2023.5.16~2023.5.31
文字数 2,329文字
本家の言い伝えでは、月が霞む夜は奥座敷に飾られた鎧武者が徘徊するという。そして今、目の前で鎧武者が歩いている。面具の隙間から篠笛のような呟きが漏れ聞こえる。どうやら女の名であるようだ。結ばれぬ恋への怨嗟なのか、護れなかった主への悔恨なのか、怪異は、ただ哀しく映った。
(2023.5.16)
最近のスマホは自由自在だ。どんな写真も撮れるし、風景や人物を消すことだってワケはない。友人から届いた映え写真もそうなんだろう。あれこれ弄っていたら、加工前に戻ってしまった。それを見た瞬間、私はスマホを取り落とした。
消されたもの。友人の背後に、青ざめたい無数の顔……。
(2023.5.17)
耳ざといのが取り柄だった。良い噂は拡散に努め、悪い噂は火消しに走った。そうやって地位と名誉を得たものの、ある日ふっと気が抜けてしまった。それでも情報収集に励む耳が疎ましくなり、鼓膜を針で突いた。何も聞こえなくなった代わりに、過去の噂が反響して止まなくなってしまった。
(2023.5.18)
「パパ」
少女は歌うように言った。この言葉には二通りの意味があった。ひとつは生物学的遺伝的な男親。そしてもうひとつは反道徳的な経済的支援者。奇しくも私は双方を同時に満たす立場に置かれていた。重なるはずのない、重なるべきでない円の交差した狭間で、酸欠の魚のように喘いだ。
(2023.5.19)
被害者は真綿で絞殺されていた。絶対に死ぬはずのない道具でひと息に絞め殺されるなんて皮肉が効きすぎている。しかも圧迫するのに必要な質量を用意した結果、被害者は気の優しすぎるライオンみたいな姿になっていた。笑うのも不謹慎、怒るのも不謹慎のような気がする。さて、仕事仕事。
(2023.5.20)
雪はポンヌフの橋脚をまだらに染めながら、セーヌ川を灰色に塗りつぶしている。白い波が宙に躍り、泥のような雲を切りつける。花の都が時折見せる、野卑な一面。普段なら買う気にもならないジェラートも、今日は不思議と舌に絡む。あと足りないものは何だ。革命の血か。アブサンの火か。
(2023.5.21)
二十年間、乗り潰した愛車。最後の給油は奮発してハイオクにした。決して高級車ではないが金と手をかけた甲斐あって、ここまで大きな不調なく走ってこれた。たくさんの思い出を本当にありがとう。さて、家に帰ろう――エンジンをかけて、ひと際高々と響いた駆動音に、思わず涙腺が緩んだ。
(2023.5.22)
旅館の主が霊能者に、呪われた市松人形の除霊を頼んだ。
「しばらく人形と二人きりにしてください」
数時間後。
「以外と素直でした。もう悪さはしません」
「ありがとうございます」
霊能者が去ったあと、主は部屋に入った。そこには寝乱れた布団と、裸に剥かれた市松人形の姿があった。
(2023.5.23)
いずみちゃんちにトラックが停まっている。よその町に引っ越すのだ。家から出てきたいずみちゃんがこっちを見た。さびしそうな笑顔。ぼくは決心した。何があろうと、彼女をこの町に連れて帰る――。
このとき少女の視線が背後の女友達に向いていたことを、少年が生涯知ることはなかった。
(2023.5.24)
奇術師とアシスタントがもめている。
「最近串刺しにする手順が雑すぎないか?本当に刺さるんじゃないかと冷や冷やするときがあるぞ!」
「お前が未熟だからだよ、しっかり避けろ!」
その夜、殺気だった雰囲気でショーを行う奇術師とアシスタントに、観客は別の意味で冷や冷やしている。
(2023.5.25)
