2023.5.1~2023.5.15
文字数 2,190文字
家々の軒には穀物を束ねた飾りが提げられている。旅の途中に立ち寄った村は、折しも収穫祭の最中なのだと老人は言った。
「よいところに参られた。人は多いほど良い」
案内された先は広場だった。そこには私のようなよそ者が大勢集められている。全てを察したが、逃げ出すには遅かった。
(2023.5.1)
霧の夜は殺人にうってつけだ。ポケットに忍ばせたナイフをうずかせていたら、女の悲鳴が摩天楼を切り裂いた。抜け駆けしやがってと路地を覗き込んだ目が捉えたのは、獲物の血に濡れた“俺”だった。絶句した俺と“俺”の目が合い――二人は一人になった。どちらがどちらなのか、知る術はない。
(2023.5.2)
深淵から目覚めると、純粋な心を持った人間がいた。此度はこれが私を喚んだらしい。
「世界を平和にしてください」
お安いご用、私は願いを叶える。人間は涙を流して喜んだ。やれやれ、悪魔に頼む話じゃないだろう。後ろに山積みになった生贄も、どうせ罪人だからとでも言うのだろうな。
(2023.5.3)
荒れ果てたゴミ屋敷で、2011年のカレンダーだけが壁の上で胸を張っていた。引き剥がそうとすると、錆び付いたフックにしがみついて抵抗する。家主の生き汚さはこんなものにまで染みついていたのか。徒然なるままに化けゆく運命をえいと断ち切ったら、掌の中であっけなく風化していった。
(2023.5.4)
足の早い万引き犯だった。警官を翻弄し町中を逃げ回ったが、ついに袋の鼠に。追いつめられてとっさにポケットから手を引き抜いた。脅しのつもりだったが、相手が早撃ちの名人だったことが災いした。事切れた万引き犯の右手は人差し指と親指を伸ばしたまま、あらぬ方向に向けられていた。
(2023.5.5)
「な、ななひゃくまん?!」
古い箪笥を質屋に持ち込んだら、とんでもない金額を提示された。
「モノ自体はそれなりなんですが、これがね」
質屋の主人は引出しを引いて奥を指差した。覗いて見ると、文字のようなものが。
「あれは?」
「明治の文豪の落書きです。間違いなく真物ですよ」
(2023.5.6)
流行りの服に身を包み、華やいだ声を上げる若者を見ていると、苦学生なんて言葉は今や死語なのだと実感する。すきま風をちゃんちゃんこで凌ぎ、野良犬みたいに町をうろついていたあの頃。しかし現代のほうが知識も技能も豊富にあるとは、古き良き時代はあと何を誇れるというのだろうか。
(2023.5.7)
「むかしむかしあるところに……」
初めは手遊びしながらだった子どもたちも、そのうち瞬きも忘れて朗読に聞き入っている。わたしの書いたものじゃないけど、こういう反応は素直にうれしい。本を閉じると、子どもたちは我先に感想をしゃべり出す。いいね、それが物語を楽しむってことさ。
(2023.5.8)
封を切る。便箋に並ぶ几帳面な文字は愉快な日常を伝えてくる。ひとしきり笑って、私は返事を書き始める。信じてもらえないと思うが、私は差出人の素性を知らない。間違って届いた手紙にふざけて返事を書いたのだが、なぜか相手も応じてきた。それから三年、この奇妙な交流は続いている。
(2023.5.9)
ついに完全犯罪に成功した!被害者も凶器も消失し、誰もそのことに気づかない。知っているのはこの世でただ一人、なんて愉快なんだ!警察の追及に怯えることもなく、日常が過ぎていく。
一日。
二日。
一週間。
誰も気づかない。
…………。
「……最近さ、あいつの姿見かけなくない?」
(2023.5.10)
真っ暗なリビングルームにブラックライトが灯る。浮かび上がる捜査員たちの顔。そして床に残された殺人の痕跡。
「……笑い」
一人が呟いた。ふざけたわけではない。塗り伸ばされた血痕は、“笑”のひと文字を描いて青々と燃えていた。犯人の悪意を、捜査員たちは引き締めた唇で迎え撃つ。
(2023.5.11)
ひき逃げのニュースを見ていたら、被害者の名前に覚えがあることに気づく。小学校の時のクラスメイト、しかも私をいじめていた主犯だ。ざまあみろと拳を突き上げた。しかし悲しみに暮れる友人の姿が映し出されて、隠すように拳を下ろした。なぜこんな思いをしなければならないのだろう。
(2023.5.12)
皿に残されたパセリが、違和感の正体に気づかせた。わたしはこの人を愛していない。あまりに単純な回答に笑ってしまった。あなたは汚物を見るような目で無言の非難を向けてくる。不快だ、間違いない。裏付けがとれてせいせいした。別れの言葉はごちそうさま、さよならすらもったいない。
(2023.5.13)
地震は無人となっていた教会の壁に生々しい亀裂を残した。長らく放置されていたが、誰かがその亀裂を樹に見立て枝葉を書き込んだ。やがて誰かが花を咲かせ、実を成らせ、幹を太らせ……。罪なき無法を咎める者はおらず、今は燦々と輝く太陽の下、色とりどりの鳩の群れが飛び交っている。
(2023.5.14)
科学者たちは途方に暮れていた。世界最高の知能を持つ生命体の開発に成功したのだが、その姿はあまりに醜悪で直視すら憚るほどなのだ。これでは世間に公表できない……彼らを尻目に、生命体から信号が発せられている。どうやら数学の未解決問題のひとつ、P≠NP予想の証明を始めたらしい。
