2020.9.1~2020.9.15

文字数 2,280文字

 神が初めて地上に降りたとき、一人の男に出会った。
「何だ、誰だよお前」
「無礼な。我は神であるぞ」
 その言葉で、男は跡形もなく消えてしまった。人々は神の存在を広く伝え、崇め奉った。

 神さま、分かってる?“信仰”ってのはそういうことなんだよ。誰も好き好んで死にたくないもの。
 (2020.9.1)


 二兎を追う者は一兎をも得ず……人生一度きり、欲張らないでどうする。私は全力で二兎を追った。
 そして先達の言うとおり、私は一兎をも得ることができなかった。
 しかしこの手は、その過程で見た景色で溢れている。二兎よりもかけがえのないものを得た私は、もう兎なんか欲しくないのだ。
 (2020.9.2)


 聖女と呼ばれた人がいた。貧富分け隔てなく、惜しみ無い愛を捧げた。その臨終には各国の要人を始め、多くのマスメディアが押し寄せ、民衆は奇跡を祈った。
 ついにその時。息を呑む人々を前に聖女はひと言、
「今までのは全て偽善でした」
 凍りつく世界を残し、女は真っ直ぐ地獄に落ちた。
 (2020.9.3)


 マニキュアが乾くあいだ、あなたが好きだった歌を聴く。気だるいボサノバに思い出をくすぐられ、目から大粒の涙があふれる。未練に浸るのは何と甘やかで心地よいのだろう。頬がすっかりふやけてしまう頃、十の爪は鮮やかに陽の光を映し出す。ふうとひと息。しかし歌声はまだ続いている。
 (2020.9.4)


 人間の想像力は恐ろしい。それは創作に不可欠な力ではあるが、同時に作者の予期しない解釈をももたらしてしまう。鑑賞者は各々勝手な解釈をし、無遠慮に貼り付ける。作品は歪な腫瘍に被われていく。だから私は筆を置いた。愛しい我が子が、醜い怪物に変わっていくのが耐えられなかった。
 (2020.9.5)


 鳥の群れが慌ただしく飛び去っていく。不吉な匂いを孕んだ潮風が、係留された船の帆を叩いている。湾岸に連なり、ひたと沖を睨む装甲車輌。海から来る不可視の驚異――止めなければ悲劇は必至だ。隊員たちは固唾を呑んでその時を待つ。

 どん、と海が揺れた。

 合図と共に砲身が火を噴いた。
 (2020.9.6)


 誰よりも劣っている。頭脳、体力……数え上げたらキリがない。罵声と嘲笑を浴びて、背を丸め歩んできた。
 しかし時代の変化か、今まで蔑まれていた性質が陽を浴びるようになり、私は“優秀な人間”へと昇華された。
 誰もが羨む一方で、劣等感という殻を剥がされた私は、身の振り方を失った。
 (2020.9.7)


 二人で夕立を噛み砕いた日から、空が僕らに背を向けた。風は嘲りの言葉を吐き、雲は在らぬ噂を垂れ流した。太陽の蔑みに刺されながら、僕たちは互いに手を握り、歩を進める。その足跡は血の轍となって土を穿つ。空よ、見ていろ。これがいつか赤道に代わり、お前たちの往く道を縛るのだ。
 (2020.9.8)


 僕の彼女はグラスの氷を噛む癖がある。頬をふくらませて、こりこりとリズムを刻む姿はかわいい。でもさすがに丸氷は無理だろう。
「やめとけよ。あご外れちゃうよ」
「むー」
 それでもあきらめ切れず、ぺろりと表面をひと舐め。やんちゃなくせに妙に艶かしくて、僕は見て見ぬふりをする。
 (2020.9.9)


 大きなくらげが、波間に揺れている。彼らは何を考え生きているのだろう。脳みそのような外見とは裏腹に、ほとんどが水で出来ているそうな。ならばその意識は海と繋がっているのか。外部と接触するための端末。波打ち際で干からびた個体は、切り捨てられた感情なのかもしれない、などと。
 (2020.9.10)


 過ちを繰り返さぬように――記念樹として植えられた苗木は、ひと晩で枯れた。苗木には分かっていた。命ひとつでは重すぎる願いを背負わされたことを。叶うはずもない願いを背負わせる人間の愚かさを。持てはやされる生よりも、誇りある死を選んだのだった。

 翌日、新たな苗木が植えられた。
 (2020.9.11)


 埠頭の突端で、ポートタワーの灯が明滅する。老人の鼓動のような、覚束ない間隔で。かつてはレジャー施設の花形だった存在も、今では錆の匂いに侵されている。それに引き替え、建ち並ぶラブホテルの灯のなんと鮮やかなことだろう。夜に咲く性の輝きは、祭りに浮かれる山車にも似ている。
 (2020.9.12)


 未開の地で醜い怪物が捕獲された。知能こそ低いものの人語を話し、自らの差別と迫害の歴史を情感豊かに伝えた。人々は涙し、怪物を厚く保護した。
 その後複数の個体が見つかり、彼らが悲劇を創作し巧みに話す習性があることが分かった。
 いま、怪物たちは動物園の檻の中で暮らしている。
 (2020.9.13)


 欠陥品だった。使ううちに曲がったのではなく、作られたときから曲がっていた。それが彼女の不幸だった。直す機会は幾度もあった。しかし曲がったまま人の道を歩いた。それが彼女の罪だった。
 独房に繋がれた、人類史上最長の懲役刑囚。
 その人でなしの眠る檻が、いま、厳かに叩かれる。
 (2020.9.14)


 数えで御年90歳、三時代の生き字引が挑むのは、最新の電子機器。
「ぜんぜん指がすべらんねぇ。歳とると脂がなくなっていかんわぁ」
 ぼやきながらスワイプを繰り返す目は、きらきらとまばゆい。それは少年少女だけが持つ特別な輝き。いつか私も、こんな素敵なおばあちゃんになりたいな。
 (2020.9.15)
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