2023.7.16~2023.7.31

文字数 2,340文字

 午後の授業をサボり、海へ遊びに行く。誰もいない砂浜に二人きり、波音のせいにして不自由な会話を楽しむ。どれだけ勉強したって、その価値は語り合う一秒にも満たない。良い大学に入ることに何の意味があるのだろう。一生を添いたいと思える相手に出会うことのほうが大切じゃないのか。
 (2023.7.16)


 エレベーターに乗り込もうとして、思わず後ずさりした。顔中にめちゃくちゃな化粧をした女が佇んでいる。固まっているうちにドアは閉まった。
「なんだったんだろう……」
 昇降ボタンを押した途端、ドアが開いた。身構えたが、あの女はいない。ケージ内の姿見には誰も何も写っていない。
 (2023.7.17)


 目を覚ますと病院のベッドの上だった。大勢の顔が覗き込んでいる。記憶がよみがえる。車での帰宅途中。飛び出してきた人影。衝撃。ぐちゃぐちゃの肉塊――血の気が引いていく。
「あ、あの人は」
「生きています」医者の声は震えている。
「まだ、ね」
 どこかで、獣のような咆哮が響いた。
 (2023.7.18)


 大金持ちの長者は何でも買えることに飽きてきて、
「わしに金を出し渋らせるものを持ってきたら褒美をやる」
 人々はこぞってゴミやがらくたを持ち込んだ。長者も面白がって何でも買い取ったので、まともに働かない者が増えて世は乱れた。長者は殿様を怒らせてしまい、財産を没収された。
 (2023.7.19)


 この国には気象予報士がいない。雨しか降らないからだ。小雨か大雨の違いしかないからわざわざ報じることもないのである。表向きは龍神の祟りとされているが、実態は大企業の公害被害だ。迷信深い国民性を利用した国ぐるみの隠蔽工作である。そのツケがこれから回ってこようとしている。
 (2023.7.20)


 老人は古いシャンソンを口ずさんでいる。すべてを忘れていくなかで、唯一残ったものが歌だった。その生き方は美しくもあり残酷でもある。身寄りもなく窓の外を眺めるだけの日々に、生身より絵空事の愛を選んだのか、選ばされたのか。今日も老人は歌う。昨日より一音欠けたシャンソンを。
 (2023.7.21)


 甲田(こうだ)源左衛門(げんざえもん)は呻いた。出納の帳面が合わない。日々照合を欠かさなかったのに何故……。
 畳を蹴立てて、組頭の後藤(ごとう)が部屋に入ってきた。
「勘定方の恥晒しめ!」
 源左衛門は平身低頭するしか術がない。
 が、後藤が去り際、その口許が歪んだのを源左衛門は見た。
 嵌められたのだと悟った。
 (2023.7.22)


 村外れに小さなお堂が建っていた。やさしい顔立ちの石像は皆に慕われ、誰ともなく花や食べ物を供えていた。ところがある日、村を訪れた偉い教授が、これは祟り神を封じるものだと説明した。途端に村人は気味悪がり、近づかなくなった。朽ちたお堂の中、石像の表情は蜘蛛の巣で見えない。
 (2023.7.23)


 幸せの青い鳥が一斉に姿を消した。人々に分け与えていた幸せが底をついたので、補充のため別の世界線へと飛び立ったのだ。ただ祈ろう、彼らの旅路を。ただ待とう、彼らの帰還を――。

 一方、別の世界線。人々は恐怖に震えていた。幸せの略奪者は空を青く染めながら、刻一刻と迫ってくる。
 (2023.7.24)


「……この部屋、憑いていますね」
「やめてください。そんなことをしても家賃は下げられませんよ」
「視えるんです、恨めしげな顔をした女が……」
「いい加減にしないと警察を呼びますよ!」
「呼べますか?」
「え?」
「あなた、警察を呼べる立場ですか?」
 私は後ろ手に鍵を閉める。
 (2023.7.25)


 画面越しの相手がフリーズして5分が経つ。今日は回線の調子が悪い。申し訳なさを感じながらも回復を待つしかない。そのうち、コマ送りのように動き始めた。やれやれと居住まいを正す。滞りが解消された先で――、
 相手は鼻毛を抜いていた。
「あっ」
 『あっ』
 どちらからともなく退室した。
 (2023.7.26)


 かつてこれほど真剣に水晶玉を覗いたことはない。適当な言葉に客は勝手な意味付けをし、時に涙まで流して感謝した。たわいない詐欺に欲を出したのがいけなかった。人気に後押され、私は国家の存亡を占わされている。答えは決まっている。だから知りたい。本当の未来が。私の命の行方が。
 (2023.7.27)


 昔々、カブトムシは電動だと信じていた子供の笑い話があった。それは現実となり、我が子はクワガタの背中を開けて電池を交換している。生きた昆虫はもはや手に入らない。
「もう寝なさい」
 電気を消す。月明かりが、カーテンに触覚を浮かび上がらせる。地上の支配者となった、やつらの。
 (2023.7.28)


 道端に捨てられていたのは雲……ではなく、わたあめだった。昨夜の縁日で売られていたものだろう。買ったはいいが、単調な味に飽きたのか。茹だるような暑さのなか、寄りつく蟻の姿もない。プールへと急ぐ小学生の一団が、泥水をはね飛ばしていく。天を仰ぎ、スコールの訪れを独り祈る。
 (2023.7.29)


 ハッチがこじ開けられると、噴き出た熱気がどよめきを生んだ。引きずり出された若い隊員、その横顔に生気はない。医師は静かに首を振った。遅すぎた――炎天下、脱出装置の壊れた装甲車は鋼鉄の棺と化したのだ。隊長の慟哭が響く。国を守る戦士の散り際が、こんな場所であってはならない。
 (2023.7.30)


 おきあがりこぼしを眺める。愛らしい姿がゆらゆら揺れながら、落ち込んだぼくに笑いかけてくる。なんて悲しいんだろうと思う。転びたくても転べない。泣きたくても泣けない。それは強さではなく、逃げ道を塞がれた崖っぷちの旅だ。ぼくは自分自身の弱さを初めてありがたく思うのだった。
 (2023.7.31)
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