執拗なオスティナートは既存の音楽への挑戦状であり決別宣言であった。耳に媚びる作品は要らない、音塊の暴力だけが新しい時代の扉を叩き破る――信念は誹謗中傷で汚された。そして最大の不幸は彼の死後、著名人が手慰みに作った同系統の作品が歴史に残る傑作と評価されていることである。
(2023.5.26)
「新入社員、酒強いんだって?勝負しようぜ」
「はい」
~数時間後~
「すごいな、おつかれ……」
「お疲れ様でしたー。あ、先輩忘れ物してる。電話しなきゃ」
「助かった、ありがとう」
独り先輩は真顔になる。
「あいつは信用できる」
独り新入社員は真顔になる。
「この会社辞めよう」
(2023.5.27)
「はじめまして、こういう者です」
「あら、私と同姓同名だ」
「そうなんですか!ちなみにお生まれは?」
「◯◯です。まさかあなたも……」
「そのまさかです!奇遇だなぁ!」
「ははは」
「ははは」
「……ついに出会ってしまったな」
「ああ。白黒つけようぜ、“本物”はどっちなのか」
(2023.5.28)
『火事だー!』
「なんだって、どこだどこだ?!」
「早く消防車を!」
「すみません、うちのインコが変な言葉を覚えてしまって……」
「なんだ、人騒がせな。まあ何事もなくてよかったよ」
「……ふふふ、うまく騙せたな。おれの完全犯罪のため、しっかり鳴いてくれよ」
『火事だー!』
(2023.5.29)
完成した小説は全て焼き捨てるようにしている。この身から絞り出した膿に等しいのだから、よそ様に見せるようなものではない。ガソリンに浸した紙束は、得体の知れない病巣のようだ。火中に投じれば無音の断末魔を上げながらよじれていく。醜いなと呟く唇は、笑ったかたちで凍っている。
(2023.5.30)
「へえ、意外とかわいい字を書くんだな」
メモを見て呟いた何気ないひと言に、後輩は石のように固まってしまった。まずい、これもハラスメントになっちゃうのか?
「ごめん、悪気はなくて……」
「いえ、初めて言われたのでびっくりして」
その日から後輩の視線が熱っぽい。これは……?
(2023.5.31)
(2023.5.16)
最近のスマホは自由自在だ。どんな写真も撮れるし、風景や人物を消すことだってワケはない。友人から届いた映え写真もそうなんだろう。あれこれ弄っていたら、加工前に戻ってしまった。それを見た瞬間、私はスマホを取り落とした。
消されたもの。友人の背後に、青ざめたい無数の顔……。
(2023.5.17)
耳ざといのが取り柄だった。良い噂は拡散に努め、悪い噂は火消しに走った。そうやって地位と名誉を得たものの、ある日ふっと気が抜けてしまった。それでも情報収集に励む耳が疎ましくなり、鼓膜を針で突いた。何も聞こえなくなった代わりに、過去の噂が反響して止まなくなってしまった。
(2023.5.18)
「パパ」
少女は歌うように言った。この言葉には二通りの意味があった。ひとつは生物学的遺伝的な男親。そしてもうひとつは反道徳的な経済的支援者。奇しくも私は双方を同時に満たす立場に置かれていた。重なるはずのない、重なるべきでない円の交差した狭間で、酸欠の魚のように喘いだ。
(2023.5.19)
被害者は真綿で絞殺されていた。絶対に死ぬはずのない道具でひと息に絞め殺されるなんて皮肉が効きすぎている。しかも圧迫するのに必要な質量を用意した結果、被害者は気の優しすぎるライオンみたいな姿になっていた。笑うのも不謹慎、怒るのも不謹慎のような気がする。さて、仕事仕事。
(2023.5.20)
雪はポンヌフの橋脚をまだらに染めながら、セーヌ川を灰色に塗りつぶしている。白い波が宙に躍り、泥のような雲を切りつける。花の都が時折見せる、野卑な一面。普段なら買う気にもならないジェラートも、今日は不思議と舌に絡む。あと足りないものは何だ。革命の血か。アブサンの火か。
