2023.2.1~2023.2.15
文字数 2,185文字
愚鈍な男と知って結婚したのだから、非は耀子 にもあるだろう。百年の恋と信じたわけではないが、人並み以下の己を見初めた心に眼を曇らせたのだ。生活能力は皆無、言わなければ何もせず、休日は万年床で惰眠を貪る。離婚を切り出す勇気も無い耀子は、積もり積もるため息で圧死しそうだ。
(2023.2.1)
「尻にね、興味があるんですよ」
あなたは?と言わんばかりに机の向こうから身を乗り出す男。こんなにふてぶてしい痴漢はお目にかかったことがない。警察官は呆れながら、
「じゃあ認めるんだな?」
「ええ、こうなったのも運命です。素直に受け入れます」
だから何なんだよその態度は。
(2023.2.2)
身ぶり手ぶり、大きな声で今日の出来事を伝えるきみを心から愛しく思う。ひとつ残らず聞き届けたい、使わなくなって久しい辞書を掘り起こして、懸命にきみの言葉に答える。どうかな?合ってる?返ってきたのはぴかぴかの笑顔。うれしくて抱きしめたら、お日さまの匂いが腕の中で弾けた。
(2023.2.3)
あっと思ったときには遅かった。指がもつれて、ばらばらになった旋律はホールに消えた。審査員席からペンを置く音が聞こえ、遥香は俯いて舞台袖に駆けた――。
「逃げるな!」
振り向くと、審査員の一人が立ち上がっていた。
「恥ではない。最後まで弾け」
足は凍りついたように動かない。
(2023.2.4)
腹が差し込み、トイレに駆け込んだら長蛇の列。みんな個室が空くのを待っている。持たないぞ……大腸が抗議の声を上げる。ん、一つだけ空いているじゃないか!幸い誰も気づいていない。助かった!飛び込んでドアを閉めて、なぜ空いていたのかが分かった。
「和式……」
行くか、退くか。
(2023.2.5)
馬渕 亮太 巡査の評価は真面目の一言だった。逆に言えばそれしか取り柄がなかった。型から外れた思考が出来ない。だからこの日の巡回中、暗がりから筒のようなものが伸びてきてこめかみに触れた時も、それが散弾銃の銃身だと認識することはなかった。一体何だろう――そのまま馬渕は死んだ。
(2023.2.6)
「毎食後に一錠ずつ飲んでください」
差し出した薬袋を乱暴に掴むと、老人は足早に玄関へ向かった。日に日に土気色を増す肌を見れば、服用していないことは明白だった。意に沿わない通院なのか知らないが、何のために処方しているのか考えてよ。欲しくても手に入らない人だっているんだ。
(2023.2.7)
痛快だった。ふざけて撮った動画があらゆるメディアで流れ、タイムラインを埋め尽くしている。これで自分も有名人の仲間入りだ。顔さえ映してくれたらなぁ。店は迷惑だったかもだけど、芸能人もやってることだし頭下げときゃ……え、訴訟?賠償?いや、だって、ただの冗談じゃん?ねえ。
(2023.2.8)
街中で見かけた友人。その後ろ姿が十も老けて見えるのは、丸まった背と、がに股のせいだった。こんな歩き方をするような男ではなかった。学生時代はいつも胸を張り、溌剌としていた。何があったのかは分からない。しかしあの頃の、憎らしいまでに輝いていた彼がいないことは確かだった。
(2023.2.9)
裏切った。自分自身を。ピアスの痕が塞がるまでは、あなたを忘れないと決めたのに。果てて感光した海馬。焼き切れた思考を繋いでも、不細工なモンタージュになるばかり。神さま、やり直させて。都合がいいことばかりほざくんじゃねえよ――いやらしい指が伸びてきて、私はまた悦んでいる。
(2023.2.10)
パーティーの熱気を冷ますため、テラスに出る。月明かりに浮かんだ舞台には先客がいた。背中の大きく開いたイブニングドレス。女は肩越しに振り返り、苦笑した。
「飽きてきちゃったの。貴方も?」
夜風が体臭を運んでくる。香水ではない、純粋な生き物のにおい。
「ええ、さっきまでは」
(2023.2.11)
苦悶は隠され、ほころんだ口許は在りし日の姿を偲ばせる。死化粧を施した故人を見て、遺族の口許もまたほころんだ。間も無く灰になる遺体を清めることに何の意味があるのか――心ない人は言う。意味はある。残された者が、生きていかねばならない者が前を向けるように、私たちは死を彩る。
(2023.2.12)
真夜中の台所はひどい散らかりようだった。ふるいからはみ出た粉砂糖で真っ白け、泡立て器はボウルに突き立ったまま。まな板に並んだハートの型が、不意に空になった薬莢と重なった。恋は戦争――誰かが歌っていたっけ。勇敢な戦士は刻限に間に合った安堵で、ぐうぐうと寝息を立てている。
(2023.2.13)
ビターチョコレートなんて不吉な名前だわ。まるであたしの恋路を予言してるみたいじゃないの。でもあなたが甘いのは嫌いだって言うんだもの、いいわ、作ってやろうじゃない。こうなったら飛びきりほろ苦くしてやるんだから。ん、飛びきりほろ苦い?あたし、逃げてない?やばい、苦いわ。
