2023.9.1~2023.9.15
文字数 2,184文字
長く生きてきた魔法使いだが、これほどの絶望を経験したことはなかった。待ちに待った騎士は聖なる剣を抜くのを拒んだどころか、彼の生きざまを一笑に付した。
「このご時世、高潔な精神を持った騎士なんざいないよ。そんなに世界を救いたきゃ自分でやるんだな。それより、金貨をくれよ」
(2023.9.1)
黄昏に響く頬の音が、ひと夏の犯罪の終焉を告げた。しかめた顔はそのまま、寝取られるまで気づかなかった女の鈍感さを侮蔑する。親友だ親友だとじゃれついて、捨てられた途端に掌を返すなど都合がよすぎる。私の右手が上がる。罪を犯させる者も等しく罪人、お前にも打たれる理由がある。
(2023.9.2)
「母の容態は?」
「油断ならない状況です。今夜が山でしょう」
「それは良かった」
金目当てで近づき、脈なしと分かると父を籠絡して後妻に収まった女。毒を飲まされたと知るや刃物を振り回す……私の行いなど可愛いものだ。
「では失礼」
医師は退室する。後ろ手に茶封筒を握りながら。
(2023.9.3)
「お~い、そんなへっぴり腰じゃ、良い畑は作れねえぞ~」
「がんばりまーす!」
ぼくは気合いを入れて鍬を振るう。農村に移住してひと月、筋肉痛にも慣れた。周りの人たち皆が先生だ。
「先生、できました!」
「よーし、チェックするぞ~」
師匠――小学五年生の坊主頭が跳び跳ねてくる。
(2023.9.4)
響き渡る歓声に、男は紙屑になった馬券を叩きつけた。すぐさま紙幣を握りしめ売り場へと急ぐ。これで最後だから――もう何度目か知れない“最後”にはやはり紙屑ほどの重さしかない。苦労もせずに叶う夢などなく、そもそも一攫千金は夢にすらなり得ないことに気づけないことこそ哀れだった。
(2023.9.5)
「お、お前さん、小判が……」
「噂の鼠小僧か?こんな大金見たことねえ……」
目を丸くしている夫婦を見下ろしながら、鼠小僧は屋根裏でほくそ笑む。
(さて、これからこれから)
一時の繁栄を得ることは容易い。問題はこの先どうするかだ。後は本人次第、彼はそこまでお人好しではない。
(2023.9.6)
「来たよ!鳩さん!」
孫の声に窓辺に急ぐと、雲間から白い影が降りてくるのが目に映った。病院がないこの島では、ドローンが定期的に薬を届けてくれるのだ。空模様が荒れて心配していたが無事に来てくれた。薬を届け、使者は無言で帰っていく。その姿を私たちはいつまでも見送っている。
(2023.9.7)
雲のように自由なあんたがうらやましいと娘は言った。この狭い町で年を取っていくだけの自分が嫌だと泣いた。おれは娘の言葉を否定しなかった。根無し草の地獄を説いたところで聞く耳を持たないだろう。もっともこの箱入り娘が、垢まみれで地べたを這う日々に耐えられるとは思えないが。
(2023.9.8)
「いい加減にしておくれよ!」女は乱暴な口を利いた。
「そりゃあこちとら貧乏暮らしさ。それでも他人様から金を盗むなんてとんでもない!そんな暇なことを考えるのは、暇なお役人さまじゃないのかね!」
「ええい、黙らんか」
良い勘をしている――同心は家の中に“証拠品”を隠して帰った。
(2023.9.9)
茶封筒には少なからぬ万札を入れてあった。独り身ならしばらく遊んで暮らせる金である。しかし女は封筒を突き返した。私は驚く。さんざんに買い与え手切れ金も弾んだのに、何の不満があるというのか。おまけに誠意だの愛情だのを口にしてなじってくる。まるで被害者だとでも言うように。
(2023.9.10)
銃声は一発。しかし跳ねた薬莢は三つ。そして死体も三つだった。恐るべき早撃ちの賞金稼ぎは金を受け取ると、宿場を後にする。乾いた風が行く手を遮る。慌てるな、人生は長い――男の耳にはそう聴こえる。ぬるく生きるなんざごめんだね――押し破るように進んで、彼はまた一つ居場所を失う。
(2023.9.11)
ぶどうを盗もうとしたきつね。しかし棚が高くて手が届かない。
「どうせ酸っぱいんだ」
これに黙っていなかったのがぶどう農家。
「馬鹿言ってもらっちゃ困る。食ってみろ」
きつねはひと粒食べてみた。目が覚めるように甘い。
「うまい!」
「だろ?コソコソせずに、欲しけりゃ言いな」
(2023.9.12)
低すぎるボールはホームベースの手前でバウンドした。プロなら絶対に手を出してはいけない一球を、バッターは緩慢な動作で空振った。異様などよめきが満ちた。敵も味方も困惑を隠せない。バッターは平然とバットを構え直す。ピッチャーは動揺を堪える。グラブの中で指がギリギリと鳴る。
(2023.9.13)
ジャックが植えた豆は天までに成長した。興味本位で登ってみたが行けども行けども雲ばかり、引き返すことにした。
その頃地上では……。
「すごい木だな」
「何十年も前に登ったまま行方不明の奴がいるらしい」
「おい、何か降りてくるぞ」
「あれは……鬼だ!」
「は、早く切り倒せ!」
(2023.9.14)
男は来店するや否やウイスキーを10杯頼み、噎せながら飲み干して、
「そのままにしといて。ぼくを訪ねてくるひとがいるから見せて」
慌ただしく去っていった。
その言葉どおり、女が来店した。空のグラスを見つめて、
