2022.7.1~2022.7.15
文字数 2,188文字
初めて入る彼氏の部屋はぬいぐるみだらけだった。しかもかわいい系のやつばかり。ベッドをゆるキャラが占拠している。
「引いた?」
おずおずと訊いてくる。苦笑しながら、
「全然!趣味は人それぞれだし。私もナメクジ好きなんだけどなかなか理解されないんだよねー」
沈黙。あ、あれ?
(2022.7.1)
「お父さん、お母さん、今日までありがとう。生まれ変わっても、私は二人の子供になりたいです」
花嫁姿の未菜は、私たちをまっすぐに見て言った。未菜と血の繋がりはない。遠慮したりされたりしたこともあったが、私たちは確かに家族だったのだ。この幸せが霞まないよう、唇を引き結ぶ。
(2022.7.2)
ドアを開けると猛烈な異臭が漂ってくる。元はゴミの山と、その中で無心にキーを叩く青年。一週間前の再現。千年に一人の天才は身の回りのことが何もできない。専属の介助スタッフが餓えや病気から守っている。一言も一瞥もなくされるがままの青年を、もう人間として見ることはできない。
(2022.7.3)
「こんなになるまで放っとくなんて、なに考えてんだ!」
友人の罵倒は止まらない。あまりの遠慮のなさに一時期距離を置いていたが、久々に聞くと変わらぬ切れ味に愛らしさすら感じる。これが聞き納めということもあるのだろうが。
「臨終になってから呼んでも遅いんだよ、バカ野郎……」
(2022.7.4)
郊外の墓地は、熱波が嘘のような涼しさに包まれていた。真新しい骸骨が一体、ぼんやりと町の方角を眺めている。その足元で、古びた骸骨が小枝で歯をせせっている。
「諦めな。期待するだけ損だぜ」
「はい……」
「墓参りなんか来ないほうがいいんだ。死者は生者を煩わしちゃいけねえよ」
(2022.7.5)
ハイドンの交響曲第94番。pp→ffの合奏で聴衆を驚かすお茶目な曲だ。今日もあるホールで、
「わっ!」
男が席から飛び上がった。周りは苦笑したが、その手に握られたものを見て顔色を変えた。
「刃物だ!」
警備員が男を取り押さえた。200年前の洒落が、奇しくも悲劇を阻止したのだった。
(2022.7.6)
「今日は雨だから、織姫と彦星は会えないね」
はっと顔を向けると、近所の子供が真っ黒な空を見上げていた。会えない――その言葉だけが、今の境遇と混じり合って胸を冒す。カレンダーの予定は乱雑な十字で消されている。彦星はもういない。織姫は部屋で独り、カップラーメンを啜っている。
(2022.7.7)
何のために口がある、何のために言葉がある。人間だろう、対話しろ、意思を届けろ。武器は生まれながらに持っているじゃないか。銃弾は死と悲しみしかもたらさない。引き金に指を掛ける前になぜ気付けなかった。卑怯者よ、私は非難する。偉大なる指導者よ、せめて安らかな眠りを。哀悼。
(2022.7.8)
Tシャツを絞ると、汗が滝のように流れ落ちた。一時間みっちり自分を痛め抜いた成果である。筋肉の火照りが心地よい。四半世紀生きてきて、自分の身体とこんなに向き合ったことはなかった。初めは面倒臭さが先に立っていたが、今ではやったぶんだけ応えてくれる姿に愛しさすら感じている。
(2022.7.9)
「メディアは嘘つきだ!騙されるな、愚かな大衆になり下がるな!」
「根拠を教えてください」
「この画像、この動画だ!」
「全部メディアからの引用なんですが」
そこで夢から覚めた。何が真実かは分からないし考え方は人それぞれだ。愚かな大衆――それならそれでいいかなと私は思った。
(2022.7.10)
弟を見習え――その言葉が長年俺の身体を縛ってきた。弟が出来すぎているのではない。俺の出来が悪いのだ。当たり前に息をするだけで、二人の明暗はくっきりと分かれてしまう。弟は窮屈な日向の世界で、平凡な人生を歩んでいく。俺は広々とした日陰の中で、独り足を取られてもがいている。
(2022.7.11)
北斎の新作『冨嶽三十六景』は空前の人気を博した。『神奈川沖浪裏』の大胆な構図は誰にも真似のできない発想だ。
そんな中、あばら家で塞ぎ込む一団がある。
「時化を狙って密貿易してたのがばれちまう……親分、どうしよう」
「どうしようもねえだろうが。誰も気づいてくれるなよ……」
(2022.7.12)
レジはどれも長蛇の列だ。たまたま新人バイトに当たってしまう。ベテランは大勢いるのに誰もヘルプに入らない。ようやく精算を終え、半泣きのバイトに思わず労いの言葉が出る。商品を袋に詰めていると、裏手で店長が空き箱を片付けているのが見えた。私の手はご意見カードを掴んでいた。
(2022.7.13)
あかぎれに沁みて、女は雑巾を取り落とした。かつて茸の王妃と呼ばれた面影はない。心は何代も前に死んだ君主に囚われてしまっている。今は宮殿を捨て、霊廟に寝起きするありさまだ。家臣が世継ぎの話をしに来るが聞く耳を持たない。恥ずべき血筋をこれ以上延命させるつもりはなかった。
(2022.7.14)
熱狂のひとときは過ぎ去り、博多の町は日常に戻りつつある。あと2年早ければ、祖父と一緒に山を舁けたのだが。庭に降りて空を見上げる。見渡す限りの曇天。そのとき、一条の光が雲を裂いた。走らんか――祖父の声が聴こえた。そうだ、止まない雨はないし、雨だろうと進まなくてはならない。
(2022.7.15)
「引いた?」
おずおずと訊いてくる。苦笑しながら、
「全然!趣味は人それぞれだし。私もナメクジ好きなんだけどなかなか理解されないんだよねー」
沈黙。あ、あれ?