(2023.5.21)
二十年間、乗り潰した愛車。最後の給油は奮発してハイオクにした。決して高級車ではないが金と手をかけた甲斐あって、ここまで大きな不調なく走ってこれた。たくさんの思い出を本当にありがとう。さて、家に帰ろう――エンジンをかけて、ひと際高々と響いた駆動音に、思わず涙腺が緩んだ。
(2023.5.22)
旅館の主が霊能者に、呪われた市松人形の除霊を頼んだ。
「しばらく人形と二人きりにしてください」
数時間後。
「以外と素直でした。もう悪さはしません」
「ありがとうございます」
霊能者が去ったあと、主は部屋に入った。そこには寝乱れた布団と、裸に剥かれた市松人形の姿があった。
(2023.5.23)
いずみちゃんちにトラックが停まっている。よその町に引っ越すのだ。家から出てきたいずみちゃんがこっちを見た。さびしそうな笑顔。ぼくは決心した。何があろうと、彼女をこの町に連れて帰る――。
このとき少女の視線が背後の女友達に向いていたことを、少年が生涯知ることはなかった。
(2023.5.24)
奇術師とアシスタントがもめている。
「最近串刺しにする手順が雑すぎないか?本当に刺さるんじゃないかと冷や冷やするときがあるぞ!」
「お前が未熟だからだよ、しっかり避けろ!」
その夜、殺気だった雰囲気でショーを行う奇術師とアシスタントに、観客は別の意味で冷や冷やしている。
(2023.5.25)
執拗なオスティナートは既存の音楽への挑戦状であり決別宣言であった。耳に媚びる作品は要らない、音塊の暴力だけが新しい時代の扉を叩き破る――信念は誹謗中傷で汚された。そして最大の不幸は彼の死後、著名人が手慰みに作った同系統の作品が歴史に残る傑作と評価されていることである。
(2023.5.26)
「新入社員、酒強いんだって?勝負しようぜ」
「はい」
~数時間後~
「すごいな、おつかれ……」
「お疲れ様でしたー。あ、先輩忘れ物してる。電話しなきゃ」
「助かった、ありがとう」
独り先輩は真顔になる。
「あいつは信用できる」
独り新入社員は真顔になる。
「この会社辞めよう」
(2023.5.27)
「はじめまして、こういう者です」
「あら、私と同姓同名だ」
「そうなんですか!ちなみにお生まれは?」
「◯◯です。まさかあなたも……」
「そのまさかです!奇遇だなぁ!」
「ははは」
「ははは」
「……ついに出会ってしまったな」
「ああ。白黒つけようぜ、“本物”はどっちなのか」
(2023.5.28)
『火事だー!』
「なんだって、どこだどこだ?!」
「早く消防車を!」
「すみません、うちのインコが変な言葉を覚えてしまって……」
「なんだ、人騒がせな。まあ何事もなくてよかったよ」
「……ふふふ、うまく騙せたな。おれの完全犯罪のため、しっかり鳴いてくれよ」
『火事だー!』
(2023.5.29)
完成した小説は全て焼き捨てるようにしている。この身から絞り出した膿に等しいのだから、よそ様に見せるようなものではない。ガソリンに浸した紙束は、得体の知れない病巣のようだ。火中に投じれば無音の断末魔を上げながらよじれていく。醜いなと呟く唇は、笑ったかたちで凍っている。
(2023.5.30)
「へえ、意外とかわいい字を書くんだな」
メモを見て呟いた何気ないひと言に、後輩は石のように固まってしまった。まずい、これもハラスメントになっちゃうのか?
「ごめん、悪気はなくて……」
「いえ、初めて言われたのでびっくりして」
その日から後輩の視線が熱っぽい。これは……?
(2023.5.31)