(2023.2.14)
ギターを爪弾く指がむにゃむにゃ言ってるから、思い切りゲンコツをかました。もう才能ないのは明らかなんだから諦めろよ。なにが上手くなったらだよ、体のいい逃げじゃねえか。こちとら待って待って待ちくたびれてんだ。一分一秒が惜しい、そんなもん抱いてないであたしを抱いてくれよ。
(2023.2.15)
(2023.2.1)
「尻にね、興味があるんですよ」
あなたは?と言わんばかりに机の向こうから身を乗り出す男。こんなにふてぶてしい痴漢はお目にかかったことがない。警察官は呆れながら、
「じゃあ認めるんだな?」
「ええ、こうなったのも運命です。素直に受け入れます」
だから何なんだよその態度は。
(2023.2.2)
身ぶり手ぶり、大きな声で今日の出来事を伝えるきみを心から愛しく思う。ひとつ残らず聞き届けたい、使わなくなって久しい辞書を掘り起こして、懸命にきみの言葉に答える。どうかな?合ってる?返ってきたのはぴかぴかの笑顔。うれしくて抱きしめたら、お日さまの匂いが腕の中で弾けた。
(2023.2.3)
あっと思ったときには遅かった。指がもつれて、ばらばらになった旋律はホールに消えた。審査員席からペンを置く音が聞こえ、遥香は俯いて舞台袖に駆けた――。
「逃げるな!」
振り向くと、審査員の一人が立ち上がっていた。
「恥ではない。最後まで弾け」
足は凍りついたように動かない。
(2023.2.4)
腹が差し込み、トイレに駆け込んだら長蛇の列。みんな個室が空くのを待っている。持たないぞ……大腸が抗議の声を上げる。ん、一つだけ空いているじゃないか!幸い誰も気づいていない。助かった!飛び込んでドアを閉めて、なぜ空いていたのかが分かった。
「和式……」
行くか、退くか。
(2023.2.5)
(2023.2.6)
「毎食後に一錠ずつ飲んでください」
差し出した薬袋を乱暴に掴むと、老人は足早に玄関へ向かった。日に日に土気色を増す肌を見れば、服用していないことは明白だった。意に沿わない通院なのか知らないが、何のために処方しているのか考えてよ。欲しくても手に入らない人だっているんだ。
(2023.2.7)
痛快だった。ふざけて撮った動画があらゆるメディアで流れ、タイムラインを埋め尽くしている。これで自分も有名人の仲間入りだ。顔さえ映してくれたらなぁ。店は迷惑だったかもだけど、芸能人もやってることだし頭下げときゃ……え、訴訟?賠償?いや、だって、ただの冗談じゃん?ねえ。
(2023.2.8)
街中で見かけた友人。その後ろ姿が十も老けて見えるのは、丸まった背と、がに股のせいだった。こんな歩き方をするような男ではなかった。学生時代はいつも胸を張り、溌剌としていた。何があったのかは分からない。しかしあの頃の、憎らしいまでに輝いていた彼がいないことは確かだった。
(2023.2.9)
裏切った。自分自身を。ピアスの痕が塞がるまでは、あなたを忘れないと決めたのに。果てて感光した海馬。焼き切れた思考を繋いでも、不細工なモンタージュになるばかり。神さま、やり直させて。都合がいいことばかりほざくんじゃねえよ――いやらしい指が伸びてきて、私はまた悦んでいる。
(2023.2.10)
パーティーの熱気を冷ますため、テラスに出る。月明かりに浮かんだ舞台には先客がいた。背中の大きく開いたイブニングドレス。女は肩越しに振り返り、苦笑した。
「飽きてきちゃったの。貴方も?」
夜風が体臭を運んでくる。香水ではない、純粋な生き物のにおい。
「ええ、さっきまでは」
(2023.2.11)
苦悶は隠され、ほころんだ口許は在りし日の姿を偲ばせる。死化粧を施した故人を見て、遺族の口許もまたほころんだ。間も無く灰になる遺体を清めることに何の意味があるのか――心ない人は言う。意味はある。残された者が、生きていかねばならない者が前を向けるように、私たちは死を彩る。
(2023.2.12)
真夜中の台所はひどい散らかりようだった。ふるいからはみ出た粉砂糖で真っ白け、泡立て器はボウルに突き立ったまま。まな板に並んだハートの型が、不意に空になった薬莢と重なった。恋は戦争――誰かが歌っていたっけ。勇敢な戦士は刻限に間に合った安堵で、ぐうぐうと寝息を立てている。
(2023.2.13)
ビターチョコレートなんて不吉な名前だわ。まるであたしの恋路を予言してるみたいじゃないの。でもあなたが甘いのは嫌いだって言うんだもの、いいわ、作ってやろうじゃない。こうなったら飛びきりほろ苦くしてやるんだから。ん、飛びきりほろ苦い?あたし、逃げてない?やばい、苦いわ。
(2023.2.14)
ギターを爪弾く指がむにゃむにゃ言ってるから、思い切りゲンコツをかました。もう才能ないのは明らかなんだから諦めろよ。なにが上手くなったらだよ、体のいい逃げじゃねえか。こちとら待って待って待ちくたびれてんだ。一分一秒が惜しい、そんなもん抱いてないであたしを抱いてくれよ。
(2023.2.15)