2019.8.1~2019.8.15

文字数 2,287文字

 黒くさざめく大池の縁は大勢の人で溢れていた。花火大会は去年で中止になったはずなのに。誰もが理解していた。しかし不思議と彼らはここに集ったのだ。
 時計の針が8時を指して、人々の顔が一斉に空に向けられた。華の咲かない夏の夜を、それでも彼らは眺め続ける。
 願わくば、もう一度。
 (2019.8.1)


 澱んだ用水路の中に、きらり金色がひらめいた。覗き込むと、場違いなまでに鮮やかな鯉が水面に現れた。苦しげに口を開け閉めする姿は痛ましく、私は一目散に自宅へと走った。水を貯めたバケツを手に戻ってくると、鯉は腹を見せて浮いていた。樋の上で雨蛙が鳴きもせずそれを眺めていた。
 (2019.8.2)


 実家の押入れから古い写真が出てきた。どれも10歳くらいの少女の寝顔で、裏には昭和初期の日付と写真の少女のものと思われる名前が記されている。祖父母にも覚えがなく、燃やすのも憚られて、近所の寺で供養してもらうことにした。写真を見た住職は絶句した。
「これは死に顔じゃないか」
 (2019.8.3)


 その山は昔、敵に攻撃された航空機が墜落し百人以上が犠牲となっていた。
 時が経ち再び戦争となった。かつての敵は敵のままで、奇しくも彼らはこの山に拠点を設けた。
 その夜、突如として山は沈下し部隊は全滅した。
 裂けた地面のあちこちには、顎の開いた頭蓋骨が顔を出していたそうだ。
 (2019.8.4)


 深窓の令嬢、箱入り娘……世間はさまざまに私を持てはやすが、男漁りには極めて邪魔だ。おまけに家柄が放埒な振舞いを許さない。そんなわけで、私の逢瀬は一期一会。睡眠薬で朦朧とした相手と寝るのは飽きたが、文句は言えない。萎びた男の逸物をいじりながら、今日も爺やに後始末を頼む。
 (2019.8.5)


 ケネディ暗殺現場にいた奇妙な人物。
 アンブレラマン。晴天なのに傘を差していた男。
 バブーシュカレディ。一部始終を平然と撮り続けた女。
 たまたま居合わせた変人だったかもしれない。しかしフィルムに焼きついたその姿は疑念を吸いすぎた。彼らは今日も、ダラスの空の下に立っている。
 (2019.8.6)


 今日は成人式だ。普段は服装に無頓着な母さんも、晴れ着に包まれて嬉しそう。母さんは美しい。僕が生まれたときからちっとも変わらない。僕の自慢だ。
 ほら、撮るよ。
 僕は母さんの顔をカメラに向ける。

 写真屋は必死に震えを堪えている。目の前の青年はマネキンを母親だと思っている。
 (2019.8.7)


 真夏の河川敷。陽炎に歪む高架下に毛布の小山がある。はみ出した右手は変色し、蛆の群に覆われている。蛆たちは知らない。この人物がかつて時代の寵児と呼ばれていたことを。株価の大暴落で全てを失ったことを。蛆たちは粛々と肉をついばむ。その無垢な眼にぎらついた川面を映しながら。
 (2019.8.8)


 恋を失くした黄昏に蝉の脱け殻を拾った。飴色のそれは安普請のアパートによく馴染んだ。ずんぐりとうつ向く姿は愛嬌があり、僕の心は和んだ。
 季節がふたつ進んで、初雪の宵に僕は新しい恋を実らせた。夢見心地で帰宅すると、蝉の脱け殻は消えていた。
 さよなら。
 呟きは誰にも届かない。
 (2019.8.9)


 やまめの皮がめくれ、したたる脂が火を焦がす。いい頃だ。私と、対面に座る毛深い(なにがし)は串を掴む。人でも動物でもない彼は山に棲む精霊の類いだろう。互いに言葉は通じない。しかしおいしいものを食べたいという欲求はどの種族にも通じる感覚なのだ。私たちは、ほくほくとやまめを食べる。
 (2019.8.10)


 満月の夜。熱帯雨林を流れる川面には鰐たちが集い、月に向かって顎を開く。かつて彼らの口吻は、地上を訪れる月が身を休めるための宿だった。命に刻まれた記憶が、役目を終えた今でも彼らにそうさせるのである。
 ……こんな与太話でも、信じる者が一人でもいればおとぎ話になるのだろうか。
 (2019.8.11)


 お盆で実家に帰省中。縁側で水ようかんをつまむ。風鈴の音が耳に涼しい。
 実家を離れた日は清々した気分だった。だけど独りになって、当たり前が当たり前じゃなくなって、ここには大切なものがたくさんあったんだと気づいた。あの頃は若かった。
「ええ風やね」
 母が隣に座る。私は頷く。
 (2019.8.12)


 キャンドルに浮かぶ横顔に見蕩れて、言葉を聴き漏らしそうになる。きみが目の前にいるほど幸福なことはない。不意に別離の妄想に襲われて、強く手を掴んでしまった。驚いたきみだけど、柔らかなぬくもりで包んでくれた。臆病な男でごめんね。きみが許してくれる限り、僕はそばにいるよ。
 (2019.8.13)


 私の部屋には幽霊が出る。大家を問い詰めると、このアパートは墓地を潰して建てたとのこと。入居前に知りたかったが、引っ越す金はない。幽霊も今のところ無害なので、住み続けている次第だ。
 しかし……。
 カーテンの陰。廊下の隅。佇む影には手足が五本ある。
 埋葬されていたのは、何だ。
 (2019.8.14)


 蚊取り線香が燃え尽きたら、僕の夏は終わる。三日の帰省はあっという間だった。夏休みはまだまだあるのに、この喪失感はなんだろう。畳に寝転んで見上げる天井は、遠い。
 線香が最後のひと巻きに差しかかる。煙の匂いが薄らいでいく。鼻の奥がつんとして、僕は眩しいふりをして目を覆う。
 (2019.8.15)
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