体臭が、強く匂い出した。
 (2022.4.3)


 かたかた。かたかた。
 後輩のキータッチが耳につく……神経質になっているようだ。この程度の音なら自分だって出しているかもしれないのだ。しかしどうにも我慢ができなかった。
「あのさ、もう少し静かに打ってくれる?」
 後輩はきょとんとした顔で見返してくる。私は居たたまれなくなる。
 (2022.4.4)


 魔女にもらった薬を嚥むと、脳から意識が溶け出した。両手ですくうと、指先を逃げて床にあふれた。初夏の日射しが跳ねて、目が眩んだ。汚いことばかり浮かべてきたはずなのに、美しかった。救われた気がした。思い残すことはない。背後に闇が迫る。一度外に出した意識を戻すすべはない。
 (2022.4.5)


 部屋の前に立った執事の視線が、ふと靴先に落ちた。磨き上げた革靴に泥が跳ねている。それは裏山で付いたものに違いなかった。腕の疲労が甦る。ぬかるんだ地面を掘り返すのはひと苦労だった。そして死体を動かすのも。全ては主のため――執事はドアをノックする。ひと言、
「片付きました」
 (2022.4.6)


 時計の針が12を回った。真夜中である。うんと大きく伸びをして、鉛筆を机に置く。裸電球に照らされた画用紙には、不格好な林檎がひとつ。初めての静物画、留まっているものを描くことがこんなにも難しいとは。スティル・ライフ――命の留まり。いいじゃないか、立ち向かう壁は高いほど良い。
 (2022.4.7)


 このけだものと、妻はわたしを罵った。口には出さないが、それはけだものに失礼だと思う。けだものは不倫しない。そして愛も恋もしない。生きて死ぬ――彼らの倫理は極めて純粋だ。文化や規律という複雑怪奇なルールをもて余すわたしはどこまでも人間である。ただ、人間として最低なだけだ。
 (2022.4.8)


 一片の雲もない空の下、豪華客船は太平洋を進んでいく。デッキからの展望は清々しいのひと言だ。乗客は思い思いに時を過ごしている。船旅というのはいい。皆が皆、四角四面に進行方向を向いていないのが特に。人生の営みと娯楽が混ざり合う瞬間――潮風の歌を耳に、カクテルグラスを傾ける。
 (2022.4.9)


 男は大量の氏名が並ぶ書類に判を捺した。印影が潰れていたが構わず決済箱に入れる。押印は形骸化していた。しかし法に従い、正当な手順を踏まねばならない。男は収容施設の管理職、今日も処刑室の使用許可書に判を捺す。その胸にいかなる感情も無い。在るのは法の遵守という一念だった。
 (2022.4.10)


 女の踝には蝶の刺青があった。
「芋虫だったのが蛹になってね、昨日ようやく羽化したの」
 おかしなことを言うと思いながら、女の服を脱がせる。背中が露になったとき、私は悲鳴を上げた。一面に芋虫の紋様が彫られていた。
「あたしも蝶になるの。きっとよ」
 その目は笑っていなかった。
 (2022.4.11)


「情けないわねぇ。あたしならガツンと言い返してやるのに」
 せんべい片手に答弁を観ながら、妻は好き放題だ。言い返して済むなら誰でもやる。彼らは読み上げるのが仕事で、責められるのも仕事だ。給料のためなら何でもこなす、骨の髄までサラリーマンなのだ。
 そうなんでしょ?皆さん。
 (2022.4.12)


 敷布団に食い込んだ指は、よほど強く握り締めたのだろう、二人がかりでようやく抉じ開けることができた。搬出を前に、改めて現場を眺める。女は情交の絶頂で心臓が止まったらしい。肉体はそのままの姿勢で硬直していた。恍惚に喉を反らせ仰ぐ様は死の残酷さを超えて、荘厳さすら感じる。
 (2022.4.13)


「私は浮気相手だったんです。月に数回、家族ごっこをする関係だったんですよ。あの人の心はここには無かった。それくらい夢中だったんですよね、部長さん」
 私は顔を上げられない。黒い額縁の中で、部下は笑顔だ。一度も見たことのない表情。
「ねえ、仕事ってそんなにいいんですか?」
 (2022.4.14)


 殺人犯は焦っていた。凶器が跡形もなく消えてしまったのだ。回収しないと足がついてしまう……。
「悪い悪い」
 振り向くと、見るからに神さまな老人が立っていた。
「法則をいじってたらミスってな、あれはこの世から消えた」
「……じゃあ完全犯罪?」
「それはそれだ」
 サイレンが響いた。
 (2022.4.15)
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