2020.1.1~2020.1.15

文字数 2,345文字

 神々は雲の上から新年を祝う人間たちを眺めていた。不老不死の彼らにとって、その喜びは理解の範疇外にある。一年という微々たる時間に一喜一憂する姿には儚さすら覚えてしまう。
 とは言うものの、老若男女の笑顔で満ちる地上は美しかった。神々は杯を取り、限りある命に向かって掲げた。
 (2020.1.1)


 慣れぬ酒など飲んだのがいけなかった……後悔しても過ちは消えない。従妹は畳から身を起こした。着物の裾は乱れたまま、上目で私を睨む。
「お兄ちゃん、悪い子ね」
 はっとした。この艶かしい響き。
「悪い子には、おしおきしなきゃ」
 白い腿が迫り思い出す。
 飲ませたのは、この女だった。
 (2020.1.2)


 炎は紅蓮の舌となり金閣を舐め尽くす。三層の巨躯が祈るように地に伏せたその時、頂きに留まる金銅の鳳凰が宙に浮き上がった。化鳥は流星の如き一鳴で夜を射抜くと、翼を北へと向けた。俯いて煙草を飲む青年の頭上を越え、たなびく紫の標を辿り、鳳凰は裏日本の海へと飛び去っていった。
 (2020.1.3)


 一富士二鷹三茄子。
 初夢にこれだけ縁起物が揃えば申し分はない。ただ富士は火を噴き、鷹は天を覆い、茄子は地に溢れているが。
「あんたは選ばれたのだ」
 傍らの老人は言う。懐には二つの道具がある。
 四扇五煙草六座頭。
 騒がしい一年になりそうだ。覚悟を決めて、天変地異に向き直る。
 (2020.1.4)


 ひと気無い宝福寺の床に小さな影が立った。雪舟(せっしゅう)が涙で描いた鼠である。生まれが故か鼠は泣く事しかできない。どうして、どうして――鼠は庭に走り出た。折悪く夕立の最中、たちまちその身体は雨に流れてしまった。どうして、どうして――その声もすぐに消えた。
 無論、雪舟は露知らぬ話である。
 (2020.1.5)


 忠助(ちゅうすけ)は菓子箱を開けた。饅頭の間から覗く黄金色が眩い。
「これで殿を始末せよと」
「しッ、気を付けよ。どこで誰が聞いておるか――」
 言いかけた家老の首が落ちた。忠助はゆっくりと刀を鞘に納める。
「昨日でしたら、お引き受けしましたものを」
 血で破れた障子から、薄い満月が覗いた。
 (2020.1.6)


 出しそびれた年賀状は机に仕舞ってある。今頃きみに届いているはずだったのに、きみは郵便が届かない国に行ってしまった。もしこの世に奇蹟とやらがあって、きみがぼくの前に現れる日が来たなら、その時は必ずこの年賀状を手渡すんだ――そんな空想にすがりながら、惨めに毎日を生きている。
 (2020.1.7)


“失地王”……かつてこれほど屈辱的な名で呼ばれた王がいただろうか。巷説は「土地を失い続ける」呪いに変質し彼を苛んだ。天国も地獄も立ち入った途端消失した。巡り巡って辿り着いた先は、懐かしい故郷の草原。
(赦された……)
 彼は涙し、地に足を付けた。
 ――そしてまたひとつ土地を失った。
 (2020.1.8)


 火葬され髑髏になった祖母は美しかった。皺まみれで饐えた臭いを発し我が儘ばかり口にしていた生物は、形ある沈黙へと姿を変えた。私は己の中の髑髏を思った。いずれ自分もああなる――それだけで涙が溢れた。

 己の髑髏をこの目で見たい……そんな妄想が涌くのに、然程時間はかからなかった。
 (2020.1.9)


 夜勤と言えど仕事は楽だ。椅子に座って監視カメラの映像を眺めていればいい……のだが、俺は今、目を据えておくべき画面から身体ごと背け、壁に掛けられた社訓を睨み付けている。
 ちらりと画面を見やり、慌てて目を逸らす。“あれ”はまだ映っている。街灯の下からカメラを――俺を覗いている。
 (2020.1.10)


 あなたの愛を齧らせてください
 ひと口だけでいいのです
 あなたの愛を齧らせてください
 歯が砕けても構いません

 わたしの中にある愛は
 どこかいびつです
 いくらあなたを思っても
 満たされません

 足りないのです
 欠けているのです

 それを埋められるのは
 きっと
 あなたの愛だけなのです。
 (2020.1.11)


 婚約者は饒舌な男だ。多彩な話題を豊富な語彙で紡ぐ。父は微笑みながら相槌を打った。和やかな会食……しかし私にとってはそうではなかった。料理の味など分からない。
 婚約者が帰り、食卓の灯は消えた。
「よく喋る人だね」
 父は言った。
「少し、煩いね」
 破談――また、一からやり直しだ。
 (2020.1.12)


 物心ついた頃から仏壇に手を合わせていた。仏壇にはいくつか位牌があり、私は先祖の安寧を願った。
 ある日、位牌が一つ無いのに気づいた。母に問うと他人のものが混じっていたので寺に納めたという。
 私は恐怖した。誰とも知れない死者を拝んでいた……瞬間、先祖の貌が化物へと変わった。
 (2020.1.13)


 眼下を過ぎる人の群れ。彼らは神に願望を託けるため、連日彼方よりやってくる。
(のんきなことだ)
 門にぶら下がる蜘蛛は思う。生きるか死ぬか以外の世界など想像もつかない。緩すぎて逆に死んでしまいそうだ。
(しかし……幸せならそれも良しか)
 蜘蛛は脚を伸ばし、破れた網を繕い始める。
 (2020.1.14)


 太平洋上に領空を侵犯する未確認飛行物体あり――スクランブル発進したF-2が見たものは巨大な蛸……いや、凧だった。ふざけた顔をした黒い蛸型の凧が宙に浮いている。その大きさたるや東京湾を易々と覆えるほどだ。あっけにとられたパイロットは音速を超える機体に迫る触手に気づかなかった。
 (2020.1.15)
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