(2023.5.15)
「よいところに参られた。人は多いほど良い」
案内された先は広場だった。そこには私のようなよそ者が大勢集められている。全てを察したが、逃げ出すには遅かった。
(2023.5.1)
霧の夜は殺人にうってつけだ。ポケットに忍ばせたナイフをうずかせていたら、女の悲鳴が摩天楼を切り裂いた。抜け駆けしやがってと路地を覗き込んだ目が捉えたのは、獲物の血に濡れた“俺”だった。絶句した俺と“俺”の目が合い――二人は一人になった。どちらがどちらなのか、知る術はない。
(2023.5.2)
深淵から目覚めると、純粋な心を持った人間がいた。此度はこれが私を喚んだらしい。
「世界を平和にしてください」
お安いご用、私は願いを叶える。人間は涙を流して喜んだ。やれやれ、悪魔に頼む話じゃないだろう。後ろに山積みになった生贄も、どうせ罪人だからとでも言うのだろうな。
(2023.5.3)
荒れ果てたゴミ屋敷で、2011年のカレンダーだけが壁の上で胸を張っていた。引き剥がそうとすると、錆び付いたフックにしがみついて抵抗する。家主の生き汚さはこんなものにまで染みついていたのか。徒然なるままに化けゆく運命をえいと断ち切ったら、掌の中であっけなく風化していった。
(2023.5.4)
足の早い万引き犯だった。警官を翻弄し町中を逃げ回ったが、ついに袋の鼠に。追いつめられてとっさにポケットから手を引き抜いた。脅しのつもりだったが、相手が早撃ちの名人だったことが災いした。事切れた万引き犯の右手は人差し指と親指を伸ばしたまま、あらぬ方向に向けられていた。
(2023.5.5)
「な、ななひゃくまん?!」
古い箪笥を質屋に持ち込んだら、とんでもない金額を提示された。
「モノ自体はそれなりなんですが、これがね」
質屋の主人は引出しを引いて奥を指差した。覗いて見ると、文字のようなものが。
「あれは?」
「明治の文豪の落書きです。間違いなく真物ですよ」
(2023.5.6)
流行りの服に身を包み、華やいだ声を上げる若者を見ていると、苦学生なんて言葉は今や死語なのだと実感する。すきま風をちゃんちゃんこで凌ぎ、野良犬みたいに町をうろついていたあの頃。しかし現代のほうが知識も技能も豊富にあるとは、古き良き時代はあと何を誇れるというのだろうか。
(2023.5.7)
「むかしむかしあるところに……」
初めは手遊びしながらだった子どもたちも、そのうち瞬きも忘れて朗読に聞き入っている。わたしの書いたものじゃないけど、こういう反応は素直にうれしい。本を閉じると、子どもたちは我先に感想をしゃべり出す。いいね、それが物語を楽しむってことさ。
(2023.5.8)
封を切る。便箋に並ぶ几帳面な文字は愉快な日常を伝えてくる。ひとしきり笑って、私は返事を書き始める。信じてもらえないと思うが、私は差出人の素性を知らない。間違って届いた手紙にふざけて返事を書いたのだが、なぜか相手も応じてきた。それから三年、この奇妙な交流は続いている。
(2023.5.9)
ついに完全犯罪に成功した!被害者も凶器も消失し、誰もそのことに気づかない。知っているのはこの世でただ一人、なんて愉快なんだ!警察の追及に怯えることもなく、日常が過ぎていく。
一日。
二日。
一週間。
誰も気づかない。
…………。
「……最近さ、あいつの姿見かけなくない?」
(2023.5.10)
真っ暗なリビングルームにブラックライトが灯る。浮かび上がる捜査員たちの顔。そして床に残された殺人の痕跡。
「……笑い」
一人が呟いた。ふざけたわけではない。塗り伸ばされた血痕は、“笑”のひと文字を描いて青々と燃えていた。犯人の悪意を、捜査員たちは引き締めた唇で迎え撃つ。
(2023.5.11)
ひき逃げのニュースを見ていたら、被害者の名前に覚えがあることに気づく。小学校の時のクラスメイト、しかも私をいじめていた主犯だ。ざまあみろと拳を突き上げた。しかし悲しみに暮れる友人の姿が映し出されて、隠すように拳を下ろした。なぜこんな思いをしなければならないのだろう。
(2023.5.12)
皿に残されたパセリが、違和感の正体に気づかせた。わたしはこの人を愛していない。あまりに単純な回答に笑ってしまった。あなたは汚物を見るような目で無言の非難を向けてくる。不快だ、間違いない。裏付けがとれてせいせいした。別れの言葉はごちそうさま、さよならすらもったいない。
(2023.5.13)
地震は無人となっていた教会の壁に生々しい亀裂を残した。長らく放置されていたが、誰かがその亀裂を樹に見立て枝葉を書き込んだ。やがて誰かが花を咲かせ、実を成らせ、幹を太らせ……。罪なき無法を咎める者はおらず、今は燦々と輝く太陽の下、色とりどりの鳩の群れが飛び交っている。
(2023.5.14)
科学者たちは途方に暮れていた。世界最高の知能を持つ生命体の開発に成功したのだが、その姿はあまりに醜悪で直視すら憚るほどなのだ。これでは世間に公表できない……彼らを尻目に、生命体から信号が発せられている。どうやら数学の未解決問題のひとつ、P≠NP予想の証明を始めたらしい。
(2023.5.15)