「待ちぼうけさせちゃったのね」
なるほど。しかし若人、小賢しいぞ。
(2023.9.15)
「このご時世、高潔な精神を持った騎士なんざいないよ。そんなに世界を救いたきゃ自分でやるんだな。それより、金貨をくれよ」
(2023.9.1)
黄昏に響く頬の音が、ひと夏の犯罪の終焉を告げた。しかめた顔はそのまま、寝取られるまで気づかなかった女の鈍感さを侮蔑する。親友だ親友だとじゃれついて、捨てられた途端に掌を返すなど都合がよすぎる。私の右手が上がる。罪を犯させる者も等しく罪人、お前にも打たれる理由がある。
(2023.9.2)
「母の容態は?」
「油断ならない状況です。今夜が山でしょう」
「それは良かった」
金目当てで近づき、脈なしと分かると父を籠絡して後妻に収まった女。毒を飲まされたと知るや刃物を振り回す……私の行いなど可愛いものだ。
「では失礼」
医師は退室する。後ろ手に茶封筒を握りながら。
(2023.9.3)
「お~い、そんなへっぴり腰じゃ、良い畑は作れねえぞ~」
「がんばりまーす!」
ぼくは気合いを入れて鍬を振るう。農村に移住してひと月、筋肉痛にも慣れた。周りの人たち皆が先生だ。
「先生、できました!」
「よーし、チェックするぞ~」
師匠――小学五年生の坊主頭が跳び跳ねてくる。
(2023.9.4)
響き渡る歓声に、男は紙屑になった馬券を叩きつけた。すぐさま紙幣を握りしめ売り場へと急ぐ。これで最後だから――もう何度目か知れない“最後”にはやはり紙屑ほどの重さしかない。苦労もせずに叶う夢などなく、そもそも一攫千金は夢にすらなり得ないことに気づけないことこそ哀れだった。
(2023.9.5)
「お、お前さん、小判が……」
「噂の鼠小僧か?こんな大金見たことねえ……」
目を丸くしている夫婦を見下ろしながら、鼠小僧は屋根裏でほくそ笑む。
(さて、これからこれから)
一時の繁栄を得ることは容易い。問題はこの先どうするかだ。後は本人次第、彼はそこまでお人好しではない。
(2023.9.6)
「来たよ!鳩さん!」
孫の声に窓辺に急ぐと、雲間から白い影が降りてくるのが目に映った。病院がないこの島では、ドローンが定期的に薬を届けてくれるのだ。空模様が荒れて心配していたが無事に来てくれた。薬を届け、使者は無言で帰っていく。その姿を私たちはいつまでも見送っている。
(2023.9.7)
雲のように自由なあんたがうらやましいと娘は言った。この狭い町で年を取っていくだけの自分が嫌だと泣いた。おれは娘の言葉を否定しなかった。根無し草の地獄を説いたところで聞く耳を持たないだろう。もっともこの箱入り娘が、垢まみれで地べたを這う日々に耐えられるとは思えないが。
(2023.9.8)
「いい加減にしておくれよ!」女は乱暴な口を利いた。
「そりゃあこちとら貧乏暮らしさ。それでも他人様から金を盗むなんてとんでもない!そんな暇なことを考えるのは、暇なお役人さまじゃないのかね!」
「ええい、黙らんか」
良い勘をしている――同心は家の中に“証拠品”を隠して帰った。
(2023.9.9)
茶封筒には少なからぬ万札を入れてあった。独り身ならしばらく遊んで暮らせる金である。しかし女は封筒を突き返した。私は驚く。さんざんに買い与え手切れ金も弾んだのに、何の不満があるというのか。おまけに誠意だの愛情だのを口にしてなじってくる。まるで被害者だとでも言うように。
(2023.9.10)
銃声は一発。しかし跳ねた薬莢は三つ。そして死体も三つだった。恐るべき早撃ちの賞金稼ぎは金を受け取ると、宿場を後にする。乾いた風が行く手を遮る。慌てるな、人生は長い――男の耳にはそう聴こえる。ぬるく生きるなんざごめんだね――押し破るように進んで、彼はまた一つ居場所を失う。
(2023.9.11)
ぶどうを盗もうとしたきつね。しかし棚が高くて手が届かない。
「どうせ酸っぱいんだ」
これに黙っていなかったのがぶどう農家。
「馬鹿言ってもらっちゃ困る。食ってみろ」
きつねはひと粒食べてみた。目が覚めるように甘い。
「うまい!」
「だろ?コソコソせずに、欲しけりゃ言いな」
(2023.9.12)
低すぎるボールはホームベースの手前でバウンドした。プロなら絶対に手を出してはいけない一球を、バッターは緩慢な動作で空振った。異様などよめきが満ちた。敵も味方も困惑を隠せない。バッターは平然とバットを構え直す。ピッチャーは動揺を堪える。グラブの中で指がギリギリと鳴る。
(2023.9.13)
ジャックが植えた豆は天までに成長した。興味本位で登ってみたが行けども行けども雲ばかり、引き返すことにした。
その頃地上では……。
「すごい木だな」
「何十年も前に登ったまま行方不明の奴がいるらしい」
「おい、何か降りてくるぞ」
「あれは……鬼だ!」
「は、早く切り倒せ!」
(2023.9.14)
男は来店するや否やウイスキーを10杯頼み、噎せながら飲み干して、
「そのままにしといて。ぼくを訪ねてくるひとがいるから見せて」
慌ただしく去っていった。
その言葉どおり、女が来店した。空のグラスを見つめて、
「待ちぼうけさせちゃったのね」
なるほど。しかし若人、小賢しいぞ。
(2023.9.15)