2020.12.16~2020.12.31

文字数 2,368文字

 心の寒さは、酒で何とかなるもんじゃない。弱っているのは心――自分自身の芯だから、いくら胃袋をぬくめても意味はないのだ。心の寒さに効くのは、たとえば愛とかやさしさとか、そういう陳腐なものだけだ。けれど陳腐なものほど、欲しいときに側にないのが世の常。ままならぬ、ままならぬ。
 (2020.12.16)


 数多の罪を犯し、侮蔑にまみれて死んだ男がいた。神は更生の機会を与え、最底辺の生を生きる運命を課して甦らせた。ところが男は悔い改めるどころか悪行を繰り返す始末。憤った神は罪の無い国へ男を甦らせた。そこでは誰もが男を赦し、愛を与えた。発狂した男を見て、神は溜飲を下げた。
 (2020.12.17)


 愛しいあなたに伝えたい言葉は、たった三音節。けれどそれを声に変えることが、こんなにも遠く苦しいだなんて。悔しくて歯噛みすれば、言葉はますます出口を失う。ハンカチを濡らしながら、どうかあなたも同じ気持ちでありますようにと願う。でないと私は、愚かさで死んでしまうだろう。
 (2020.12.18)


 泥地のど真ん中で発見された女の死体。全裸で全身を骨折、しかしぬかるんだ周囲には足跡ひとつない。探偵は難しい顔で、
「これは変形的な密室殺人……」
「何言ってるんだ。ここはギリシャだぞ」刑事は鼻で笑う。
「神さまが食い飽きて捨てたんだろうさ」
 空は白々しいまでに澄んでいる。
 (2020.12.19)


 覚悟の上だった。互いに家庭を持ちながら、人目を忍んでの逢瀬。罪と知りながら犯す過ちには極上の甘さがあった。 いま、その甘さは口の中で不快なねばつきに変わっている。誰も気づかない。非難を浴びることもない。それでいいの?身勝手な疑問に潰れそうで、私は夜ごと罰を乞うている。
 (2020.12.20)


 死闘の末、勇者は倒れ伏した魔王に剣を振りかざす。
「くく、愚か者め!」苦し紛れに魔王は叫ぶ。
「憎悪あるところ我あり……この世に人間が存在する限り、俺は何度でも甦ってやるぞ!」
「それは奇遇だな。私は魔王あるところ、だ。来世も必ず殺してやるからな」
 勇者は剣を振り下ろす。
 (2020.12.21)


 真冬の夜気にくるまれて、杯に浮かんだ月を飲み干す。少し噎せながら、はらわたを灼く酒精にまろぶ。せめてこの時だけは――そう思った次の瞬間、血の味が舌を刺し、現実が襟首を引っ掴む。懐紙に吐いた唾を握りつぶし、屑籠に放り込む。どれだけ月を飲んでも、おれは長生きできそうもない。
 (2020.12.22)


「姉はもう死んだんです」
 事実は婚約者を容赦なく打ちすえる。それでなくては。死者に囚われた心は、鞭で打たねば晴れない。
「愛が欲しいなら、ここに」
 広げた諸手に男の身体が倒れ込む。憑き物は落ちた。本当は、欲しかったのは私のほう。ああ、けれど、この腕が、指が、姉を。姉に。
 (2020.12.23)


 あなたと過ごす初めてのクリスマス。柄にもなくはしゃいでしまう。キャンドルが照らす笑顔はまばゆく、忘れたくないあなたがまた一人増えた。サンタさん、わたし、今年のプレゼントは辞退します。これ以上の幸せなんて考えられないから。どこかの欲張りな子におまけしてあげてください。
 (2020.12.24)


 仕事を終えたサンタクロースは、椅子に身を沈めた。表情は冴えない。暗雲垂れ込める世界、私は必要な存在なのだろうか……。
「そうじゃなきゃ今日を指折り数えたりするもんか」トナカイは言う。
「あんたは俺たちの誇りだ。胸を張っとくれよ」
 聖人は頷いた。
 どうか、メリークリスマス。
 (2020.12.25)


 入門の日、師範の剣技を見た。
 美しかった。
 足の運び。身体の移し。刃は流々と空を切り、鞘に納まる。このような美しい動きで、人を殺めることができるのか。
 見惚れる私の胸に、暗い感情が湧く。
 不意に、師範が止まった。
「去れ」眼には怒りがあった。
「人殺しに教えるものはない」
 (2020.12.26)


「母は狂うておる。居らぬものと思え」
 物心ついた私に父は言った。くるう――何かしらの病だと察した。
 それから間もなく、母が死んだと聞かされた。開け放たれた蔵で、私は初めて母に会った。
 土間の上、真っ白な一塊が冬の日差しに揺れていた。
 きれいだ――この瞬間、私は狂ったのだった。
 (2020.12.27)


 突然、腕を捕まれた。
「お客様、お会計してない商品がありますよね」
 まずい、想定外だ。そのまま裏に連れ込まれる。
「盗った物を出せ!」
 くそ、こうなったら。私はバッグの中身を掴み出す。顔色を変える店員。そこへ店長が。
「バカ!その人は警察だ!爆弾が仕掛けられてたんだよ!」
 (2020.12.28)


 子供たちが作った雪だるまは玄関に置くことになった。意外にも興味を持ったのは、黒猫のミロ。新入りにちょっかいをかけては冷たい仕返しを受け、唸りながらも側を離れようとしない。ひと晩明けて、雪だるまは溶けてしまった。わずかに残る水たまりを、ミロはいつまでも舐め続けている。
 (2020.12.29)


 最後の客が帰り、のれんを下ろす。掛け金から外す音は、やけに大きく響いた。これで終いだ。今年も、この店も。
 (長いこと、ありがとな)
 浮かび消える思い出はみな、あたたかい。
 ふと、視界にちらつく白。遅い初雪が肩口にかかる。
 そして、残った。
 沁みる冷たさは、涙よりも熱かった。
 (2020.12.30)


 波乱の一年が終わる。孤独を厭わぬ僕たちが、孤独の恐怖に震えた。多くの大切なものが、手のひらからこぼれ落ちた。
 けれど、失ったものばかりではない。悲しみの中で掴んだものを離してはいけない。
 雲が太陽を隠すなら、この手で切り開こう。そして、涙で濡らした土に花を咲かせよう。
 (2020.12.31)
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