(2022.7.1)
「お父さん、お母さん、今日までありがとう。生まれ変わっても、私は二人の子供になりたいです」
花嫁姿の未菜は、私たちをまっすぐに見て言った。未菜と血の繋がりはない。遠慮したりされたりしたこともあったが、私たちは確かに家族だったのだ。この幸せが霞まないよう、唇を引き結ぶ。
(2022.7.2)
ドアを開けると猛烈な異臭が漂ってくる。元はゴミの山と、その中で無心にキーを叩く青年。一週間前の再現。千年に一人の天才は身の回りのことが何もできない。専属の介助スタッフが餓えや病気から守っている。一言も一瞥もなくされるがままの青年を、もう人間として見ることはできない。
(2022.7.3)
「こんなになるまで放っとくなんて、なに考えてんだ!」
友人の罵倒は止まらない。あまりの遠慮のなさに一時期距離を置いていたが、久々に聞くと変わらぬ切れ味に愛らしさすら感じる。これが聞き納めということもあるのだろうが。
「臨終になってから呼んでも遅いんだよ、バカ野郎……」
(2022.7.4)
郊外の墓地は、熱波が嘘のような涼しさに包まれていた。真新しい骸骨が一体、ぼんやりと町の方角を眺めている。その足元で、古びた骸骨が小枝で歯をせせっている。
「諦めな。期待するだけ損だぜ」
「はい……」
「墓参りなんか来ないほうがいいんだ。死者は生者を煩わしちゃいけねえよ」
(2022.7.5)
ハイドンの交響曲第94番。pp→ffの合奏で聴衆を驚かすお茶目な曲だ。今日もあるホールで、
「わっ!」
男が席から飛び上がった。周りは苦笑したが、その手に握られたものを見て顔色を変えた。
「刃物だ!」
警備員が男を取り押さえた。200年前の洒落が、奇しくも悲劇を阻止したのだった。
(2022.7.6)
「今日は雨だから、織姫と彦星は会えないね」
はっと顔を向けると、近所の子供が真っ黒な空を見上げていた。会えない――その言葉だけが、今の境遇と混じり合って胸を冒す。カレンダーの予定は乱雑な十字で消されている。彦星はもういない。織姫は部屋で独り、カップラーメンを啜っている。
(2022.7.7)
何のために口がある、何のために言葉がある。人間だろう、対話しろ、意思を届けろ。武器は生まれながらに持っているじゃないか。銃弾は死と悲しみしかもたらさない。引き金に指を掛ける前になぜ気付けなかった。卑怯者よ、私は非難する。偉大なる指導者よ、せめて安らかな眠りを。哀悼。
(2022.7.8)
Tシャツを絞ると、汗が滝のように流れ落ちた。一時間みっちり自分を痛め抜いた成果である。筋肉の火照りが心地よい。四半世紀生きてきて、自分の身体とこんなに向き合ったことはなかった。初めは面倒臭さが先に立っていたが、今ではやったぶんだけ応えてくれる姿に愛しさすら感じている。
(2022.7.9)
「メディアは嘘つきだ!騙されるな、愚かな大衆になり下がるな!」
「根拠を教えてください」
「この画像、この動画だ!」
「全部メディアからの引用なんですが」
そこで夢から覚めた。何が真実かは分からないし考え方は人それぞれだ。愚かな大衆――それならそれでいいかなと私は思った。
(2022.7.10)
弟を見習え――その言葉が長年俺の身体を縛ってきた。弟が出来すぎているのではない。俺の出来が悪いのだ。当たり前に息をするだけで、二人の明暗はくっきりと分かれてしまう。弟は窮屈な日向の世界で、平凡な人生を歩んでいく。俺は広々とした日陰の中で、独り足を取られてもがいている。
(2022.7.11)
北斎の新作『冨嶽三十六景』は空前の人気を博した。『神奈川沖浪裏』の大胆な構図は誰にも真似のできない発想だ。
そんな中、あばら家で塞ぎ込む一団がある。
「時化を狙って密貿易してたのがばれちまう……親分、どうしよう」
「どうしようもねえだろうが。誰も気づいてくれるなよ……」
(2022.7.12)
レジはどれも長蛇の列だ。たまたま新人バイトに当たってしまう。ベテランは大勢いるのに誰もヘルプに入らない。ようやく精算を終え、半泣きのバイトに思わず労いの言葉が出る。商品を袋に詰めていると、裏手で店長が空き箱を片付けているのが見えた。私の手はご意見カードを掴んでいた。
(2022.7.13)
あかぎれに沁みて、女は雑巾を取り落とした。かつて茸の王妃と呼ばれた面影はない。心は何代も前に死んだ君主に囚われてしまっている。今は宮殿を捨て、霊廟に寝起きするありさまだ。家臣が世継ぎの話をしに来るが聞く耳を持たない。恥ずべき血筋をこれ以上延命させるつもりはなかった。
(2022.7.14)
熱狂のひとときは過ぎ去り、博多の町は日常に戻りつつある。あと2年早ければ、祖父と一緒に山を舁けたのだが。庭に降りて空を見上げる。見渡す限りの曇天。そのとき、一条の光が雲を裂いた。走らんか――祖父の声が聴こえた。そうだ、止まない雨はないし、雨だろうと進まなくてはならない。
(2022.7.15)