2022.9.16~2022.9.30

文字数 2,194文字

 残業の手を休め、うんと伸びをした目の前に差し出されたのは、チョコバー。
「おつかれさん」
 経理部の部長だった。接点は少なく気難しげな印象がある。緊張していると、部長は自分のチョコバーを頬張って、
「ああ~、糖分がしみる~」
 思わず吹いた。気がほぐれる。結構いいひとかも。
 (2022.9.16)


 娘がストーカーに悩まされているという。通学途中に待ち伏せされているらしい。見張っていると確かにそれらしい男が。私は飛び出して男の肩をつかんだ。
「娘に何か用か?」
 振り向いたのは、目が覚めるような美青年。こいつがストーカー?と、手に持ったナイフに気づいた時は遅かった。
 (2022.9.17)


 台風銀座のこの島では、暴風雨の最中は決して外を見てはならないとされている。台風は神の化身で、その姿を見ることは不敬であるというわけだ。これは迷信ではなく事実だ。私は見た。渦を巻く雲の中心、稲妻に浮かび上がった“あれ”を。決して見てはならない。“あれ”を……あんなものを。
 (2022.9.18)


 女王の葬儀には大勢の国民が参列した。讃美歌が始まる頃、衛兵の足元をすり抜け棺に駆け寄ったものがある。一匹のコーギー、女王の愛犬だ。彼は棺に寄り添うとうたた寝を始めた。人々は涙した。女王の生前と変わらぬ光景がそこにあった。哀悼の調べが満ちて、コーギーは寝返りを打った。
 (2022.9.19)


 王の墓に黒いユリを供えた老婆が逮捕された。獄中で老婆は昔を思い出す。花売りだった頃、王はその不吉な花を買おうとして臣下に止められた。
「美しいのに……」
 あの時の願いを叶えられた――老婆は満ち足りていた。

 そして老婆は死んだ。最期の姿は日陰に咲いた黒いユリのようだった。
 (2022.9.20)


 歌姫の曲は世界中のヒットチャートの上位を独占している。熱狂の渦中にある彼女だが、血を吐かない日はないという。余命幾ばくもないと告知されているにもかかわらず、世界から影を無くすために歌い続けている――。
(なかなかいい設定でしょ)
 そんな彼女は、アーティストではなく商売人。
 (2022.9.21)


 なぜ死なないんだ!ナイフで心臓を刺しても、拳銃で頭を撃ち抜いても、そいつは平然と向かってくる。何度繰り返せば終わるんだ。誰か助けてくれ……。
「――で、先生、オチは決まりましたか?これ以上引き延ばせませんよ」
「も、もう少し……」
 全ては、この作家の創造力にかかっている。
 (2022.9.22)


 校舎の屋上から眺める街は、日常となんら変わらないように見える。一年後、隕石がぶつかるなんて嘘みたいだ。きみが隣にいることもまた。
「地球が最後だからって告白するのは卑怯かな」
「いいんじゃない」
「じゃあ――」
「あたしが先。付き合ってよ」
「はい」
 日常は、もうないんだ。
 (2022.9.23)


 オーナーシェフは、私の渾身の一品を口に入れた。ついに憧れの存在に認めてもらえる日が来たのだ。だが感想は、
「この店には合わない」
 愕然とした。何がダメだった……オーナーシェフは言葉を継ぐ。
「この料理が生きる場所はここじゃない。これから、お前が作るんだ」
 心臓が跳ねた。
 (2022.9.24)


 ロックスターの遺品が競売にかけられた。値はつり上がり、会場は大盛り上がり。が、私にだけは絶望的な声が聴こえている。
『誰か止めてくれ!』
 透けてる。浮いてる。そしてこの顔。間違いない、本人の霊だ。
『ああ、パンツまで……恥ずかしくて死にそうだ!』
 もう死んでるんだよな。
 (2022.9.25)


「情報漏洩の防止?そんなの費用がかかるばかりじゃないか。会社の状況を分かってるのか!」
 分かってるからやるんだよという言葉をなんとか呑み込む。コンプライアンスは会社の柱、そのくせ誰も重要視しない。腐っているのに気づいたときは遅いのだ。何ならもう手遅れかもしれないけど。
 (2022.9.26)


 友達の家に遊びに行ったら妖怪みたいな爺さんがいた。ぶつぶつ言いながら廊下を徘徊している。友人は慣れたものだが、こっちは落ち着かない。
「大変そうだな、お前ん家」
「まあね」
「じいちゃん、いくつ?」
「じいちゃんじゃないよ」
「え?」
「兄貴だよ」
 それ以上は聞けなかった。
 (2022.9.27)


 不意に影が足元に伸びたので、裕太は振り向いた。垂れ込めていた雲が山の稜線に沿って切れ、その合間から夕日が差し込んだのだ。帯のような金色の光は、絵本で見た龍によく似ていた。綺麗だなと思った。光はうねるように街をひと舐めすると、天を掠めて消えた。夜はいつもより暗かった。
 (2022.9.28)


 荒ぶる神を鎮める舞いは、荒ぶるさまでなければならない――長老の言葉がよみがえった。燃え盛る薪を背景にした剣舞に呑まれそうになるのを学者の心で押さえる。この世ならざる存在のために舞う姿を学術的視線で観察する……何という冒涜か。剣が空を薙ぎ、爆ぜる火の粉に星がわなないた。
 (2022.9.29)


 シーツには血とも膿とも知れない染みがへばり付いている。すえた臭いが鼻を刺す。私はシーツを浴室に運ぶと、水をかけて手洗いを始める。汚いとは思わない。これはあの人を蝕む病魔であると同時に、あの人の身体から流れ出た命だからだ。愛する人の命に触れることがどうして汚いものか。
 (2022.9.30)
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み